第09話 謁見

 ―― いまからおよそ一年ほど前。場所は王宮の謁見の間。


「あの娘がそうなのか?」

「まったく、どこの田舎娘でしょう」


 針のむしろとは、きっとこういう状態を指すのだろう。


「なんですかあの髪の色は。不吉な。まさか魔族では」

「いや、魔族であれば角があるであろう。不吉には違いないがな」


 国王に謁見するためにこの場に待たされて、およそ十分が経つ。


 ずっとうつむいたまま、静かに唇を震わせているしかない十分間の屈辱を、この小柄な銀髪の少女は、生涯忘れることができないだろう。


 玉座の周りに立って聞こえよがしに少女を中傷しているのは、そのすべてが名だたる名門貴族の当主たちだ。言うまでもなくこれがいずれも国の重鎮であるのだから、王宮内の風紀はあまり褒められた状態ではないのだろう。


 少女の隣にはもう一人、背の高い筋肉質で金髪の青年が立っている。こちらはただ黙って無表情に、誰も座っていない玉座を射貫くように見つめ続けていた。



「国王・ブレンドン三世陛下がお出ましになられます」



 奥の間から近衛が現れてそう告げている。

 永遠にも感じられた十分が過ぎて、ようやく状況が動き出した。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 月日はさらに二ヶ月ほど前に遡る。


 その日の王宮では折しも、いまや劣勢に陥った魔族軍国境を突破して、敵国奥深くまで侵攻する作戦計画に関する軍議が開かれていた。

 前線となるニューストレム王国の国王と、人類連合軍を結成する残りの二国の代表者までが参加する、戦略的に極めて重要な意味を持った、後生の歴史書に記されるかもしれないほどの会合と言える。



「もはや趨勢は決した。これ以上の双方の犠牲は無意味だろう。作戦の決行を検討する前に、まず魔族軍彼らに対して降伏を勧告すべきだろう」


 この世界においていち早く、限定的ではあるが民主的な国家体制を築いている東部連合国家群の利益代表が、真っ先にそう意見を述べた。


「何をおっしゃるか。あんな化け物どもに道理が通じるはずがない。こちらの計画を見抜かれて守りを固められる前に、速やかにかつ全力でハイデラゲル砦国境線を攻略するべきだ。


 魔族軍との国境から最も離れているディオハ王国の使節が異を唱える。


 それを合図とするようにはじまった侃々諤々の議論を一歩引いた位置から眺めつつ、誰にも気付かれないように小さなため息を一つ漏らしていたのが、ニューストレムの王であるブレンドン三世だ。


 王はこの戦争で、自分の後継者とすべく大切に育ててきた第一王子を失っている。魔族に対する憎しみは、この場にいる他の誰よりも強いと言っていい。


 しかし、この国は魔族と国境を接している最前線の国だ。復讐の念に囚われて選択を見誤れば、後継者どころか国そのものの存亡に関わることになるのは火を見るより明らかである。


 そしてなにより、王は戦乱に疲れていた。


 王子を失ったころに前後して、国境に近い町や村から毎日のように聞こえてくる被害報告の数々が激増した。

 男は殺され、女子供はさらわれ犯され、農地が荒らされることで、中央での食糧不足を招く。

 食糧不足は治安の悪化を煽り、ここ王都でも何度か打ち壊し騒動が発生している有様だ。


 ―― 魔族軍は戦争を熟知している。


 拮抗していた正規軍での交戦も、恐れていた兵糧不足が現実のものとなってきており、近い将来に戦力の維持が難しくなる恐れがでてきていた。

 

 そこで数年前に、王は一計を案じた


 この国に太古の昔から伝わるを利用しようとしたのである。


 それは、によって選ばれた戦士たちに常人を超越した能力を与えることのできる、すでに忘れ去られて久しい超技術だった。数百年、あるいは千年以上の昔から、宝物庫で眠っていた宝珠を、ブレンドン三世が揺り起こしたのだ。


 どうしてそのような強力で有用な力が封印されていたのか。

 それは、ひとえに、軍や冒険者制度といった社会システムの近代化が理由だった。


 どれだけの能力を付与されたところで、所詮は個人の力に過ぎない。

 このような戦乱で大部隊を相手に戦えるものではないし、そうであれば一人の戦士ごときに、王にとって脅威にもなり得る力を与えることに意味はあるのか。


 だが、いまこの時にいたって、王が勇者の復活を認めた理由はまさにそこだ。


 魔族軍人間連合軍我々の苦手とするゲリラ戦に長けている。

 そして、戦争における勇者の活躍とは、まさにそのゲリラ戦なのだ。


 果たして、その思惑は功を奏することになる。

 魔族軍の領内に少数精鋭で忍び込んでは、住民たちの虐殺、誘拐、食糧や資源の奪取やインフラの破壊などを行い、さらにはサボタージュを扇動して魔族正規軍をはじめとした様々な組織の弱体化にも成功した。


 今まで一方的にやられ続けていたことを、ものの見事にやり返して見せたのだ。

 

 もちろん、それは一朝一夕になんの犠牲もなく行われたわけではない。

 国王が徴発した勇者の適合者はおよそ百名。



 いまこの段階において、現存する勇者は ――



「お待ちください、ただいま重要な軍議中です。許可が下りるまで控えの間で ―― 」

「どけ! 時間がないんだ。その許可を待っている時間で世界の今後が変わるかもしれない」


 そんなとき、部屋の外から言い争うような大声が聞こえてきた。

 どうやら、許可なく入室をしようとする何者かを衛兵が止めようとしているのか。


 思いにふけっていた国王は、目の前の現実に引き戻される。


 その直後。


「ギデオン・カッシング、入ります」


 衛兵の制止を振り切って軍議の間に飛び込んできたのは、勇者ギデオンだった。


「王の御前だぞ、なんたる不敬な」

「ここはお前のようなが立ち入っていい場所ではないぞ」

「ほう、彼があの、勇者ギデオンか」


 様々な怒号が飛び交う中、ギデオンは脇目も振らずに王の御前で膝をついて非礼を詫びる。


「まことに申し訳ありません。ですがこれはこの国のみならず、連合軍すべての未来に関わる一大事なのです」


 ざわっ。


 勇者がここまで言うのだ。おそらくは本当に喫緊の要事なのだろう。


おもてを上げよ」

「はっ」

「話せ」

「ははっ」


 最小限のやりとりで許可を得たギデオンは、話を整理するようにゆっくりと、だが確実に伝えようと、話し始めた。


「まずはじめに。私、ギデオン・カッシングは、魔王スタニスラスの封印に成功致しました」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 そして時間は現在に戻る。



 春の執務室の窓際は、心地よい日だまりだ。

 ギデオンはのんびりと紅茶を楽しみながら、書類仕事に精を出す奥方付きメイドヘンリの横顔を眺めている。


「だんな様」

「ん?」

「それ以上私を視姦し続けるおつもりなら、奥様に言いつけますが」

「そんなことしてねえよ!」

「ふん」


 屋敷の他のものには任せられない魔族絡みと思われる陳情書が集まっている。

 その処理にヘンリの力を借りている理由は、彼女が魔族の一員で内情に詳しいからであった。


「私は、あの甘ったれでめんどくさい奥様のお守りで手一杯なんですよ。こんな契約外の仕事を押しつけられるなんて心外です」

「おまえ、影ではホントにあいつをぼろくそに言うよな」

「心外です。これは固い友情あってのことなのですから。だんな様がもし同じようなことを言い出したら、秒で刺します」

「せめて、殴るくらいにして欲しいもんだが」


 苦笑しながら、一度は自分と死闘を演じたこのヘンリダークエルフを、エーレンのメイドとして雇うことにしたのは正解だったと、ギデオンは思う。


「ところで気になっていたんだけど」

「なんでしょうか」

「その、あれだ。エーレンのことだが」

「でしょうね、だんな様の頭の中は奥様のことばかりですから」

「そんなこともないだろ??」

「そうですか?」


 魔族軍の残党とか、領内の運営とか、考えることは色々あるんだ。

 決してエーレンのことばかりの筈がないだろう。


 ただ、残党狩りを終えたらエーレンと風呂に入ろうとか、運営が一段落したらエーレンと温泉にでも行こうとか、思ってはいたがそれはであってだな。


 聞かれもしないのに心の中で言い訳を繰り返しているのは、かなり思い当たる部分があるということなのかもしれない。


「それはいいんだ。で、気になってることなんだけどな」

「なんです?」

「男だった頃のエーレンってどんなだったんだ」

「……人間たちは、魔王スタニスラス陛下のご尊顔をご存じないのですか」


 魔王だったころのエーレンは、スタニスラスを名乗っていた。


「ていうか、そっちが本名だし!」


 エーレンがもしこの場にいたら、きっと叫びだしていたことだろう。


「あいつの在位期間は短すぎたからな。先代魔王オヤジの方はそれなりに伝わってるんだが」

「短くした本人が悪びれもせずによく言うものです」

「仕方ないだろう、そこ責めるなよ」

「まあ確かに、仕方ないですね」


 戦争の結果からそうなってしまっただけで、個人に責任を押しつけることは違う。それはヘンリにもわかる。


「で、どうだったんだ。教えてくれよ」

「どうだったと思います?」

「そうだな」


 ギデオンは、腕組みをして考えた。


「あの気の小ささとか、王だったとは思えない腰の低さとかからするに、線の細い美少年って感じだろ」

「そうですか」

「いや、そうですかじゃなくて、教えてくれって」


 やれやれと軽く首を振ったのち、ヘンリは昔を思い出そうとするように、視線を天井に向ける。


「あの方は、線が細いというか」

「うん。『いうか』?」

「全体的に太いというか」

「太ってたのか?」


 意外……でもないか。ちょっところころした少年の雰囲気が、今のエーレンに残っていないこともない。そう感じるギデオンだ。


 だが、ヘンリがさらに続ける言葉には、意外を三段階ほど飛び出したようなほどの驚愕を覚えた。


「いえ、そうではなく、上腕二頭筋がボコッとして」

「ボコッと?」

「腹筋などは八つに割れっ割れ」

「わ、割れっ割れ??」

「なんとかバイセップス!ニカッ!キラッ!って感じにもうむきむきの」

「に、ニカッとするのか」

「そりゃもう、日焼けした肌と光る白い歯がまぶしい ――」

「光っちゃう???」

「おっさんでした」

「おっさんんんんんんん!!!!!!?」


 呆然と立ち尽くすギデオン。いまなら子供でも彼を倒せそうだ。

 勇者ギデオンをここまで痛めつけた猛者は、今までどんな戦場にも存在しなかっただろう。さすがだぞ、ヘンリーケ・リーツ!


「いやもう、まったく面影がないですね。いまの奥様には」

「…………も、もういい。すまない、俺がつまらないことを聞いた」


 バタン!

 そのとき、執務室の扉が荒々しく開かれた。


「あー、なに二人きりで楽しそうに話してるの!」


「あら、奥さま」


 しれっと答えるヘンリと、


「…………やあ、エーレン」


 それだけをやっとの思いで口にするギデオンだった。

 

「ど、どうしたんですか、だんな様」


 憔悴したギデオンに、慌てて駆け寄ったエーレンに、ヘンリが言う。


「ちょっと、ショックな出来事があったらしいですよ」

「え、どうしたの。だんな様、何があったんですか」

「何がって、いや、あの、別に……」

「だんな様! この前ボクにはなんでも話すって言ったじゃないですか」


 青い顔をしたギデオンは、背後に控えるヘンリにゆっくりと顔を向けてなにやら金魚のように口をパクパクしている。


 唇が読める者になら、彼が何と言ったかわかるだろう。


 『うそだろ?』


 ヘンリはそれに答えることなく、一礼して静かに部屋を出ていった。


「ねえ、だんな様」

「なあ、エーレン」

「はい?」

「ニカッとしてみてくれ」

「……はい?」


 ギデオンが完全復調するまでには、それから三日ほどかかったのだった。

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