第05話 巣ごもりデーモン
ボクがこもったのは、夫婦の寝室だ。
だけど、さすがに今夜はギデオンが入ってくることはなかった。
うーん、一人で広いベッドを占領するのが好きだったはずなのにな。
いまはそれが、なんだか寂しい。
彼はいまごろどこで寝ているんだろう。
ははは……寝てないかな。
ヘンリは体力があるし、ボクみたいな醜態はさらさないだろうね。
うげっ。
二人が絡まっている姿を想像したら、ちょっと吐き気がした。
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―― あ。
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うとうとしていただけのつもりが、もうすっかり朝だ。
またベッドで座って一夜を明かしてしまったよ。
ここ数日、まともに寝ていない気がする。
ん? なんだろ。馬車の音がするな。
外を覗いてみる。
「あ。ギデオン」
執事やメイドが数人ほど、出かけようとしている主人の手伝いをしていた。
ホントはそこにボクもいなければいけないはずだけど……ふん。
ああ、今日もお出かけですか。そうですか。
ボクのことなんてほったらかしですか。
好きにすればいいさ。
って。
「うひっ!」
こっち見たよ。だいじょうぶかな、秒で隠れたつもりだけど、見つかってないかな。一瞬だもんね、大丈夫だよね。
ふう。外からは死角になるはずの壁にもたれながら、ずるずると腰を床に落としていく。サラ先生に見られたら、また指揮棒で叩かれるね。
「ふう」
ため息を一つ。
コンコン。
ノックが一つ。
「奥様、もうお目覚めですか。お目覚めですよね」
ヘンリだ。いまはキミに会いたくない。
寝てるよ。ボクは寝てる。だから出直してきて。
コンコン。コンコン。
寝てるってば。
読みかけの本の続きを楽しんでいたら、もうお昼だね。
ちょっとお腹は空いたけど……。
コンコン。
「奥様、お昼の支度ができました。ここをお開けください」
いいや、お昼も抜く。
コンコン。コンコン。
食べないってば。
それからちょっとお昼寝をして、また本を読んでいる。
気付くと外は真っ暗だ。一日中何も食べずじまいだったなぁ。
コンコン。
「奥様。夕食の支度ができました。ここをお開けください」
ふん、食べないよ。ヘンリのバカ。
あっち行け。
コンコン。コンコン。
ノックが二つ。
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・
・
どぅうっがーん!!
「ぎゃああ!」
爆音一つに悲鳴も一つ。しかも品のない悲鳴だ、先生に怒られる。
って、なに? え? ドアがない? ないってなに。え?
「おはようございます、奥様」
「へ、ヘンリ……何してるのキミ。勝手に入ってきて」
「ノックしましたが」
「ノックって、ドアがないけど」
「人間の屋敷のドアは脆弱ですね」
そうかー。ダークエルフだものな。
ところで。
「ヘンリ。それ、なに。引きずってるやつ」
「サラさまのお屋敷の工事で使われていた大金槌ですね」
「あれ、伏線だったの?」
「はい?」
いや、それはいいんだけども。
「そんなでっかいとんかちでノックもなにもないもんだよ」
「できれば
首にまとった
「あの……奥様? ヘンリ?」
さすがにこの物音は隠しようもない。
おずおずと他のメイドたちが、扉のなくなったボクの部屋を覗き込んでいた。
「心配いりませんよ。ちょっとした事故です。始末はヘンリがつけますから、あなた方は普段の仕事に戻ってください」
「ですが」
「これはいったい、なにが?」
なおも事態に困惑するメイドたち。
まあ、ボクだってこれを見て『何もないよ』じゃ納得しないけどね。
「いいのです。お下がりなさい」
こういうときこそ、培った貴族の奥様の威厳を見せるときさ。
☆★☆★☆★☆★☆★
「そういえば、
メイドたちを下がらせてから、ふと疑問に思ったことを口に出す。
「本日、ダスティンさんはだんな様と同行しております」
「珍しいこともあるものね。彼はだんな様の留守を守るためにほとんど一緒には出かけないのに」
男手が必要なときは、従者のフィリベルトが同行することが常だった。
「フィリベルトも一緒です」
「……何があるの?」
ダスティンはたたき上げで佐官にまで上り詰めた後に引退した猛者だし、フィリベルトも先の大戦で勲章を授与されたほどの若者だ。ギデオンの留守中には、ボクや他の使用人を身体を張って守るはずの二人なのだ。
そんな腕に覚えのある二人を、勇者である主人が家の守りを放棄させてまで連れて行く理由。
あまりに不穏な空気を感じて、ボクはそう尋ねずにはいられなかった。
ホントはいま、ヘンリとあまり話したい気分じゃないんだけど。
「それに関して、私の一存で奥様にお話ししたいことがございます」
「キミの一存?」
「はい。だんな様には固く口止めされていることです」
「それって、どういうことなの」
ヘンリは戸惑うボクに構わず一方的に話を続けてくる。
「だんな様がいまどこで何をなされているか、おわかりですか」
「え。えっと、今週はずっと領内の見回りと言っていたけれど」
「そうですね、それはウソではないです。だけど、全てを語ってもいません」
「持って回った言い方はやめてよ」
「そうですね、そうします」
言って、彼女は
「え?」
さっき言っていたように、ボクもヘンリもギデオンの手で魔術の行使を封じられている。だからこそボクらはこんな辺境の屋敷でけだるい毎日を過ごしているんだ。
「どういうこと? 封印の魔術が解けたの?」
「だんな様自らの手で、解かれたんです。」
わからない。どうして。
ボクは情けないことに、よくわからないうちにいつの間にか封印を受けてしまったんだけど、ヘンリの方はギデオンと本気で殺し合ったあげくに敗北して無理やりに封印されてしまったんだよ。
「どうして彼がキミの封印を? それだけ信頼されるようになったって……そういうことなの?」
「奥様、はっきりここで申し上げておきます。私は勇者を今も全く変わらず憎んでいます。私の両親を殺したばかりか、いまもあなたを幽閉して毎夜辱めているあの男は、八つ裂きに殺しても足りません」
「ヘンリ……」
「そして、私が思っているこのことは全て、だんな様はご承知です」
「じゃあなんで」
「わかりませんか」
「わかるわけないよ」
「奥様のためです」
「は?」
なんなの。回りくどいのはやめてって言ったのに。
ヘンリが何を言っているのか全く理解できない。
「だんな様は、領内で最近頻繁に現れる魔族軍の残党狩りに出向いています」
「なに?」
「『魔族軍の残党狩り』です」
「ちょっと待ってよ、魔族軍は全員がハイデラゲル砦以西と浮遊島に撤退したはずだよ。その条件で
「そうですね」
「ねえ、それホントに魔族軍の残党なの? ただの魔物を
実のところ、未だにほとんどの人間が勘違いしていることなんだ。
魔物と魔族は全く別の概念なのに。
いわゆる魔物というのは、人間でも動物でもない生物一般を指す。だから絶対の定義というものはない。コボルドやオークは亜人と呼ばれる魔物だし、ドラゴンやユニコーンは魔獣に分類される魔物だ。
ところが、エルフは亜人なのに魔物扱いされることは少ない一方で、ダークエルフはほとんどの場合が魔物にされている。このことから見ても、実にあやふやな選別をしていると思わざるを得ない。
ちなみに、これらは
だってそうでしょ?
ボクたちからすれば、そもそも自分が人間ではないのだから『亜人』なんて表現からしておかしいわけだよ。
えーっと、そうだ。魔族とはなんなのかだね。
言ってしまえば、人間のいう国籍に近いのかな。
要するに、魔族に属していれば、それが人間であっても魔族なんだ。
とは言っても、魔族の大半はボクを筆頭にしたデーモン族だし、強力な魔力を有しているもの以外を同族として認めることはないから、基本的に魔力に劣る人間が魔族に組み込まれることはまれだ。
ダークエルフ族は種族丸ごとが魔族に属しているから、ヘンリも生まれたときからの魔族の一員なんだ。
ボクこそちょっと回りくどく言い過ぎたかもしれない。
つまりは、ただの魔物が暴れているだけなのに、ボクの同族が暴れていると思い込んでいるだけじゃないのかなって、そういうこと。
―― だけど。
「奥様? だんな様は勇者ですよ」
そうだった。他の者ならともかく、ギデオンが確認しているなら間違いなく魔族軍の残党なんだろう。
「連中がこの領内で活動を始めた理由。それはおそらく、魔王さまですね」
「ボク?」
「はい。あなたを再び担ぎ上げて、戦争を再開しようとしているのかと」
バカな。やっと殺し合わなくてすむようになったのに。
魔族だって全員が全員殺し合いが好きなわけじゃない。むしろ割合としては平穏を望む民のほうが多いんだ。
「行くよ、ボク」
「バカですかあなたは」
「なっ!」
お、奥様に向かってバカだと? いやいや、魔王に向かってだった。
「ヘンリ、口が過ぎるよ」
「足りないくらいです。いいですか、あなたがそんな風におバカだから、だんな様は秘密にしていたんです」
うっ。だ、だけどさ。
「ボクが行かなきゃ収まらないでしょ」
「あなたが行くと収まらないんです。どうしてわからないんですか」
「だって、ボクを迎えに来た臣下でしょ? ならボクが話せば」
「あなたは本当に魔王に向いていない」
「へ、ヘンリ、いいかげんに――」
彼女はそれ以上の問答は無用とばかりに、立ち上がって言った。
「『奥様のために私の封印は解かれた』そう言いましたよね」
「え、うん」
「それは、奥様を残党から守れという意味です」
「…………」
「だんな様の思いを、無駄になさらないでください」
「でも、それってヘンリが!」
同族殺しの汚名を受けることになる。
「私はもともと汚れ仕事のために魔王さまの近くにいるのですよ」
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