第04話 淑女は足音を立てない
「そんなわけでね、カッシング伯爵のご厚意に甘えさせていただくことにしたのです」
「あ、はい」
どうしてギデオンが先生にそこまでするんだろう。
先生がボクをパーフェクトな奥様に仕立て上げてくれたことに、恩義を感じているのかな。
「ときどきでいいから、あなたを厳しく鍛え直してあげてくれと言われているわ」
「あ、はい」
ギデオン……不満か。ボクの何が不満だ。
こんなにも健気に尽くしているというのに。
「あ、でも、先生は引退なさるんですよね? もしかしたらお身体の具合とか。無理なさらないでください。わたしは先生の教えを守ってしっかり勤めていますよ」
キリッ!
先生を心配する大義名分で遠回しに断る。これだ。
これ以上窮屈な生活はごめんだよ。
「少し、腰がね。でも、ときどきチェックにくるくらい平気よ」
「い、いえ、腰は大事ですよ。そんな、わたしのために悪くしたりしたら困ります」
「そういえば、奥様もよく腰を痛めていらっしゃいますものね」
ヘンリぃぃぃぃ!! なに言い出すんだキミは。
「え? そうなの。それはいけないわ。お医者様には診てもらった? これから跡継ぎを産み育てなければならない大事な身体ですよ」
「いえいえ、そんな大層なものではなくてですね」
「まさにその跡継ぎを作るために腰を痛めているようなもので――」
こらああああああ!!
「ヘンリ!!」
「なんでしょう、奥様」
しれっと、そう尋ねてくるこのメイドをどうしてくれようか。
「お茶のおかわりが欲しいわ。入れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
なにかまた抵抗してくるかと思ったのに、彼女は深々と頭を下げてから部屋を出て行った。
「ふう。あ、お騒がせしました。なんのお話でしたっけ」
にこっ。最高の笑顔でしょ、先生。
おもてなしの心は、まず笑顔から。先生に教わった通りです。
「伯爵様との夫婦仲は抜群にいいようね」
もぉぉぉぉ! 先生までそういうことを!!
☆★☆★☆★☆★☆★
ヘンリが入れてきた紅茶を楽しんでから少しして、先生はお付きの人と一緒に自分の屋敷へと帰っていった。
先週くらいだったかな。ここから歩いてすぐの場所に、こぢんまりとしたお屋敷が建てられているのに気がついていたんだけど、まさかあそこが先生の家になるとは……。
「だから! どうしてそれを妻であるボクだけが知らなかったんだ」
一人になって改めて思う。
ヘンリが知っていたことがなおさらに納得いかない。
彼女がギデオン付きのメイドであったならわかるよ。でもボク付きだよね。どうしてボクの頭越しに知ってるの。
……まさか、その、ヘンリとギデオンが、そういう、え?
まさかぁ。だって、あの色狂いの男はともかく、ヘンリは人間を嫌ってるよ。ことに、ギデオンは人間が魔族軍を下したきっかけになった『勇者』だよ。そんな相手に好意を抱くはずがない。
でも、待ってよ。
ヘンリとはボクが正しくボクだった頃 ――魔王になるずっと前 ――から友達だったけど、彼女はことあるごとにボクに意地悪をしてきていたような。
ボクが女の子と仲良くなると、いつだって有る事無い事好き勝手に言いふらしては、すべて台無しにしたし。
これでもボクは魔王の息子だったわけで、お妃候補はいっぱいいたんだけど、そのことごとくにどこかの遊び人の男を連れてきては関係を結ばせて結局破談に導いてもきた。
……いや、相当にヒドいことされてない? ボク。
あの頃は結婚にまったく魅力を感じていなかったし、かえってせいせいしたような気分にもなったから気付かなかったけどさ。
もしかすると悪魔か。ヘンリって。
ああ、人間に言わせれば悪魔だっけ。ボクもだけど。
う~~ん。ヘンリに恨まれるようなことなんかしたかな。
ヘンリがボクを恨んでいるとしたら……そうか。ボクからだんな様を奪うのも普通にあり得る、のか。
いや。いやいやいやいや! 奪うとかないから。
いいよ別にギデオンなんかあげるし。別に欲しくないし。
それでヘンリの気が済むなら。
なんなんだろう。わかんないけど。
なんか、息苦しい。胸のあたりが重い。
え、ぺたんこだろって?やかましわ。
そういうことじゃなくて。なんなんだろう。
ボーッとした頭を冷やそうとして、ベランダに出た。
夕陽がもうすぐ沈みそうだ。
屋敷に続く一本道をじっと見つめて思う。
―― ギデオン、早く帰ってこないかな。
☆★☆★☆★☆★☆★
「……あ」
寝てた。なんか最近寝てばかりみたいな気がするよ。
外はもう真っ暗だ。どのくらい寝てたのかな。
ん? 階下が騒がしいな。なんだろ。
きぃ。
そっと部屋の扉を開けて廊下の様子を見る。静かだ、もう真夜中なのかな。話し声がするのは階下の方だけだね。そっちへ行ってみよう。
とっとっとっ。
知ってた?足音って歩けば自然に鳴るものじゃないんだよ。
体重が同じでも、歩き方一つで聞こえてくる音はぜんぜん違うんだ。
淑女らしい歩き方。淑女らしい足音。
体重を感じさせないように、静かに、羽根のように。
これも、先生からいやっていうほど叩き込まれたものの一つ。
何をするにしてもまず歩くわけだから、重要項目としてみっちり仕込まれた。
しょっちゅうぺちぺちと指示棒で叩かれたりもしたよ。
まあ、痛くはないんだけどさ。
とん、とん、とん。
こんな軽い足音を立てて階段を下りていく日が来るなんて、正しくボクだった頃には想像もしなかったな。見た目に反して、これで存外がさつだったものなんだ。
どんな見た目だったかって? そうだね、紅顔の美少年だったとでも言っておこうかな。あはは。
とん。
あ……。
「割と手間取ったよ。こんな大がかりだったとはね」
ギデオンの声だ。帰ってきたんだ。
我知らず弾んだ気持ちになっていたんだろう、そこからの足取りはもっと軽くなった。
とん、とん、
「エーレンは?」
「奥様はお疲れのご様子で、すでにお休みになっております」
とん、
え? ヘンリ?
どうして。
メイドとしてだんな様をお迎えするなら、そこに
「そうか。そのままにしておいてくれ。君はこのまま俺の部屋にきて――」
ぎしっ。
ボクが踏み出した足が、木製の階段をきしませた。
二人の視線がこちらに集まったのがわかる。
「起きたのか、エーレン」
「奥様」
「あ」
最後の一歩で、ボクは淑女を失格したみたい。
「エーレン、ただいま」
なんの屈託もない笑顔で帰宅を告げたギデオン。
「お帰りなさいませ、だんな様」
ボクもそれに合わせるようにニッコリと微笑んだ。
……つもりだったんだけど、実際はどんな顔をしていたんだろう。
「奥様、お顔の色が優れないようですが」
そうか。ボクはこの深夜の薄明かりの中でも判るくらいに、ヒドい顔色をしていたのか……そこで思い出した。あ。ヘンリはダークエルフだものね。暗視はお手の物だったっけ。
「エーレン、もう少し寝ていた方がいい。俺の方は大丈夫だ」
「そうですね。ヘンリがいますものね」
思いっきり棘のある物言い。なんなんだボクは。
だけど、もう止まらない。
「奥様、私は――」
「よろしくお願いしますね、ヘンリ。だんな様はボクでは満足できないみたいだから」
「エーレン、何を言ってるんだ」
「奥様」
この場に鏡がなくて本当によかったと思う。
ボクはいま、どれだけ卑しい笑みを浮かべているのだろう。
「考えてみれば、伯爵様ですものね。妾の一人や二人いてもおかしくないし、メイドに手を出すことも嗜みなのでしょう」
「俺はそんなこと――」
「ヘンリ、キミはまたボクから伴侶を奪おうとしているわけだ」
「奥様……」
「よかったね、大成功だよ」
もういい。これ以上ここにはいたくない。
きびすを返したボクに、二人が制止の声をかけてくるが、知ったことじゃない。もうなにも話したくない。
どん。だん。ばん。ぎしっ。
ああ、なんてひどい足音をたてているんだろう。
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