私に流るは3つの血

 私は3つの血からできている。

 これは何かのメタファーなどではなく、そのままの意味で。

 日本、フィリピン、そしてスペイン。

 これが2:1:1の割合でミックスされ生まれたのが私だ。


 そう、私はいわゆる、ハーフでクォーターの日本人だ。



閑話開始



 そんな私が思う日本人の変なところを一つだけ。

 それは差別意識が変だという事。


 学校教育で白人と黒人の差別について取り上げて否定する癖に、日本人が平然と行っているアジアに対する差別は取り上げないのはなぜ?


 肌の色や目の色の差別なんて外見上の分かりやすい所で差別を取り上げるのはなぜ?

 もっと根本的な、固定されたイメージによる差別を取り上げないとダメでしょ。

 レーティング、ブランディングされた○○人というイメージはお笑いに使えるけど、一部の人はそれを本当にそのまま受け取って人を口で攻撃するよ?

 しかもそういうやつらは直接本人に言いやがるからな。やつら大体つまらないから、それを面白いと思ってしまうんだ。


 これホント変だと思うよ。私が子どもの頃には、日本人は寛容って言ってる人多かったけど、全くそんなことはないよ。

 「外国人」に対して恐れに似た感情を抱いているよ。

 差別しちゃいけませんみたいなキレイゴト言う奴は大体、私の母を差別してたよ。

 あの人らの母を侮蔑して下に見る顔は忘れられない。特にあの頃の大人は酷かったよ。


 特に諸先生方、母のように4か国語を話せるようになってから人を馬鹿にしなさい。


 とはいえ、何十年前の話なので、今はより良いものへと進化しているとは思う。

 インターネットの広がりに連れて、グローバル社会は一部融合の兆しを見せているように思うしね。



閑話休題


 

 さて、私の母は、というわけでフィリピン生まれの人である。

 フィリピンは首都マニラで生まれた母は、家庭環境の変化からアテネオ・デ・マニラ大学を中退し、ダンサーとして日本で働くこととなった。

 そう、フィリピンパブのショウダンサーである。


 しかしまともにダンスを踊れないエセダンサーと違って、母は小さい頃からダンスを学んできた本物だった。

 なので日本に来てから、父と出会うまでの3年間で47都道府県を全て回ったと豪語していた。(のちに根掘り葉掘り聞いてみれば24都道府県程度だった)

 それだけダンサーとして各地の店舗を回ったと言う事らしい。


 これはレーティングではなく、実際に私がフィリピンに滞在した時の経験であったり、母や母の知り合いと話していて思う事なのだが、彼らは常にポジティブで現状に愚痴をもらすことは滅多になく、あること全てを人生として受け止めて、悲しみに押しつぶされない強さがある。

 実際、母はどれだけ泣こうとも私たちを諦めなかった。

 


次はそんな強い母と私の不可思議コミュニケーションを書こうと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る