第03話 姑ってこんな感じなのかな
「そうだよ、勇者様。魔王なんて放っておいて、ボクと逃げよう。二人で幸せに暮らそうではないですか」
だが、その一言は余計だった。
――エーレントラウトは、のちにそう述懐することになる。
「勇者……そうだ。俺は勇者としての期待を背中にここにいるんだ。いくらかわいい女の子の願いでも、ここで魔王討伐を投げ出すわけにはいかない」
「かわいい女の子って……」
なぜか盛大に文句を言いたげなエーレントラウトの表情にも気付かずに、ギデオンは使命感に燃え上がっていた。
「俺は魔王を倒す。そして、君と添い遂げる。それでいいね?」
「よくない!」
その間わずか0.5秒ほど。
この上なく明確な拒絶である。
「ん?」
「あの、勇者様。それではこうしましょう。『勇者様はこのまま魔王を倒しに城の奥に進む』」
「うん、それで?」
「ボクは『邪魔にならないように一人でこのまま逃げる』これでいかがかな」
「なるほど」
ギデオンは言って、腕組みをする。しばしの熟考。
「ダメだな」
「なぜ!?」
その間わずか0.2秒ほど。
この上なく明確な抗議である。
「下の階層にはまだまだ魔物がいるぞ。君のような女の子が一人で下りていけるはずがないじゃないか」
道理である。
魔法装備の充実したこの世界、女だからと魔物と戦えないわけではないが、彼の目の前にいる少女は、あまりにも普通の少女然としていた。武具の一つも身につけてはおらず、体格も華奢だ。ギデオンが腰に携えている剣などは持ち上げることすら難儀であろう。
そんな彼女が、どうして魔物の巣窟から一人で抜け出せるというのか。
「それは、その」
「その?」
「だいじょうぶだ。こ、このこのネックレスです! これがあれば魔物は寄ってこないんだ。大丈夫なんです!!」
少女は、首に掛けていたネックレスを外して、ギデオンの目の前に突きつけた。これでもかと見せつけるように目の前で揺れるそれを、静かに受け取った彼。
「え」
「これは――」
あわあわあわ。なぜかエーレントラウトは急な下痢に襲われてトイレまでの十歩もガマンできないような顔色になっている。
「あの、それかえして――」
「ふん」
パキン。
ネックレスの先にぶら下がっていた透明な宝石らしきものにギデオンが触れると、それはいとも簡単に砕け散る。
「あ」
「割れたか」
「『割れたか』じゃないだろおおおおおおおおおおお!!」
☆★☆★☆★☆★☆★
「…………朝?」
今日もまた、いやな思い出を夢に見た。
「あのネックレスは、母さまの形見だったんだよね」
そして、宝石に魔力を込めたのは、先代魔王であるエーレンの父だ。
父の形見でもあったと言えるだろう。
「何かあったときにこの魔力を使え。そうおっしゃっていたね、父上……うん、使ったよ」
使ったまま解除できなくなったあげくが勇者の若奥様だもん。
ふと、横を見る。
いつもギデオンが寝ている自分の右隣。
「昨晩は帰ってこなかったんだ」
がんばって遅くまで寝ないで待っていたはずだけど、いつの間にかつい眠ってしまったらしい。
「あれ? 毛布……」
ベッドの上にぺたんと座って読書をしながら待っていたはず。
ヘンリが掛けてくれたのかな。ありがと。最近ちょっと冷えるからね。
……そういえば、ボクを奥様に仕立て上げた先生がに怒られたことあったっけ。ベッドは寝る場所で本を読む場所ではないとかなんとか。
いいじゃんね。
バタン!!!
「ふえっ?」
寝起きのけだるさの中、のんびりと思い出に浸っていたボクだったけど、荒々しく音を立てて開かれた扉に、一瞬で現実に引き戻された。
「だ、誰ですか、ノックもせずに。失礼ですよ」
「その反応だけは合格点ですね」
即座に戻ってきた返事。
え。なに。この声。知ってるぞ、ボク。
「……ペンリー夫人? どうしてここに」
「
彼女の名はサラ・ペンリー男爵夫人。
そう。この人こそがボクに伯爵家の若奥様をすり込んだ、鬼先生だ。
☆★☆★☆★☆★☆★
「あの、それで、先生はなぜここに?」
ボクが目を覚ましたのは、すでに日が高く昇っている時間だった。
いまは、慌てて身支度を調えたのち、改めてサラ先生に挨拶をしているところだ。
「カッシング伯爵からは何もお聞きになっていないのですか?」
「はい?ええ、なにも」
ギデオンは先生の話なんてぜんぜんしてなかったよね。
同意を求めようと、チラリとヘンリに視線を送ると……ねえ、なんで目をそらしたの? ねえ。
「エーレントラウトさま。話をしている相手を余所に、他のものに視線を飛ばすのは、あまりお行儀がよろしくありませんよ」
「あ、はい。す、すみません」
厳しい。それも仕方ないとは言えるんだけどね。
だってこの人は、普通は十年以上に渡って実家で学ぶことになる貴族の淑女教育を、たった半年でどんな女性にだって叩き込むという、プロ中のプロなんだ。
あまり人間の世界に興味がなかったボクは知らなかったんだけど、平民出の貴族の奥方はあまり珍しくないらしいんだよね。特に後妻に入る女性に平民が多いんだって。
なんでも、前の奥さんが亡くなって寂しくなっているところで、慣れない街の女遊びにはまったあげく、そこで仲良くなった女性を家に迎えることがよくあるんだって。
ウチのだんな様は、女遊びに慣れすぎてるみたいだったけどね。
まあ、あの人は元々が貴族じゃないし、比較にならないか。
「話をしている相手を余所に、物思いにふけるのも、ずいぶんと失礼なお話ですよ」
「あ。ごごご、ごめんなさい」
またやっちゃった。
サラ先生に師事していたときにも、何度も同じことを言われたんだ。
『あなたには集中力が欠けています。すぐに自分の世界に入り込むのをなんとかしてください』
しゅん。さすがに同じ失敗を繰り返すのは無様だ。
奥様以前に魔王さまとしてもかなり無様だ。情けない。
「奥様。ペンリーさまを当領にお招きしたのは、だんな様です」
「え、だんな様が?」
このままでは話が進まないと見てか、傍らに立って控えていたメイドのヘンリが助け船を出してくれた。
「はい。ペンリー様がお仕事を御引退なさるに当たって、だんな様がお誘いしたそうです。先頃爵位を継いだご子息は遠方の危険地帯で軍務に就いておられるので、そこに身を寄せるのはペンリー様にとってご負担だろう、とお考えになったそうです」
……だから、なんでそれを
「リーツさんだったわね。要領を得た説明をありがとう。エーレントラウトさまはいい付き人に恵まれたわね」
ニッコリ。
そうだよね、ヘンリは如才ないからなぁ。先生みたいな完璧主義者には特に好かれるよね。
「ヘンリーケ・リーツと申します。どうか『ヘンリ』とお呼びください」
「そう? わかったわ、ヘンリ。私のことはサラでいいわ。仲良くしてちょうだいね」
「光栄です。サラさま」
だから、なんでメイドのキミが主人のボクより仲良しになってるの。
ボクはいまだに愛称でさえ呼ばれてないんだけど。
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