壱之参 旧き祈り

 家族より快く外出許可を得られた狐霊はうきうきと大丹波に向かって水溜りを歩いていた。その左右には条治と外張のふたりをお供に連れている。女性陣は留守番しているそうだ。

 空は快晴で、雲は高い。気温も風の冷たさもちょうど良く、足を蹴るたびにぱちゃぱちゃと跳ねる水の音もさわやかで気持ちがいい。服は姉のものを着続けているが、そのままだと裾が水に浸かってしまうので紐で縛って捲り上げている。


なったらすぐ言うんだぞ」外張が心配そうに顔を覗き込んだ。ちっとも平気だったので腕を大きく振って答えた。


 二人を引率する条治は渋々顔で言った。


「さっきの話の続きだが」


「うん」


「実はお前の予想は間違ってねえ。蓮葉苑はどうやら壱阡八百せんはっぴゃく年以前……鮮紙文明の遺跡らしい。瓦礫の底には広くはねえものの確かに未知の空間があった。しかも水没もしていない」


「せんしぶんめい?」


白紙はくし化以前だから鮮紙せんし文明だとよ。便宜的な呼び名だけどな。発掘されるのは未知の技術品ばかりだから、昔は今より便利な道具で溢れてて鮮やかな世界だったんだろう、ってな風な話さ。吹聴したのは夢見がちな奴だったんだろうな。俺にすれば真っ黒だってのにどこのどいつが言い出したんだか」


 話によると蓮葉苑の件をきっかけにこの付近の地域の発掘調査活動が活発になっているらしい。その過程でこれまで名無しだった歴史的な出来事に名前が浸透してきたようだ。条治はあまり興味なさそうにぼやいたが、狐霊はその呼び方を素敵だと思った。

 それはそれとしても「心胆寒からしめる」とまで言わせしめたものの存在を度外視できない。果たして、それがなんだったのか。狐霊は続きに耳を傾けた。


「で、だ。瓦礫をかき分けた先、蓮葉苑の底にはな狐霊。お前の首にくっついちまってるそれと同じものがあったんだ。それもひとつやふたつじゃなく、山のようにな」


「ほほう!」


「ほほうって、おいおい。呑気な反応だな」


「予想の範囲内だしね。それでおじさんは漁夫から発掘屋へ転向と。そんな内容だから、どうせ公表もしてないんでしょう?でもおかげで合点がいったよ」


 この首輪は実例だけを参照にするなら、いわば『凶器』だ。首に巻くだけで外傷も、悲鳴も、痕跡もなく人を始末できる可能性を持っている。これの危険性をよく知る条治だからこそ放っておけなかったのだろう。故に第二の狐霊を生まないよう、罪滅ぼしの意も兼ねてこの道を選んだのだ。


「察しがいいって域じゃねえぞ……ったく末恐ろしいことこの上ねえ」条治はぶるりと身震いした。


「にひひひ、ありがと」


「褒めてねえよ」


 こういうところは吟日とは似ても似つかねえ、とかなんとかぶつぶつと呟く。それを尻目に目的地に到着するまで外張からもあれこれ話を聞いた。

 三年の間に何がどう変わったか。街の皆はどうしているか。外張が大工仕事に忙しい話や、三春の家事がとても上達した話。初子の考案した新しい着物が流行しつつある話など前途洋々に顔が綻ぶ。ただし明るい話ばかりでもなかった。


「えっ、南町の筆屋のじいちゃん、死んじゃったの?」


「ああ。去年の冬明け頃かな。あの人は最期まで、お前のことを案じてくださってたよ。ただまあ、あの人も歳だったからな」


「そう……なんだ」


 筆屋のじいちゃんとは深い親交があっただけに声が湿る。それは外張も同じだったので、心を痛めているようだった。

 その後は養子の子が後を継いでいるらしい。その子は同じ教室で学んだ筆子同士でもあった。我が強くも、芯の一本通った子だ。性格はそのままに頑張っているらしかった。


 話をしている間に目的地にたどり着いていた。距離はそれなりだが、あっという間に思えた。大丹波北西側におおよそ七、八町ほどか、何もない場所だと思われていたが急峻な崖のすぐ手前の窪地でそれは見つかったようだ。

 そこは遠目に見ても大層な作業場だった。水中から発掘物を引き上げるための綱と滑車の装置は巨大で嫌でも目に入る。それを大人数の男たちが力を合わせて引っ張っている。


「えんやこらぁ、どっこいしょお!」近づくほど掛け声は段々と大きくなっていった。


 彼らの周りには既に引き上げられた遺物らしきものが列に並べられていた。そのどれもが一様に角張った形をしており非常に重そうな金属製で、ねずみ色の鈍い光沢を放っている。どうやら年代物であるのは間違いなさそうで、水草や貝類がこれでもかとこびりついていた。ぱっと見たところでも成人男性の背丈を軽く超える大きさだ。これが小耳に挟んだとんでもないものだろうか。狐霊の目はそちらに釘付けになった。


「条治ぃ!てめえ漸く来やがったか!早く交代してくれ、手の感覚が無くなりそうだ!」


 到着一番、条治は仲間のひとりに喝を食らった。慌ててその綱を取り、男たちの列の中に押しつぶされた。その代わりに先程まで綱を握っていた坊主頭の男がこちらへよろけて来たのでそちらへ視線をうつす。


「ふぃー……やっとこさ休憩できるぜ……あ?なんでぇ、あんたら。条治のつれかい?嬢ちゃんは随分へんてこな髪をしてやがるな……いや待て。その首輪に銀髪、もしかしてあんたあの狐霊ちゃんか?」


「僕のこと知ってるの?」


 きょとんとして答えると、坊主頭は目を皿にした。


「……こりゃ驚いた。あんた目を覚ましたのか。それにその姿、噂に聞いてたとおりじゃねぇか」


 坊主頭は静かに興奮しているようだ。ふんす、ふんすと荒い鼻息でまじまじ見つめられた狐霊はこそばゆくなって身じろいだ。


「あんま見てやらんといてくれ。好きでこうなったんじゃない」外張が庇うように間に割って入る。


 すると坊主頭はすぐに身を引き、汗にてかる後頭部をぺちんと叩いて小さく腰を曲げた。


「ああ、いや、すまねえ。その、あんまりべっぴんだったもんでな。へへ」


「言っとくけどみよは男だぞ」


「知ってるさ。大丹波じゃ有名だからな」


「僕ってそんなに有名なの?」


 狐霊はぴょんと跳ねて外張の肩越しに坊主頭に問いかけた。周りで他の作業をしている男らからも、さきほどからちらちらと興味あり気な視線を送られているのが気になる。


「ああ。原因不明で寝たきりになったのに時を経るほど美しくなる子ってな。近頃まで噂の真偽を確かめようってんで、たくさん人が家まで押しかけたりしたんだって?なんでも目覚めた暁にゃねんごろになりたがる奴までいたとか」


 そうなの?と今度は外張に問う。外張は苦々しい表情で顔を背けた。


「おかげで『雪女の子』だなんて、ふざけた渾名が流れもしたがな」


「雪女!?にひひひ、なんかかっこいいね!」


「お前なぁ」


 外張が呆れたため息を付いたとき、奥からひときわ大きな掛け声が上がった。


「「「どおっこいしょおおおおおおおおっっ!」」」


 それと同時にざばあっと飛沫を上げて、また一つ金属塊が水から揚がった。縄と鈎にくくりつけられたそれはやはり寸分違わず同じ見てくれだった。


 水中から顔を上げた潜水士の男が「あとよっつだぁ」と叫んだ。返事はあったが、へとへとになって気力が尽きた様子だった。


「ひええ、まだあんのかよ。ひい、ふう、みい、ぜんぶで二十個か。今夜は宴だな」


「ねえ、あの発掘品もっと近くで見てもいい?」


 狐霊は坊主頭に確認を取り、可否を得るよりも早く遺物の目の前に飛び入った。


「あ、こらこらこら!頼むから触ったりするなよ!何があるかわっかんねんだから!」


 狐霊はすでに好奇心全開で、坊主頭の言葉は耳に届いていなかった。慌てて外張に首根っこを引っ掴まれ、ぽいと元いたところまで放り投げられる。前科があるが故に簡単には近づかせてもらえなさそうだ。彼の視線が痛々しいほどにつき刺さった。


「ちぇー」


 仕方なく遠巻きに金属の塊を観察した。果たして正体は何で、何を目的に作られたものだろうか。顎に手を当てて思案する。直接触れられないのは惜しいが、それだけでも心躍ることに変わりはなかった。


 さて、あれが昔の人々の生活を豊かにするものだったのだろうか。そう言われると、どうも違う気がする。壱阡八百年前の地層で発見された人骨は現代人と体格差がほとんどないらしいことから、用いた道具類は相応に小型化されるのが妥当なはずだ。そうなると、あの物体は『生活器具等ではなく』『これ以上小型化しようのないもの』と考えられる。彼らが滅んだ原因は戰であるという仮設から、武器である可能性も捨てきれない。この首輪の例もあるから、きっと想像もつかない使い道だってあるかもしれない。

 と言いつつ、あえて直感を頼りにするならば……箱っぽい、と思うのだが。


「発掘屋の人たちはあれをなんだと思ってるの?」


 狐霊は坊主頭に問いかけたが、肩をすくめられた。


「じゃあ、今までに発掘されたものって他にどんなのがあったの?」


「そうさな……正直なところ、そこら辺に落ちてる残骸とあまり差はねえんだよな。っこに板にすべすべ紐。ああそうだ、出土する金属体の多くは軽くて鉄ほど固くなく錆知らずなものばかりだ。ちなみに職人街の連中曰く青銅より俄然再加工しやすいらしい」


「ふーむ」


「俺らもこんな大物にありついたのは初めてなもんで、こう見えて結構戸惑ってんのさ。大した力になれなくてすまねえな」


「んーん、そんなことないよ」


 その言葉に偽りも誇張もない。大した情報だと思ったのは本当だ。つまり今回の出土品は従来のそれらとは一線を画す代物だということだ。多くの遺物が破損しているのに対し、これに関しては状態からしておそらく完璧だ。それこそ、技術力自体違うものであるとか・・・。


「……あれ?技術が違う……?」


 そこまで考えて、ふと気がつく。この首輪と金属塊。同じ時代のものにしては文化系統からして全く別物のように感じられるのは気のせいだろうか?

 思えば、自分たちは鮮紙時代についてあまりにも無知だ。どのような家に住み、どのような食事をし、どのような服を着ていたのか。同じ人間のことなのに、そんな些細なことですら濁水に潜む魚影のように不鮮明である。

 なにか根本的なところから勘違いしてるような……根拠のない直感が頭をよぎった時、男たちの雄叫びが再び上がった。



 すべての遺物が回収されて、発掘屋衆はひと息入れた。鐘が鳴って少し立つので遅めの昼食だ。重金属の塊が全部で二十個も並ぶ壮観な風景を眺めながら頬張る握り飯は、いったいどんな味のすることだろう。

 その傍らで彼らは軽くこのあとの打ち合わせもしていた。発掘された遺物はその未知性から、領主日華宿にっかやどりの下に管理されているらしい。南町に保管用の倉庫が設けられており、そこまで運搬をしてようやくひとつの仕事は終わりなのだそうだ。遺物は筏に乗せられ、大丹波の外周をぐるりと廻る形で運ばれる。


 狐霊と外張は遺物が検品される様子を名残惜しそうに眺めた。主に名残惜しいと思っていたのは狐霊のみだが。

 こちらに戻って来ていた条治に狐霊は詳しく調査はしないのかと問いかけた。


「調査は後日、学者を中心に職人街の一部を交えて行う。正体がわかるかどうか、あまりあてにはしてねえけどな」


「どうして?」


「前にお前の首輪のことも見せてみたが、何もわからんと突っぱねられたからな」


 外張がそれをなだめるように言った。


「まぁ今はこうしてここに居るんだし、もういいでしょう」


「別にはじめからなんとも思ってねえよ」


 恨みがましく言うので狐霊はくすくすと笑った。そうしていると最後の検品が始まった。採寸、計量、模写、番号振りと作業自体は単調なものだ。


「それにしても、結局最後まで見てるだけなのは惜しかったなぁー」


 なんの気無しに、独り言のように所感を漏らす。別に条治を見てはいないし、運搬についていこうとも思っていない。条治の顔が強烈に酸っぱい梅干しを食べたときのようなそれになった時だった。


「うん?なんだろう、これだけ少し重いなぁ。しかも……赤い『ぽっち』が……光ってるような……」


 計量中、発掘屋の一人が呟くのと同時に今まで淡々と進んでいた作業に、ここに来て異変が起きた。


『ずん』という、肌に馴れた地鳴り。水面は不自然な波紋に塗れる。遺物を載せた秤はがたがたと揺れ、その役目も果たせずにいる。間違いなく、三年前に大丹波を脅かしていたのと同じ地震だ。


「ん、また?」


 狐霊は対して気に留めなかった。どうせすぐに収まる。周囲の男たちも同様に誰一人騒ぐものはいない。しかし……。

 かもめが一斉に飛び立つのを目の当たりにして、外張は慌てて


「い、いや、待て!地鳴りの音が……だんだん!?」


 そう叫んだ直後だった。


 突如、途轍もない衝撃に大地が割れるような轟音が響き、鯨が飛び上がった時以上の水が吹き上がった。

 何事かと反射的にそちらを見ると、霧のように舞い散る水飛沫が晴れた先から現れたのは、見たこともない鋼の巨塔だった。家一軒よりも大きく、発掘された金属塊と似た色をしているそれはうろこ状の外皮に覆われて、大中小さまざまな板や細々した紐類や珠の組み合わせによって構成されたなんとも複雑な形をしており、その尖塔部には風車のような無数の鋭刃の花が咲いているように見えた。


「な……なにあれ」


 狐霊は冗談を疑うような声をこぼした。周囲は眉を寄せる者、後ずさる者、引きつったように口角を上げる者と様々あったが、共通して『あれ』を理解の範疇に落とし込めずまるで人形のように固まっている。


 そんな中で、狐霊はただひとり足を壱歩前に踏み出した。

 右足がゆらりと動く。左足がぱちゃりと水を搔く。口の端が緩みきって、唾液がひと筋垂れていることにも気づかず、まるで吸い寄せられるように壱心不乱にそれを見つめる。

 緊張、畏怖、そして好奇心。狐霊があれに対して真っ先に抱いた感情は『高揚』だったのだ。


 わからない、わからない、わからない! わからないことは全部知りたい!


 思わず駆け出しそうになったのを、顔を蒼白にした外張のひと声で引き止められた。


「……みよ!おい、みよ!!駄目だ戻れ!なんかあいつは厄場やばそうだ!」


「……え?」


 言われて盲目的だった視界がいっきに広がった。いま一度冷静に注目する。すると、鋼の巨塔はまるで芋虫のように体を曲げ、地上に全体像を表した。そして樽にも似た重そうな巨体をこちらへ向けて動かしているのに気がつく。その鋼の肌の隙間に赤い光の線が、頭頂から端にかけて血流のように奔っており、毒を持つ生物の警戒色に近いものを連想させた。


 ゔぃぃぅぅぅ……ん ゔぃぃぃおおおおおお……ん


 錆びた金属同士が擦れるような、空間そのものを震わす羽虫のような声でそれは唸ると、頭部に位置するであろう鋭刃の花を地面にこすりつけ、それを風車のように高速回転させ前進し始めた。風車に巻き込まれたものはありとあらゆるものが削り取られ、砂粒ほどまで細かくすり潰された『地面だったもの』はその中心に空いた穴の奥へ吸い込まれてゆく。

 鋼の芋虫は泥飛沫を跳ね飛ばしながら獲物を喰わんとする猛獣の勢いで迫る。そして威嚇するようにさっきと同じ音で嘶いた。

 人はたちまち想像しただろう。あれに人間が巻き込まれでもしたら、どうなってしまうのか。

 そして彼らは理解した。それが我々に向ける敵意を。


 それがそこにいるという、明確な危険性を。

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