第10話 越権

「まずはじめに。私、ギデオン・カッシングは、魔王スタニスラスの封印に成功致しました」



「「「「「おおおおおおおおおおおおおお」」」」」



 先ほどまでギデオンを糾弾していた諸侯の声が、一瞬で歓喜の叫びに取って代わられた。


「さすが勇者だ!」

「私は信じてましたよ!!」

「これで作戦決行ですな。やつらを根絶やしにしてやらねば」


 勝手なものだ。

 お前たちは、いつだってそうだ。

 安全なところから殺し合いを命じているだけだ。


 『さすがは勇者』だと?


 ここにいたるまで、いったいどれだけの勇者仲間たちが死に追いやられたか、お前たちは知っているのか。


 そう。


 ―― それすら知らないのだろう、名ばかりの軍司令官この連中は。


 飢えに苦しむ農村の人々のことなど気にも掛けずに、酒食を浴びて色に狂う毎日が彼らの暮らしだ。勇者などという道具の一つや二つ欠けたところで、補充すれば済むこと……その程度に思っていたに違いない。


 彼らの頭の中では、戦争など、自分が指を振るだけではじまり、止めれば終結することにでもなっているのだろう。


 『どうせなにもできないのだから、軍議にも顔を出すな』


 ギデオンの瞳にさげすみの色が浮かんだが、それは一瞬のことだ。

 まだだ、まだ俺にはやることがあるのだ、と、気を落ち着けて報告の続きをしようとしたその矢先のこと。


「恐れながら申し上げます!」


 伝令らしい兵士が、軍議の間に駆け込んできた。


「魔族軍が一斉に撤退を始めたのを確認しました。現在展開中の三方面すべてで同時に撤退中です。至急の指示をお願いします」


 もう始まったか。

 ギデオンが歯がみしたのと、貴族の中から声が上がったのは、ほぼ同時のことだった。


「よし、追撃だ。連中の親玉はもういない、今こそやつらをこの地上からけしさってやれ!」


「お待ちください!」


 ギデオンはそう叫んで立ち上がる。


「なんだギデオン。お前に軍議に口を出す権利はないぞ」


 方面司令官貴族の一人が気色ばんでギデオンをにらみつける。

 だが、ギデオンはそれには構わずに、伝令の若い兵士に優しく話しかける。


「君は少しの間だけ外に出ていてくれないか」

「は……しかし」


 ちらっ。隅にいる本物の司令官の顔色を窺う彼。


 准司令官とは、一方では司令官貴族の御機嫌を取りながら、もう一方で実際の軍務に携わる、苦労の多い仕事だ。階級的にはもちろんただの司令官の方が高いために、彼らがときおり発する夢見がちで理不尽な命令をうまくいなして、兵士たちが無駄死にしないように常に気を配っていなければならない。


 この役職にも貴族が就くことは多いのだが、彼らは名ばかりの司令官とは違う。軍人としての矜恃を持った有能な人物ばかりだ。

 その中には、ギデオンが尊敬している人物も少なくない。


「外で待っていなさい」

「はいっ!」


 その尊敬する准司令官は、ギデオンの意を汲んで、伝令を外に出してくれた。感謝の気持ちで勇者の胸が熱くなる。


 何やらまだ続けようとする方面司令官を遮ってギデオンは叫んだ。


「魔王を封印するに辺り、彼は条件をつけました」

「封印の条件とは、どういうことだ」


 意外なことに、尋ねてきたのは国王自身だ。

 こうなると、周囲の者たちは口を差し挟むことはできずに、黙るしかない。


「ありがとうございます」


 ギデオンは、深く一礼したあと、続けた。


 一つ。即座に停戦し、双方の軍は自国領内へと撤収すること

 一つ。魔族軍と連合軍の境界はハイデラゲル砦とすること

 一つ。今後の正式な停戦協定は、人間側の領地で執り行うことを認める

 一つ。これらが守られたのならば、魔王スタニスラスはその身を勇者ギデオンに預けて封印を受けることを魔王の『宣誓』として約す。


 ギデオンは、魔王と交わしたという約定書を箇条書きに読み上げていく。

 そこには、玉璽が魔術で押されていた。これは、ここに書かれた内容に魔術的な強制力が働くことを意味している。

 つまりこの場合は、魔王が約束を違えることがないことの担保になると言えるだろう。


「ふ、ふざけるな」

「さすがにこれは……」

「敗軍の将が、いや、王が、どの面を下げてこのような勝手な要求を!」


 諸侯が次々と不満と怒りの声を上げる。

 まあ、わからないでもない。俺だって彼らの立場に立てば、突然飛び込んできた男にこんな身勝手な話を聞かされれば、はいそうですかとはいかないよな。


「勇者ギデオンよ」

「はっ」


 国王の言葉に、再び場は静まりかえった。


「あまりにも越権が過ぎるのではないか」

「……おっしゃるとおりだと存じます」


 戦争の駒にすぎない勇者キサマに、交渉の権限などない。

 王はそう言っているのだ。


 そんなことは最初からわかっている。それでも、ここで引けない理由がギデオンにはある。


「ただ、恐れながら」

「ふむ?」


 まだ、続きはあるのだ、と。ギデオンは言う。


 一つ。これらが守られない場合は、魔族軍は兵士のみならず国民全てに最後の一人までの玉砕戦を発令する


 ざわっ。ここで空気が変わった。

 過去に何度か発生している魔族軍と人間との戦いで、ときおり局地的ながら発せられて大損害を被ったのが、玉砕戦だ。


 元々の高い忠誠心と、魔王による強力な魔力を伴った扇動の力は、民間人の女子供でさえも容易に自爆攻撃へと走らせる。


 これは実際の被害もさることながら、心理的な圧力も強烈なものだ。


 それを無制限に発令されたら ――


 当面の趨勢は、これで決した。

 真偽のほどを確かめる前に、撤退しようとする魔族軍に追撃をかけるのは間違いなく愚策である。


 かくして、魔族・人間両軍の全部隊は、速やかにそれぞれの国へと一時撤退することになった。


 だが、これで終わりではない。むしろこれからが本番だ。


 この場に蔓延するやり場のない怒りは、目の前に立つ越権勇者と、彼の元にいるとされる敗軍の魔王に向けられていた。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 さて、それはさておき、現在の様子を見てみよう。



「あ~……そこそこそこ。ああ、きもちぃ~~」

「誰彼構わず触られたらあえぐのはどうかと思いますよ、奥様」

「あ、あえいでないし!」


 ここは、ギデオンとエーレンの寝室だ。


 だが、いまこの部屋のベッドにいるのは、その愛し合う二人の男女ではない。


「あ、愛し合ってないし!」

「奥様、誰とお話をしているのですか」

「え。誰だろ」


 お疲れなんですね、とつぶやきながら、ヘンリはエーレンの腰を優しくほぐしていく」


「あふぅぅぅ。効っくぅ……」

「お盛んなのはけっこうですけど、もう少しお身体をいたわって楽しむプレイはできないのですか?」

「プレイとかゆーな! ていうか楽しんでないってば! 毎晩拷問なんだよこれ」

「そうですか」

「そうだよ」


 もみもみもみ。

 黙って揉むメイドと、揉まれる主人。


「あふぅ……そうか、そういえばヘンリはいろいろと経験豊富そうだよね。 どうすればいいと思う? アドバイスちょうだいよ」

「…………イラッ」


「いっだだだだだあははははいやまってだめそこあははははいだだだだいだいいだいいだいあははははやめてほんとたすけていたいいいいいいいいあはははははだだだだいいいぃぃぃ」


 ダークエルフ渾身のマッサージが、エーレンの腰を優しく痛めつける。

 エーレンにはこれに抗う術などなかった。


「はぁうぅふぅふぅ、ひぃぃだだだだ、いぃぃぃったいぃよぉ、へんりぃ」


「奥様が私をどう思っているのが知りませんが、そんな経験などありません」

「……え?」


 エーレンの両目が驚きでまん丸に開かれた。


「あの、ないの?」

「ないです」

「一度も?」

「はい」

「……へ~え」


 ニタァ。そんな擬音が似合いそうな、いやらしい笑い顔だ。

 ギデオンが見たらさぞ驚きそうな、優越感に満ちたの顔。


「そっか、ヘンリはそっかぁ、まだなんだね~」

「イラッ」


 瞳に怒りの色をにじませたヘンリが、両手をわきわきさせながら、ふたたびエーレンの腰を揉みまくろうとにじり寄っていく。


「ちょ、ちょちょちょ待って、もうマッサージいいから、待ってってば」

「いえいえ、ご遠慮なさらずに」

「ちょっと待ってよ、ていうか、ね。お話しようよ。そうしよう」

「はあ」


 ようやく腰の痛みも引いてきたエーレンはのそりと起き上がり、ヘンリから受け取ったガウンを羽織って傍らの椅子に腰を下ろした。


「いやでも、ホント意外だよ。ヘンリって昔からモテてたじゃない」

「魔王さまほどではありませんけどね」

「いや、ボクは単に地位でモテてただけだし」


 ヘンリはおもしろくなさそうな表情を隠そうともしない。


「ねぇ、怒った?」

「はい」

「ごめんってばぁ。だっていつもボクばっかりいじられてるしさ。たまには仕返ししたくなったからぁ」


 ふぅ。

 わざとらしく見せつけるような深いため息を一つ。


「わかりました。お許しします」

「ありがと」

「わたしは、いまも初恋の男の子を想っているんです」

「え。そうなの?」

「はい。彼は今頃なにをしているのでしょうか。ときどき、考えるんです」

「ふーん……ヘンリって見た目に寄らず乙女だよね」

「見た目に寄らずとは?」

「あ、いやいや、そういう意味じゃなくて」

「どういう意味です?」

「そこツッコまないで! ああほら、その彼、うん、どうしてるんだろうね」


 ヘンリは、夢見るような瞳で何やら想像しているようだ。


「幸せに過ごしているといいなと想います」

「うんうん、わかる。そうだよね」


「まさか、毎夜毎夜イケメンにくみしだかれてはひぃひぃ鳴かされてメス落ちしたりしていないといいのですけれど」


「ちょっと待って」

「はい?」

「あの、その初恋の相手って男の子だよね?」

「そうですね。

「そのときは」

「はい、そのときは」


 なるほど。

 エーレンは似合わない腕組みをして鷹揚に頷いてから続けた。


「あのさ」

「毎晩隣の部屋から初恋の相手の下品な鳴き声が聞こえてきたりしたら、百年の恋も冷めますよね」

「ちょぉっと!」


 ヘンリはエーレンのガードも兼ねている関係で、使用人部屋ではなく寝室の隣の部屋で寝起きしているのだ。


「下品な鳴き声とか言わないでよ」

「はい」

「もう。返事だけはいいんだからなぁ」


 のそりと立ち上がり、なにげに屈伸を始めているエーレンの耳には、そのあとヘンリがつぶやいた言葉は届かなかった。

 

「……あの男、ぜったいにわざと私に聞かせてるんだ」


 ヘンリも続いて立ち上がる。


「奥様、こちらへ。御髪をお直し致します」

「あ、そだね。もう着替えもしないと」


 言って、エーレンは素直に鏡の前に腰掛けた。


「あのね、この前結んでくれたリボン」

「はい」

「あれ、だんな様がすっごい気に入ってたよ」

「……はぁ、それはなによりです」


 女の子なのはどっちだ。ヘンリはあきれ顔でそう想う。


「奥様」

「んー?」


 気持ちよさそうに髪を梳かれながらの生返事。


「私の気持ちはメス落ちされていても変わりませんから」

「……うぐ」


 あら、耳が真っ赤。

 だけど、ここは見逃してあげますか。ヘンリは思う。


「そういえば、先ほどはなにやら偉そうにおっしゃってましたけど、サクランボでしたよね?」

「ぶぅはっ!」


 エーレンへの大ダメージ。

 うんうん。静かに頷いて溜飲を下げるヘンリだった。

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