第02話 これがボクの夫です

 シーツで隠されてはいるけれど、自分も裸だった。

 すべて思い出したよ。そうだ、そうなのだった。


 ボクは魔王スタニスラス。仮の名をエーレントラウトという


 隣で寝ている裸の男は、だ。名前は勇者ギデオン=カッシング。

 もっとも、いまはの功績を認められて、辺境に封じられて爵位を頂いている身だ。つまりは、カッシング伯爵領主ということだ。


 念のために言っておくが、ボクはボクっ子じゃない。

 何を言っているのかわからないだろうけど、つい一年前まで、ボクは正しくボクだったんだ。


 あのとき、魔王城にギデオンがやってこなければ、こんなことにはならなかったのに。


「こうしてやる」


 幸せそうな顔で眠っているギデオンを眺めていると、ついついほんわかとイライラとした気持ちがわき上がってきて、イタズラせずにはいられなくなったのだ。


「鼻をつまんで。口を塞いで」


 どうだ、おまえも勇者ならば呼吸くらいせずとも生き延びてみせろ。


 10秒。20秒。30秒。

 なかなかがんばるな。さすが我が夫……じゃなくて! 我が仇敵!!


「えひゃい!」


 ……いまのはボクの悲鳴だ。

 一人であたふたしているうちに口を塞いでいた右手が緩んだのか、いつの間にか普通に目を覚ましてこちらを見ているギデオンが、ボクの手の平を舐めたのだ。


「な、なにをなさるんですか、だんな様」


 ……反射的にこんな言葉が出てしまう自分が悲しいけど、仕方がない。

 この一年で、伯爵様の奥方として恥ずかしくない教育を、心身共に叩き込まれてしまっているんだよ。


「キミがイタズラをしてくるからだろう?」


 ふわっ、とばかりに、あっという間に組み伏せられている自分に気がついた。あごを軽くつままれているボクに、彼は言葉を続けてくる。


「おはよう。エーレン」

「お、おおおおはようございます。だんな様、あの、もう起きる時間ですよ。その手を離してくださいませ」

「だーめ」

「だめって」


 抗議の暇もあらばこそ。


 突然の深く長いキスで、言葉を封じられてしまうのだった。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「はぁ、はぁ、あの、だんな様」

「うーん?」


 あれからどのくらいだろう。たぶん五分と経っていないのだろうけど一時間くらい過ぎたような気分になっている。


「今日は領内の視察ですよ。もう起きて準備をしないと」

「えー? 今日はやめようかな」

「またそんな」

「このまま二人で一日中ベッドで過ごさないか?」

「おたわむれを!」


 カンベンして。

 一睡もさせて貰えないわ、体中筋肉痛になるわ、喉は枯れてガラガラ声になるわ、あなたと一日中なんて地獄です!


「う~ん。ま、しょうがないか」


 もとより冗談のつもりだったのだろう。

 まったく疲れも見せないままに起き上がった彼は、ベッド脇にあったガウンを羽織ってから奥向きのメイドを呼び、なにやら指示を与えている。

 ボクはそんな姿を相変わらず横になりながら眺めているだけなんだけど、これを奥様失格とは絶対に言わないで欲しい。


 腰が痛いんだよ! で!!!


 ボクのそんな気持ちを知ってか知らずか、不器用なウィンクをボクに向けて一つ投げかけてから、夫は寝室を後にした。


 それから数分。


「あたたた……」


 さすがに、見送りくらいはしなくちゃね。

 ボクも、ボク付のメイドに手伝ってもらうことで、なんとかベッドから脱出することには成功した。がんばったぞボク。



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「「「いってらっしゃいませ」」」


 執事・メイドとともにギデオンの出立を見送ったのち、ボクはベッドで助けてくれたメイドと二人で、お茶を楽しんでいた。


「今日も平和ですね、奥様」

「そうだねぇ、ヘンリ」


 実はこのメイドは人ではない。先の大戦では魔族軍の諜報員として活躍したダークエルフの女性だ。

 長い耳や肌の色を魔法で隠して人間として生活していて、他の使用人たちは彼女の正体はまったく知らない。たった一人近くに残された、かけがえのないボクの同胞だ。


 もちろんこのことはギデオンは承知だ。

 というより、この姿を変える魔法は、ギデオンが用意したマジックアイテムで実現されているのだ。


「魔王さま」

「ヘンリ、その呼び方はダメだとボクは言ったよ」

「魔王さまこそ」

「あ」


 ついついヘンリと一緒の時は気が緩んでしまうのだ。


「まあ、いいか。ギデオンも留守だし」

「そうですとも。人間ごときに囚われの身とはいえ、魔王さまはいつまでも魔王さまです」

「うん、ボクだってね、このままでいいとは思ってないよ。いつか必ずこの生活から抜け出してみせる」


 だけど、抜け出してどうするんだろう。

 ことあるごとに魔王の自覚を促してくるヘンリと話すたびに、そう思うんだ。

 ボクはもともと戦いなんか好きじゃない。そりゃ魔力は魔族一と言われたくらいに高いし、なにより先の戦で命を落とした先代魔王は父だ。血筋的にもボクが担ぎ上げられるのは当然だったんだ。


 だから、がんばったよ。人間たちを倒すために。

 がんばったけど、でも、力一歩及ばなかった。いや、ボクが父くらいに力があれば、たった一人で乗り込んできたギデオンを倒すことはできたはずなんだ。


「魔王さま、お疲れですか?」

「え、あ、うん。ちょっとね」

「昨晩もあの男にさんざんかわいがられておりましたものね」

「え゛」


 ときどきこうやってヘンリは意地悪を言ってくる。

 たぶん、人間と仲良くしているように見えるのが気に入らないんだろうと思う。ボクだって好きで……好きであんなことしてるわけじゃ……うん。ないんだよ。


「すごい声でしたよ」

「は?」

「ゆうべはおたのしみでしたね」

「た、楽しんでないし! ヘンリも知ってるでしょ。さっき一人じゃ起きることもできなかったんだよ」

「そうですか」

「そうだよ」


 まったく。他人事だと思って。


「よほどお楽しみだったんですね」

「だからぁ!!」


 自分でも耳まで赤くなってるのがわかる。

 ホントに不本意なんだからね。恥ずかしいんだから、もうやめてよ。


「奥様」

「へ」

「奥様、ドアがノックされております」

「あ……んんっ。どうぞ、お入りなさい」


「失礼致します」


 執事が書類を抱えて入ってきた。


 急に「奥様」呼びに戻るからビックリしたよ。

 こういうときの切り替えの早さが、ヘンリの有能さを物語っているんだろうな。


 伯爵が他行中には、まつりごとを代行しないといけない。ギデオン本人でなければ決定できないこともあるにはあるけど、そんなものはよほどの重要案件だけだ。


 なんだかんだ言っても、ギデオンはボクの能力を高く評価してくれているし、それ以上に信頼を置いてくれている。

 あ、でも……ボクは、ちがうからな。いつかあいつに痛い目を見せてやるんだから。だってボクは魔王なんだから。


 そのためには、あの男を徹底的に油断させておく必要がある。

 つまり、ボクが『絶対の信頼に値する妻』だと思わせておかなければいけないんだ。


 そう意気込んで、黙々と書類に目を通す。


「ダスティン、この書類もわたしがサインをしておきますが、だんな様がお帰りになったらお目通しをお願いしてください」


 領内の治安問題、経済問題、領民の陳情。

 今日の書類仕事は、そのすべてが自分で決められる範囲のものだったが、一つだけちょっと気になるものがあった。判断はボクがしたけど、いちおうギデオンの耳にも入れておくべきかなって。


「かしこまりました」


 言って、退室していくダスティン執事と入れ替わりに、ヘンリが戻ってきた。


「奥様、お食事の支度が調いました」

「あら。ありがとう。もうそんな時間なのね」


 窓の外に目をやると、もうすっかり日が落ちていた。

 ギデオンの帰りは深夜になるかもと言っていたっけ。


 仕方ない。今夜は一人でごはんにしよう。


 え? 別に寂しくなんかないんだからな!

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