第243話 脱走

 輸送車両の司令室では、職員達がようやく本当に事態を乗り切った安堵あんどと疲労をにじませながら事後の作業を進めていた。指揮官の男がひどい疲労で顔をゆがませながらも、顔に疲労より不機嫌さを強く表してめ息を吐く。


「まさか坂下重工所属の旧領域接続者が乗り込んでいたとはな。しかもその襲撃部隊まで現れるとは。全く、たとえこちらは断れないとしても、事前に承諾ぐらい取るべきだろうが」


 別の職員が司令官の気苦労を案じる。


「その旧領域接続者も無事で、車両の制圧指示を出したおかげで事後処理も手早く進みました。こちらに不手際は無かった。それで通しましょう」


「あの指示はもっと早く出すべきだった。そこは落ち度ではあるがね」


 6号車と8号車の状況確認に向かったハンター達が未帰還となったのは、エルデ達の部隊に襲われたからだと既に判明している。一般的な状況確認の手引の順路に従って車内を進み、その順路通りの場所に配置されていた敵部隊に奇襲されたのだ。


 アキラがその奇襲を受けずに部屋に向かえたのは半分偶然だ。屋根から部屋への順路がその状況確認用の順路と重なっていなかったことに加えて、車両の状況確認など一切せずに一目散にヒカルの元に向かったおかげで、その時間稼ぎ用の者と遭遇する機会が減っていたのだ。


 ある意味で、状況確認という雑用を押し付けられる程度の実力しか無いハンター達では、坂下重工所属の旧領域接続者を襲撃するために構成された部隊には勝ち目など無かった。すぐに口を封じられ、発覚するまでの時間を稼がれてしまった。


 そこですぐに車両制圧の指示を出した判断は正しかった。ただし判断の遅れは存在していた。


 職員が司令官を気遣う。


「こちらには旧領域接続者が乗り込んでいるなど伝えられていなかったのです。流石さすがに向こうもそこをこちらの落ち度にはしないと思いますよ」


「だと、良いのだがな」


 責任を問われないとしても、面倒事は山ほど生まれる。司令官の表情はえなかった。


 別の職員が少し浮かない顔で報告する。


「その旧領域接続者のことで、坂下側から警備に関する要望が来ています。旧領域接続者の警備に関する重要事項としてです」


 司令官が不機嫌そうにめ息を吐く。


「旧領域接続者の存在が露見したら、すぐにそれを前面に押し出しての要求か。良い身分だな。で、何だ?」


 内容を聞いた司令官の顔が険しくなる。


「……それをこっちの管轄でやれと言うのか」


「まあ、車両のハンターの管理はこちらの仕事ですから、そういうことになります。どうしましょう?」


「……拒否は出来ん。一応調整するとだけ答えておけ」


「分かりました」


 早速やって来た面倒事に、司令官は大きくめ息を吐いた。




 輸送車両の警備に戻ったメルシアが、屋根から車両の襲撃の被害の様子を見ている。


「派手にやられたわね。タツカワ。当分暇だって言ってた勘の方はどうなってるのよ」


 タツカワが気にした様子も無く答える。


「何言ってるんだ。俺の勘はバッチリだったろう? 当分暇だって言っただけで、戻りの行程でずっと暇だとは言ってなかったし、絶妙な時間配分で、あの後も慌てずに撃退に移れただろう。バッチリだ」


 メルシアが軽く揶揄からかうように笑う。


「あっそ。じゃあ、早いのね、とでも言っとけば良かった?」


ひでえな」


 笑って軽い雑談を続けていると、警備側からメルシアに連絡が入った。警備側からの要望を聞いたメルシアが表情を険しくする。


「それ、結構めたことを言ってるって分かった上で言ってるの?」


 連絡を入れた警備側の司令官も、相手の機嫌を損ねることを十分理解していた。その上でそれでも理解を求めるように少しなだめるような口調で、だが退かずに答える。


「分かっているが、坂下からの要望だ。こちらとしては、その要望に添う努力をしなければならん。勿論もちろん、向こうも報酬は弾むと言っている。そして強制はしない。だが坂下の要望を蹴ったという経歴が付くのは、そちらとしても好ましくないだろう。受ければ坂下相手に貸しも作れる。総合的には、悪い話ではないはずだ。ここは協力をお願いしたい。どうだ?」


 警備側にもメルシア達にも立場がある。どちらも容易には退けない。だがその力関係としては、坂下の要望ということもあり、警備側の方が圧倒的に強い。


 そしてどちらも相手の立場を理解している。警備側も一応はむちではなくあめで相手を動かそうとしており、脅しを入れるのは最小限にしたいという意図は出していた。それでメルシアもまずは軽く退く。


「取りえず、こっちで少し検討させて。私だって部下に無理強いは出来ないの。分かるでしょう?」


「分かっている。すまないな。頼んだ」


 警備側との通信が切れる。メルシアは大きくめ息を吐いた。タツカワが軽く笑う。


「難題でも押し付けられたのか? 何だ?」


「旧領域接続者の護衛が欲しいんだって」


「ん? それなら経歴にはくも付くし、報酬もデカいだろう。何が問題なんだ?」


「人員の条件がちょっとね。完全義体者並みの義体率限定で、しかも機体の管理者権限を寄こせって言ってるわ」


 メルシアの反応を理解して、タツカワも苦笑を浮かべる。


「おっと、そりゃまた随分と傲慢だな」


 通常、余程の事態がない限り、自身の義体の管理者権限は本人のものだ。例外は医療機関等で体の換装処置を行う時ぐらいである。脳以外全て機械に取り替えたような者にとって、自身の体の操作権限を他者に委ねる意味は余りにも大きい。


 坂下側の要望は生殺与奪の権限を寄こせと言っているに等しく、相手を軽視した非常に失礼で傲慢な態度に間違いはない。宣戦布告と解釈されても不思議はない。もっとも実際に開戦となれば勝つのは坂下だ。相手は滅亡するか、出来る限り有利な条件で降伏するしかない。


 勿論もちろん、坂下もそのような真似まねを繰り返して反発を招き、無駄に敵を作るつもりは毛頭ない。費用がかさむだけだからだ。言い換えれば、必要ならば、利益になるのならば、やる。そして自社所属の旧領域接続者の護衛は、その条件を十分満たしていた。


 メルシアが真面目な顔でタツカワに問う。


「それで、どうする? 坂下が相手だとしても、結構めた扱いをされてることに違いはないんだけど、あんたとしてはどうなの?」


「どうなのって、まあ、受けるしかないだろう。都合の良いことを言えば、俺とお前は条件から外れてるしな。後はチームから希望者を募って、受けたやつを出す。希望者ゼロなら、その旨を伝えてごめんなさいだな」


「それで良いの?」


 真面目な顔を向け続けるメルシアの態度に、タツカワが少し怪訝けげんな顔を浮かべる。


「その対応だと、何か不味まずいのか?」


「昔のあんたなら、めるんじゃねえと、蹴飛ばすかもしれないと思ってね」


「いや、そんな真似まねしたら俺らのチームは終わりだろう。折角せっかくここまでデカくなったのに」


「そんなもの、私とあんたで作り直せば良いでしょう。いいの?」


 メルシアは真剣な目でタツカワに問い続けていた。


 タツカワが軽く苦笑してメルシアを抱き締める。


「俺達のチームだが、デカくしたのはほとんどお前のおかげだろう。俺が坂下の要望を気に食わないって程度のことで捨てるなよ。勿体もったい無い。お前が要らねえって言うなら好きにすれば良いけどさ」


「……あっそ。じゃあ、要るわ」


 メルシアがうれしそうに笑って抱き締め返す。


「あんたも結構丸くなったのね」


「まあ、俺も今は結構成り上がったんだ。昔みたいな無理無茶むちゃ無謀を繰り返す必要もないだろう」


「そういうことにしといてあげる」


 僅かな照れを見せているタツカワを見て、メルシアはどこか楽しげに得意げに笑っていた。




 シロウは別の隔離室に移された。新たな部屋も十分に広く豪勢だ。


 ハーマーズは医療室で治療を受けており、今は席を外している。一時的にしろシロウの護衛から外れることに難色を示したが、治療は坂下側の指示で断れない。そして戦闘能力は保っているが、実際にかなりの疲労と負傷を抱えているのも事実だ。万全の体調を取り戻すために、仕方無く部屋から離れていた。


 部屋にはシロウの他に大勢のハンター達がいた。ハーマーズの代わりにシロウの護衛に入った者達だ。全員サイボーグであり、しかも自身の体の管理者権限を一時的にハーマーズに移行された状態だ。最悪の場合、ハーマーズが駆け付けるまでの時間稼ぎのために、自分の体を勝手に動かされておとりや捨て駒にさせられる者達である。


 ハンター達もそれを理解している。その所為せいで彼らの機嫌は非常に悪かった。


 そのハンター達に、シロウが申し訳なさそうな態度を取りながらも、笑いながら気安く話し掛ける。


「いやー、ようこそ! よろしくな! くつろいじゃってくれ!」


 ハンター達は非常に不愉快そうな顔をシロウに向けている。相手は坂下重工所属の重要人物だ。相手の機嫌を損ねてしまえば、所属している徒党にも悪影響が出かねない。本来ならば失礼の無いように注意しなければならない。それを分かった上で、表情を取り繕えないほどに不愉快だった。


 シロウが少し大袈裟おおげさおどける。


「おっと、そんな怖い顔するなよ。そりゃ義体の管理者権限を寄こせなんて言われれば怒るのは分かる。俺も悪いとは思ってるんだぜ? でもさあ、そこは上の指示なんだって。俺をにらむなよ」


 近くにいた男が吐き捨てるように答える。


「ふん。お前の都合でこんな目に遭ってるんだ。関係あるか」


「そう言うなよ。落ち着けって。名目上は俺の護衛だが、別にもう仕事なんか無いんだ。後は都市に着くまで、ここで飲み食いして遊んでりゃ良いだけだよ。俺にむかついてるってことを除けば、しばらく遊んでるだけで大金が手に入る美味おいしい仕事だろう? ささ、適当にくつろいでくれ」


 シロウは近くのソファーに座って、他の者達にも座るように促した。そしてテーブルの上に並んでいる料理に手を付けると、非常に美味おいしそうな顔を浮かべた。


「食わないの? 美味うまいよ? こう言っちゃなんだが、坂下が俺の御機嫌を取るために用意した料理なんだ。こんなことでもないと食えないよ?」


 シロウはそう言って他の者達にも食べるように促しながら笑っていた。


 この場のハンター達は、所属している徒党などが坂下の要望を蹴って不興を買わないために、護衛を出す人数がゼロでは不味まずいだろうと、ある意味で人身御供ひとみごくうのように出された者達だ。その所為せいでやる気は薄い。それでもしばらくはちゃんと護衛をやろうとしていたが、特にやる気に欠けた者が開き直ったようにソファーに座り始めると、他の者も少しずつ座り始めた。そして料理に手を付ける。


 不機嫌さを吹き飛ばすほどの美味に、男が思わず声を出す。


「う、美味うまいな!」


「だろう?」


 シロウは得意げに笑った。そして他の者達にも再度促した。顔を見合わせていた男達の中から料理に手を付ける者が増えていく。


 だが一向に手を付けない者もいた。シロウが不思議そうに尋ねる。


「食べないの? 我慢は毒だぜ?」


 男が不機嫌さをあらわにして吐き捨てるように答える。


「食えねえんだよ! 俺は!」


 男の義体に飲食の機能は付いていなかった。それを察したシロウが少し大袈裟おおげさにたじろいだように身を引く。そして得意げに笑った。


「おお、そうか。分かった! ちょっと待ってろ!」


 一度席を立ったシロウが大きな箱形の機械を持って戻ってくる。


「それならこれを貸してやろう。特注のVR仮想現実機器だ。腹は膨れないが、味ぐらいは結構楽しめる。VR仮想現実観光地の料理だから限度はあるけどな」


「そんなものでごまかされるとでも……」


「あと、VR仮想現実観光地の裏機能で、ここだけの話だが、エロも楽しめる」


 不満を吐いていた男の口が止まる。シロウが笑って続ける。


すごいよ。そして、エロいよ」


 義体などにより高い戦闘能力を手に入れた代償に、三大欲求の解消に支障を来す者は多い。再現には技術的な限界があり、高度なものほど費用も掛かる。生身の時と比べて、どうしても違うと感じてしまう者もいる。それだけに、その誘惑は強かった。


「……そんなにすごいのか?」


「これも坂下が俺の機嫌を取るために用意したものだからな。まあ、俺は女とかも頼めば結構通るんだ。その俺が言う。すごい。そして、エロい」


「だ、だが、安全性とか……」


「その辺は坂下が俺の安全を考慮して用意したやつだから完璧だよ」


「いや、でも、義体に合わせた設定とかも大変だろう?」


 そこでシロウが少し申し訳なさそうな顔を浮かべる。


「そこは、なんだ、確かに普通は大変なんだが、ほら、今は、義体の管理者権限がこっちにあるだろう? その都合で非常に簡単になってるんだ」


「あー、そういうことか」


 男も僅かに顔をしかめた。普通はその程度のことのために、義体の管理者権限に手を付ける真似まねなどしない。だが今は既にそれをやってしまっている状態だ。ある意味で好都合だった。


 シロウが更に続ける。


「料理は好きなだけ持ち帰って構わねえが、流石さすがにこれは駄目だ。試すなら、今だけだぜ? 俺も悪いとは思ってるんだ。だから、普通は貸さないけど、特別にだ。どうする? まあ、無理にとは言わねえよ。拒否感持ってるやつに勧めるのも変だしな」


 男が迷っていると、別の男が口を挟んでくる。


「なあ、ちょっと試して良いか?」


「ああ、良いぞ。遠慮無く言ってくれ」


 シロウは笑顔で答えた。


 その後、シロウがVR仮想現実機器と希望者の男を接続して開始する。男は傍目はためからは黙って座っているようにしか見えない。だがその五感はVR仮想現実側にあり、体も現実では動いていないがVR仮想現実側ではいろいろやっていた。


 男は10分ほどの体験を終えて目を開けた。近くの者が興味深そうに声を掛ける。


「おい、どうだったんだ?」


「……すごかった」


 その短い感想には、具体的な内容は全く分からないが、ただそのすごさだけははっきりと分かるものが、過剰なほどに込められていた。


 男達がシロウに視線を向ける。


「その、俺も良いか?」


「ああ。好きに使ってくれ。ただし同時使用者に限度があるから、交代でな」


 初めは顔を見合わせていた者も、使用後の者の感想を聞いて興味を募らせていく。全員が交代で使用するようになるまで、然程さほど時間は掛からなかった。




 ハーマーズは医療室で治療を受けながら、管理者権限を得た義体の視界を並べて近くに表示して、その視界を通してシロウの様子を確認していた。その顔が怪訝けげんなものに変わる。ハンター達の視界越しの光景に、裸の女性が映っていた。


「あいつは何をやってるんだ……」


 すぐにシロウと連絡を取ると、ハンターの視界を通してシロウが手を振ってきた。


「何だよ。ちゃんと大人しくしてるぞ?」


「護衛に入れたハンターの視界に変なものが混ざってるぞ。何をやっている」


「ああ、それ? あいつらに俺のVR仮想現実機器を貸したんだ。その映像が混ざってるんだろうな」


 シロウから事情を聞いたハーマーズがめ息を吐く。


「あのな、そいつらは護衛なんだぞ? 何をやってるんだ」


「良いじゃねえか。遊ばせてやっても。流石さすがにもう危険はねえよ。それに、幾ら管理者権限をこっちが持ってるって言ったって、半ば無理矢理やり管理者権限を奪われて殺気立ってる連中に囲まれるのは俺だって怖いんだぞ? 機嫌ぐらい取らせろよ」


「お前がそんな臆病者だったとは知らなかったな」


「そりゃ普段は心強い護衛がそばにいるからな」


 いつもの調子で上っ面のお世辞を吐くシロウの様子に、ハーマーズはあきれながらも問題はなさそうだと判断する。


「取りえず、こっちに送る映像は機体からのものにしろ。変な映像まで送ってくるな」


「へーい」


 シロウとの通信が切れると、すぐにハンター達の視界の映像に変化が現れる。幾つかは目を閉じている所為せいで真っ暗になり、幾つかは固定カメラの映像のように全く動かなくなった。その固定カメラとなった映像の中で、シロウがハンター達と調子良く雑談していた。


 ハーマーズはそれを見て気を切り替えると、そのまま念入りに治療を続けた。




 アキラは医療室で命に別状は出ない程度の治療を受けた後、ベッドで横になって眠っていた。既に負傷と装備の損傷を理由にして車両の警備からは外れている。後は都市までゆっくりしていれば良い状態だ。


 そのそばには着替えたヒカルが座っていた。警備側やクガマヤマ都市への報告などを済ませて、一息吐いているところだった。


 ヒカルは何となくアキラの寝顔を見ながら、いろいろ考えていた。


 アキラ達の戦闘の余波で半ば廃墟はいきょと化した隔離室の光景を見れば、アキラの戦闘力のすさまじさは一目で分かる。その力を恐ろしく思う。同時に頼もしくも思う。その異なる印象は、その力が自分に向けられるかどうかの差だ。


 防壁の外側で3桁の人を殺しても平然としている人格。見捨てられても不思議のない状況で、死にかけてでも自分を助けてくれた行動。ヒカルはアキラという人物をつかみかねていた。


(契約に忠実なだけっていうのも、違う気がするのよね。あの状況で私を助けたのは、あいつも言っていた通り明らかに契約外だし……)


 しっくりこない感覚を覚えながら、アキラの寝顔に視線を向けて何となくつぶやく。


「ねえ、何で助けてくれたの?」


「助けてって言われたから助けたのに、それはちょっとひどいんじゃないか?」


 返事が返ってくるとは思っていなかったヒカルが少し驚く。アキラが身を起こした。


「お、起きてたの?」


「さっきな」


 妙な間を開けた後、ヒカルがもう聞いてしまったのだからと、少し開き直って続ける。


「改めて言っておくわね。助けてくれてありがとう。で、さっきのは、あの状況、普通に考えたら見捨てられても仕方無いと思ったから、ちょっと不思議に思っただけよ。それだけ。それで、どうして助けてくれたの?」


 アキラが軽く答える。


「助けてって言われて、助けて損が無ければ助けるよ。まあ、状況にもよるけどさ」


「それで死にかけたのに?」


「ハンター稼業はいつも命賭けだ。別に特別なことじゃない。ああ、そういう意味だと、普段は壁の内側にいるヒカルの感覚とは、大分ずれた感覚かもな」


 ヒカルが少しだけ真面目な顔をする。


「……その、こう言っちゃ悪いけど、アキラは壁の外で結構殺しているでしょう? その人達は助けてくれとは言わなかったの?」


「基本的に銃で殺し合っているからな。大抵は即死だ。命乞いする余裕なんて無いよ。それに殺し合った後で、敵に助けてくれと言われても、それを聞く義理は無いな」


 ヒカルが少し意外そうな顔をする。


「えっと、アキラってそんなに襲われてたの? あんなに強いのに? ちょっと信じられないんだけど」


「俺だって昔から強かった訳じゃない。それにスラム街とかは、子供が300オーラムも持ってたら、殺されたくなかったらそれを寄こせと襲われる場所だからな。襲われた後に生き残ったがわであり続ければ、その分だけ殺した数は増えるよ。俺だって死にたくないからな」


 平然とそう語る様子から、ヒカルはアキラの過酷な過去を想像して、アキラの行動を少しだけ理解した。


「……そう。大変だったのね」


「まあな」


 そこでアキラが急に少しヒカルに詰め寄る。


「あ、そうだ。助けた理由で思い出したけど、助けた時、何でもするって言ってたよな?」


「い、言ったけど」


 状況が状況で、しかも口約束だったとはいえ、強力なハンター相手にかなり迂闊うかつな言葉だったことに違いは無い。何を要求されるのだろうかと、ヒカルは少し焦りながらたじろいだ。


 アキラが少し真面目な態度で要求する。


「約束通り、報酬はしっかり弾んでもらう。いや、最低でも黒字にはなるように何とかしてくれ。高い弾薬や回復薬を山ほど消費したし、装備も駄目になった。特に装備はちょっとした伝で思いっきり割り引いて買ったやつだから、定価で買うとすごい額になるんだ。あれだけ苦労して赤字なんて御免だ。頼む。何とかしてくれ」


 ある意味当然の要求で、少々予想外の要求に、ヒカルは少し意外そうな顔を浮かべた。その後に楽しげに自信たっぷりに笑う。


「任せなさい。そういう交渉は得意なの。助けてもらった恩もあるし、しっかり交渉して大幅に黒字にしてあげるわ」


 アキラが安堵あんどの息を漏らした後、念を押すように続ける。


「頼んだ。頼んだからな? 絶対だぞ?」


「大丈夫よ。安心して。これでも部署じゃ将来有望な人物って言われてるの。キバヤシさんからも、お前はすごいなって言われてるのよ?」


 ようやく安心したように表情を和らげたアキラを見て、ヒカルは苦笑を漏らしていた。




 輸送車両に追加の護衛部隊が到着する。クガマヤマ都市から出発した坂下の部隊だ。多数の人型兵器と輸送機で構成されており、輸送機の中には重武装した戦闘要員も乗り込んでいた。


 その輸送機の中にはヤナギサワも乗り込んでいた。急報を受けて、部下と一緒にシロウを受け取りに来たのだ。治療を終えたハーマーズと合流して隔離室に向かう。


 ヤナギサワは非常に上機嫌な様子で愛想良く笑っている。


「大変な状況だったと伺いましたが、無事で何よりです」


 逆にハーマーズは軽い警戒を向けていた。


「クガマヤマ都市に到着するまでは、警備はこちらの受け持ちだったはずだ。引き渡しも、一度スガドメ専務に引き渡した後のはずだが?」


勿論もちろんです。折角せっかくですので、軽く挨拶をして少し話でも。それだけですよ」


 隔離室の扉が開き、ヤナギサワ達が中に入る。警備のハンター達も流石さすがVR仮想現実で遊んではおらず、整列して迎え入れた。


 ヤナギサワが部屋を見渡すが、シロウの姿は見えなかった。


「彼はどこに?」


 ハーマーズが嫌な予感を覚えながら近くのハンターに尋ねる。


「シロウはどこだ? トイレか?」


 ハンターが不思議そうに部屋のソファーを指差す。


「えっ? そこにいるだろう?」


 そのソファーには誰も座っていなかった。ハーマーズが表情を一気に険しくさせる。そして自身の肉眼ではなくハンター達の視界でソファーを確認する。その視界の中で、シロウが申し訳なさそうに笑いながらハーマーズに向けて手で謝っていた。


 状況を理解したハーマーズが思わず叫ぶ。


「あの野郎!」


 シロウはハンター達の五感を乗っ取り、自分がそこにいると誤認させていた。つまり勝手に部屋から逃げ出していた。


 ハーマーズは怒気をあらわにしながらも、すぐに状況を報告しようとする。だが次の瞬間、反射的にヤナギサワから距離を取っていた。


 ヤナギサワもすぐに状況を理解した。その途端、その顔から普段の笑顔が完全に消えた。無表情だが、そこには確かな激情が存在していた。そして恐ろしいほどの威圧を無意識ににじませていた。


 ハンター達は一時的に管理者権限を奪われていて、ある意味で幸運だった。自分の意思で動けていれば、反射的にヤナギサワに応戦しようとしてしまい、その反撃で皆殺しにされていた恐れがあった。


 ハンター達はヤナギサワに気圧けおされて、下手をするとそのまま恐慌状態に陥りかねない。ハーマーズも強い警戒を見せている。室内は異常なほどの緊張状態にあった。


 ヤナギサワが我に返る。同時に無意識の威圧も解除される。それで室内は死地から一応通常の部屋に戻った。


 ヤナギサワは自身を落ち着かせるために大きく深呼吸した後、ハーマーズに愛想良く笑う。


「……失礼しました。シロウ君は迷子になっているようですね。すぐに捜索隊を手配しましょう」


「……そうだな」


 余りのことに怒気を散らされたハーマーズも、それで冷静さを取り戻すとすぐに事態の解決に動いた。




 シロウは既に車外に出ていた。五感を乗っ取ったハンター達を連れて車両の格納庫に移動すると、事前に乗っ取っていた人型兵器に乗り込み、そのまま車両周囲の警戒を装って車外に出たのだ。


 車両内での移動は、多数のハンター達を護衛として引き連れることで疑われずに乗り切った。それを疑う者にはハンター達の視界を介して、自分は部屋にいると誤認させた。


 ハンター達はVR仮想現実の最中も、交代して終わった後も、部屋の中にいるVR仮想現実を体感しており、シロウと一緒に一度部屋の外に出ていたなど全く気付けなかった。


 無人の人型兵器が車両の周辺を警備する中、シロウの乗った人型兵器が近くのモンスターの撃退を装って車両から離れていく。その操縦席で、シロウが笑う。


「悪いな、ハーマーズ。ちょっと出かけるだけだ。我慢してくれ。お前の失態にはならないように、俺も一応気を使ったんだぜ?」


 そして表情を非常に真剣なものに変える。


「……まずは、これでしばらく自由に動ける。頼む。待っていてくれ」


 脱出した目的は自由ではない。手段だ。そしてその目的のために、シロウはまず遠回りでクガマヤマ都市を目指した。


 坂下重工所属の旧領域接続者が脱走したといううわさは、その後クガマヤマ都市の深い部分で、徐々に広まっていった。

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