第08話 つり目とたれ目

 読みかけを書架に戻して部屋を出た。

 あれはさすがに、これ以上読み続けたいと思える本ではなかった。


 寝室の前を通ったが、入り口にはまだシートがかけられたままだ。

 被害がドアだけに収まっていなかったようだから、さすがに一日では無理だったみたいだね。


「今日はどこで寝ればいいかな」


 客室をメイドに用意してもらおうか。


 そうだ、頼みに行くついでに、久しぶりに使用人部屋を覗いてみよう。

 いや、久しぶりと言うより、以前に入ったのはまだこの屋敷に来て間もない頃で、ほとんどメイドたちもいない頃だったっけ。今の体制になってからは一度も顔を出していないことになる。


 本来はボクやだんな様が顔を出すようなところじゃないんだけどね。

 たまにはいいよね、たまには。


 使用人たちの居室は、屋敷の離れに用意されている。

 そこは当然だけど男女別になっていて、さらに使用人のランクに応じて一~四人部屋が用意されているんだよ。


 そういえばねえ、我が家ときたら『伯爵家』とは名ばかりで、実のところは家計はあまりラクではない。爵位からすればお粗末としか言えないほどの実入りしかない領地に封じられてしまったために、ギデオンが冒険者勇者時代に手に入れたお宝の数々も、領内の整備のためにあらかたお金に換えなければいけなかったほどだ。


 なんでそんなことになっているのかを、彼はあまり詳しくは話してくれない。

 ただ、長年続いた戦争をようやく終わらせた勇者の筈なのに、国王の覚えはあまりよくないらしい。

 その原因の一端は……たぶんボクにある。

 ううん、訂正。かもしれない。


 ……まぁ、そういった話はまた別の機会にしよう。


 平民出の勇者が当主の急ごしらえ伯爵家だとしても、その家格は絶対であり、使用人の一定数は無理をしても雇わなければならないのだった。


 ボクも短い間にせよ一国の玉座に座っていたんだから、上に立つ者にとって『見栄』がいかに大切なものかはよくわかっているつもり。

 なるべくぜいたくしないようにして、協力しようと思っているよ。


 うまや番、厨房仕入れ係、専業のパティシエなどは他の者の兼任にした。

 本当なら執事はもう一人雇って執事ダスティンは奥向きの専任にしたい。従者もフィリベルトのほかにもう一人欲しいし、従僕を使って主人付きメイドメアリの負担も減らしてあげたい。本来なら男性であるだんな様には男性の雑用係が専任となるのが常なのだ。


 このようにがんばって最小限のこじんまりさを保持しようとしているけれど、これでボクが子供を産んだりしたら、乳母とか家庭教師とかが加わって、また大所帯に……って。



 ないないないない! そんなの産まないから!!



 油断するとすぐほのぼの家族計画が思い浮かんでしまうのは、やっぱり呪いなんだろうな。

 勇者め、ボクの魔力を封印したばかりでなく、腹立たしいほどに強力な魅了の呪いをかけているに違いない。


 っと。離れへのドア前に到着だ。いちおうノックした方がいいのかな。


 こん、こん。

 しばらくして、扉が開く。


「はい? どなた……え、奥様?」

「あら、フェリシア。こんにちは」


 顔を出したのは、お客さま係のメイドのフェリシアだった。

 どうしたんだろう。とても困惑した表情に見える。


「休憩中かしら? ちょっとお邪魔してもいい?」

「は。あの、なにか私に不始末でも?」


 んー? 警戒されてるのかな? なんだろう。なにかあるの?

 これは主人として是非とも確認しなければ。


「いいえ。少しお話したいなと思っただけだけど。取り込み中かしら?」

「そ、そういうわけではないですが。あ、はい、それではあの、お入りください」


 やはりなにか、あまり中に入れたくない事情でもあるのか、不承不承のでボクを招き入れようとしているようだ。


 そのとき。


「奥様、ご用件でしたら私が承ります」

「あ、エウラリアさん」


 いずこからか現れたメイド頭エウラリアの姿に、フェリシアが露骨にほっとした表情を見せた。


「あなたは中にお戻りなさい」

「はい。あの……奥様、それでは」

「あ、うん。またね、フェリシア」


 フェリシアはそそくさと逃げるように奥へと引っ込んでしまう。

 なんなんだろう。ボク、まずいことした?


 固く閉じられた離れへの扉の前で、なにやら学校の先生に怒られているような居心地の悪さを感じる。


「それで奥様。御用の向きは?」

「えっと、今日は寝室を使えないようだから、客室の方を準備して欲しいと思って」

「それならばすでに手配してございます。すぐにお休みでしたらこのままご案内致しますが」

「え、ううん。いいのよ。ただ、今日はすることもなかったから、メイドたちの様子でも、お願いがてらに少し見ていこうかなって思ったの」

「そうでしたか」


 ……なんだろう、この空気は。ボク、なんかマズいことしたかな。

 心臓の鼓動が早まるのがわかる。えっと、どうしよ。


 そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、エウラリアは姿勢を正し、深呼吸を一つしてから、ボクをまっすぐに見つめてきた。

 ただでさえ彼女は背が高いし、ボクははっきりいってチビだ。ますます先生に怒られているような気分がマシマシになる。


「奥様。恐れながら申し上げます」

「は、はい」


 エウラリアは五〇歳少し前のメイド頭なんだ。

 その肩書き通りに、屋敷の女性使用人の責任者を務めている。


「ここから先は、奥様やだんな様のようなお方が足を踏み入れる場所ではありません」

「え?」

「色々ご心配の向きもおありかと存じますが、私や執事が常に目を光らせておりますので、決して伯爵家の名を汚すような行いはありません」

「ちょ、ちょっと待って。ボクはそんなこと心配してないよ」

「奥様。お言葉が」

「あ」


 彼女は、もともと王都の他の家に勤めていたベテランのメイドだ。縁あってこの遠方の領地まで一緒に来てくれた関係で、もちろん、淑女教育を受ける前のボクのことも知っている。慌てると時々出てしまう『ボク』を、なんどもたしなめられているんだ。


「失礼致しました。ただ、この先は、使用人たちが……言葉は悪いですが、雲の上のかたがたの監視の目から逃れてくつろげる唯一の場所なのです」

「あ」


 そうか、そういうことか。

 別に後ろ暗いことがあったから入れたくなかったんじゃなくて、自分たちの場所を侵して欲しくなかったから。


「まことに、失礼な発言でした。御許しください」


 言って、エウラリアは深々と頭を下げた。

 はぁ……ボクったらホントにもう。


「ごめんね、エウラリア。言いにくかったろうに、はっきり言ってくれて、ありがとう」

「奥様」

「言葉を濁されたら、たぶんボクは何度も暇つぶしでここに通ってたよ。歓迎されてると勘違いして、メイドたちの控え室で機嫌良くお茶でも飲んでたかもしれない」

「奥様?」

「あ、そうね。『わたし』は。ね」

「はい。お心遣いありがとうございます」


 ふう、なんだろうなぁ、なにが淑女教育完璧の若奥様だ。

 サラ先生、ボク、確かにまだまだ先生の力が必要なんだね。よくわかったよ。

 だけど、同じ失敗は二度としないぞ。ボクだって学習することを思い知らせてやる。


「わたしは戻るね。刺繍の宿題をやります」

「はい。必要であればメアリを呼んでください」

「あはは。メアリにやってもらったらサラ先生に怒られちゃうからね」


 あああ、情けない情けない。

 とぼとぼと戻っていくボクの背中を、振り返るとエウラリアがいつまでも頭を下げて見送ってくれていた。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



 さーって、宿題宿題。どこでやろうかな。


 そんなことを考えながら一階の廊下を歩いていると、前方に見える執務室のドアから、ヘンリとダスティンが出てくるのが見えた。


 二人はボクがいるのに気付いて会釈をすると、廊下の先の階段の方へと静かに歩いて行く。


 会議は終わりかな?

 ……ん。ちょっと様子を見てみよう。


 コン、コン。ボクは、執務室の扉をノックする。


「だんな様、いらっしゃいますか?」

「ああ、エーレン。仕事は終わったよ、入っておいで」

「はい」


 ここは、素直に従っておこう。


「お疲れ様です。ちょうど近くを歩いていて、二人が出ていくのを見たものですから」

「そうか」


 ギデオンは疲労困憊のようで、だらしなくソファーに横になっている。

 これは、邪魔しない方がいいね。ついさっき距離感を見誤って失敗したばかりでもあるし、とっとと退散しましょう。


「お疲れのようですから、わたしはこれで。主人付きメアリにお茶を運ばせますね」


 そう言って、部屋を出ようとした。

 だけど。


「待った」

「え」


 後ろから腕を取られて、そのままソファーまで……身体を起こしてソファーに腰掛け直した彼の膝の上に引き寄せられる。


「あの?」

「お茶より、エーレンがいい」

「……あ、はぁ」


 なんだかな。背中側から抱きしめられて、頭を撫でられている。

 ぬいぐるみか、犬猫になったような気分だ。


「そういえば、ずいぶんと物わかりがよくなったな」

「なんです?」

「ヘンリのこととかさ」


 ドキッ。ヘンリはギデオンの命令に反してボクのために事情を明かしてくれたんだ。ぜったいにバレちゃいけない。


「聞いたんだろう」

「なにをです?」

「……へぇ」


 くるっ。


「あれっ?」


 いまどうなったの。一瞬のうちに向きを変えられて、正面から抱き合うような形に。


「あわわわわ」

「俺の目を見て、もう一度言ってみな」


 ……くっ。負けないぞ。

 じっと見つめ返して言ってやるんだ。


「なんの話か、わかんないです」

「……ぷっ」


 吹き出したよこの男。失礼な!


さ、たれ目だよな」

「へ……はぁ?」


 はぁ? なに? たれ目って言った? 悪口言われた?


「ほら、怒って目を吊り上げてもまだたれてる」

「た、たれてないし」

「たれ目が泣くとさ、ホントに情けない顔になるんだよな」


 ボクの話を聞け。たれてないし!


「おまえって、俺がプロポーズしたときに、うれしさのあまり号泣してたじゃないか」


 ……………………………………


「あれは、悔しさと情けなさで泣いてたんですけど」


 戦争には負けるわ、男に戻れなくなるわ、そのままお嫁さんになるわ。

 どこにうれしい要素があるのか。


「うれし涙とは判っていてもさ、やっぱりたれ目の泣き顔ってキツいんだよ。すげー悲しそうなんだもんな」

「だんな様、そのお耳はお留守ですか?」


 聞け。ボクの話を聞け。


「その反面、一緒に暮らすようになってから、時々見せてくれる花の咲いたような笑顔はたまらないんだ。これぞ、たれ目にぴったりの表情だって思う」


 ……………………………………


「たっ、たれ目たれ目、言わないでくれますか!」

「だから、二度と泣かせたくなかった。ずっと笑顔の花咲く、たれ目でいてほしかった」


 なんだよ。なんなんだよ。


「ごめん、俺はやっぱり、おまえのことをよくわかってなかったんだと思う。反省した。これからは、ちゃんとおまえにも話す」

「な、なんの話かぜんぜんわかんないです。でも、そうしてください」


 ん? おや、きょとんとした顔のギデオンを見たのは、久しぶりだなぁ。

 あの、二人が初めて出会った魔王砦以来かもしれない。


「はははっ。なかなかどうして、簡単には口を割らないな」

「ふん。だんな様なんかキライです」

「俺は好きだよ」

「え」

「お前が最近読んでいる本のことは知ってる。心配するな、政治の矢面に立たせるようなことは絶対にしない」

「そ、そうですか」

「そうだ」



 ……あー。これ、もう、ダメ、かも?



「ふっ……ふえ……わぁぁぁぁああああん!」


 泣いた。どうやっても襲ってくる感情を抑えきれなくなった。

 そうだ。ギデオンの言うの時以来、久しぶりに泣いた気がする。

 精一杯に張っていた気が、いろんなことが積み重なって、ここで一気に緩んだんだと思う。くっそ。


「なんだよおい、突然」

「うるさい、キライです。さわんな」

「ふん、まあよくわからんが、泣いたなら俺の勝ちだな」

「子供のケンカかっ!」

 

 これは違うんだ。このの女の身体がよくない。

 もし男のままだったら、こんなところで泣いたりしないんだ。


 ギデオンは膝の上にいるボクの頭を撫でながら、ずっと情けない泣き顔を眺めている。


「何が、ぐすっ……二度と、泣き顔は、えぐっ、見たくないだよ。ず~~っと、ひくっ……笑いながらガン見してるじゃないか」


 溢れて止まらない涙でぼやける景色の中に、それだけは確実に見て取った。

 なんだよ、その笑顔。キミの方こそ、花が咲いてるみたいじゃないか。

 笑う勇者のつり目がちな目を見ながら、ボクは心底そう思っていた。


「はーっはっはっは。俺の勝ち、俺の勝ち~」

「うるさい、ガキ」


 ふんっ。今回だけだから。

 ボクを完全に下すことは簡単じゃないからな。

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