第06話 次の魔王はきっとうまくやるでしょう

「私はもともと汚れ仕事のために魔王さまの近くにいるのですよ」


 そんなのって。


「ねえ、ヘンリ、そんなこと言わないでよ。友達だから近くにいてくれたんでしょ? ねえ」

「……」

「ヘンリ!」


 ボクは思わず立ち上がり、対面に腰掛けているヘンリの肩を掴んで激しく揺らしながら、懇願するようそう尋ね続けていた。


「ねえ、ねえってば」


 幼い頃からずっと一緒だった。

 そして、終戦後も最後までたった一人残ってくれた同族の友人。

 それが、義務感からだったなんて。


 ……いや、それは否定できるはずがない。ボクは魔王だったんだから。


 うん、それはあると思う。ただ、それだけって、ないよ。

 ワガママでズルいかもしれないけど、それだけって、やだよ。



 数秒の沈黙。そして。



「……なーんちゃって」

「え」


 は? なに? そのノリなに。


「いろいろ言いましたが、まずここまでやつらがやってくることはないでしょう。九割方ありません。私のガードは単に念のためです」

「あの」


 ヘンリは肩をすくめて続ける。


「可能性が高いのならば、だんな様自身がここにいるはずです。ぜったいに奥様から離れたりしないでしょう」


 にゃにぃ? んん?


「つまり、えーっと?」

「奥様の色ボケがあまりにうっとーしいので、ついついからかってしまっただけです」


「もぉぉ、このメイドやだ! 主人付きメアリと交代させるぅぅう!!」

「はっはっは」


 ……でも、よかった。

 いやだよ。同族を殺すのも、殺させるのも。


 それならまだ、人間であるギデオンの手で……ああ、ここか。ヘンリの言うとおり、ボクは確かに魔王の資質に欠けているのかもしれない。


 そんなことを思っていると。


 カァ。こつん、こつん。


 カラス?が、窓をくちばしでつついている。


「だんな様たちの仕事は、終わったみたいですよ、奥様」

「やっぱりあの子、キミの使い魔なんだ」


 道理で、普通の動物とは思えない気配がしていた。

 この屋敷に移り住んでから、始めて出会った魔物かもしれない。


 やっと気付いたよ。


「よっぽど、ボクの周りはされていたわけなんだね」

「そういうことですね」

「ボクに内緒で、ギデオンと組んでいろいろやってたんだ」

「まあ、そうですね」


 へぇ。


「謝らないからね」

「はい?」

ボクに内緒でギデオンとごちゃごちゃやってたんだ。疑われて当然だし」

「おっしゃるとおりです」


 むう。


「どーしてそこで素直に頷くかな」

「奥様の忠実なるメイドですから」


 忠実ねぇ……。

 なんか脱力してがっくりした。あ、なんか髪が邪魔だな。


「そうだ。騒いだりドアの爆風を浴びたり、髪がぐちゃぐちゃだよ。梳いてくれるかな」

「よろこんで」


 鏡の前に座ったボクは、ギデオンが一目惚れしたという長い銀髪をヘンリに預けて、たくさんのことを話した。どうしても話してくれない秘密もいっぱいあったけど、それでも彼女に対するボクのわだかまりの一切は消えていた。


 思えば、奥様とメイドになる前から、ボクが魔王に即位して彼女が臣下となったころから、こんな風に語り合う時間はなくなってしまっていたような気がする。


「はい、キレイになりました。これならだんな様もお喜びですよ」

「もう。いまはギデオンのことはいいの」


 丁寧にくしけずられた髪は、肩の下で二本に分けてリボンでまとめられている。ああ、たしかにこれは、ギデオンが好きそうだ。


「では、私はこれで。だんな様が帰る前に、いろいろと報告の準備をしておかなければなりませんので。ああ、お話しするのはこのたびの一件のことですよ。決して奥様から愛しいだんな様を奪ったりするためではありません」


「ごめん! もう言わないから許して!」


 ああ。結局謝っちゃった。

 でもさ、これ以上そこに突っ込まれるのつらいし。


 ヘンリは、部屋のドア……のあったはずの場所で、ボクに深々と頭を下げた。それからいつものようにキレイな足運びで向きを変えてから――おや? 頭を下げたまま動かないぞ。


「友達……って言ってくれましたね」

「え、うん。ヘンリはボクの一番の親友だよ」

「親友ですか」

「そうだよ」


 ヘンリは微動だにしないまま、黙っている。

 下げた頭から重力に従って垂れ下がる髪の毛のせいで、その表情は全く見えない。


 ボクも何も言わないまま、静かな時間が過ぎていく。


 そう長くない時間ののち、彼女はようやく、おもむろに口を開いた。


「もうこんな機会は二度とないと思うから、いま言っちゃうよ」

「ん?」

「ねえ、スタニス」


 それは、身分差なんて考えたこともなかった子供の頃、彼女がボクを呼ぶときの愛称だった。

 二度と耳にすることはないと思っていたその呼び声に――


「なんだい、ヘンリ」


 素直に、そう言えた。


 そこで彼女は身体を起こす。

 ボクの目に飛び込んできたのは、いつもの無表情なメイドの顔じゃなかったよ。

 すぐに笑ったり怒ったり、ごくまれに泣いていたりした頃の、懐かしい幼馴染みの顔。


「私があんたの伴侶を何度も奪ったって言ったよね」

「え。ああ……あれは違うよ。ついイライラして言っちゃっただけで、過去のお妃候補たちに結婚したいと思った相手は一人もいなかったし」


 彼女たちに対して少しヒドい言い草かもしれないけど、これは本心だ。


「そう。だけどね、違うんだよ。違う」

「ん? なんのこと?」


 ヘンリが深く息を吸い込んだ。


「私はあんたからギデオンを奪い取りたいなんて思ったことはない。ギデオンからあんたを奪い取りたいと思っているのよ」


 昔やってたことも全く同じ。ヘンリはそう付け加える。

 こんなとき、なんて答えたらいいんだろう。

 どうするのが正解なんだろう。


 何もできない情けないボクだ。


 ヘンリがゆっくりと近づいてくる。

 そして、両手でボクの右手をそっと包み込んで言った。


「スタニス。キスしてもいい? いいよね。こんなにがんばってるし、ご褒美もらってもいいよね」


 がんばってる……うん。確かに。

 小さな頃からずっとボクのために尽くしてくれていた彼女。彼女が望むなら。それにいまは女同士だし、それなら、きっとギデオンも許してくれ……。


 なんでここであいつの顔が浮かぶんだ。

 腹立たしい思いでいっぱいに満たされる心。


 そしてボクは、無意識に全力でヘンリを突き飛ばしていた。


「スタニス?」


 驚いたような顔を見せるヘンリ。

 ああ、そうだった、彼女だって傷つきやすい年頃の女の子なんだ。

 また、ボクは失敗してしまった。


 でも。だけど。


 ダメだ。ボクを好きだと言うヘンリとはそんなことできない。ボクをスタニスと呼んで慕う彼女と、そんなことをしちゃいけない。


 たとえこれをギデオンが許してくれたとしても、ボクがボクを許せない。


 数瞬ののち。


「はぁ。失敗か」

「え?」


 さっきの表情が嘘のようにサバサバした表情になり、ヘンリは頭を掻きながら言った。


「ギデオンが施した封印は、対象がそれに抗おうとすればするほど解けやすくなるからね。あんたが私に対して気持ちが揺らげば、それだけ解除しやすくなるわけだし」


 ちなみに、ヘンリのチョーカーの封印は、毎週のように強化し直されているらしい。彼女がギデオンを嫌っていると言っているのは本気のようだ。


「そうすれば、あんたを魔王に戻して、私が王妃に収まるつもりだったのにさ」


 え。男に戻る……あー、そういえばそんな目的があったような。

 うわわわわわわ。やっば。やっべ。

 すっかり忘れてた。

 そうだよ、ボクは正しくボクに戻るつもりだったんだ。


「あんたの子を産むのは私だから」


 ヘンリがスゴいこと言い出した!


「こ、子供って……あの」

「だから、これ以上女の子にならないで。せめていまのままでいて」


 これ以上ってなんだよ。


「ボクは女になったつもりはない。これはその、封印のせいで変化を解除できないから仕方なくだよ」

「へぇ」

「『へぇ』って」


 なんだよ、馬鹿にしたみたいに。

 

「だんなに近づく女にこんだけケンカ売って追い払おうとしておいて、女じゃないって言うんだ」

「だからそれは、ボクに隠れてこそこそ共謀してるのが、なんか腹が立っただけ」

「はぁ、そうですかそうですか」


 うわあ、イラつくなー。


「ヘンリこそなんだよ。ボクは魔王に向いてないとか言いながら、魔王の妃になりたいとかさ」

「え。向いてないわよぜったい」

「また言う!」


 なら、なんでだよ。


「そんなの、二人の子供次の魔王がうまくやるように教育すればいいのよ」

「うぐ」


 ダメだ、勝てない。ヘンリに口で勝てるはずがないんだ。

 

「さて。奥様」


 え?あ。


 終わり、か。


「改めて。私はだんな様を迎える準備を致します」

「うん、お願いね、ヘンリ」

「今日はもう顔を出せません。代わりは別のメイドシンディに頼んでおきますので」

「わかったよ」


 去って行くヘンリの後ろ姿を見送りながら思った。

 明日の朝には、もう主人とメイドの関係にすっかり戻っているだろうなって。

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