第143話 もう一度

 アキラは自宅の風呂に入りながら、ぼんやりとした頭で今日の出来事を反芻はんすうしていた。


「……何か今日は、別に戦闘もなかったのにいろいろあって疲れたな」


 戦闘があったわけでもないのに疲れを感じていた。良いことも悪いこともいろいろあったからだろう。アキラはその精神的な疲労をゆったりと湯にかることで癒やしていた。


 アルファはいつものようにアキラと一緒に入浴している。そのアルファが何かを考え込んでいるような目でアキラを見ていた。


 アキラがアルファの視線に気付いて尋ねる。


「何だよ」


『やっぱり触れられないと効果が薄いの?』


「何の話だ?」


『アキラがシズカに抱き締められてでれでれしていたって話よ』


 浴槽に寄りかかっていたアキラが表情を変えずにゆっくりとずり落ちていく。そのまま口と鼻まで湯に沈み、少量の湯が体内に入ったところで、アキラが激しくき込みながら慌てて体勢を戻した。


 溺れかけたことも含めて、アキラが非常に慌てながらアルファに尋ねる。


「……な、な、何の話だ!?」


『だから、アキラがシズカに抱き締められてでれでれしていたって話よ。正直な話、外見だけならシズカよりも私の方がかなり上回っていると思うのだけれど、それでもアキラの態度にあれだけ差が出るのは、やっぱりじかに触れるかどうかの違いなのかしらね』


 アルファにはアキラを揶揄からかうような様子はない。純粋に疑問を思案する様子がうかがえる。それがアキラを余計に動揺させていた。


「そ、そんなにでれでれしているように見えたのか?」


『解釈や表現には個人差がある。そう答えておきましょう』


 アルファの意味深な言葉を聞いたアキラが焦りの表情を浮かべる。慌てているアキラにアルファが揶揄からかいもせずに少したしなめるように話す。


『まあ、少しは注意しておきなさい。相手はアキラを子供だと思っていて、アキラも確かに子供だけれど、限度ってものはあるのよ?』


「わ、分かった」


 アキラはシズカに悪い印象を与えないためにもしっかりと心に刻み込んだ。


 アルファはうそを吐いてはいない。確かに個人差は存在する。ただしあの時のアキラの表情をシズカが見たとしても、でれでれしていたとは思わないだろう。シズカならアキラが悩みや緊張から解放されて僅かに表情を緩めたと解釈するはずだ。


 それでもアルファがあのように表現したのは、それを聞いたアキラの反応を確認して観察するためだ。


 アキラの意思決定に影響を及ぼす人物がアルファの目的にどこまで悪影響を与えるか。対処は必要か。アルファは確認し続けている。少なくとも、シズカに抱き締められていた時のアキラの様子は、アルファが大きな警戒を抱くのに十分なものだった。




 アルナが真昼のクガマヤマ都市の下位区画をおびえながら進んでいる。辺りの様子を常に探りながら、まるで誰かに追われているような様子で進んでいた。


 実際にはアルナを追っている者などいない。それでもアルナは背後の誰かを、曲がり角の先にいる誰かを、死角に隠れている誰かを気にしながら進んでいた。


 アルナの背後で物音がした。アルナが身を震わせておびえた表情で振り返る。看板が倒れていた。そこに誰かが隠れていて看板を倒したのではなく、風か何かで偶然倒れただけだと気付くと、安堵あんどの息を吐いて少しだけ表情を和らげる。


 だがその表情もすぐに曇り始める。アルナがおびえた表情でつぶやく。


「……どうしてこんなことに」


 逃げる先も分からずに、追われているかどうかも分からずに、アルナは逃げ続けていた。




 昨夜、スラム街の隠れ家で身を潜めていたアルナのもとにナーシャがやって来た。それが始まりだった。


 眠っていたアルナは強いノックの音を聞いて目を覚ました。時刻は深夜だ。誰かが尋ねてくる場所でも時刻でもない。警戒しながら外の様子をうかがうと、ナーシャが非常に険しい表情で立っていた。


 アルナがナーシャを隠れ家に招き入れる。ナーシャが周囲を警戒しながら中に入り、非常に険しい表情で室内を見渡し、他に誰もいないことを確認して僅かに気を緩めた。だがその表情は険しいままだ。


 ナーシャのただ事ではない様子に、アルナが少し落ち着きを失いながら尋ねる。


「ナーシャ。何があったの?」


「アルナ。今ここにいるのはアルナだけ?」


「……そ、そうだけど」


「アルナがここにいるって知っているのは、私とアルナだけ?」


「そうよ。私がここにいることは、ナーシャにしか教えていないわ」


 ナーシャが真剣で深刻な表情でアルナに告げる。


「落ち着いて私の話を聞いて。私との話が終わったら、すぐにこの場から離れて。今度は私も知らない場所に隠れて。良いわね? 分かった?」


「ちょ、ちょっと、本当に何があったの?」


 アルナは既におびえ始めていた。ナーシャはアルナの両肩に手を置いてアルナの顔を見ながら、自分の親友に告げるのはつらい事実を、悲痛な表情で声を震わせながら告げる。


「アキラが、アルナを殺そうとしているわ。アルナを見つけ出せって、徒党の人間に指示が出ているのよ」


 アルナが絶句した。


 アキラがシェリル達の徒党の後ろ盾であることは、アルナもナーシャから聞いて知っていた。しかし今までアキラがアルナを探しているような様子はなかったのだ。


 アキラもしばらくすればアルナのことなど忘れてしまうだろう。シェリル達の徒党は少しずつ規模を拡大させており、人数も大分増えてきている。ほとぼりが冷めた頃に名前を偽って加われば、アルナもアキラに気付かれずに紛れ込むぐらいはできるかもしれない。アルナはナーシャと相談してその時期を待っていた。


 アキラは徒党を食い物にするようなハンターではなく、ボスのシェリルも部下に読み書きを教えたりしている。シェリル達の徒党はスラム街の平均的な徒党に比べると、スラム街の子供達にとって非常に良い環境を構築していた。加入希望の子供は多い。多すぎる人員をまとめるために支部のようなものができれば、より安全に紛れ込める。アルナはナーシャからそんな話を聞いて希望を持っていた。


 その希望が今、あっけなく崩れ去った。


 アルナが震えながら尋ねる。


「な、何で、今頃? 今まで何もなかったじゃない」


「分からないわ。急に言われたのよ。写真を渡されて、そこに映っているやつを見つけたら教えろって。徒党の人間全員に配られているらしいわ」


 ナーシャがその写真をアルナに見せる。アルナが青ざめながら信じられないものを見たような表情で写真を手に取る。その写真には確かにアルナが映っていた。


「わ、私の写真まで……。な、何で? いつの間に? いつ撮られたの?」


 実際には誰もアルナを撮影などしていない。この画像はアキラが見たアルナの姿を元に、アルファが仮想空間に描画して出力したものだ。写真写りが悪いために別人に見えるようなこともなく、ある意味本人以上に本人らしい人捜しに適した画像だった。


 ナーシャが恐慌して叫びだしそうなアルナを何とか落ち着かせようとする。


「アルナ。落ち着いて。落ち着いてね。落ち着きなさい!」


 アルナが泣きそうな表情でナーシャを見る。ぎりぎりの状態であることは明らかだ。


 ナーシャが自分とアルナを落ち着かせるように、ゆっくりとした口調で話す。


「落ち着きなさい。お願いだから、落ち着いて。今から大切な話をするからしっかり聞いて。私はアリシアって幹部からアルナの写真を渡されて指示を受けたわ。でもね、その時にこうも言われたの。アルナのことを無理に探す必要はない。むしろ危ないからそんな真似まねはするな。偶然アルナのことを見掛けたら後でその場所や時間を教えるだけで良いって」


「ど、どういうこと? 私を探せっていう指示が出てるんじゃないの?」


「私にも詳しいことは分からないの。ただ、私が聞いた話だと、アルナはアキラよりも強いハンターを味方に付けているかもしれないって言っていたそうよ。だから危ないからアルナを無理に探し出して連れてくるような真似まねはするなって言っていたらしいわ。アルナ、心当たり、ある?」


 アルナが首を横に振る。


「そう。それなら何か勘違いをしているのね。多分それは、前にアルナから聞いたあの時にアルナを助けたっていうハンターのことだと思うわ。確か名前はカツヤ……だっけ? そんな名前だったわね」


「……そうよ。カツヤさん」


 カツヤの名を言うアルナの声には、どこかすがるような響きが込められていた。


 ナーシャが話を続ける。


「アルナは二つの方法を選べると思う。一つは、可能な限り遠くに逃げる方法。スラム街も都市の下位区画も結構広いけど、アキラがどこまで探しに行くかは分からない。でも流石さすがに別の都市にまで探しに行くとは思えないわ。そこまで逃げれば大丈夫だと思う」


 別の都市まで徒歩で向かうなど自殺と変わらないため、輸送車両に潜り込むような手段を取る必要があるだろう。だが正規の輸送手段で移動するための運賃はそれなりに高額だ。何しろモンスターが彷徨うろつく荒野を通っていくのだ。都市間移動の運賃は客や積荷の護衛料を含んでいるのだ。


「そしてもう一つは、そのカツヤってハンターに助けを求めてみる方法。一度助けてもらえたのだから、もしかしたら、相手がお人しだったら、一度助けた相手が死んでいたなんてことを嫌がる性格だったら、あるいは気紛きまぐれでも、もう一度助けてもらえるかもしれない。カツヤはアキラよりも強い。そうアキラ自身が言っているのだから、そのカツヤって人が、アルナに手を出すな、と一言アキラに言ってくれるだけで解決するかもしれない」


 ナーシャはカツヤと一度も会っていないので、カツヤの人柄など分からない。しかし全くの他人であるアルナを他のハンターからかばってくれたようなお人しなのだ。必死に頼めば助けてくれる可能性はあるだろう。そう考えていた。


「両方試しても良いかもしれない。駄目で元々で一度カツヤに頼んでみて、無理そうなら別の都市に逃げる手段を模索するの」


 ナーシャはアルナに希望を与えた。それでアルナもある程度落ち着きを取り戻した。しかしアルナの状況が改善されたわけではない。


 アルナは強度も分からない命綱を2本見つけただけだ。しかもその綱は腐っているかもしれないのだ。別の都市へ向かう手段が見つからないかもしれない。カツヤがアルナの頼みを断るかもしれない。アルナが助かる保証などないのだ。


 ナーシャが懐から拳銃と金を取り出してアルナに渡す。


「使って。少ないけど、ないよりはましよ」


 アルナが驚き慌てながら尋ねる。


「こ、これって、徒党の銃と金でしょう!? もしバレたらナーシャが!?」


 ナーシャがアルナを安心させるように微笑ほほえんで答える。


「良いから使って。私は大丈夫。適当に誤魔化ごまかしておくわ」


「で、でも!?」


「良いから!」


 ナーシャがアルナに抱き付いてアルナの言葉を止めた。そしてかなしげな表情で続けて話す。


「……ごめんね。親友なんて言っておいて、私がアルナにできることってこれぐらいしかないの。ボスのシェリルに事情を話して助けてもらえないかとも思ったけど、多分無理。ボスはアキラの機嫌を損ねるのを恐れているわ。アキラが殺そうとしている人間の助命なんか聞かないと思う。むしろ私がアルナの親友だと知ったら、何が何でもアルナの居場所を聞きだそうとするはず」


「そ、それならナーシャも一緒に」


 ナーシャはアルナに抱き付いたまま首を横に振る。


「駄目よ。渡した金で1人分の運賃なら何とかなるかもしれない。カツヤも1人だけなら助けてくれるかもしれない。……多分どっちも、2人は無理。だから一緒には行けないわ」


「……ナーシャ」


「それに状況が変わってアルナが逃げる必要がなくなるかもしれない。そうね。アキラが死ぬかもしれない。ハンターだからね。いつ死んでも不思議はないわ。もっともその時はシェリルの徒党も多分おしまいでしょうけど。何にせよ状況が改善した時に、徒党の中にいないとその情報をつかめないかもしれない。だから私は残るわ。もしその何かが起こったら、その時はそれをアルナに伝えられるように何とかしてみる。でも、あんまり期待しないでね」


 ナーシャは少し微笑ほほえんで、アルナを抱き締める力を強めた。


「これでお別れかもしれないわね。こんなことしか言えないけど、元気でね」


 ナーシャは最後にそう言ってアルナから離れた。そして真剣な表情でアルナに告げる。


「良い? 私はこれから帰る。その後で、アルナはすぐに私の知らない場所に移動する。私が拷問されて何もかもしゃべった前提で動きなさい。話さないように努力をするつもりだけど、何があっても話さないなんて約束はできないわ。分かったね。絶対よ」


 ナーシャはアルナが涙目でうなずいたのを確認して、最後にアルナを元気づけるように笑って出て行った。


 その後、アルナは泣きそうな表情で荷造りを済ませると、ナーシャに言われた通りにすぐに隠れ家から出た。行き先など決まっていない。ナーシャに教えていない隠れ家などアルナにはないのだ。


 アルナは夜通し歩き、夜明け近くの路地裏の隅で仮眠を取った。


 アルナが目を覚ました時、既に日は高く昇っていた。目覚めたアルナは寝る前の状況を思い出して、おびえた表情で当てもなく進んでいく。


「……どうしてこんなことに」


 アルナのつぶやきに答える者はいなかった。




 アルナが真昼のクガマヤマ都市の下位区画をふらふらと進んでいく。行く当てなどない。だが無意識にある場所を目指して進んでいた。アルナがカツヤと出会った場所へ。無意識にあの奇跡に近い邂逅かいこうを願って、もう一度カツヤと出会えることを願って、おびえと諦めの混ざった表情で裏通りを進んでいく。


 そしてアルナは裏路地を抜けて大通りに出た。そこにはカツヤの姿があった。


 アルナは夢でも見ているのかと呆然ぼうぜんとしていた。カツヤがそのアルナに気付いて笑って声を掛ける。


「あっ。えっと、また会ったな」


 アルナは笑っているカツヤの姿を見て夢ではないと気が付いた。その途端、アルナは泣き始めた。昨日からずっと張り詰めていた心が決壊したのだ。


 突然泣き出したアルナを見てカツヤが慌てている。アルナは泣きながらカツヤにすがり付いた。


「た、助けてください……」


 あの日の奇跡をもう一度。その願いはかなってしまった。それはアルナが2本あった命綱の1本を投げ捨ててしまったことを意味していた。




 スラム街の近くに寂れた倉庫が建っている。倉庫の中には武装した人間達の姿が見える。


 彼らは暴力に慣れた雰囲気をまとっており、人相もどことなく悪い。装備から判断すると普通のハンターのようにも見える。しかしハンターと呼ぶよりは盗賊や強盗と呼ぶべき空気をまとっていた。旧世界の遺物やモンスターだけではなく、人を狩ることも許容する倫理の喪失がにじみ出ていた。


 彼らは人目に付かない倉庫の中で今後の予定を話し合っていた。


手筈てはずは?」


「人数はこれで全員だ。決行は明日だ。もう追加人員の当てはないし席もない。人を増やせば取り分も減るしな。こんなものだろう」


「奪った旧世界の遺物の売却先も確保済みだ。故買もやっている業者がある。出所不明の遺物なんて幾らでもあるが、余計なことを聞かない業者の方が良いからな」


 男が襲撃先への不満をこぼす。


「ちゃんと金になるのか? ゴミみたいな遺物をさらったって、酒代にもならねえぞ?」


「そこの遺物を転売したら100倍以上の値が付いたって情報がある。遺物の質は良いはずだ。1万オーラムでも100万オーラムに、100万オーラムなら1億オーラムだ。狙い目だ」


 疑い深い男が尋ねる。


「そこまで行くと、逆に情報操作を疑いたくなるがな。敵の規模は?」


「武装したガキが10人ぐらいいるって話だ。その1人はハンターだってさ」


「ガキねえ……。最近やたら強いガキのハンターが増えているって話を聞くが、関係でもあるのか?」


「ああ、それはドランカムの連中だろう。特にカツヤっていうガキが率いているやつらは、若手のハンターだけで賞金首を討伐したらしい。ミハゾノ街遺跡の騒ぎでもデカい功績を稼いできたって話だ」


 警戒した表情の男が少し声を荒らげる。


「おいおい、賞金首をぶっ倒す連中なんて、やばいんじゃないか?」


「ドランカムは表側の真っ当な組織を名乗っているんだ。都市やハンターオフィスとも付き合いがある。スラム街の裏路地の遺物屋なんかの護衛なんて引き受けないだろう。俺達が狙う遺物屋とは無関係だ」


 別の男が話に割り込む。


「その遺物屋の後ろ盾になっているってガキのハンターも大したことはないって話だ。そいつはガキのスリに財布をすられた上に、スリのケツ持ちのハンターにすごまれてびびって逃げたって話だ」


「つまりそいつは大したやつじゃないってことだろう? その程度のやつを後ろ盾にしている店だと、やっぱり大した遺物はないんじゃないか? 金になるのか?」


「金に関しては、一応保険をかけてある。その店はこの後流行はやりそうな店だってうわさが流れているらしい。競合相手を早めに潰してほしいっていう依頼が裏で流れていて、その辺から食い込める手筈てはずになっている。俺達が襲って潰したってことでな」


 不服そうな男が話す。


「……そうか。そんな話は初めて聞いたが、どう転んでも金になるなら文句は言わねえよ」


 主犯格の男が少し威圧して答える。


「なら黙ってろ」


「……ふん」


 金銭的な利害のみで結びついた者達だが、金が得られる限り仲間割れをしない程度の理性を持ち合わせていた。烏合うごうの衆ではなく、ある程度は部隊として組織的に行動できる実力も備えていた。彼らの実力ならば旧世界の遺跡を探索してもそれなりの利益を得られるだろう。


 それでも彼らが人も狩ろうとするのは、道徳を軽視すればその方が安全に稼げると考えてしまったからだ。その判断が正しいという結果が続く限り、彼らは同じ判断を繰り返すだろう。その判断は誤りだったという結末が彼らに訪れる日まで。




 アキラは今日もシェリル達の拠点で過ごしていた。


 シェリル達は露店を毎日開いているわけではない。アキラが必ず拠点に来る保証はなく、露店以外の稼ぎも進めないといけないからだ。更にアキラから頼まれた読み書き等の授業もしている。カツラギの手伝いなどもしなければならない。


 シェリル達が露店と拠点内の遺物販売店を開いているのは週に3日ほどで不定期だ。今日はアキラが早い時刻から拠点にいるので、シェリル達は自分達の縄張りで露店を開いていた。


 アキラはシェリルと一緒にシェリルの自室で待機している。シェリルの部下から来客の連絡が来ると、シェリルは普段着から接客用の服に着替えてから、アキラと一緒に遺物販売用の部屋に移動することになっていた。


 シェリルは連絡を受けるたびに接客用の服に一々着替えている。遺物販売用の部屋から戻ってからも普段着に一々着替えている。


 シェリルの部下から来客の連絡が来た。シェリルが再び着替え始める。


 アキラが着替えの途中で下着姿のシェリルに、少し不思議そうに尋ねる。


「一々着替えないで、接客用の服をずっと着ておけば良いんじゃないか?」


 シェリルが笑って答える。


「気分の問題です。意識を高め、集中し、特別な服を着ている自覚を薄れさせないためにも、その方が良いかと思いまして」


「そういうものか」


「アキラも家に帰って強化服を脱いだ時に、安全な場所に戻ってきたという実感を覚えたりはしませんか? その逆をしているようなものです」


「……まあ、そうだな」


 アキラはどことなく何かを誤魔化ごまかすように答えた。


 アルファがアキラに意味ありげに微笑ほほえみを向けながら話す。


『アキラは家に帰っても脱ぐのが面倒臭いからって、強化服を脱がずにそのまま着ていることが多いものね』


『分かったよ。これからは気を付けるって』


『意識の切り替えは大切よ。アキラもシェリルを見習った方が良いかもね』


『分かったって』


 アルファが小言を言われてへそを曲げた子供のように返事をしたアキラを見て微笑ほほえんでいる。


 アキラはそのアルファから自分を慈しむような雰囲気を感じて気恥ずかしさを覚えた。それを表に出して表情を変えないように頑張って顔を固めていた。


 着替えの途中のシェリルが身に着けているものは、アキラからもらった下着だけだ。この下着も一応旧世界の遺物だ。アキラがその手の遺物も高く売れると知らなかった時に贈ったものであり、売ればなかなかの値が付く代物だ。


 シェリルは下着姿の自分をアキラに見られることにもう慣れてしまっていた。下着姿のシェリルを見てもアキラが全く動じないので慣れるのも早かった。


 シェリルが接客用の服に着替えながら考える。


(……アキラの気を引くために、もっとこう、恥じらう様子とかを出した方が良いのかしら。でも今更って感じもするし、私も慣れてきているのよね。恥じらう演技をしたところでアキラには見抜かれそうだし、どうしようかしら)


 シェリルがちらっとアキラの様子を確認する。シェリルほどの美少女が近くで着替えているというのに、アキラは相変わらず興味がなさそうな様子だ。そのアキラの態度を演技で覆すのには、相当な演技力が必要になるだろう。


(要は演技でなければ良いのよね。どういう状況なら私は恥じらいを見せるのか。今思い返せば、私がアキラに正面から抱き付いていた時も、それをうれしいとは思っても、恥ずかしいとは感じていなかったわね。……私の方が積極的だったからかしら。私からではなくアキラの方から動いてもらえれば、大分違うかしらね。そう。アキラに私の下着姿を見られる場合でも、例えば、私がしっかり服を着ている状態からアキラの手で1枚ずつ丁寧に脱がされていって、その後で下着姿を見られたりすれば随分違うはず……)


 シェリルはいろいろと考えながらその光景を想像した。


 シェリルの想像の中で、アキラとシェリルは共に軽い緊張と恥じらいの表情を浮かべていた。アキラは少し頬を染めながら、震えている手で丁寧にシェリルの服を脱がしている。シェリルは脱がされて床に落ちた衣服と、自分の服を脱がすアキラの手や、にやけるのを我慢しているようなアキラの顔を見て、恥ずかしそうに視線を彷徨さまよわせていく。


 シェリルは無意識に想像の光景に過度な装飾を付け加えていた。現実でのシェリルの動作が緩慢になるほどに、想像上の光景が過激さを増していく。


 シェリルの脳内の光景が当初の目的を無視し始めた頃、アキラがシェリルに声をかける。


「シェリル」


「はい!?」


 アキラに呼びかけられて現実に引き戻されたシェリルがひどく慌てた声を出した。アキラがそのシェリルの様子を少しいぶかしみながら尋ねる。


「……さっきから随分ゆっくり着替えているけど、急いだ方が良いんじゃないか? 客が来る前に部屋にいないと不味まずいんだろう?」


「そ、そうですね。すみません。急ぎます」


 シェリルは少し慌てながら急いで着替えを続けた。アキラは不思議そうにシェリルを見ている。そのシェリルの表情には、演技ではない恥じらいが浮かんでいた。

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