第142話 シズカの心配

 シェリルが自分の机から情報端末を持ってくる。昨日アキラが置いていったものだ。


「これをお返しします。なかなか難しかったけれど面白かったです。ありがとう御座いました」


 シェリルがゲームの感想を述べて情報端末をアキラに渡す。それはゲームでもあるが、実際のアキラの実力を反映させたシミュレーションでもあり、状況を俯瞰ふかん的に認識する訓練機器でもある。シェリルが昨日ゲームに興味を示していたので貸したのだ。


 難しいという感想を聞いて、アキラが微妙な表情を浮かべる。


「……そうか。そうだよな。やっぱり難しいよな」


 ゲームが難しいということは、ゲーム内に反映されたアキラの実力が未熟であることを示している。アキラはそれを十分理解しているが、改めて突きつけられると少々気が滅入めいるのも事実だった。


(俺の実力が足りていないのは事実だ。装備を整えて、訓練と実戦で経験を積んで、少しずつ強くなるしかないな)


 シェリルはそれをただのゲームだと思っている。だから特に気にせずにゲームの感想をアキラに話す。


「はい。面白かったですけど、難しかったです。クリアするまでに結構掛かりました」


「えっ!?」


 アキラが非常に驚いてシェリルを見る。そのアキラの驚きぶりに、シェリルも驚いて戸惑っていた。


 アキラが驚きの余り少し硬直しながらシェリルに尋ねる。


「クリア、したのか?」


「は、はい」


 シェリルがアキラの様子に困惑しながら答えた。確かに難しいゲームだったが、事情を知らないシェリルにはクリアしたからといってアキラがそこまで驚くことには思えなかったからだ。


 アキラが情報端末を操作してゲームの履歴を確認しようとする。慌てていたためか操作にもたついていたので、途中からアルファが情報端末を操作して素早くゲームの履歴を表示させた。


 アルファが履歴を確認して少し意外そうに話す。


『確かにクリアしているわね。スコアがプラスになっているわ』


 アキラが驚き意外に思いながら話す。


『……ちゃんとクリア可能な難易度だったんだ』


 アルファが微笑ほほえみながらねた振りをして話す。


『あらひどい。アキラは私がクリア不可能な難易度を押しつけていたと思っていたの?』


『い、いや、そういう意味じゃない』


 アキラは慌てて否定した。しかし心のどこかで少しそう思っていたことも事実だった。余りにも難しかったからだ。


 だからこそアキラはゲームのクリアが可能であると知ると、今度はどうやってクリアしたのかが気になってくる。それを聞く相手はすぐそばにいる。


 アキラは受け取った情報端末をもう一度シェリルに差し出しながら頼む。


「シェリル。もう一度クリアしてみてくれないか?」


「分かりました」


 シェリルはアキラの少し真剣な態度を不思議に思いながらも笑って頷いた。


 シェリルがソファーに座ってゲームのクリアを目指している。アキラはシェリルの隣に座ってシェリルの手元にある情報端末のゲームの画面を見ていた。相手は座っている自分の上にまたがるようにして正面から抱き付いていた人物だ。この程度のことを気にしたりはしないだろう。そう判断して画面の見やすさを優先してシェリルに引っ付くように密着して座っていた。


 そのシェリルはアキラの予想に反して現状をかなり意識していた。うれしさと気恥ずかしさを覚えながらゲームを続けていた。以前の行動はやり過ぎだったと考え直していたシェリルには、今のアキラの位置は非常に近い。シェリルがアキラに近付いているのではなく、アキラがシェリルに近付いていることも、シェリルの感情を揺さぶっていた。


 近い。非常に近い。画面をよく見ようとしているアキラが可能な限りシェリルの視線と重ねようとしているため、必然的にアキラの頭部はシェリルの頭部と非常に近くなっている。首から上は衣服などの遮る物もない。肌の距離は互いの体温が伝わるほどに近い。


 シェリルがゲームの操作に支障が出るので離れてくれと頼めば、頼まなくともそれを示唆するような言動を取れば、アキラは普通に離れるだろう。シェリルは間違ってもその手の言動をしないように注意しながら、少し頬を染めながら黙ってゲームを続けていた。


 幸いにもゲームは反射神経や即時の判断を必要とする内容ではない。シェリルの心の乱れによるゲームの影響は、時間を費やして注意して操作すれば十分補える。シェリルの慎重な操作に従って、ゲームの中のアキラが旧世界の遺跡の中を少しずつ進んでいく。慎重に的確に危険な遺跡の中を進んでいく。


 ゲーム内のアキラが時折予知能力でもあるかのように大胆に行動するのは、シェリルがこのゲームを何度も遊んでいて先の展開を知っているからだ。知っているだけで対処できるものではないが、知っていれば対処しやすいことも事実である。


 アキラがゲーム内のアキラの動きを見てアルファに話す。


『やっぱり先の展開を知っていても、難しいものは難しいんだな』


 アルファが揶揄からかうように話す。


『つまり今のアキラの実力で危険な遺跡から生還することは、たとえアキラに予知能力があっても難しいってことね』


 アキラが少しへこんだ。アルファの言い分はアキラも理解も納得もできる。だからこそ油断も慢心もしてはいけないということを言っているのも分かる。それでもへこむものはへこむのだ。


 現実のアキラはさておき、ゲーム内のアキラは順調に遺跡の攻略を進めていき、ついに遺物を手に入れて遺跡から脱出した。消費した弾薬や回復薬、怪我けがの状態、遺跡の探索時間、手に入れた遺物の量などからスコアが算出され、十分黒字になったと算出されるとスコアがプラスになる。これでゲームクリアである。


 アキラがゲームをクリアしたシェリルを純粋に賞賛する。


すごいな」


 シェリルが少し照れながら答える。


「ありがとう御座います」


 シェリルはアキラの様子を確認する。アキラの機嫌はかなり良くなっていた。


(随分アキラの機嫌が良くなったわ。そんなにこのゲームを気に入っているのかしら。後で調べておきましょうか)


 シェリルは情報端末を使ってネットワークで調べようと考えている。残念ながらこのゲームはアルファの自作のため、ネットワークのどこを探してもこのゲームの情報が見つかることはない。


 シェリルがアキラに情報端末を返そうとすると、アキラがそれを押しとどめる。


「それはしばらくシェリルに貸しておくから、そのまま持っていてくれ」


「よろしいんですか? これ、結構高い機種に見えますけど」


「ああ。普通にシェリルの情報端末としても使って良い。回線も無料のやつから変えてあるから、回線が混雑している時でも俺とつながりやすいはずだ。まあ何だ、ゲームクリアの報酬とでも思ってくれ。……ついでに暇な時にそのゲームで遊んで、もっと良いスコアを目指してくれ」


「分かりました。大切に使います。……もっと良いスコアを出したら、次の報酬も期待して良いですか?」


「スコア次第だな」


 シェリルの冗談交じりのお願いに、アキラは軽く笑ってそう答えた。




 アキラがシェリル達の拠点を出た。そろそろ日の沈む時刻で、スラム街は薄暗がりに呑まれ始めていた。


 完全に日が沈んでもスラム街がすぐに闇に染まることはない。人が光を使って生活している以上、いろいろな場所から光が外に漏れるからだ。それでも日が沈めばスラム街が昼間より危険な場所に変わることは間違いない。世界を照らす光が少なくなれば、影に隠れて動こうとする者達が増えるからだ。


 アキラはそのようなスラム街でも適用される区切りの時間帯を、世界が切り替わる時刻のスラム街を歩いていた。


 アキラがアルファと雑談しながら進んでいる。


『俺の操作でも楽にあのゲームを攻略できるようになれば、俺もアルファのサポート無しでも順調に旧世界の遺跡を攻略できるようになるかな』


 ゲーム内のアキラの身体能力などは、現実のアキラの実力を反映させたものだ。アキラの言っていることは必ずしも間違いというわけではない。


 アルファが不敵に微笑ほほえみながら話す。


『楽に攻略できればね。行動までの猶予時間は常にゼロ。敵の行動は常に初見で予測不可能。最適解以外の行動を一度でも選択したら終わり。再挑戦不可能な一発勝負を休みなく連続で。頑張ってみる?』


『無理だな』


 アキラはすぐに答えた。ゲームの難易度を現実に近づければ、確かにそれぐらい難しくなるだろう。そして現実はそれ以上に高難度だ。


 アルファが少し得意げに微笑ほほえみながら話す。


『アキラが死なないようにいろいろ指示を出したり、敵の位置を探ってアキラの視界に表示したり、強化服を操作してアキラの動きを補ったり、私はいろいろ頑張っているのよ?』


 アキラに意味ありげな視線を送るアルファに、アキラが苦笑して答える。


『いつもありがとう御座います』


『どう致しまして』


 期待した返答を聞いて、アルファが満足そうに微笑ほほえんだ。


 突然アキラが自分のそばにいた男の腕をつかんだ。男の手にはアキラの財布が握られていた。


 アキラが表情を不機嫌そうにゆがめてそうつぶやく。


「……またかよ」


 アキラは財布を奪い返してから、殺さないように注意して男を蹴飛ばした。


 この男も情報屋から得た情報を理由にアキラを狙っていた。しかしアキラが男から聞き出した情報は、前のスリの男とは少し違った内容だった。


 財布を盗んだスリが幼い少女だったのでスリの少女を見逃した。そういう甘い人物だから、もし失敗して見つかっても謝れば大丈夫だろう。男はその情報を信じてアキラを狙ったらしい。


 自分がスリの少女を見逃したのは、少女の後ろ盾に別のハンター達がいたから仕方なく一度引いただけだ。情報屋に伝えて訂正させろ。アキラは男に脅迫気味にそう頼んで男を見逃した。


 男は解放される前にアキラに3度蹴られた負傷の所為で蹌踉よろけながら何とか去っていった。


 今回のアキラは男に回復薬を与えたりはしなかった。殺す気はないが死んでもかまわない。その程度の感覚で男を蹴り飛ばしていた。男の運が悪ければ、情報屋に文句を言う前に負傷で死ぬだろう。


 男がアキラに殺されずに見逃されたのは、盗みに失敗した上にアキラに銃を向けなかったからだ。男がそのどちらかを達成していた場合、アキラは男を殺していた。


 不機嫌ではあるが、平静を欠くほどではない。アキラは取りあえず落ち着いている。自力でスリを2度迎撃できたことなどが、アキラの心の乱れを抑えていた。


 アキラがアルファに尋ねる。


『アルファ。俺ってそんなにカモに見えるのか?』


『分からないわ。少なくとも歴戦のハンターには見えないわね』


『それはそうだけど……』


 どことなく落ち込んでいるアキラに、アルファがアキラの見掛け以外の要素の話をする。


『アキラがどうこうというより、あの出来事は情報屋がカモの情報として売りつけやすい要素をいろいろ含んでいたってことでしょうね。アキラは子供で、スリも子供で、10万オーラムはそれなりに大金で、スリはアキラに見つかったけれど、過程はどうであれまんまと逃げることに成功した。それらの要素を抜き出せば、アキラを容易たやすい相手と誤解しても不思議はないわ。情報屋がカモの情報として売りやすい要素がそろっていた。そういうことだと思うわ』


『……面倒だな』


 既に情報はスラム街に流れてしまっているのだろう。情報を買った者以外にもうわさとして流れてしまっているだろう。アキラはこれからも狙われるはずだ。うわさが自然に消えるか、別の内容で上書きされるまで。


 アキラは憂鬱そうに深いめ息を吐いた。




 シズカは店を基本的に日没の時刻で閉める。シズカの店が契約している民間警備会社の推奨でもある。店の立地は都市の下位区画でもそこそこ治安の良い場所だが、それでも夜間はそれなりに危険なのだ。シズカの安全のためにも、契約区画を警備する民間警備会社の労力を下げるためにも、夜間の営業はなるべく控えるべきなのだ。


 シズカが閉店のために扉を閉めようとしているとそこにアキラが現れた。アキラがシズカに尋ねる。


「今日はもう終わりですか?」


 シズカはアキラに気が付くと、アキラに機嫌良く微笑ほほえんで答える。


「ん? 良いわよ。入って」


「……良いんですか?」


 少し申し訳なさそうなアキラに、シズカが悪戯いたずらっぽく微笑ほほえんで話す。


「良いのよ。常連候補は大切にしないとね」


「ありがとう御座います」


 アキラは礼を言って店の中に入る。シズカはそのまま店の扉を閉めた。


 もう店内に客はいないので、店内にいるのはアキラとシズカだけだ。アキラはも角として、シズカの方は少し警戒が足りていないと言っても過言ではない状況だが、シズカは自身の勘に従って問題ないと判断していた。別にシズカも閉店した店に誰でも入れるわけではないのだ。


 シズカがカウンターの方へ戻りながらアキラに話す。


「今日も弾薬等の補充かしら? それとも主力商品の売上げに貢献してもらえるの? 期待しても良いのかしら」


「そのことでシズカさんにお願いが……、シズカさん?」


 アキラはシズカが立ち止まって自分をじっと見ていることに気が付いた。


 シズカがアキラをじっと見ている。アキラの目を通してその内心をのぞくようにじっとアキラを見ている。アキラはそれを不快に思うことなど全くなかったが、少し困惑はしていた。シズカの意図が読めず、アキラが戸惑いながら何かを尋ねようとする。


「あ、あの……」


「アキラ。何かとても嫌なことでもあったの?」


 その前にシズカがアキラをしっかり見つめながら尋ねた。いろいろと見透かされたように問われて、アキラは良くないことが露見したような戸惑いを見せる。そして自分でも分からない何かを誤魔化ごまかすように答える。


「嫌なことというか……、ちょっと前にスリに遭いそうになりまして。ああ、何とか被害は食い止めました。でも良い気分はしていないですね」


「……そう」


 シズカはアキラに近付くと、アキラを優しくしっかり抱き締めた。アキラの頭はシズカの腕でしっかりと抱き締められていて、アキラの顔がシズカの胸に埋もれている。


「……シズカさん?」


「良いから」


 アキラは困惑気味だったが、シズカにそう言われただけで抵抗の意思を失ったように大人しくシズカにされるがままになった。


 シズカはアキラを抱き締めながら、アキラに言うべき何かを考えるような仕草を続けていた。言うべきことを考えて、その内容を検証して、止めて別の内容を考える。その繰り返しがシズカの表情に表れていた。


 シズカは自分の勘や経験などを基に頭の中でまとめ終えたことを、アキラを抱き締めながら自分の胸の中のアキラに語りかける。


「勘違いなら御免なさいね。アキラはハンターとして随分強くなって、今までできなかったことがその気になればできるようになって、その所為でいろいろ悩むこともあると思うのよ。……悩む間にいろいろめ込むこともあると思うわ。開き直れば悩む必要もなくなっていろいろ楽になるかもしれないけど、その前に誰かに相談ぐらいはしなさい。……私でも良いから。誰かに話すだけでも楽になるものよ。ね?」


 シズカはそう言ってアキラの頭に手を置き、でるように少しだけ手を動かした。


 アキラは黙ってシズカに抱き締められていた。シズカの優しい声の話を聞いた後、アキラの両手がシズカを抱き締めようとするように僅かに動いた。その両手はすぐに一度動きを止めて、再び動き出すとアキラの体をシズカの抱擁からゆっくり押し出した。


 アキラはシズカから1歩離れて軽く頭を下げると、少しだけ笑って礼を言う。


「ありがとう御座いました。少し気が楽になったと思います」


 シズカが少し安心したように微笑ほほえんで話す。


「それは良かったわ。何か相談したいことがあれば、何でも言ってちょうだい。こう見えてもアキラよりは長生きをしているから、いろんな相談に乗れると思うし、それが無理でも愚痴を聞き流すぐらいはできるわ」


 実際にアキラはかなり気が楽になっていた。心の深いところまで落ち着きを取り戻したアキラには大分余裕が戻っていたのか、アキラは微笑ほほえんでいるシズカを見ながら無意識に余計なことまで思う。シズカは確かに若くて美人だが、流石さすがにアキラと同世代ということはない。こう見えても、は余計だろうと。


 勘の良いシズカはそれに気付くと力強く笑って尋ねる。


「こう見えても、は余計だと思ったわね?」


 アキラは焦って誤魔化ごまかすように少し笑った。その笑顔は少し引きつっていた。


 シズカはそのアキラの様子を見て、アキラの心の底にあった暗いよどみのような感情が大分治まったことを察して安心した。それを表に出さずにアキラに尋ねる。


「それで、アキラは私に何か頼みがあったのよね。何かしら?」


 アキラが少し言いづらそうにしながら、少し躊躇ちゅうちょしながら話し出す。


「あ、はい。実はまた装備の相談というか、見積りなどを御願いできないかと思いまして……。予算内でできるだけ良い装備を見積もってもらえると助かるんですが……。新しい強化服とそれに見合った銃とか情報端末とかを、一式見積もってもらえないでしょうか。今回は車両等は無しでお願いします」


「それは構わないわ。それで、今回の予算はどれぐらいなの?」


 笑ってそう尋ねるシズカに、アキラがまた少し躊躇ちゅうちょしてから答える。


「……その、4億オーラムぐらいです」


 シズカが黙って微笑ほほえんでいる。アキラが何かを誤魔化ごまかすような固い笑顔で言い訳するように続ける。


「いや、違いますよ? 確かに、確かに無茶むちゃはしました。でもそれは俺だけではなくてですね、エレナさん達と一緒に行動した時の話で、決して俺が意図的に無謀なことをしたわけではなく、様々な複雑な事態が発生した結果です。ミハゾノ街遺跡で、その、エレナさんでも予想できなかった事態に、エレナさんの指示の下で、みんなで頑張った結果で……」


 黙って微笑ほほえんでいるシズカに、アキラは必死になって事情を訴えた。


 アキラがエレナ達と一緒にミハゾノ街遺跡でのハンター稼業で得た報酬は、5億オーラムほどになった。保険会社から受けた救援依頼でかなり荒稼ぎしていたのに加えて、セランタルビルに先行部隊として向かった成果が加わったのだ。


 元々都市絡みの依頼は高額だ。更にエレナとキャロルが組んで都市側とドランカムに対して報酬の交渉をした成果だ。セランタルビルの内部情報も高額になったが、エレナ達は特にレイナ達の救出に成功した功績を大いに評価させた。そしてそれは通った。


 その結果が計30億オーラム、1人当たり5億オーラムの報酬だ。なお弾薬費等の経費は別に請求してそれも通した。ミハゾノ街遺跡での激戦に見合った額かどうかの判断には個人差が出る。だがそれでも今のアキラには十分な大金だ。


 シズカは必死になって弁解しているアキラに力強い微笑ほほえみを浮かべていたが、軽く吹き出して笑って話す。


「大丈夫よ。エレナ達からある程度話を聞いたから、私もアキラ達の事情を少しは知っているの。怒ってないわ」


「そ、そうですか」


 アキラが安堵あんどの息を吐く。無理はしないと約束した相手に、無理と無茶むちゃを山ほどしてきましたと説明するのはアキラも心情的にきつかったのだ。


 シズカが少しすまなそうにしながらも、アキラを気遣うように微笑ほほえんで話す。


「ごめんなさいね。変な真似まねをして。でもアキラが私に話すのを躊躇ためらうぐらい大変だったのなら、それはちゃんと大変なことだと認識しておきなさい。窮地を乗り越えたことを誇って自信につなげるのは良いことよ。でもそれで次も大丈夫だなんて思っては駄目。危険に慣れることと、危険を軽んじることは全く違うわ。分かった?」


 アキラがしっかりとうなずきながら返事をする。


「分かりました」


 シズカがアキラの様子を見て満足そうに微笑ほほえむ。そして気を取り直して尋ねる。


「それはそれとして、アキラが私の店の売上げに貢献してくれるのは大変有り難いのだけど、良いの? そんなに使ってしまって」


 アキラが不思議そうに聞き返す。


「えっと、何か不味まずいんですか? ミハゾノ街遺跡では本当に大変だったので、金のある内にもっと良い装備に変えておこうと思ったんですけど……」


「その考えはとても良いことよ? 確かに装備の充実は大切だわ。でも、もう少し別の用途とか、生活の向上のために使っても良いと思ったのよ。もっと良い家に住んだり、良い服を着たり、何らかの趣味に使ったりね。かなり稼いだのだからしばらく休むってのも良いと思うわ。そんなに急いで戦力を向上させて、生き急ぐ必要はないと思うのよ」


 アキラが少し考えてから答える。


「生活の向上ですか……。今のところ、俺はそういうのに金を掛けようとは思わないんですよね。ついこの間までスラム街の路地裏で寝泊まりしていた生活を送っていたので、それと比べると毎日夢のような生活を送っているようなもので、今の生活環境にあんまり不満とかはないんです。今の生活に不満とか物足りなさを感じるまでは、そっちは後回しで良いかなと」


 その返事を聞いたシズカが一瞬だけ含みのあるかなしげな微笑ほほえみを浮かべる。だがすぐに普段の笑顔で答える。


「それなら良いわ。それにしても、4億オーラムもあっさり装備につぎ込めるなんて、アキラも随分成長したのね。4億オーラムよ? そこらの端金じゃないのよ? 私も結構驚いているのよ? アキラは動揺したりしないの?」


 アキラが苦笑しながら答える。


「ああ、多分それは額が大きすぎて現実感がないだけだと思います。大金を持っているって自覚して身を崩す前に、ろくでもない使い方をする前に、早めに装備に変えておこうと思います」


「それも良いかもしれないわね。私としては、店の売上げになるからうれしいけどね」


 シズカが少し楽しげに笑ってそう答えた。アキラも笑って返した。


 アキラはシズカと新たに購入する装備の方向性などについてしばらく話し合った。4億オーラムの装備だ。シズカもアキラの要望を慎重に把握しなければならない。残りの1億オーラムを予算に加えないのは、その内もう一度病院で検査を受けた時の代金など、急場の金として残しているのだ。アキラもいろいろ無茶むちゃをした自覚はある。前回のように治療費に6000万オーラムも掛かるとは思えないが念のためだ。


 装備の相談を終えたシズカがアキラに尋ねる。


流石さすがに私も4億オーラムの装備となるとすぐに見積りを出すわけにはいかないわ。商品を調達するのにも時間が掛かるかもしれない。構わないかしら?」


「はい。俺も装備を整えるまでは基本的に都市に籠もっているつもりです」


「分かったわ。常連候補を失望させないように頑張ってみるわね」


 アキラが珍しく少しだけ不服そうな様子を見せながら尋ねる。


「常連候補……ですか。今回のも含めて店の売上げに結構貢献したつもりですけど、足りませんか?」


 シズカが微笑ほほえみながらも少し真面目な表情で答える。


「違うわ」


「えっ?」


「常連というのは、定期的にこの店に来る人のことよ。アキラが死んだり大怪我けがをしたりしたら、私の店の常連には成れないわよ?」


 アキラが表情を変える。ちゃんと生きて帰ってくること。ハンター稼業が続けられないような大怪我けがをしないこと。そのための努力を欠かさないこと。シズカはアキラにずっとそう言っていたのだ。アキラはそれをようやく理解した。確かに荒野に出るたびに無茶むちゃをするようでは、安定して安全に帰ってこられないようでは、アキラは店の常連には成れないだろう。


 シズカが微笑ほほえみながらアキラに話す。


「ちゃんと常連になってちょうだいね」


 アキラが強い決意を込めて返事をする。


「…………。はい」


 強い決意をうかがえるアキラの表情を見て、シズカが満足げに笑った。




 シズカが閉店作業を済ませた店の中で、カウンターに座ってめ息を吐いた。既にアキラは帰っている。客もおらず外からの喧噪けんそうも聞こえない静かな店の中で、そのめ息は少し大きく聞こえた。


 シズカは考え込んでいた。アキラのことだ。


「……特定の客に入れ込むのは良くないんだけどね」


 シズカは自分でも分かりきっていることを再確認するようにつぶやいた。そしてアキラの話を思い出して少し悩むような表情で続ける。


「スリに遭ったが被害は食い止めた……、か。どうやって対処したのかしらね」


 下位区画では銃など有り触れている。武装したスリと強盗の違いは、相手から銃を抜かずに奪うか、銃を突きつけて脅して奪うか、その程度だ。アキラは恐らく銃を持っているであろう相手から被害を食い止めたのだろう。その過程で相手を殺していても何ら不思議はない。


 シズカはアキラと初めて会った時のアキラの姿を思い出す。その時のアキラはスラム街のどこにでもいそうな少年だった。悪く表現すれば虐げられるがわの人間だ。


 既にアキラは虐げられるがわではなくなっている。その気になれば虐げるがわになれるだけの力を手に入れている。


 今まで虐げられてきた者がそれだけの力を得た時、自分を虐げてきた者を虐げる誘惑にあらがえるか。それは難しい問題だ。虐げられる者ではなくなった実感を、安心を、優越感を得るためには、虐げるがわに成り代わるのが手っ取り早いからだ。だがそれは自分が今まで嫌悪していた存在に成り果てるということでもある。


 そこで開き直って今まで嫌悪していた存在に成り代わることを選択した者の末路は大抵決まっている。力を行使する快楽に溺れてたがが緩み、外れ、同じような力を持ち、成り代わる力を求める者と争うことになるのだ。前に立ちはだかる者達との殺し合いと、後ろから刺してくる者達との殺し合いだ。そこで生き残った極一握りの者が次の頂点に、恐怖の目で見上げる者達の上に、しかばねの山の頂に立つのだ。


 アキラが装備に大金をぎ込もうとした時、シズカはアキラが更なる力を得る目的を邪推した。あの時シズカはそれが邪推で済んだことに安堵あんどしていた。


 シズカはアキラには別の選択をしてほしいと思っている。不必要に敵を作らないこと。それこそがただでさえ敵の多いこの世界で長生きする秘訣ひけつだと思っている。


 選択するのはアキラだ。自分ではない。望みはするが無理強いはできない。その資格もない。シズカはそう判断している。


 それでも望むぐらいは良いだろう。そう思ってシズカが望みを口にする。


「……できれば、アキラにはちゃんと常連になってもらいたいわね。稼ぎの良い真っ当なハンターと、その贔屓ひいきの店の店長として、長く付き合いたいものだわ。……稼ぎは、まあ、うん、程々でも」


 大分入れ込んでいることを自覚しながら、シズカは再びめ息を吐いた。

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