第221話 妥協前提の取引

 ユミナは何とか意識を保っていた。しかしそれだけだ。状況を自力で改善できるような手段は何もない。強化服は機能を停止している。体力も限界に近い。すべも無く、ティオルに半ば引きられるように運ばれているだけだ。


 それでも千載一遇の機会に備えるために、意識を保ってティオルを観察し続けていた。反応を引き出して何らかの情報を得ようと、何度か話しかけたり罵倒したりもしてみた。だがティオルは一切反応を示さなかった。現状でユミナに唯一できることは推察ぐらいだが、その結果も思わしくない。


(……この人、本当に何なの? いえ、人、なの? もしかして、ちょっと前に聞いた人型のモンスターなの? でもそうなら、私をさらって私達とあの人を潰し合わせる真似まねなんてするの? 私の扱いは飽くまでおとり。人質にしてカツヤを脅すようなことはしない。訳が分からないわ……)


 ユミナもハンターとして死は覚悟しているが、それでも怖いものは怖い。だが今は死の恐怖より困惑の方を強く感じていた。


 そこにアキラが現れる。ティオルはアキラがカツヤと戦うのを嫌がって逃げた時にすぐに後を追えるように比較的近い距離を保っていた。加えて全力で移動した負荷でユミナを殺してしまわないように移動速度を抑えていた。その所為せいで、カツヤを振り切ったアキラに追い付かれたのだ。


 アキラが銃をティオルに向ける。ティオルが再びユミナをかばう体勢を取る。それを確認したアキラが銃撃を牽制けんせい目的のものに変えながら駆け出し、相手との距離を一気に詰めていく。そして刀の間合いに入るのと同時に、発光する刃を勢い良く振り抜いた。


 ティオルもユミナをかばって死ぬような真似まねはしない。全力で回避行動を取る。だがアキラの狙いには気付けなかった。


 ティオルに届いた刃は、力場装甲フォースフィールドアーマーの衝撃変換光を辺りに飛び散らせながら、その腕を斬り飛ばした。砲口の方ではなく、ユミナをつかんでいる方の腕だ。アキラの狙いは初めからティオルからユミナを奪うことだった。


 続けざまの斬撃を、ティオルが大きく飛び退いてかわそうとする。刀身の間合いから完全に逃れていた。だが輝く刀身から放たれた光刃、切断能力を持った光の波に体を切り裂かれる。しかしその程度では今のティオルを両断するにはほど遠く、その体に斬撃の跡を引くだけに終わった。


 ティオルが飛び退きながら砲口の腕をアキラに向けて砲撃する。アキラが斬撃を飛ばしてそれを迎撃する。撃ち出された瞬間に両断された砲弾が爆発し、周囲を爆煙で包み込んだ。


 爆煙が晴れた時、ティオルは既に姿を消していた。アキラが警戒を解いて軽く息を吐く。


(逃げたのか、あるいは別のおとりを探しに行ったのか。取りあえず、近くにはいないな)


 そのまま視線を床に向け、死にかけの状態で転がっているユミナの様子を確認する。


(……こいつも、死んではいないか。意識は、あるな)


 アキラは少し迷った後、ユミナを片手でつかんで引き起こす。そしてその口に回復薬を強引に詰め込んだ。得体の知れない物を口に無理矢理やり詰め込まれる感覚に、ユミナが顔を思わず大きくゆがめる。


「回復薬だ。ごちゃごちゃ言わずに飲み込め。喉の奥まで力尽くで詰め込まれたくなかったらな」


 ユミナも流石さすが怪訝けげんに思う。だがアキラにうそを吐いている様子は無く、うそだったとしても逆らう術はない。大人しく飲み込むとすぐに効果が表れ、自力で立てる程度には回復した。表情に困惑をあらわにしながら、いぶかしむ視線をアキラに向ける。


「……何の真似まね? どういうつもり? どうして私を助けたの?」


「取引がしたい」


「取引?」


 ますます困惑するユミナに、アキラが真面目な表情で続ける。


「まず、言っておく。お前らは俺がお前をさらったやつと手を組んでいると思っているんだろうが、誤解だ。あいつが俺にお前らの相手を押し付けようとしただけだ。次に、俺は別にお前らと敵対するつもりは無い。そっちが俺を殺しにきてるから反撃しているだけだ。放っておいてくれさえすれば、俺から仕掛けるつもりは無い。何ならそっちと一時的に手を組んだって良い」


「それを信じるとでも……」


「黙れ」


 アキラがユミナに銃を突き付ける。無駄口をたたけば殺す。その意思を口調と視線と銃口で明確に伝える。ユミナは表情を険しくして口を閉ざした。


 しばらくの沈黙を挟み、アキラは相手の態度の確認を終えてから、銃を下ろして本題に入る。


「まあ、手を組めるほど信じられるとは思ってない。お互いにな。だから少し妥協した内容で取引だ。そっちと停戦したい。殺し合えないほど十分に距離を取りたい。それを戻ってそっちのリーダーに伝えてほしい。また証拠がどうこうとか言い出すんだろうから、2つ提示する。1つは、お前を生かして帰すことだ。あいつを斬って助けてやっただろう? これだけでも俺があいつと敵対している証拠になるだろうが、もう1つだ。あいつは俺が殺してやる。俺1人でな。取引成立なら、俺はビルの上の方であいつと戦ってるから、お前らは下の方にいるか、ビルの外に出れば良い。あいつらがお前を助けにここに来たのなら、目的達成だ。それで良いだろう? お前の救出はただついでで、飽くまでも俺を殺しに来たって言うのなら、仕方無い。俺も死にたくない」


 アキラが口調に殺意を込める。


「皆殺しにしてやる」


 記憶に残る濃密な殺意をぶつけられ、流石さすがにユミナもたじろいだ。だが立場や心情から即答も出来ない。


「……私がその話を受けたとして、私の仲間がそれを受けると思っているの?」


「味方に多数の犠牲者を出してでも救出しようとするぐらいなんだ。多少は発言力があるんじゃないかと期待してる。救出が目的だった場合の話だがな」


「……断ったら?」


「そいつらを説得するまでがお前との取引だ。停戦を受けるかどうかはお前達との取引だ。お前が断るなら、お前はこの場で殺す。生かして帰してそっちの戦力を増やすつもりは無い。お前達が断るのなら、さっきも言った通り、皆殺しだ。意見が割れるのなら、死にたくないやつは下がってろと伝えておけ」


 アキラが再びユミナに銃を突き付ける。


「返事を聞こう。悪いが早めに答えてくれ。長々と迷ってしまうほどに判断が揺れているのなら、取引成立後に真面目に約束を守るかどうか、俺が、お前を、信じられない。カウントなんかしねえぞ」


 アキラは銃を突き付けながらユミナをじっと見ている。口先だけの返事なら、内容を問わずに即座に殺す。目がそう訴えている。


 ユミナは決断した。


「……分かったわ」


 アキラはそれでも銃を向けたままユミナをしばらくじっと見ていた。そして、少なくともあからさまなうそではないと判断しても、銃は下ろさなかった。代わりに顎で通路を指す。


「またさらわれても面倒だ。近くまでは送ってやる。行け。俺の前を歩け。振り向こうとした時点で、気が変わったと見做みなして、殺す」


 ユミナが両手を軽く上げて歩き始める。アキラもその後に続く。ユミナの背を見て、相手の視界から自分の姿が完全に消えたと判断してから銃を下ろし、大きく息を吐いた。


(どうなるかな。アルファがいればうそを見破ってくれるんだけど、俺には分からないんだよな)


 アキラは基本的に相手を信じられない。正確には、相手が自分を信じてくれるとは信じられない。その考えがこびりつき、にじみ出たものが相互に疑念を招き、破綻する。その結果がその考えを強めるという悪循環を繰り返していた。


 それでもハンターとなってからの様々な経験で多少は改善されてきた。ユミナに取引を提案したことも、その改善の結果だ。


(取りえず話を聞いて、提案を受け入れた振りをして、俺とあいつが殺し合ってどっちかが死んでから、消耗した残った方を殺す。そう判断してくれれば上出来なんだが、どこまで都合良くいくかな?)


 アキラは浮かんだ希望的観測に期待する前に、顔をしかめて現実的な状況を予測し始めた。




 ティオルがビルの中を彷徨さまよっている。


「えっと、次は、何をするんだっけ……?」


 うろ覚えの予定を思い出そうとするように、どこかぼんやりとした様子でつぶやき続けるが、その頭に具体的な指針が浮かぶことはなかった。そのままビル内を当てもなく進んでいく。


 その途中でカツヤ達と出会うことは偶然なかった。だがその死体とは出会った。アキラに殺されて無残な姿となった少女達が足下に転がっている。銃などの装備品も近くに転がっていた。


 ティオルがそれらを見て小首をかしげる。


「武器の調達……だっけ? 違う? でも要るか……」


 銃を拾って引き金を引こうとする。だが引き金はしっかりと固定されていた。使用者権限がないと使用できない安全装置が働いているのだ。強化服並みの身体能力で無理矢理やり引くと、引き金の部分が壊れてしまった。


「使えない……。どうすれば……?」


 少し間を空けた後、ティオルが当たり前のことに気付いたようにその手段を平然と口に出す。


「ああ、えば良いのか」


 ティオルが銃を捨てる。残っている片腕に亀裂が走り、いびつな大口に変わっていく。その大口が床に転がっている少女達の死体にかじり付いた。かつて巨人に変わった時、あれ程の精神的苦痛を味わった食事を、ティオルは平然と行っていた。


 現在のティオルの体は、ヤツバヤシによる改造で戦闘能力を飛躍的に向上させてはいるが、元々十全な自律行動機能など備えていない遠隔操縦用端末だ。その所為せいで人格を保全する領域は少なく、ティオルの人格を詰め込んで活性化すると、もう余裕はほとんど残っていなかった。


 その状態でティオルは踏み込みを誤った。意識をシステム側に偏らせすぎた。その結果、領域をシステム側に上書きされる形で侵蝕しんしょくされ、人格としての意思を著しく損耗させてしまった。その自己はかつての自分の考えをなぞるのが精一杯なほどに、自分の名前すらうろ覚えになっていることに気付けないほどに、非常に弱まっていた。


 食事が進んでいく。床に転がる死体の体積が減っていくのに合わせて、ティオルの切り落とされた方の腕の肩の辺りから複数の腕が生えていく。腕は異常に長く、明らかに体格と一致していない。肘の数も普通ではなかった。それらの腕が床に転がっている銃をつかむ。銃の制御装置は持ち手を本人と認識して安全装置を解除した。


 食事が終わった時、場の死体は全て消えせていた。そこには血まりだけが残っていた。壊れていない銃は新たに生えた腕がつかみ、壊れていた銃は強化服等と一緒にわれて新たな武装の材料となった。


「足りない、か?」


 当座の行動指針を得たティオルが駆けていく。アキラに殺された少女達はまだまだ残っている。




 カツヤがビル内を仲間達と一緒に慎重に進んでいると、近付いてくるユミナの反応に気付く。驚きながらも反応のもとに急ぐと、少し長めの通路の向こうからゆっくり歩いてくるユミナの姿を見付けた。


「ユミナ!」


 カツヤはうれしそうな表情で思わず声を上げた。だがその表情も、ユミナの背後で銃を構えているアキラに気付くと、すぐに非常に険しいものに変わった。


 アキラとカツヤ達がユミナを挟んで銃口を向け合う。だが流石さすがにどちらも発砲しない。そしてユミナがカツヤ達にある程度近付くと、アキラは素早く後方に下がってそのまま姿を消した。カツヤが急いでユミナに駆け寄る。


「ユミナ! 大丈夫か!?」


 ユミナはカツヤの様子から、もう振り向いても大丈夫だろうと判断して振り向いた。既にアキラの姿は無いが、その意思はまだそこに残っているような気がして、複雑な表情を浮かべる。


「死にはしないけど、大丈夫って言えるほどじゃないわね。ごめん、悪いけど戦力には考えないで」


「良いんだ。無事ならそれで良い」


 アイリが奥を警戒しながら提案する。


「カツヤ。一度戻った方が良い。流石さすがに今のユミナを連れて進むのは無謀」


「そ、そうだな。戻ろう。ユミナ。肩を貸した方が良いか?」


「大丈夫。一人で歩けるわ」


「分かった。殿しんがりは俺がする。アイリは前で警戒を頼む。よし。みんな、慎重に戻るぞ」


 皆がカツヤの指示で動き出す。ユミナはアキラが去った方向にもう一度複雑な表情を向けた後、深いめ息を吐いてから皆に続いた。アキラとの取引をカツヤ達にどう説明すればいいのか。それを悩んでいるユミナの顔は疲労も合わせて重苦しいものになっていた。


 カツヤはそのユミナの様子を案じながらも、安堵あんどの笑みを浮かべている。


(やっぱり負傷がひどいのか。でも、今度は助け出せた。本当に、無事で良かった)


 その後カツヤ達は1階の広間まで戻ると、そこで籠城するように陣を張った。無事な者が周囲を念入りに警戒して安全を保ちながら、負傷者の治療も進める。車両からの物資を運び出し、更なる襲撃にも備えていた。


 そして部隊の隊長と副隊長であるカツヤ、ユミナ、アイリの3人は今後の方針を検討していた。ユミナからアキラの取引の話を聞いたカツヤが顔を険しくしている。


「……あいつの話を信じろって言うのか?」


「少なくとも、私には彼がうそいているとは思えなかったわ。私を助けてくれたのは本当。その後に私を人質にも盾にもしなかったのも本当。そこまでは事実よ」


「だからって……、あいつに何人殺されてると思ってるんだよ」


「それはそうだけど……」


 ユミナもアキラを信じろとまでは言えない。だがカツヤも全部でたらめまでとは言えない。どちらも様々な感情が入り交じり、強気にも出られない。結論は出そうになかった。


 アイリはカツヤが決めたことならば結論が何であれ異存は無かった。カツヤが決めたことに従う。その程度の認識でしかない。だが無駄に時間を費やすのもどうかと思い、暫定案を提示する。


「取りえず、あの2人が戦うだけなら私達には利益しかない。しばらく様子を見るとして、その間に仲間を運んでおきたい。死体であっても連れて帰りたい。それに、まだ間に合う人もいるかもしれない。その間に状況が変わる可能性もある。今は結論は後回しでも良いと思う」


 カツヤ達の部隊には緊急時の延命機能追加処置を受けている者もいる。思想や信条、予算の都合などもあって全員ではない。ネリアのように生首になっても平然としていられるような高度なものでもない。それでも常人ならどう考えても死亡している状態を、ハンターの感覚にける重傷程度に抑えることは出来る。


 間に合う者がいるかもしれない。そう言われればカツヤにも異存はない。


「そうだな。分かった。じゃあ俺が何人か連れて行ってくる。アイリ達はここで警戒を続けてくれ」


 だがそれをユミナがきつい口調で止める。


「駄目よ。カツヤはここにいて。アイリ。悪いけど代わりに行って。無理はしない。何かあったらすぐに戻ってくる。それでお願い」


「分かった。ユミナはカツヤを見張っておいて」


「任せて」


 ユミナ達の余りに当然のようなり取りに、カツヤが軽い戸惑いを見せる。


「えっ? 俺は駄目なの?」


「駄目よ。カツヤを行かせたら、また1人で飛び出すでしょう? 絶対駄目」


「駄目。カツヤはここで指揮をしていて」


「いや、大丈夫だって。信用無いな」


「無いわ」


「無い」


「あ、はい」


 カツヤはユミナ達の気迫に押されて、たじろぎながらうなずくしかなかった。




 アイリが部隊員を数人連れてビル内を回っている。仲間の救出、あるいは死体の回収のためだ。


 見るも無惨な姿であっても助かるかもしれない。一見気絶しているだけであっても手遅れかもしれない。延命機能追加処置を受けているかどうかも、それが正常に機能しているかどうかも分からない。アイリ達は自分達には分からないのだと割り切って、仲間達を機械的に死体袋に詰めていた。その後に陣まで運び、また出発する。それを繰り返していた。


 その作業の途中で、アイリがある場所の光景を見て怪訝けげんそうに顔をゆがめた。床には大量の血が流れている。だがそれを流した者達の姿がどこにもない。


(この出血量なら4人は倒れていないとおかしい。でも誰もいない。自力で移動したとは思えない。ビルの自動清掃機能が生きていて掃除された? それとも人を食べるタイプのモンスターが潜んでいた? 分からないけど、何かあったのは事実……)


 アイリが表情を引き締めて皆に指示を出す。


「もう戻る。警戒して」


 いろいろと欠けているつたない指示内容だったが、仲間達はローカルネットワークを介して指示の詳細や背景まで無意識に理解していた。アキラとティオル以外にも敵がいる懸念をカツヤ達にすぐに確実に伝えなければならない。この近くにも潜んでいるかもしれない。そう理解して疑問など全く覚えずに、周囲にモンスターが潜んでいる前提ですぐに警戒態勢を取る。


 アイリ達はそのままゆっくりと後退してカツヤ達のもとに戻っていった。




 ティオルは作業中のアイリ達を離れた場所から狙っていた。複数の腕で複数の銃を構え、それぞれの照準器でそれぞれの目標に照準を定める。そして引き金を引こうとする。


 だが引けなかった。アイリ達の姿を捉えた照準器が目標を味方と判断し、誤射防止の安全装置を働かせて引き金を固定したのだ。


「撃てない……。何でだ……?」


 ティオルが不思議そうな様子で銃を下ろすと、引き金の固定が解除される。


「こっちには使えないのか……。じゃあ、あっちか……?」


 ティオルの思考が進んでいく。アイリ達を襲って追加の武器を手に入れる。現在の銃ではアイリ達を攻撃できない。別の目標に変える。近くにいる目標はアキラしかない。


 そこまで進んだ思考に、行動としては微妙な、だが決定的な差が生まれた。システム寄りの思考ならば次の行動指針は、追加の武器を手に入れるためにアキラを襲う、となる。しかしそうはならなかった。アキラを襲うという行動はそのままに、行動の目的が、アキラを殺す、に切り替わる。


「……そうだ。あいつを殺さないと」


 どこか無表情だったティオルの表情に感情が生まれ、激しさを増していく。システム側に偏りすぎた所為せいで消えかけていた自意識が急激に勢いを増し、意識の主導権をシステムから取り戻す。


「あいつさえ殺せば!」


 激情で自意識を取り戻したティオルが感情のままに走り出す。その感情は今のティオルの自意識を支える唯一のものだ。人格を保全する領域をシステム側に上書きされて、様々なものが失われた状態であることにも気付けずに、アキラのもとへ全力で駆けていく。


 アキラを殺しさえすれば願いがかなう。全て上手うまくいく。その盲信のままに望みをかなえにいく。自分が何を望んでいたのか、それすら忘れたままに。




 アキラはビルの上層で一息吐いていた。弾薬等の再装填を済ませると、ついに予備の弾薬類を詰めていたリュックサックの中身が尽きた。空になった中を見て苦笑を浮かべ、リュックサックを投げ捨てる。


 ユミナとの取引でティオルを殺すと約束したが、自分から探しにいくつもりはなかった。休憩を兼ねてティオルが来るのをじっと待つ。


(あいつらが潰し合ってくれれば楽なんだが、まあ、無いな)


 自分とカツヤ達が距離を取って戦闘を避けた場合、ティオルはカツヤではなく自分を優先して殺しにくる。そう告げる嫌な予感に、アキラは疑いを持たなかった。


 アキラがユミナとの取引でティオルの殺害を提示したのは、ティオルと戦う時にカツヤ達まで相手にするのを避けるのが目的だ。初めからカツヤ達との取引の成立とは無関係に殺すつもりだった。


 ティオルがこのビルに来たのは偶然ではない。自分の位置を明確に把握した上でカツヤ達を連れてきた。アキラは既にそのことに気付いていた。確実に殺しておかなければ、何度でも同じことを繰り返される。今後の脱出にも致命的に差し支える。そう判断していた。


 ティオルを殺し、必要ならその後にカツヤ達も殺す。出来ればティオルだけで済ませたい。それが無理でもカツヤ達を殺すのは別の機会にしたい。そう願いながらも、そうなるとは全く思えなかった。


(両方来るんだろうなー。せめて別々に時間を分けて来てくれよ?)


 アルファは情報収集機器の収集データを、アキラを介して取得している。今はアルファとの接続が切れているが、データそのものは今もアキラに送られている。アキラはそのノイズの塊のような未加工データを、かつて以上の鋭さを得た自身の探知予測能力で加工した。つまり、勘を働かせて敵の気配を探った。


 勘は十全に機能した。アキラが視線を床下に、敵の方向に向ける。


「来たな……」


 気配は感覚的に部隊行動のものではない。恐らくティオルだけが向かってきている。アキラがそう判断して険しい表情を僅かに緩める。だがすぐに顔を引きらせると、その場から全力で飛び退いた。


 一瞬遅れて床の一部が盛大に吹き飛び大穴が開いた。その穴からティオルが飛び上がってくる。階下から天井を強力な砲撃で吹き飛ばして通り道を空けたのだ。


(そこから来るのは予想外だった! 階段ぐらい使えよ!)


 大きく距離を取ったアキラは振り向きざまにSSB複合銃をティオルに向けると、無数の誘導徹甲榴弾りゅうだんを撃ち出した。自身に殺到する榴弾りゅうだんの群れに対し、ティオルは無数の腕で持つ無数の銃で一斉射撃を実施して、迎撃しつつアキラに弾幕を浴びせようとする。


 迎撃は成功した。だがアキラの行動が僅かに早かったことで、無数の榴弾りゅうだんは既にティオルに大分近い距離まで迫っていた。比較的狭い室内で無数の爆発が一度に起こり、逃げ場を失った衝撃が威力を増幅させ、部屋ごと吹き飛ばそうと荒れ狂う。


 部屋の外まで飛び退いていたアキラも出入口から吹き出た爆風で吹き飛ばされた。そのまま通路を勢い良く飛ばされていき、奥の壁にたたき付けられる。


 激突の衝撃で壁に出来たくぼみと深いひび割れを背にして、アキラが口から出かかった血反吐ちへどを飲み込み直す。その血反吐ちへどにも過剰摂取した回復薬の効果が残っている。今のアキラにそれを吐き捨てるような贅沢ぜいたくは出来ない。


 余波でこの威力なのだ。直撃に近い状態だった相手はもっとひどい有様なはず。流石さすがに倒せたか。そう期待して通路の先に漂う爆煙に視線を向ける。


(やったか?)


 次の瞬間、アキラは視線の先から返答の気配を察すると、その場から素早く飛び退いた。僅かに遅れて銃弾と砲弾が殺到し、その物量で壁を粉砕した。


「頑丈すぎるぞ! 本当に人型兵器並みか!? 勘弁してくれ!」


 アキラは思わず顔をしかめて愚痴を吐きながら通路の横道に身を隠した。




 ティオルも流石さすがに無傷とはいかず、かなりの痛手を負っていた。顔は血まみれで、腕も数本千切れている。足も片方失っている。全身を襲った衝撃で身体内部はぐちゃぐちゃだ。


 だがそれでも意気は全く衰えていない。比較的無事な腕ですぐにアキラを銃撃する。その反動で更に腕が数本千切れたが、意に介さずに撃ち続けた。


 アキラに逃げられると銃撃を止める。肩から生えた無事な腕が、千切れた腕や散らばった銃を拾い始める。そして頭部の口でも腕の口でもそれらを食べ始めた。肩から腕が再び生えていく。体からは治療の進む音が、機械類の修理を強引に推し進めているようにも聞こえる異音が出ている。千切れた足の付け根からは、銃を溶接して義足にしたようないびつな足が生え始めた。


 ティオルは自身の修復を終えると、すぐにアキラを追って走り出した。




 アキラは逃げながら巧みに有利な位置に移動し続けている。通路の角を遮蔽物にして銃撃し、危ないと思ったらすぐに迷わずに次の場所に移動する。


 一方ティオルは一見無謀にも思える強襲を続けていた。被弾など知ったことではないとでも言うように、自身の無尽蔵の生命力の前には無意味だとでも伝えるように、全く躊躇ためらわず射線に身をさらして弾丸を浴びていた。そしてアキラを遮蔽物ごと粉砕するように無数の腕で苛烈に銃撃し続けていた。


 その激しい戦闘の余波で壁は粉砕され、穴だらけとなり、一部では通路と部屋の区切りが無くなりかけていた。その攻防の中、ティオルの猛攻に押され続けて険しい表情を浮かべていたアキラに、ある疑念が浮かび始める。


(あいつ、戦い方が随分雑になってるな。何だか知らないが腕も随分増えてるし、その所為せいか? 腕の操作で手一杯で、真面まともに動けていないのか?)


 今のティオルには車の上で三つどもえの攻防を繰り広げていた時の機敏な動きなど見る影も無い。被弾しても倒れない身体能力と、ひるまずに突き進む戦意はアキラから見ても見事だ。だが戦闘技術に関しては著しく低下していた。


 それはティオルがシステム側から自意識を強引に奪った弊害だった。システムと自意識の記憶領域内の共存が著しく乱れた所為せいで、システム側からの支援が真面まともに動いていないのだ。


 これならこのまま距離を取って戦っていればいずれ勝てる。無意識にそう思い、それを自覚した途端に、アキラの顔が険しくゆがむ。その戦法で勝つためには十分な弾薬が要る。だが今のアキラには弾薬の余裕など無い。


(こいつに残りをぎ込めば、ぎりぎり勝てる、か?)


 そう僅かに迷ったが、その迷いはすぐに別の懸念に押し潰された。更に表情を険しくして首を横に振る。


(駄目だ。こいつに勝っても、その後に連中が来る。ここで残弾を使い切ったら連中と銃無しで戦う羽目になる。そもそも残りをぎ込んでも倒せるかどうか分からないんだ)


 自分は依然として追い詰められている。それを覆さなければならない。優勢になっていると勘違いしかけた思考に叱咤しったを入れて、現状を覆す手段を模索する。


 一応、その案は浮かんだ。しかしその案はアキラの表情をより険しくさせた。


「……。やるしかないか」


 アキラは覚悟を決めた。

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