第241話 再接続

 エルデが部屋のロッカーを驚異的な身体能力でじ開ける。安価な金庫並みに頑丈な扉が大きく変形し、電子的な施錠を嘲笑あざわらうように物理的に開かれた。中身は空だった。


(……また外れか。当たりはどれだ? この無駄に多い収納スペース、初めからその意図で設置されてるんじゃないだろうな)


 無意識に顔を険しくして、次のロッカーの扉に手を掛ける。同じように強引にじ開けると、そちらも空だった。ゆがんだ扉を乱暴に閉めて蹴りを入れる。扉は一撃で大破した。ロッカーの中に普通の人が入っていた場合、即死は間違いない。だからこそ、対象を生かして連行するために、エルデはある意味で丁寧に扉を開けていた。


 エルデ達は目標の拉致を目的にしている。殺害目的であれば、部屋のドアの爆破も部屋ごと吹き飛ばす勢いで実施している。高速フィルター効果付きの拡張粒子気体を散布したのも、対象を誤って殺さないためだ。


 部屋に侵入したエルデ達は、頑丈な大型ロッカーが独りでに閉まったのを見た。遠隔操作で閉められたのは明らかだ。そして扉に引っ掛かっているスカートを見付ける。対象はその中に隠れていると判断し、すぐに全員でじ開けようとする。


 開けるだけなら人型兵器の装甲すら引き裂くナイフで扉を両断すれば良い。だがそれでは中にいるであろう対象を殺してしまう恐れがある。仕方無く、ナイフの威力を少しずつ上げながら、驚異的な身体能力でゆっくりと開けていく。そうやって大分時間を掛けてロッカーを何とかじ開けた。


 だがそこにヒカルの姿は無かった。代わりにハンガーに掛けられたヒカルの制服が、扉に引っ掛かるように設置されていた。


 だまされた。ただの時間稼ぎだった。エルデはそう判断して制服を破りながら顔をしかめた。そして部下達と一緒に部屋の中を探そうとする。だがアキラの接近に気が付くと、部下達をその迎撃に向かわせて、自分1人でヒカルを探し始めた。


 施錠された浴室に力尽くで侵入し、色付きの湯が張られた浴槽に手を入れて中を確認する。いない。トイレのドアをじ開ける。いない。ベッドの布団を剥ぎ取り、人型に丸められた毛布を引き千切って中を確認する。いない。ガウンの裾がはみ出たロッカーを見付ける。またかと思うが、そう思わせて捜索から外すのが目的だと考えてしまうと、調べざるを得ない。頑丈なロッカーを中身ごと破壊しないように注意しながら慎重にじ開ける。いない。浴室もトイレもベッドもロッカーも、調べた後は蹴飛ばして破壊した。


 本来なら高性能な情報収集機器で調べればすぐに済む。だが警備側との通信妨害を優先して、拡張粒子気体の情報収集妨害ジャミング効果を過度に高めた所為せいで、情報収集機器の反応では対象を識別できなくなっていた。


 それでも部屋のドアを開けた直後ならば、まだ見付けやすかった。だが今は通路に散布した拡張粒子気体が、その拡散性の高さから部屋内にも入ってしまっている。初めに調べた大型ロッカーを開くのに時間を掛けすぎた所為せいで、その時間を稼がれてしまった。


(……不味まずいな。時間を掛けすぎた。車外の騒ぎが収まって、警備側が車両内の異常に気付いて対応処置を始めるまで、猶予は後どれだけだ?)


 そして、エルデ1人で探している所為せいで更に時間を掛けてしまっている。


(……あいつら、帰ってこないな。2人掛りなら俺でも楽勝とはいかないやつらなんだ。銃の使用を制限されているこの環境下なら、小隊相手でも蹴散らせるはず。流石さすがに帰りが遅すぎる……)


 3人で迎撃するには通路の幅は少々狭い。部下達の実力も高く、自分まで出ても連携の邪魔になるだけだ。加えて対象を確保した後は、敵の増援の相手を2人に任せて脱出する計画だ。それならば自分が捜索に残った方が良い。エルデはそう判断して部下達を迎撃に向かわせたのだが、失敗だったかと思い始めていた。


 状況を継続するべきか僅かに迷う。だが部下達への信頼と、自分が任せたのだという矜持きょうじから、ヒカルの捜索を継続する。だが見付からない。


 そして険しい表情のまま探し続け、あと少しでそれらしい場所を探し終えるところで、急にその手を止めた。その視線は初めに探した大型ロッカーに向けられている。破壊された扉は半開きのままだ。


 他のロッカーは誤ってもう一度探すような真似まねをしないように、調べた後に蹴飛ばして完全に破壊していた。だがその大型ロッカーは非常に頑丈なのでそこまではしなかった。


 エルデはその破壊された扉に違和感を覚えた。開き加減が変わっているような気がしたのだ。


「……まさか」


 エルデが再び大型ロッカーの前に行き、半開きの扉を勢い良く開く。すると、下着姿で引き攣った笑みを浮かべているヒカルと目が合った。


 ヒカルは初めは別の場所に隠れていた。だが途中で隠れ場所を大型ロッカーに変えていた。一度調べた場所が一番見付かりにくい。そう考えてのことで、その考えは正しく、時間稼ぎに大いに貢献した。


 エルデが愛想良く笑う。


「こんな所にいらっしゃいましたか。探しましたよ。さあ、避難しましょう。安全な場所までお連れします」


 ヒカルも引きった愛想笑いを返す。


「こ、ここも結構安全だと思うんだけど?」


「ご心配なく。避難場所はもっと安全ですよ。さあ行きましょう。来るんだ」


 エルデが愛想を消してヒカルの首をつかむ。


「一々抵抗するな。無傷が望ましいが、無理ならその首をじ切って、生命維持装置につないで運んでも良いんだ。分かったな?」


「わ、分かったわ」


 エルデがヒカルをつかんだまま通路に向かって叫ぶ。


「対象を確保した! 離脱する!」


 これで部下達が戻ってくるなら一緒に脱出する。戻れない事態であるならばこのまま脱出する。その判断のためにエルデは意識を通路側に向けて気配を探った。すると、高速で近付いてくる気配を捉える。部下達が戻ってくると判断し、そのまま待つ。そしてその気配が部屋に飛び込んでくる。


 その気配はエルデの部下達ではなく、アキラだった。


 アキラが両手の銃をエルデに向けようとする。エルデがヒカルを前に出す。極限の集中による静止した世界の中で、どちらも相手の反応を探り合う。そして、エルデが先に判断した。


(こいつ! 撃つ気だ!)


 エルデは即座にヒカルの前に出ながら、アキラ側の空中に回し蹴りを放った。その絶対に届かない距離で繰り出されたはずの蹴りの予備動作と同時に、アキラもアルファの強化服操作に促されて回避行動を取っていた。


 エルデの蹴りの動作が終わった後、僅かな時間を挟み、アキラが見えない誰かに蹴り飛ばされたように吹き飛ばされる。防御自体は間に合っていたので被害はないが、体勢を立て直した分だけ動きを鈍らせた。


 そのすきにエルデはヒカルを大型ロッカーに再度押し込むと、変形した扉を蹴ってロッカーを強引に閉じた。無理矢理やり閉じた所為せいで扉のゆがみは更にひどくなり、一部が引っ掛かって固定され、ヒカルの身体能力では開けられなくなる。ヒカルは先ほどまで隠れていたロッカーの中に閉じ込められてしまった。


 体勢を立て直した2人が対峙たいじする。その顔はどちらも非常に険しい。


『アルファ。さっきのは、あいつに蹴られたんだよな?』


 通路でのナイフでの間合い外からの攻撃は、飛んでくる光刃が見えたのでまだ理解できた。だが先ほどの蹴りはそれもなかった。見えない長い脚で蹴られたのでもない。間違いなく蹴りを空振りした後に、蹴りの衝撃を受けていた。


『相手の蹴りで間違いないわ。高速フィルター効果の応用で、蹴りの衝撃を伝播でんぱさせたのよ』


『何なんだそれは』


『空気中の拡張粒子の抵抗をえて増やす特異な蹴り方をして、低速移動でも抵抗を生じさせたの。その上でその抵抗を意図的に増加させて、その反動である本来なら四散する衝撃に指向性を与えて飛ばしてきたのよ』


『だから何なんだそれは。かなり東の地域に来た所為せいで、常識が変わったのか? 島は空を飛んでるし、ビルは逆さまに伸びてるし、山みたいに馬鹿デカい虫は群れで襲ってくるし、上空領域のモンスターは出るし、銃を持ってる俺の方がナイフのやつに間合いで負けるし、蹴りは間合いの外から飛んでくる。ちょっと東側に進んだだけで、魔境に変わりすぎだろう。この辺でこれなら、最前線とかどうなってるんだよ』


『それはもう、すごいことになっているのでしょうね。より高度な旧世界の技術が色濃く残っている地域らしいから、相応にね』


『よし。この辺には、いや、クガマヤマ都市より東の地域には二度と行かない。決めた』


『好きにすれば良いけれど、まずは、この場を切り抜けるのが先決よ?』


『分かってる』


 アキラは念話での高速の会話を済ませながら、エルデのすきうかがっていた。エルデも黙って状況の把握とアキラの推察を続けていた。それは僅かな時間だったが、どちらかが無防備であれば相手を一瞬で殺せる者同士の対峙たいじは、両者の体感時間を濃密なものに変えていた。


 エルデの視線が鋭くなる。そこには明確な怒気が存在していた。


「お前は彼女の護衛だろう? さらわれるぐらいなら殺すってことか? 大企業らしい傲慢さだな。そこに何か思うことはないのか?」


 アキラが黙っていると、その沈黙を自分なりに解釈したエルデが表情で侮蔑を示してくる。


「ふん。思うことはないか。エージェントとして、そう教育されているのか。人として生まれたにもかかわらず、企業の部品として育ち、消耗品として死ぬ。そこに疑問を覚えない。狂ってるな」


 何か盛大に誤解されている。アキラはそう思いながらも黙っていた。


「お前がここにいるってことは、俺の部下達は倒された訳か。俺はエルデだ。お前の名前は?」


 アキラが黙っていると、エルデがアキラに向ける侮蔑を強くする。


「ふん。だんまりか。それとも名前なんか無いのか? 共通規格の名前はあっても、その規格で量産された部品に付くのは、製造番号ぐらいか? 人として生まれ、企業の部品として育ち、消耗品として生涯を終える。哀れだな」


 アキラはそれでも黙っている。エルデもアキラの返答を期待するのをめた。


「俺の指示で死なせたんだ。部下達の墓標にお前の名前をささげてやろうと思ったが、名無しじゃ仕方ねえ。塵芥ちりあくた相手に命を落としたあいつらの不運は、俺が代わりに嘆いてやろう」


 エルデが表情から私情を消し、意思を任務に切り替える。そして動き出す前に、返答が返ってくる。


「アキラだ」


 エルデが意外そうな表情を浮かべる。アキラはそれ以上答えなかった。


「……そうか。あの2人の名はトルパとサルザだ。その名前、あの世に持っていけ」


 エルデは1秒を争う任務の中、相手の名を聞き出すというある意味で無駄な時間を、その任務に命をささげた部下達への敬意をもって消費し、その敬意に等しい時間を使い切った。アキラは仲間の死に敬意を示した者への最低限の礼儀を済ませた。


 2人の表情が切り替わる。自身の仕事のために相手の死を望む意思を、互いにその顔に侮蔑無く示し、同時に飛び掛かる。素手と銃の組み合わせで、2人とも至近距離での戦闘を望む。エルデは任務のために、アキラは強化服と体感時間操作の時間制限のために、どちらも最速の決着を望んでいた。


 無数の銃弾が部屋中に飛び散り、高速フィルター効果で見えない壁に着弾したように空中で動きを止める。その見えない壁を、突きや蹴りの余波が吹き飛ばす。どちらも移動の反動で足場を破壊し続けながら部屋中を高速で跳ね回る。ほんの数秒で室内は荒れ狂う攻撃の巻き添えとなり、床も壁も天井も近くの家具ごと派手に破壊された。




 輸送車両の司令室では、車外の事態をようやく治めた安堵あんどの雰囲気の中、各車両の被害状況の確認作業が進んでいた。車両本体や警備のハンター達の被害状況が判明するに連れて、その安堵あんどもすぐに憂鬱な雰囲気にき消される。


 指揮官の男がめ息を吐く。


「……何とか乗り切ったと喜びたいところだが、この状況ではそれもままならんな。非常事態体制は継続。都市への救援要請も取り下げなくて良い。6号車と8号車の情報が来てないぞ。どうなってる」


「まだ通信が回復していません。復旧作業中です」


「車内警備の人員を派遣して直接確認させろ。それぐらい出来るだろう」


「派遣済みです。まだ帰還していません。車両を一度閉鎖モードにした影響で、車列の再連結に時間が掛かっている所為せいだと思われます」


「そうか。とにかく急がせろ。車外のハンターにも協力を頼め。あいつらなら未連結の車両でも飛んで確認にいけるだろう」


「了解しました」


 手早く指示が飛ぶ。その後も事態収集作業が続くが、6号車と8号車の情報はまだ届かない。指揮官の顔にも怪訝けげんな様子が浮かび始める。


「おい、6号車と8号車の情報はどうなってる? 流石さすがに遅いぞ。詳細な状況報告は遅れるとしても、簡易的な報告だけでも返させろ」


 職員達がすぐにハンター達と連絡を取る。その結果を聞いた指揮官が緊張を強めた。その内容は、状況確認のために車内に送ったハンター達が戻ってこない、というものだった。数名ずつ何度か派遣したが、全員未帰還の状態が続いていた。ハンターチーム側も流石さすがに不審に思い始めており、ちょうど司令室側に追加の指示を求めたところだった。


 指揮官が決断し、険しい表情で指示を出す。


「ハンター達に6号車と8号車の制圧を指示しろ!」


「せ、制圧ですか?」


「そうだ! 車両への多少の被害も許容するとも伝えろ! 6号車と8号車をすぐにこちらの管理下に戻せ!」


「車内に敵が侵入していると言うのですか!?」


「それぐらいの異常事態を前提に行動させろ! 杞憂きゆうならそれで良い! 急げ!」


 半信半疑の中、司令室の中が再び慌ただしく動き出す。指揮官も自身の判断が間違っていることを望んでいた。だが、その判断は正しかった。




 天井にエルデの蹴りが突き刺さる。天井の装飾部である表層部分が砕けて飛び散り、隔離室の内壁が露出する。直前までその場にいたアキラが、床を頭上にしたまま後方へ飛び退いて蹴りをかわしつつ、両手のLEO複合銃をエルデに向ける。目標は高速フィルター効果により非常に短くなった有効射程の内側にいる。真面まともに当たれば十分殺せる。


 だがエルデには当たらない。大量の銃弾がエルデの横を駆け抜けていく。アキラの照準はエルデが事前に飛ばしていた衝撃波を銃身に食らった所為せいでずらされていた。


 エルデが距離を詰めてくる。アキラが天井を蹴って床に逃れる。そして着地と同時に頭上へ蹴りを放ち、エルデの跳び蹴りに合わせた。


 アキラの蹴りとエルデの蹴りが衝突し、衝突点から室内に衝撃波が飛び散った。強化服の接地機能により、事前に力場装甲フォースフィールドアーマーで足場を強化していたにもかかわらず、アキラの軸足を中心にして床に大きなひび割れが走る。床の表層部が砕けて飛び散っていく。


 アキラが蹴り足を素早く引き、頭上のエルデに銃口を向ける。エルデも空中で蹴り足を引き、両拳で突きを放つ。拳から放たれた衝撃波がアキラの銃に直撃する。高出力の力場装甲フォースフィールドアーマーで保護されている銃には、その程度では傷も付かない。だが射線を狂わせるには十分だ。


 エルデはアキラの射線をずらし、撃ち出される弾幕に亀裂を作る。同時に何も無い宙に力場装甲フォースフィールドアーマーで足場を作り、それを蹴った反動で強引に横に飛ぶ。そして弾幕の亀裂に添ってその場から離脱した。


 その後、どちらも追撃には移らない。アキラとエルデは再度対峙たいじした。


 アキラは非常に険しい表情を浮かべている。銃口が下に向いていたのは偶然で、それを前に向けないのは、対峙たいじの状態から次に進めたくないためだ。


『……アルファ。俺の両足、どうなってる?』


『強化服の方は、まだ大丈夫よ。機能に影響は無いわ。でも力場装甲フォースフィールドアーマーの出力を蹴りに合わせて限界まで上げたから、残存エネルギーを大分消費したわ』


『……生身の方は?』


『追加の回復薬をたっぷり服用しておいて良かったわね』


 アキラも見えてはいないが、自分の両足がぐちゃぐちゃになっていることは何となく分かっていた。治療は高価な回復薬のおかげで急速に進んでいる。だが今は出来れば一歩も動きたくない状態だ。3度目の現実解像度操作の負荷もひどく、脳が耐えきれる限界を激しい頭痛としてアキラに伝えている。今は操作範囲をエルデの周辺に狭めて何とか負荷を軽減していた。


『1対2の時より厳しいぞ。本当に、何でヒカルはこんなやつに襲われてるんだ?』


『あの時に1対3だったら死んでいたわね。不幸中の幸いだったと思っておきましょう』


『俺の運は何でこういつもぎりぎりしか残ってないんだよ……。もうちょっと残っていても良いだろう……』


『時間稼ぎを兼ねて、試しに撤退でも勧めてみたらどう? 運が残っていたら、帰ってくれるかもしれないわ』


 その提案に、アキラが苦笑を浮かべる。口を開いた途端、それを契機にして相手が襲いかかってくるかもしれない。そう思いながらも口を開く。


「なあ、一応言ってみるけどさ、見逃すから帰らないか?」


 エルデが浮かべていた険しい表情に怪訝けげんな色を混ぜる。


「急に弱気になったな。どういう風の吹き回しだ?」


「別にあんたに個人的な恨みがある訳じゃない。それに受けた依頼には、ここまで強いやつと戦うなんて説明はなかった。だから別にあんたを見逃しても、依頼の破棄にはならないと思うし、大丈夫かなって」


「……寛大な提案を有り難く思うが、気持ちだけ受け取っておこう。既に部下を2人も死なせてしまった。その死に報いるためにも、今更引けない」


「じゃあ、仕方無いな」


「ああ、仕方無い」


 少し沈黙を置き、次はエルデから提案する。


「こちらからも、一応提案しよう。退く気は無いか? そちらが俺との戦闘を、そもそも依頼外の事態であり、割に合わないと思っているのなら、撤退も選択肢になるはずだ。依頼破棄による損害も出るだろうが、そこは損切りするべきだろう。企業的な判断をしたらどうだ?」


「いや、それはちょっと……」


「なぜだ? その反応から判断して、割に合わない仕事だとは思っているのだろう?」


「助けてって言われて助けに来たのに、それを相手がちょっと手強てごわいからって途中で止めたりするのは、心情的にちょっと、な」


 そんな真似まねをすると、ただでさえ悪い運が致命的に下がる気がする。アキラもそこまでは口に出さなかった。それを単純に心情的な問題と捉えたエルデが怪訝けげんな顔をする。


「彼女を撃ち殺そうとしていたはずだが?」


「撃とうとはしたけど、ちゃんと外すし、当たったとしても死なない場所に当てるつもりだった。回復薬もあるしな。それに盾代わりにされた時点で、既に殺されたようなものでもある。その状態から何とかするのは交渉人の仕事だ。俺にその交渉技術を求められても困る」


「なるほど。手遅れの基準が非常に厳しいものだったにしろ、助けるつもりはあった訳か」


 少し沈黙を置き、再びアキラが話題を振る。


「それで、何でヒカルを狙ってるんだ? 俺が言うのも何だが、あんたみたいなすごいやつが態々わざわざ狙うような重要人物じゃないと思うんだけど」


「逆に聞こう。重要人物ではないのなら、なぜお前のような護衛が付けられている?」


「別に俺はヒカルの護衛を引き受けた訳じゃない。引き受けたのは輸送車両の護衛だ。ヒカルを助けるのはそのついでだ」


「それを信じると思っているのか?」


「そう言われてもな。じゃあ逆に聞くけど、そっちの認識だとヒカルはどんな重要人物になってるんだ?」


「坂下重工所属の旧領域接続者だ」


 アキラの顔が驚きでゆがむ。自身が旧領域接続者である所為せいで、その表情には単純な驚き以外のものがにじんでしまった。そしてエルデはそのアキラの態度から確信を得てしまう。


「こっちが当たりだったか。部隊を急遽きゅうきょ分けた甲斐かいがあったな」


 アキラが大型ロッカーの中にいるヒカルに聞こえるように叫ぶ。


「ヒカル! 何だか知らないけど、すごい勘違いをされてるぞ! 誤解を解く方法とかないのか!? それとも本当にヒカルは坂下重工所属の旧領域接続者なのか!?」


 だがそれを聞いたヒカルには驚きと混乱しかなかった。ゆがんだ扉の隙間からでも外に聞こえるように叫び返す。


「どういう勘違いをすれば、私が旧領域接続者になるのよ!?」


「知るか! 向こうがそう言ってるんだよ!」


 ヒカルはひどく困惑しながらも、状況の半分は納得した。坂下重工所属の旧領域接続者をさらためならば、輸送車両内でここまでの騒ぎを起こすのもうなずける。そして焦りも強くする。そこまでする相手に対して、それが何かの勘違いだと証明できるような根拠は思い付けなかった。


 加えて、下手に証明できてしまうのも逆に不味まずいと理解していた。相手は旧領域接続者を生かして連れ去るために、ある意味手加減している。違うと証明してしまえば、手加減する理由が無くなってしまう。そうなれば、相手は撤退のために輸送車両の爆破すら実行しかねない。下手なことは言えなかった。


「ア、アキラ! とにかく頑張って! お願い!」


無茶苦茶むちゃくちゃ言ってくれるな……」


 少なくとも、説得は無理だ。アキラはヒカルの様子からそう理解して苦笑いを浮かべた。エルデも少し楽しそうに笑う。


「上司の傲慢に付き合えないのなら、我慢する必要はないぞ? さっきも言った通り、退いてくれればそれで良い。本当に知らなかったのなら、旧領域接続者の護衛など、危険すぎて依頼の前提条件を十分に覆す内容だ。今から退いても、依頼の破棄には当たらないと思うが?」


 ロッカーの中で耳を澄ませていたヒカルがそれを聞いて震え出す。


「待って! 逃げないで! お願い! 助けて! 何でもするから!」


「……報酬はしっかり弾んでもらうぞ!」


「わ、分かったわ!」


 アキラがエルデに向けて軽く笑う。


「一応、割に合う報酬になったぞ」


 エルデも軽く笑って返す。


「そうかな? その金をあの世に持っていけない以上、割に合わないことに違いはないと思うがね」


「ちゃんとこの世で使い切るよ」


「無理だな」


 お互いに不敵に笑い合う。そしてどちらもそろそろこの無駄話の切り上げ時だと思い始める。


 この無駄話はただの時間稼ぎだ。アキラは両足の治療と脳の負担の軽減のためだ。そしてエルデも身体への負荷を和らげるためだ。蹴りの衝突の負荷は、どちらにも大きな負傷を与えていた。相手が動かないのであれば、負傷の回復を優先したい。その思惑が一致するほどに。両者の脚がある程度治るまで、時間は両方の味方だった。


 しかし時間稼ぎが進むほど、その恩恵を得る割合はアキラに傾き始める。時間経過で拡張粒子気体の濃度が薄まり、高速フィルターの効果が下がった分だけ、銃の射程は少しずつ伸びていく。高速フィルター効果を応用した衝撃の伝播でんぱも困難になる。


 何よりも、エルデには任務での時間制限がある。警備側が異常事態を察知する前に、目標を奪取して離脱しなければならない。警備側の増援が駆け付ければ、それでアキラの勝ちだ。時間稼ぎをずっと続けた場合、時間はアキラの味方だった。


 時間経過の害が利を上回るまで、残り数秒。エルデが先に決断し、アキラがそれを察する。表情から笑みが消え、鋭さが増していく。次の交戦で、最低でもどちらかが死ぬ。それは相手だ。そう覚悟を決めていく。極度の集中が、その数秒をどこまでも引き伸ばしていく。


 その最中、アルファが非常に険しい表情で告げる。


『アキラ。向こうは切り札か奥の手を使うつもりよ』


『だろうな』


『私の計算だと、このままでは負けるわ』


『アルファのサポートでもお手上げだって、今更言われても困るんだけどな』


 アキラが苦笑気味にそう答えると、アルファが顔を近付けてくる。


『そうは言っていないわ。でもこのままでは確実に殺されるのも事実よ。だから、それだけ危機的な状況だと理解した上で、その危機に対応するために、アキラに際疾きわどいことをやっても良い? その許可が欲しいの』


 アキラも流石さすが怪訝けげんに思う。


『そういうことは、もっと早く事前に言ってほしいんだけど』


 アルファも真面目に答える。


『前にも言ったけれど、その時点では、許可を得る許可が無いのよ。こんな状況でもないとね』


『ああ、あの面倒臭い許可の話か』


『改めて言っておくわ。私がアキラに依頼をしている立場。その前報酬としてアキラをサポートしている以上、アキラに不利益を与えるつもりは無いわ。だから、信じて許可を出してくれる?』


 アキラが迷いもせずに答える。


『今更だ。何をするつもりか知らないけど、俺も死にたくない。やってくれ』


 アルファがうれしそうに笑う。そしてその表情が事務的なものに変わる。


『危機的状況下において、アキラに対するより高度なサポートの実施を円滑に行うために、追認前処理意識情報の取得、及び部分介入を……』


『許可する』


 受諾処理が終わり、アルファの顔に表情が戻る。非常にうれしそうな、自信のあふれた笑顔がアキラに向けられる。


『ありがとう。私のサポートさえあれば、もう大丈夫よ』


『本当に頼む。あれだけ強いやつが決死で向かってくるんだ。何とかしてくれ』


『任せなさい。でも、アキラの負担もすごいから、そこは覚悟を決めておいてね?』


『分かったよ。そっちは俺の担当だからな』


 アキラとアルファが笑い合う。ある意味で、クズスハラ街遺跡での通信障害により一度切れたつながりは、今ようやく再接続された。

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