第10話 魔法
その日の夜も、簡易キャンプとなった。焚き火を囲んで食事をとった後、ハジムたちと別れて小さなテントへ向かう。
「もう疲れた?」
昨晩同様にテントに潜り込もうとしたタンゴに、コルトが声をかけた。
「ん? 疲れてないけど?」
事実、今日は一日馬車に揺られているだけだったので、少し腰が痛むことを除けば肉体的な疲労はない。それなら、とコルトは、キャンプ地から少し外れた森にタンゴを誘う。先延ばしになっていた発現魔法のレクチャーをしてくれるらしい。
馬車の旅の間はハジムらが居たから、おおっぴらな授業はできなかったのだという。魔法の基本自体は体系化され、大学や私塾でも教えられているため隠すようなものではないが、タンゴのあまりの無知さを隠したかったのだ。
キャンプ地から少し離れた森の中、やや開けた場所に立つコルトとタンゴ。月明かりがあるため、それほど暗くはない。
「さて、タンゴが気にしてた魔法について」
言うとコルトは杖で空中に円を描く。すると街燈のような灯りがぼんやりと辺りを照らしだした。
「魔法っていうのは異世界との間にゲートを開いて、その力をこの世界に発現させること。だから発現魔法って呼ばれてるのね」
「異世界?」
「うん、魔界ともいわれてるけど。純然たる現象だけに満ちたこの世ならざる世界」
「んー、ピンと来ない」
「まあそうだよね。大丈夫、知らなくても魔法は使えるから」
そう言うと今度は、杖で地面に何やら描き始めるコルト。円のなかに正方形と三角形が並ぶような図形だ。
「これが、その魔界との間のゲート、つまり魔法陣。よく見てて」
コルトが杖を添えると、図形は溝に水が流れ込むように端から薄紫に光り始めた。そしてその光が外周を一周し、内部まで行き渡ったとき、図形の中央から噴水のように水が飛び出した。水は真上に、タンゴの目線当たりまで吹き上がる。それから徐々に高さを減らし、やがて消えた。
「今のはとっても簡単な魔法陣。円でゲートを繋いで、図形で属性とベクトルを指示しただけ」
「つまり……魔法陣さえ描けば自動で魔法が出てくるってこと?」
「いいえ、陣に魔力を流して初めて魔法は発動するの。質量や速度は魔力の量にも依存するわね」
「じゃあ、その魔法陣を覚えて、魔力さえ流せばどんな魔法でも使えるってこと?」
「そうね。ただ魔法陣は上位魔法になるほどすごく複雑になって大きくなるのね。魔力が少なければその陣の隅々まで力を行き渡すことができず、結果魔法は発動しない」
なるほど、ここでも強さに近道はないというわけか。
それからもコルトのレクチャーは続いた。魔法陣に描き込まれる図形の種類。属性や方向を決める以外に、持続時間、作用範囲、作用対象などがあるらしい。さらに図形よりも複雑な古代文字を描き込んだり、古代語の呪文詠唱で補足することで、必要な魔力量を抑える燃費向上や現象の融合、凝縮などさらに高度な指示を出すこともできるという。
魔法陣の種類と効果について一段落したところで、タンゴは先ほどから浮かんでいた疑問を差し挟む。
「でもコルト、いちいち魔法陣を描いてないよね」
「そう、そこがポイント」
我が意を得たり、とばかりに微笑むコルト。
「魔法発現に必要なのは、魔法陣に魔力を流すこと。つまり地面にでも空間にでも完全に魔法陣をイメージすることができれば、わざわざ描く必要はないってわけ」
「じゃあコルトが杖を振って空中に何か描いてるのは?」
「あれは確認作業みたいなものね。この辺に四角、この辺に三角って感じでイメージを補完してるの。簡単なものや使い慣れた魔法ならそれも不要」
タンゴは少し首をかしげてから、小さくニ、三度頷いた。魔法と魔力の関係。まだまだわからないことも多いが、何かを掴みかけている気がした。
◇ ◇ ◇
城下町を出てから三日目の昼過ぎ、タンゴたちはあれ以降魔物にも強盗にも遭遇することもなく宿場町ゴーンに到着した。街道はこの街から二手に分かれる。山脈を抜けて北へ向かうルートと、森林を迂回しながら西へ向かうルート。
タンゴたちはまずこの街で山越えの準備を整えて北へ向かうことにする。西の城塞都市へと向かうハジムとはここでお別れだ。ハジムは別れ際に約束の賃金を差し出す。加えて、あの綺羅びやかな短剣を「記念に」と、タンゴに手渡した。
「タンゴさん、コルティーナさん、ありがとうございました。御恩は忘れません」
「どういたしまして。ハジムさんも、道中どうかお気をつけて」
コルトもこの二日で少しだけ打ち解けた様子。少し恥ずかしそうに、差し出されたハジムの手を握り、丁寧な挨拶を返していた。
ゴーンの街は思っていたよりも賑やかだった。丸太を組んだ門を潜ると、街道の両脇にずらりと宿屋が並んでいる。どの宿も玄関前に馬繋ぎ場を備えた大規模な造り。石と木を組み合わせた独特な建築で、高い物だと五階以上もある。王都の教会や王城ほどではないが、見上げるような威容は圧巻だ。
そのまま少し進むと街の中心と思しき辺りで街道は正面と左手の二本に別れる。どちらの道沿いにも、まだ建物が続く。
宿と宿の間の細道には飯屋や道具屋などが並び、さらにその隙間の道には小規模な宿や長屋が連なる。サイズ自体は決して大きくはないが、土地のあらゆる場所を建物が占める密度の濃い街だ。馬車が入れるのはさすがに街の中央を走る街道だけのようだが、細い路地にも人々の往来がある。それだけこの宿場町が果たす役割は大きいのだろう。
ハジムと別れた二人は表通りの高級宿ではなく、中規模な宿が並ぶ路地に足を踏み入れた。勝手知った様子でぐんぐん進むコルトにただ従うタンゴ。やがてコルトは、木造の一軒に入っていく。一階が食堂、二階が宿になっている典型的な冒険者宿だ。
「一泊ひとり15シリング。毛布と朝飯付き」
無愛想な親父が座るカウンターに、だまって硬化を出すコルト。ちなみにタンゴの路銀はすべてコルトに渡してある。旅慣れたコルトが考えながら使うほうが効率良いだろうという考えだ。
「二階右奥の部屋だ。井戸は裏庭、湯屋はその横」
「ええ」
最低限の情報を伝える店主に、最低限の返事を返すコルト。鍵を受け取って迷いなく階段へと向かう。きっと前にも利用したことがあるのだろう。
「ちょっと高いけどね、お風呂があるの。次はいつ入れるかわからないからね」
どこか言い訳じみた口調でそう言うコルト。ここ数日は絞った手ぬぐいで体を拭いただけだったから、確かに風呂はありがたい。ちなみにこのハイランドは中級宿でも風呂を備えた店が多いという。海と森に囲まれ湿度が高くなりがちなためか、単に水資源が豊富なためか。理由はわからないが、風呂好きなタンゴにとってはありがたいことだ。
部屋に荷物を置くと、まずは腹ごしらえに街へと繰り出す。宿の一階にも酒場があるが、コルトによるとあまり味がよくないらしい。食事は専門の食堂の方に分があるというわけだ。またも迷いなく進むコルトに従って、細い路地を進む。やがてコルトは屋台に毛が生えたような小さな食堂へと足を踏み入れた。
小さな店内はほぼ満席。なんとか隅のテーブルに席を確保できたが、その後も続々と客が店内を覗き、一部は店の前で席が空くのを待っている。行列のできる名店というやつだ。
コルトは手慣れた様子で注文する。葡萄酒で煮込んだ塊肉、ビネガーで和えた葉野菜、蒸かした芋をミルクで伸ばしたもの。たしかに味はどれも一流、さらにメニューを見ると価格は屋台の飯と変わらない安さだ。
給仕係は10歳ほどの女の子だが、テキパキと注文を捌く様子は見ていて気持ちいい。コルトがチップに銅貨を渡すと、はにかむように笑って、深く頭を下げた。きっと将来は店の看板娘になることだろう。
大満足で宿に戻ると、コルトと順番に風呂を使う。風呂といっても大きめの樽に湯を張ったようなものだが、それでも温かい湯で体を洗うと疲れが抜けていくようだった。
「世界には池が丸ごと湯で満たされた天然の風呂があるんだってね」
二つ並んだベッドのひとつに腰掛けて、タンゴがいつかトレド隊長に聞いた噂を話題にする。コルトはもうひとつのベッドにうつ伏せで寝そべり、足をパタパタ振りながら答える。
「温泉だね。火の国ボルクスにあるって聞いたことあるよ」
「気持ちいいんだろうなぁ」
「行ってみたいね、いつか」
「うん、行きたいな」
池にたっぷり溢れる湯に、肩までどっぷり浸かる時間。きっと風呂好きにとっての天国に違いない。タンゴは未だ見ぬ温泉に思いを馳せる。
機嫌良さそうに振っていたコルトの足がいつしか止まり、枕に顔を埋めていたことも、たいしたことだと思わなかった。
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