第9話 旅路

 タンゴとコルトは馬車に揺られている。御者台に座るのは、意識を取り戻した商人。ハジムと名乗ったその商人は最初縛られていることに恐慌状態となったが、コルトが護衛に紛れた強盗を倒したことを知ると、手を握って感謝を伝えてきた。

 ゆったりとした白い衣を纏ってもなおわかるでっぷりとした腹。腕や首に無数に巻き付けられた装飾品は、ともすれば下品にも見えるが、商人としての成功の証でもあるのだろう。


 ちなみに二人の強盗はさらに厳重に縛り上げて馬車の荷台に乗せている。やはり先ほど覆面を被っていた二人はまっとうな護衛で、強盗が咄嗟に偽装して隙を伺っていたのだ。


 馬車に揺られているだけではタンゴの修業にならないため、最初は馬車に乗ることを固辞したコルトだが、乗っているだけで護衛代を出すというハジムの言葉に折れてこうしてのんびりと旅を楽しんでいるというわけだ。


 ハジムによれば、この先にある野営専用スペースで一泊、さらに峠をひとつ越えてからもう一泊、海沿いに北上してもう一泊、三日目の昼過ぎには目的地である宿場町ゴーンに着くだろうとのこと。タンゴは改めて、記憶にあるなかでははじめて見る外の世界を見回す。どこまでも広く、どこまでも心地良い世界。城壁のなかでは、決して味わえなかった開放感。同じ姿勢で座っているからか、ときどき腰がズキリと痛むが、それよりもなお好奇心が勝る。


「タンゴさん、でしたか。旅ははじめてですか?」


 ハジムに声をかけられ、タンゴは我に返る。


「ええ、物心がつく前には両親に連れられてあちこち行ったみたいですが……」

「そうですか。旅はいいですよ。世界は私たちにいろいろなことを教えてくれる」

「ですね。ここに居るだけでも驚きの連続です」

「そちらの、コルティーナさんは、ずいぶんと旅慣れているようですね」

「……ええ、まあ」


 言葉少なに応えるコルト。少しわかってきたが、たぶん彼女は無愛想なのではなく、単に人見知りなのだ。だがそうとは知らないハジムは、少し気まずそうにタンゴに話題を振る。


「ただ近頃は少し物騒で、旅も命がけですがね」

「いきなりの強盗ですもんね。御者と護衛の方は残念でした……」

「ええ、短い付き合いとはいえ、見知った人間が死ぬというのはやはり辛いものですね」


 強盗の魔法で殺されたと思しき御者と剣士の遺体は、ハジムと護衛たちが街道から少し離れた場所に穴を掘って埋めていた。あんな盗賊が跋扈する昨今、そうして命を落とす人も少なくはないのだろう。


「それに魔物もずいぶん活発になっていますし、国境では隣国との小競り合いもあるとか。それに魔王復活の噂や怪しい宗教団体の活動まで加わって、私ら商人には死活問題ですよ」


 魔物や魔王の噂は聞いているが、国同士の小競り合いや宗教団体の話は初耳だ。やはりあちこち巡る商人は、情報には敏いものなのだろう。


 そんな話をしていると、前方の街道脇にいくつかのテントが張られているのが見えてきた。ハジムによれば街道脇には、旅人のためにこうした野営スペースが整備されているとのこと。簡易結界が張られ、少人数だが騎士も常駐しているため安心して野営することができるのだという。もちろん利用には幾らかの金を払う必要があるが、寝ずの見張りも必要なく、さらに旅人同士の情報交換も行われるという、旅には必須のスペースなのだ。

 

 荷台の強盗を騎士に引き渡すと、護衛たちは手慣れた様子でテントを張った。タンゴたちもハジムの大きなテントに招かれたがやんわりと断り、コルトが手早く設営した小型テントに潜り込む。小さなテントに女性と二人というのに少し躊躇ったが、コルトが気にしている風もないので遠慮し過ぎるのもおかしい。冒険者とはそういうものなのだろう、と言い聞かせて、タンゴはテントのなか、コルトに背を向けて横になった。そういえばテントなどの荷物も、すべてコルトが持ってくれていた。明日からは重い荷物は預かることにしよう。いくら戦闘力で大幅に負けているとはいえ、男なのだ。


「ねえ、タンゴ」


 少しうとうとしかけた頃、コルトが控えめに声をかけてくる。


「ん?」

「ごめん、起こしちゃった?」

「いいや、大丈夫だよ」


 なんだか殊勝な雰囲気のコルトにちょっとドキッとしたことを隠すように、タンゴは背を向けたまま答える。


「聞いてもいい?」

「なにを?」

「記憶がないって言ってたこと」

「ああ」


 コルトとはパートナーなのだから話しておこうと思っていたのだが、バタバタとして話しそびれていた。彼女が何かを隠していることは間違いないが、それでも今日一日で信頼できる人間であることは確信できた。タンゴはごろりと体を回して仰向けになると、テントの天井を見ながら話しはじめた。


「俺の親父は建国前からのハイラル王の戦友で、南部諸国を統一してハイランドが建国された後は特務部隊とかいう諜報関係の部隊の隊長を務めていたらしい」

「覚えてないのね」

「うん」


 これらは病床の母親や自称幼なじみトレド隊長、王本人から聞いた話だ。俺の記憶のなかには、親父の姿はない。俺は頭のなかに浮かぶ形のない親父の姿を思いながら話を続ける。


「四年前の嵐の夜。親父は南方の港町から王都に何かを護送していた。俺もそこに同行していた。ネビュラ山脈を越え、下りの山道に差し掛かったとき、魔物の襲撃を受けた。親父はかなりの手練だったそうだから、たぶん単なる魔物との遭遇戦ではなくて、計画的な襲撃だったんだろう。ってこれも聞いた話だけど」

「何を護送してたの?」

「それは、わからない。聞いても誰も教えてくれなかったから。俺が目を覚ましたとき、そこから俺の記憶がはじまるんだけど、その時には粉々に壊れた馬車と広い範囲でえぐれた山肌、二十人以上の騎士の無残な死体が転がっているだけだった。俺はなにひとつ覚えてなくて、その死体のなかのどれが自分の父親なのかさえわからなかったよ」

「よく無事だったね」

「うん。内臓が破裂して、背骨が折れてたらしいけど、命に別状はなかったよ。たぶん、守ってくれたんだと思う。……夢なのか、深層の記憶なのかわからないけど、俺を守るように立ちふさがる騎士たちの背中が、ときどきふと頭に浮かぶんだ。きっと、命がけで、俺は守られたんだ」

「そっか」


 短く言った後、コルトは少し身じろぎする。それから少し黙った後、小さく付け加えた。


「素敵なパパだね」


 何かが胸にこみ上げる。人のために命をかけること。それが自分にできるだろうか。タンゴは顔もわからない親父を思う。それから少し気まずそうに「話してくれてありがとう」と言うコルトの優しさを思う。旅の目的は、まだ定まらない。だが、このコルトを守れるくらい強くなろう。そう決意し、タンゴは目を閉じた。

 隣からはいつの間にか、コルトの小さな寝息が聞こえていた。




 翌日も、ただ馬車に揺られているだけだった。馬車に便乗させてもらい、さらに賃金までもらえるなんて恐縮してしまう気分だが、ハジムにとってはコルトの強さが保険になるのだろう。あんな危険な目にあったばかりなのだから、その気持ちは共感できる。

 車上でハジムから各地の状況を聞き、周囲を流れる景色を堪能し、コルトから小声で魔力の指南を受ける。そんなのんびりとした時間を、タンゴは心地よく楽しんでいた。


「……身体能力の補助なら、どんな動きにどんな力が働いているか感覚で理解する必要があるし、物理干渉ならその作用の根本を知らないと……」


 コルトの話は続くが、あまりの気持ちよさに少しウトウトするタンゴ。コルトはそんなタンゴを見て何か言いかけたが、ふっと力を抜くと小さく微笑んだ。


 馬車は快適に飛ばし、商隊や冒険者たちを次々に追い越していく。初夏の気持よい風がタンゴの頬を撫でる。馬車に乗るのが記憶にあるなかでは初めてであるタンゴには、それすらも新鮮な体験だった。

 

 なぜハジムの馬車が速いのか。なぜ商人でありながら、荷台に十分な余裕があるのか。そもそも、なぜハジムが強盗の数を二人と断定できたのか。

 ふと心に浮かびかけた疑問もいつしか風に千切れ、初夏の平原の空気に消えていった。

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