第11話 襲撃
タンゴは夜半に目を覚ました。
毛布に包まったまま目を開き、意識が覚醒するのをしばし待つ。それから、自分の眠りを破った原因を探して、部屋に目を走らせる。
原因にはすぐに気がついた。テーブルの上に置いた“ハジムの短剣”がぼんやりと青い光を発しているのだ。じっと見つめていると、短剣はカタッと音を立てる。しばし間を置いて、再び小さな音。わずかな音ではあるが、それがタンゴの眠りを妨げた正体のようだ。ただの豪華な短剣だと思っていたが、魔剣だったのか。そういう魔道具があることは、馬車の旅の間にコルトから聞いていた。もちろん、魔力の詳細まではわからないが。
ベッドから起き上がり、テーブルに近づく。魔剣に手を伸ばす。その指が剣に触れる直前、窓の外からの悲鳴が耳に届いた――
パチリと目を開いたコルトが素早く起き上がり、サッと窓際に背中を寄せる。タンゴもそれに倣い、窓の横のスペースに背中を預けた。コルトが居なければきっと、不用意に窓を全開にしていたことだろう。
窓の横から覗きこむように外を眺める。街道側の夜空がオレンジ色に染まっている。おそらく、火だ。視線を下に向けると、何人かの人が走り抜けていくのがみえた。手に汗が滲む。何かが起こっていることは間違いない。だが、この場所からは状況が把握できない。
「屋上に行こう。武器は持って。荷物はいい」
「わかった」
コルトに促され、急いで銀の胸当てを身につけ、剣帯を巻く。ブーツの紐を縛り、グローブを装着。コルトを見ると、すでに準備は完了しているようだ。髪に寝癖がついている以外は。
二階分の階段を駆け上がり、屋上へ出る。異常は一目瞭然だった。街道が走る表通りの宿屋数軒から炎が上がっている。もっとも近いのは通りを二本挟んですぐの場所。右手の炎は夕方に食事を取った店の近くだろうか。左手には二カ所。一番遠くはよく見えないが、街の入口すぐの場所だろう。一度に四カ所の火事。間違いない、襲撃だ。
「行く?」
「待って」
小さく応えて、さらに意識を集中するコルト。顔に浮かぶ焦りは、ここ数日で初めて見る表情だ。届く悲鳴や怒声に、剣戟が混じる。眼下の道を大勢の人が駆け抜ける。炎はますます激しさを増す。コルトは動かない。いや――
「なにか来る……大きいっ!」
それは最初、建物から上がる黒煙だと思った。
四階建のこの宿からさらに見上げる街道沿いの宿。六~七階はあるその建物の上に、さらに立ち上がる影。
煙ではない。蛇の鎌首だ。
「ニーズヘッグ!!!」
王城の尖塔ほどある巨大な蛇。その巨体が建物の上に鎌首を持ち上げている。何をしようとしているのかは、すぐにわかった。
―――――!!!
高く持ち上げた鎌首を、戦鎚のように振り下ろす。轟音が響き、地面が揺れる。一撃で石造りの建物が半分ほども崩壊する。恐ろしい威力だ。
「タンゴは逃げてっ! 街道を北に!」
「コルトは?」
「行くよ。助けなきゃ」
「じゃあ俺も行く」
コルトは勢い良く振り向き、口を開いて何かを言いかける。しかし言葉を飲み込んで口をキッと結ぶと、一度深く頷いた。
「私の側から離れないでね」
上ってきた階段を跳ねるように駆け下り、路地を駆ける。中路地に出て右へ、その先は街道だ。走りながら剣を抜く。コルトが杖を振ると、コルトとタンゴの体を薄紫の光が包んだ。
「唾液に毒。動きは遅いけど頭と尾が別々に動く。魔法は防ぐから大丈夫。回避に専念して。人がいたら退避の手伝いを」
矢継ぎ早に飛ぶコルトの言葉を頭に叩き込む。路地を飛び出し街道へ。そこは戦場だった。
街道に無数にひしめくのは、小柄な女性ほどの背丈がある緑色の魔物。迎え撃つのは、この街に滞在していた冒険者たちだろう。それぞれの力量は上のようだが、相手の数が多い。地面には何人か倒れている人の姿もみえる。
「ゴブリン。統制はないけど知性はある。武器に麻痺毒。矢と投斧に注意」
言うとコルトは空中に模様を描くように杖を振る。先日、強盗を無力化したときと、ほぼ同じ動きだ。だが結果は少し違った。先日は蜘蛛の巣のように無数に広がった青い光だが、今回は稲妻のように太い光が十本ほど。地を這うようにゴブリンに向かうと、バシッと音を立てて弾けた。
光をくらったゴブリンは、膝から崩れるように倒れた。口や眼球から煙を上げているものもいる。前回が範囲重視だとしたら、今回は威力重視といったところだろうか。
何人かの冒険者がゴブリンの包囲を突破し、建物に再びの攻撃を加えようとしえいた巨蛇の胴に攻撃を加える。両手剣、戦斧、弓。手練の冒険者たちが、それぞれ得意とする得物での渾身の一撃。だが、胴高だけで大人の背丈ほどある巨蛇は、まるで気にする風もなくその頭部を建物に振り下ろした。再び響く轟音、そして足元を震わせる振動。
ダメだ。サイズが違い過ぎる。あれは人間にどうこうできる相手ではない。しかし冒険者たちは、諦めずに攻撃を加える。蛇への攻撃を邪魔するゴブリンを、ほかの冒険者たちが迎撃する。外周からは魔術師の魔法が飛び、僧侶の治癒魔法が傷ついた者を癒やす。いつの間にか、それぞれの果たすべき役割を把握し、それぞれが全力を尽くしている。即席のチームとは思えぬ連携だ。
タンゴは役立てない自分の力不足を思う。が、すぐに気を取り直してできることを探す。逃げ遅れた町人を保護し誘導する。傷ついた戦士を安全圏まで運ぶ。タンゴはコルトとともに周囲を駆けまわる。何度かゴブリンとも剣を交えたが、コルトの援護魔法のおかげか、なんとか切り伏せることができた。
しかし攻撃は止まらない。何度も繰り返される蛇の鉄槌。もはや建物は原型を留めていない。ゴブリンの毒矢に傷つき、あるいは巨蛇の尾に薙ぎ払われ、徐々に倒れる味方が増え始める。
その時、背後から複数の足音が聞こえた。振り向いたタンゴの目に、輝くプレートアーマーが映る。その輝きを見ただけで、ほっと気が抜けそうになる。巨蛇の圧力は変わらないが、それでも彼らが来れば大丈夫。そう思わせる安心感がその男たちにはあった。彼らは王国が誇る騎士団だ。
先頭の騎士が乱戦に飛び込み、抜刀する。そのまま横にひと薙ぎ、手首を返して右下方から左上方へひと薙ぎ。白い残像を残して高速で振られる剣。それだけで十個近くも、ゴブリンの首が飛んだ。その剣筋には見覚えがあった。
「ガラムさんっ!」
つい騎士の名を呼んで、戦闘中であることを思って慌てて口を閉じる。だが騎士は振り返り、兜の下の目を見開いた。
「タンゴか? お前こんなところでっ……ハッ」
言いかけて横から斬りかかってきたゴブリンを剣ごと両断する。
「話は後だ。退避しろ、ここは預かる!」
「はい!」
ガラムはタンゴが騎士団に居た頃、何かと気にかけてくれた先輩だ。面倒見の良い兄貴肌で、落ちこぼれのタンゴに対してもいろいろと世話を焼いてくれた。街道警備隊に任命されたと聞いたが、ここに居たのか。
続く五人の騎士たちも、まさに一騎当千だった。前線に居た冒険者たちも強かったが、騎士の動きは別格だ。剣を振るごとに複数のゴブリンの首が飛び、一歩足を進めるごとにゴブリンたちはじわじわと後退する。
「ジェスとディーンは援護、残りは周辺制圧。民間人保護を優先!」
そう指示を飛ばすとガラムは、巨蛇に向かい駆ける。そして大きく飛び上がると、大上段に振り上げた剣を、鱗に包まれた胴体に振り下ろす。
キシャァァァァァ――!!!
巨蛇ははじめて声を上げた。剣は胴体の四分の一ほどまでを切り裂いている。ガラムは胴体に足をかけて剣を引き抜き、その勢いのまま背後に転がる。その頭上を轟音を立てながら蛇の尾が通過した。ジェスとディーンと呼ばれた騎士が続いて胴体に剣を突き立てる。立ち上がったガラムが、先ほどの傷口と寸分たがわぬ場所に再び剣を振り下ろす。
――勝てる。
タンゴがそう考えかけたとき、高くもたげた巨蛇の頭がぼんやりと紫に輝いた。
すると突然、体重が倍になったかのように体が重くなった。魔法だ。おそらく重力を増したのだろう。両膝が軋む。剣を持つ手が下る。蛇は続けて鎌首を振り、連なる建物を横に薙いだ。巨大な瓦礫が雨のように街道に降り注ぐ。
「こっち!」
後ろからコルトの声。続いて細い腕が首に巻き付くと、突然、重力の呪縛が解ける。そのままコルトに抱きかかえられて、倒れこむように路地のひとつに飛び込む。急いで振り向くと、先ほどまでタンゴが立っていた場所に、轟音を立てながら瓦礫が降ってくるところだった。
だが安心している場合ではない。タンゴは路地から顔を巡らせ、騎士たちの戦いの趨勢を見る。瓦礫はなんとか躱したようだが、重力の呪縛に囚われ、思うように動けないようだ。そして――
「危ないっ!」
再び轟音とともに振られる蛇の尾。ガラムは地に伏せて躱した。だがジェスとディーンの二人が尾の直撃を受け、そのまま水平に飛ばされて壁に激突した。片方は右手と右足が不自然な方向に曲がり、もう片方は口から大量に血を吐いた。
「ここにいて!」
コルトは言うと再び戦場に飛び出す。その軽やかな動きとタンゴにも重力の影響がないところをみると、なんらかの解除魔法を使ったのだろう。コルトは動かなくなった二人の騎士に向かい一直線に駆ける。
再びガラムに目を転じると、思うように動けぬ体でなんとか尾を躱して胴体に攻撃を加えている。恐るべき力量だ。いまさらながらに、隊長格の騎士のスペックの高さに驚く。
だが、先ほどよりも動きが鈍いのは歴然。攻撃の回避も少しずつギリギリになっている。なんとか隙を誘うことができれば――考えるより先に、タンゴはガラムの元へ駆け出す。蛇の動きもやや鈍っている。躱すだけなら、問題なくできるはずだ。
「陽動します!」
タンゴが叫ぶ。
「バカ野郎! 逃げ……いや」
怒鳴りかけた騎士が口をつぐみ、一瞬、しっかりとタンゴを見据えた。
「助力感謝する! しばしヤツを引きつけてくれ!」
「やってみます!」
短く応えると、あとは目の前の巨蛇に集中する。ガラムはひとりの戦士としてタンゴを扱ってくれた。そして時間を稼げと言ったのだ。必ずなんとかしてくれる。
頭上から降り注ぐ瓦礫と、薙ぎ払われる尾。注意するのはその二つだ。両方が常に視界に入るよう、一部に集中するのではなく、ぼんやり全体を眺めるように見る。二人の騎士の様子も気になるが、そちらはコルトがなんとかしてくれているだろう。
集中。頭上から中型の瓦礫。右に駆けて避ける。左斜め上方から鞭のようにしなる尾。前進しながら左へ。地面に叩きつけられた尾がそのまま横に振られる。左に転がり躱す。もたげられる鎌首。そのまま振り下ろされる。下がらず、蛇の胴体近くまで前に出ることで、範囲外へ。爆心地から飛ぶ細かい瓦礫。腕で顔だけを庇い、あとは当たるに任せる。蛇の口から撒き散らされる唾液。瓦礫の陰に飛び込み、そのすべてをやり過ごす。大丈夫だ。見えている。
ひたすら目の前の攻撃だけを躱し続ける。ほかの一切は思考から切り捨てる。どれくらい時間が過ぎただろうか。
「下がれタンゴっ!」
突然、ガラムの声が聞こえた。声の出どころを探すより先に、尾と頭上に注意を払ったまま後退する。そのまま視線を上方に向けると、瓦礫となった宿屋と街道を挟んで反対側の建物の屋上から、ひとつの影が飛び出すところだった。
「シェアアアアァァ!!!」
裂帛の気合とともに、上段から剣が振り下ろされる。落下の勢いに、蛇の魔法で増した重力を乗せた渾身の一撃は、蛇の首元に吸い込まれ―――そのまま振り抜かれた。
数瞬後、地響きとともに落下したのは、蛇の首だ。少し遅れて、ゆっくりと胴体が倒れ、再び地響きをたてる。何らかの魔法を使ったのだろう、ガラムも無事に着地し、タンゴのもとに走り寄る。
「離れろ、まだ動く!」
地に落ちた蛇の首を前に、なお警戒を解かないガラム。その言葉が終わらぬうちに、蛇の生首が大きく口を開き、こちらに飛びかかってくる。ガラムに抱えられるようにして横っ飛びで躱す。生首は壁に半ばめり込むように激突し、そのまま動かなくなった。
「よくやった」
ガラムはいまだ警戒して生首の方を見つめたまま、片手でタンゴの肩を叩いた。
瓦礫の陰から、先ほど重症を負った二人の騎士が歩いてくる。足を引きずり、血を流し、満身創痍に見えるが、命に別状はないようだ。その後ろからはコルト。おそらく彼女の魔法が二人を救ったのだろう。
「そっちの美人もごくろうさん。大した腕だ」
ガラムは戦いながらも、全体が見えていたのだろう。コルトの活躍もしっかりと見ていたようだ。思えばコルトも、乱戦のなかで常にタンゴの挙動を見て、気を配っていた。ただ強いだけでなく、全体を見ることも強者の条件なのだろう。目の前に集中することがやっとだったタンゴには、まだまだ雲の上の存在だ。
コルトは騎士の言葉に小さく頷くと、タンゴの横までやってくる。
「怪我はない?」
尋ねる小さな声には、タンゴに対する心配と気遣いがたっぷり詰まっている気がした。身を挺するように瓦礫から守ってくれたこと。最後の戦い以外は常にタンゴの側にいて援護してくれたこと。ほんの数日前に出会って、ただパーティを組んだだけなのに、まるで母のように守ってくれるコルトに、タンゴはいままで以上の信頼を感じていた。
「うん大丈夫。ありがとう」
「そう。よかった」
そういってニヤッと笑うと、ほっと気が抜けたように倒れそうになる。タンゴは慌ててその体を支える。きっと魔法を酷使しすぎたのだろう。魔法による魔力消費の詳細はまだよく知らないが、あれだけ魔法を連発すればきっと消費も大きいのだろう。タンゴは支えたコルトの体の細さに少しドキドキしながら、そんなことを考えていた。
ガラムと騎士たちは、少し離れた場所でそんな二人をニヤニヤと眺めている。そうだ、ガラムには聞きたいことや言いたいことがたくさんあるんだ。タンゴはコルトを支えたまま、ガラムに向き直る。
街道の片側、まだ無事な建物が視界に入った。
そして同時に、その後ろ側に立ち上がる二つの巨体も目に入る。
見間違いであることを願ったが、そんなはずはないこともわかっている。たった今まで対峙していたのだから。
一瞬後。
二匹のニーズヘッグが、同時にその鎌首を街道脇の建物に叩きつけた。
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