にいづまおーエーレンの日常

ディーバ=ライビー

第一章

第01話 序章

 その日、彼 ――剣士ギデオン―― は一人、魔王城の門の前に立っていた。


 彼がここに至るまでに積み上げられた仲間たちの屍は、両手両足の指を全て用いてもとても数え切れるものではない。だが、どれだけつらく、悲しく、恐ろしい道のりも、決してギデオンの決意を砕くことはできなかった。

 志半ばに散っていった仲間たちの無念まで背負いながら、いまこの場所まで立ち止まることなく駆け抜けてきた彼こそは、まさに真の勇者と呼ばれるにふさわしい男だろう。


 よって、いまから彼を、勇者ギデオンと呼ぶこととする。


 さて。

 はじめに魔王城の門前と言ったが、それは厳密には正解ではない。

 ここは、魔王が鎮座すると言われる砦の最上階だ。


 高層ビルの屋上庭園に城が建っているようなものだと想像してもらうといいだろうか。


 これから彼は、いよいよ最後にして最強の敵と対峙することになる。

 目の前で固く閉じている門の封印を解く呪文は、すでに手にしている。


「百里を行く者は九十里を半ばとす」と中国の故事にいう。


 物事は終わりになるほど難しいから、終了まであと一割と迫ったときに、ようやく半分終えたくらいの気持ちでいろ。そんな意味の言葉だ。


 似たような言葉がにあるのかどうかはわからないが、安心して欲しい。彼の心には、終わりを間近にした油断も驕りもない。


 魔王は、側近の一人も近くにおかないほどに孤独を愛する性格だという。よって、この門の向こうには、敵と呼べる存在は魔王しかいないことがすでにわかっている。


 ―― 否。


 この門の向こうには、のだ。


 ギデオンは、深呼吸を一つしたのち、解錠の呪文を封じた宝石を門に叩きつけた。


 ギギギギギギギギ。


 どれほど長い間閉じられていたのだろう。サビできしむような、歪んでいるような、そんな耳障りな音とともに門扉は大きく開いて、勇者を受け入れた。


 ギデオンは、気を引き締めて最後に続く最初の一歩を踏み出す。


「どちら様です?」

「は?」


 思わずマヌケな声を上げてしまう勇者。

 だが、それも無理からぬ事。


 魔王一人しかないはずの階層に、人が待ち受けていた。


「……人間? あの、ホントにどちら様です? ボクはいま立て込んでいて、知らない方のお相手をする時間が無いのだが」


 小柄だ。ギデオンと比べると、ちょうど頭一つ分くらい背が低い。

 とても、人類すべてに敵対している最強の男には見えない。


 いや、そもそも。



 男にすら見えない。



「繰り返すが、当家はただいま立て込んでおりまして、不要不急のお客さまにはお引き取り頂きたい」


 ゆっくり、のんびり。そしてちょっとだけハスキーな声で、中途半端に慇懃な言葉を続ける姿を目の前にすれば、ギデオンならずとも、ついつい平和な空気に飲まれそうになってしまうだろう。


「……君はいったい? なぜこんなところに?」

「ボクは……だから、あなた様こそ、どなたなのですか?」


 そう。たしかに、訪ねてきた方から名乗るのが礼儀というものだろう。


「これは失礼した。俺はギデオン。魔王討伐隊の生き残りだ。この城にいる魔王を倒しにきたんだ」


 あまりにもあけすけに目的を語る勇者に、が息を呑むのがわかる。


「魔王討伐隊の生き残り」

「そうだ」


 年の頃なら15~6か。赤みがかった茶色の瞳をして、少しクセのある長い銀髪を無造作に背中で結んでいるが、それがまた奇妙に似合ってかわいらしく見える。

 なんとなく育ちの良さそうなほんわかした空気を、この期に及んでも醸し出す場違い感満載の少女は、ギデオンの言葉を聞いて、ふむ。とばかりに、あごに親指を当てて沈思することで、さらなる場違い感を無意識に演出していた。


「魔王はご在宅か?」


 なんとも言えない間が開いたのち、ギデオンは、自分でも何を言っているのだろうと思いながらも、しびれを切らしてついついのんきな尋ね方をしてしまう。


「え。ま、魔王……さまですか? えーっと、その……それよりどうやってここに? ここは最上階層だぞ。あの、下の十九階層には番人が――」

「もちろんすべて倒してきた。俺一人の力じゃないがな。やつらにいったい仲間が何人殺されたか!!」


 自らの発言に高ぶった気持ちを御せなくなり、激高して大声を出してしまうギデオン。


「っ!」


 そんな怒気に当てられた少女の身体に、ビクッと緊張が走る。


「怖がらせてしまったか? すまない。いや、だいたい君はなんなんだ。なぜここに人間が? ん? まさか魔王に囚われていたのか」

「囚われ……そう! それ! それだ、囚われの身なのです」


 いいことを思いついた!風に、目の前でパンと両手を合わせながら明るく話す少女。


 ギデオンは、ただ黙ってその姿をいぶかしむような目で見つめている。


「ホント……です」


鋭い瞳にねめつけられた少女は、いかにも取り繕ったような冷静さで、言い訳のように続けて目を逸す。


「そうか。ところで、君の名は?」

「スタ……いえいえいえいえいえ。あの、あ……エーレントラウト。エーレントラウトです」


「エーレントラウトか。いい名前だ。だがそんなに怯えないで欲しい。俺は魔王を倒して君も助けるつもりだ」


「そ、それなんだが」

「ん?」

「魔王を倒すのはやめにして、このままボクを連れて逃げてくれ」

「君を連れて……逃げる?」


 エーレントラウトと名乗る少女も少し落ち着いてきたのか、口調が安定してきた。


「君と二人で……いやしかし。だがそれはそれで。待て、俺はたくさんの仲間の無念を」

「……これ、いける?」


 少女の魅力的な提案に心揺れているらしいギデオンからは見えない角度で、エーレントラウトと名乗った娘は、一寸のあきれ顔を見せたのちに、にやりと笑みを浮かべた。


「そうだよ、勇者様。魔王なんて放っておいて、ボクと逃げよう。二人で幸せに暮らそうではないですか」



 ☆★☆★☆★☆★☆★



「はっ!?」


 ボクはあまりといえばあまりの悪夢に飛び起きた。


 心臓がバクバクと大暴れしている。なんてヒドい夢だったんだ。

 だけど、そうだよね。夢に決まってる。

 が、現実であるはずがない。


 安心して再び、広く柔らかく清潔にしつらえられたベッドに身体を横たえる。


 そうさ。ボクは魔王なんだ。

 誰にも脅かされることなく、快適に惰眠をむさぼれる、この世で一番えらい男なんだ。


 急に気分が良くなってきて、仰向けのまま両手を垂直に持ち上げて、そのまま、真横にパタンと倒す。ボクはこうやって広いベッドを一人で使うのが大好きなんだ。


「ぶごっ」


 ん? なんだろう。右側から?

 そうだ、右耳の超至近距離から、豚が潰されたときのような声が聞こえた。


『……ふう。寝るか』


 待て、待つんだボク。どうしてあの不審な鳴き声を確認しようとしない? おかしいじゃないか。一人で居るはずの寝床に、不審な生き物の声なんだぞ。脅威じゃないか。


『いいんだよ。気にせず寝ろ』


 ボクの心の奥に潜む、もう一人の僕がそう告げてきた。

 警告。そう、これは警告なんだと思う。

 見るな。見てはいけない。それを見たら、おまえはもう――


 ギギギギギギギギ


 何かきしむような音が首から聞こえてくる気がした。

 ゆっくり、ゆっくりと、枕の上で頭を右側に向ける。


「くー。すー」


 男だ。

 金髪の男だ。

 金髪で筋肉質の男だ。

 金髪で筋肉質で裸の男だ。


「おうっ!!??」


 思わず上げた怪鳥のような悲鳴。

 自分の耳に届いたその声は、あきらかに少女のそれだった。

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