第221話 妥協前提の取引
ユミナは何とか意識を保っていた。しかしそれだけだ。状況を自力で改善できるような手段は何もない。強化服は機能を停止している。体力も限界に近い。
それでも千載一遇の機会に備える
(……この人、本当に何なの? いえ、人、なの? もしかして、ちょっと前に聞いた人型のモンスターなの? でもそうなら、私を
ユミナもハンターとして死は覚悟しているが、それでも怖いものは怖い。だが今は死の恐怖より困惑の方を強く感じていた。
そこにアキラが現れる。ティオルはアキラがカツヤと戦うのを嫌がって逃げた時にすぐに後を追えるように比較的近い距離を保っていた。加えて全力で移動した負荷でユミナを殺してしまわないように移動速度を抑えていた。その
アキラが銃をティオルに向ける。ティオルが再びユミナを
ティオルもユミナを
ティオルに届いた刃は、
続けざまの斬撃を、ティオルが大きく飛び
ティオルが飛び
爆煙が晴れた時、ティオルは既に姿を消していた。アキラが警戒を解いて軽く息を吐く。
(逃げたのか、
そのまま視線を床に向け、死にかけの状態で転がっているユミナの様子を確認する。
(……こいつも、死んではいないか。意識は、あるな)
アキラは少し迷った後、ユミナを片手で
「回復薬だ。ごちゃごちゃ言わずに飲み込め。喉の奥まで力尽くで詰め込まれたくなかったらな」
ユミナも
「……何の
「取引がしたい」
「取引?」
ますます困惑するユミナに、アキラが真面目な表情で続ける。
「まず、言っておく。お前らは俺がお前を
「それを信じるとでも……」
「黙れ」
アキラがユミナに銃を突き付ける。無駄口を
「まあ、手を組めるほど信じられるとは思ってない。お互いにな。だから少し妥協した内容で取引だ。そっちと停戦したい。殺し合えないほど十分に距離を取りたい。それを戻ってそっちのリーダーに伝えてほしい。また証拠がどうこうとか言い出すんだろうから、2つ提示する。1つは、お前を生かして帰すことだ。あいつを斬って助けてやっただろう? これだけでも俺があいつと敵対している証拠になるだろうが、もう1つだ。あいつは俺が殺してやる。俺1人でな。取引成立なら、俺はビルの上の方であいつと戦ってるから、お前らは下の方にいるか、ビルの外に出れば良い。あいつらがお前を助けにここに来たのなら、目的達成だ。それで良いだろう? お前の救出は
アキラが口調に殺意を込める。
「皆殺しにしてやる」
記憶に残る濃密な殺意をぶつけられ、
「……私がその話を受けたとして、私の仲間がそれを受けると思っているの?」
「味方に多数の犠牲者を出してでも救出しようとするぐらいなんだ。多少は発言力があるんじゃないかと期待してる。救出が目的だった場合の話だがな」
「……断ったら?」
「そいつらを説得するまでがお前との取引だ。停戦を受けるかどうかはお前達との取引だ。お前が断るなら、お前はこの場で殺す。生かして帰してそっちの戦力を増やすつもりは無い。お前達が断るのなら、さっきも言った通り、皆殺しだ。意見が割れるのなら、死にたくないやつは下がってろと伝えておけ」
アキラが再びユミナに銃を突き付ける。
「返事を聞こう。悪いが早めに答えてくれ。長々と迷ってしまうほどに判断が揺れているのなら、取引成立後に真面目に約束を守るかどうか、俺が、お前を、信じられない。カウントなんかしねえぞ」
アキラは銃を突き付けながらユミナをじっと見ている。口先だけの返事なら、内容を問わずに即座に殺す。目がそう訴えている。
ユミナは決断した。
「……分かったわ」
アキラはそれでも銃を向けたままユミナを
「また
ユミナが両手を軽く上げて歩き始める。アキラもその後に続く。ユミナの背を見て、相手の視界から自分の姿が完全に消えたと判断してから銃を下ろし、大きく息を吐いた。
(どうなるかな。アルファがいれば
アキラは基本的に相手を信じられない。正確には、相手が自分を信じてくれるとは信じられない。その考えがこびりつき、
それでもハンターとなってからの様々な経験で多少は改善されてきた。ユミナに取引を提案したことも、その改善の結果だ。
(取り
アキラは浮かんだ希望的観測に期待する前に、顔を
ティオルがビルの中を
「えっと、次は、何をするんだっけ……?」
その途中でカツヤ達と出会うことは偶然なかった。だがその死体とは出会った。アキラに殺されて無残な姿となった少女達が足下に転がっている。銃などの装備品も近くに転がっていた。
ティオルがそれらを見て小首を
「武器の調達……だっけ? 違う? でも要るか……」
銃を拾って引き金を引こうとする。だが引き金はしっかりと固定されていた。使用者権限がないと使用できない安全装置が働いているのだ。強化服並みの身体能力で無理
「使えない……。どうすれば……?」
少し間を空けた後、ティオルが当たり前のことに気付いたようにその手段を平然と口に出す。
「ああ、
ティオルが銃を捨てる。残っている片腕に亀裂が走り、
現在のティオルの体は、ヤツバヤシによる改造で戦闘能力を飛躍的に向上させてはいるが、元々十全な自律行動機能など備えていない遠隔操縦用端末だ。その
その状態でティオルは踏み込みを誤った。意識をシステム側に偏らせすぎた。その結果、領域をシステム側に上書きされる形で
食事が進んでいく。床に転がる死体の体積が減っていくのに合わせて、ティオルの切り落とされた方の腕の肩の辺りから複数の腕が生えていく。腕は異常に長く、明らかに体格と一致していない。肘の数も普通ではなかった。それらの腕が床に転がっている銃を
食事が終わった時、場の死体は全て消え
「足りない、か?」
当座の行動指針を得たティオルが駆けていく。アキラに殺された少女達はまだまだ残っている。
カツヤがビル内を仲間達と一緒に慎重に進んでいると、近付いてくるユミナの反応に気付く。驚きながらも反応の
「ユミナ!」
カツヤは
アキラとカツヤ達がユミナを挟んで銃口を向け合う。だが
「ユミナ! 大丈夫か!?」
ユミナはカツヤの様子から、もう振り向いても大丈夫だろうと判断して振り向いた。既にアキラの姿は無いが、その意思はまだそこに残っているような気がして、複雑な表情を浮かべる。
「死にはしないけど、大丈夫って言えるほどじゃないわね。ごめん、悪いけど戦力には考えないで」
「良いんだ。無事ならそれで良い」
アイリが奥を警戒しながら提案する。
「カツヤ。一度戻った方が良い。
「そ、そうだな。戻ろう。ユミナ。肩を貸した方が良いか?」
「大丈夫。一人で歩けるわ」
「分かった。
皆がカツヤの指示で動き出す。ユミナはアキラが去った方向にもう一度複雑な表情を向けた後、深い
カツヤはそのユミナの様子を案じながらも、
(やっぱり負傷が
その後カツヤ達は1階の広間まで戻ると、そこで籠城するように陣を張った。無事な者が周囲を念入りに警戒して安全を保ちながら、負傷者の治療も進める。車両からの物資を運び出し、更なる襲撃にも備えていた。
そして部隊の隊長と副隊長であるカツヤ、ユミナ、アイリの3人は今後の方針を検討していた。ユミナからアキラの取引の話を聞いたカツヤが顔を険しくしている。
「……あいつの話を信じろって言うのか?」
「少なくとも、私には彼が
「だからって……、あいつに何人殺されてると思ってるんだよ」
「それはそうだけど……」
ユミナもアキラを信じろとまでは言えない。だがカツヤも全部でたらめまでとは言えない。どちらも様々な感情が入り交じり、強気にも出られない。結論は出そうになかった。
アイリはカツヤが決めたことならば結論が何であれ異存は無かった。カツヤが決めたことに従う。その程度の認識でしかない。だが無駄に時間を費やすのもどうかと思い、暫定案を提示する。
「取り
カツヤ達の部隊には緊急時の延命機能追加処置を受けている者もいる。思想や信条、予算の都合などもあって全員ではない。ネリアのように生首になっても平然としていられるような高度なものでもない。それでも常人ならどう考えても死亡している状態を、ハンターの感覚に
間に合う者がいるかもしれない。そう言われればカツヤにも異存はない。
「そうだな。分かった。じゃあ俺が何人か連れて行ってくる。アイリ達はここで警戒を続けてくれ」
だがそれをユミナがきつい口調で止める。
「駄目よ。カツヤはここにいて。アイリ。悪いけど代わりに行って。無理はしない。何かあったらすぐに戻ってくる。それでお願い」
「分かった。ユミナはカツヤを見張っておいて」
「任せて」
ユミナ達の余りに当然のような
「えっ? 俺は駄目なの?」
「駄目よ。カツヤを行かせたら、また1人で飛び出すでしょう? 絶対駄目」
「駄目。カツヤはここで指揮をしていて」
「いや、大丈夫だって。信用無いな」
「無いわ」
「無い」
「あ、はい」
カツヤはユミナ達の気迫に押されて、たじろぎながら
アイリが部隊員を数人連れてビル内を回っている。仲間の救出、
見るも無惨な姿であっても助かるかもしれない。一見気絶しているだけであっても手遅れかもしれない。延命機能追加処置を受けているかどうかも、それが正常に機能しているかどうかも分からない。アイリ達は自分達には分からないのだと割り切って、仲間達を機械的に死体袋に詰めていた。その後に陣まで運び、また出発する。それを繰り返していた。
その作業の途中で、アイリがある場所の光景を見て
(この出血量なら4人は倒れていないとおかしい。でも誰もいない。自力で移動したとは思えない。ビルの自動清掃機能が生きていて掃除された? それとも人を食べるタイプのモンスターが潜んでいた? 分からないけど、何かあったのは事実……)
アイリが表情を引き締めて皆に指示を出す。
「もう戻る。警戒して」
いろいろと欠けている
アイリ達はそのままゆっくりと後退してカツヤ達の
ティオルは作業中のアイリ達を離れた場所から狙っていた。複数の腕で複数の銃を構え、それぞれの照準器でそれぞれの目標に照準を定める。そして引き金を引こうとする。
だが引けなかった。アイリ達の姿を捉えた照準器が目標を味方と判断し、誤射防止の安全装置を働かせて引き金を固定したのだ。
「撃てない……。何でだ……?」
ティオルが不思議そうな様子で銃を下ろすと、引き金の固定が解除される。
「こっちには使えないのか……。じゃあ、あっちか……?」
ティオルの思考が進んでいく。アイリ達を襲って追加の武器を手に入れる。現在の銃ではアイリ達を攻撃できない。別の目標に変える。近くにいる目標はアキラしかない。
そこまで進んだ思考に、行動としては微妙な、だが決定的な差が生まれた。システム寄りの思考ならば次の行動指針は、追加の武器を手に入れる
「……そうだ。あいつを殺さないと」
どこか無表情だったティオルの表情に感情が生まれ、激しさを増していく。システム側に偏りすぎた
「あいつさえ殺せば!」
激情で自意識を取り戻したティオルが感情のままに走り出す。その感情は今のティオルの自意識を支える唯一のものだ。人格を保全する領域をシステム側に上書きされて、様々なものが失われた状態であることにも気付けずに、アキラの
アキラを殺しさえすれば願いが
アキラはビルの上層で一息吐いていた。弾薬等の再装填を済ませると、
ユミナとの取引でティオルを殺すと約束したが、自分から探しにいくつもりはなかった。休憩を兼ねてティオルが来るのをじっと待つ。
(あいつらが潰し合ってくれれば楽なんだが、まあ、無いな)
自分とカツヤ達が距離を取って戦闘を避けた場合、ティオルはカツヤではなく自分を優先して殺しにくる。そう告げる嫌な予感に、アキラは疑いを持たなかった。
アキラがユミナとの取引でティオルの殺害を提示したのは、ティオルと戦う時にカツヤ達まで相手にするのを避けるのが目的だ。初めからカツヤ達との取引の成立とは無関係に殺すつもりだった。
ティオルがこのビルに来たのは偶然ではない。自分の位置を明確に把握した上でカツヤ達を連れてきた。アキラは既にそのことに気付いていた。確実に殺しておかなければ、何度でも同じことを繰り返される。今後の脱出にも致命的に差し支える。そう判断していた。
ティオルを殺し、必要ならその後にカツヤ達も殺す。出来ればティオルだけで済ませたい。それが無理でもカツヤ達を殺すのは別の機会にしたい。そう願いながらも、そうなるとは全く思えなかった。
(両方来るんだろうなー。せめて別々に時間を分けて来てくれよ?)
アルファは情報収集機器の収集データを、アキラを介して取得している。今はアルファとの接続が切れているが、データそのものは今もアキラに送られている。アキラはそのノイズの塊のような未加工データを、かつて以上の鋭さを得た自身の探知予測能力で加工した。つまり、勘を働かせて敵の気配を探った。
勘は十全に機能した。アキラが視線を床下に、敵の方向に向ける。
「来たな……」
気配は感覚的に部隊行動のものではない。恐らくティオルだけが向かってきている。アキラがそう判断して険しい表情を僅かに緩める。だがすぐに顔を引き
一瞬遅れて床の一部が盛大に吹き飛び大穴が開いた。その穴からティオルが飛び上がってくる。階下から天井を強力な砲撃で吹き飛ばして通り道を空けたのだ。
(そこから来るのは予想外だった! 階段ぐらい使えよ!)
大きく距離を取ったアキラは振り向きざまにSSB複合銃をティオルに向けると、無数の誘導徹甲
迎撃は成功した。だがアキラの行動が僅かに早かったことで、無数の
部屋の外まで飛び
激突の衝撃で壁に出来た
余波でこの威力なのだ。直撃に近い状態だった相手はもっと
(やったか?)
次の瞬間、アキラは視線の先から返答の気配を察すると、その場から素早く飛び
「頑丈すぎるぞ! 本当に人型兵器並みか!? 勘弁してくれ!」
アキラは思わず顔を
ティオルも
だがそれでも意気は全く衰えていない。比較的無事な腕ですぐにアキラを銃撃する。その反動で更に腕が数本千切れたが、意に介さずに撃ち続けた。
アキラに逃げられると銃撃を止める。肩から生えた無事な腕が、千切れた腕や散らばった銃を拾い始める。そして頭部の口でも腕の口でもそれらを食べ始めた。肩から腕が再び生えていく。体からは治療の進む音が、機械類の修理を強引に推し進めているようにも聞こえる異音が出ている。千切れた足の付け根からは、銃を溶接して義足にしたような
ティオルは自身の修復を終えると、すぐにアキラを追って走り出した。
アキラは逃げながら巧みに有利な位置に移動し続けている。通路の角を遮蔽物にして銃撃し、危ないと思ったらすぐに迷わずに次の場所に移動する。
一方ティオルは一見無謀にも思える強襲を続けていた。被弾など知ったことではないとでも言うように、自身の無尽蔵の生命力の前には無意味だとでも伝えるように、全く
その激しい戦闘の余波で壁は粉砕され、穴だらけとなり、一部では通路と部屋の区切りが無くなりかけていた。その攻防の中、ティオルの猛攻に押され続けて険しい表情を浮かべていたアキラに、ある疑念が浮かび始める。
(あいつ、戦い方が随分雑になってるな。何だか知らないが腕も随分増えてるし、その
今のティオルには車の上で三つ
それはティオルがシステム側から自意識を強引に奪った弊害だった。システムと自意識の記憶領域内の共存が著しく乱れた
これならこのまま距離を取って戦っていればいずれ勝てる。無意識にそう思い、それを自覚した途端に、アキラの顔が険しく
(こいつに残りを
そう僅かに迷ったが、その迷いはすぐに別の懸念に押し潰された。更に表情を険しくして首を横に振る。
(駄目だ。こいつに勝っても、その後に連中が来る。ここで残弾を使い切ったら連中と銃無しで戦う羽目になる。そもそも残りを
自分は依然として追い詰められている。それを覆さなければならない。優勢になっていると勘違いしかけた思考に
一応、その案は浮かんだ。しかしその案はアキラの表情をより険しくさせた。
「……。やるしかないか」
アキラは覚悟を決めた。
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