第145話 剣聖視点

 鼻孔をくすぐるのは、微かなインクの匂いと、古い本の独特な臭い。

 文末まで目を通し終え、そして顔を上げれば陽の光が目の奥を刺し、えも言えぬ痛みに顔をしかめる。

 どれだけそうしていたのかは覚えていない。

 けれど窓の外から差し込む日差しの角度からみて、少なくとも日差しが傾き始める程度には作業に没頭していたことになる。

 思わず目頭を押さえ、そして近くに座っているエレノスに結果を報告する。


「……やっぱり、エイリースの名前は教会の逸話にしか出てこないみたいね」


 大きく伸びをして、周りを見渡す。

 学術都市アレイスター。その大図書館は噂にたがわぬ場所だった。

 螺旋型の塔の内側に並べられた書架の壁は、はるか天高くまで続いている。

 膨大な知恵と記録が残されていることは間違いない。

 そんな数になると、目的の本を探し出すことさえ一苦労だ。

 そしてそれらを読むのも、同じように膨大な労力と時間を消費する。


 ようやく読み終え、閉じた本の背表紙を撫でながら、今日までの成果を思い返す。

 ここ数日間、食い入るように文字を眼で追い続けている。

 それでもエイリースの名前は聖道教会に関する伝承以外には見つけられなかった。

 けれど、なにも成果がなかったわけではない。


「名前はなくとも、類似する伝承は各地で残っている。先々代の国王に助言を与えた奇術師。ルベランシア領で人気を博した吟遊詩人。ヘンリル家に予知夢を残した旅人。他にも知恵や予言を残し、その使い方を試すような人物が世界各地で確認されてる」


 テーブルの上に散乱する羊皮紙には、数々の名前と年代が記されている。 

 それらはエイリースに類似する伝承、その発生地や時期をかきだしたもの。

 地理的にもバラバラで、その人物が現れた時期も一致しない。

 それでも、伝承の内容は驚くほど類似している。

 これらは、エイリースという名前を辿るのに重要な手がかりになるはず。


「あの魔族の子が名前を出したってことは、また新しいエイリースが現れたのかしら」


「どうだろうね。ただ純粋に同じ名前の人物がいるだけかもしれないし、その名前を意図的に使ってるだけかもしれない。断定はできないよ」


「確認する方法はないのよね。その人物がどこにいるかを」


 そんな都合のいい方法があれば最初から使っている。

 だからこれは、万が一にもそんな方法がないかという藁にも縋るような問い掛けだった。

 しかし、エレノスは珍しく歯切れが悪そうに、言葉をひねり出した。


「ないことはない、かな。実をいうと、ひとつだけ心当たりがある」


 思わずエレノスの顔を見返していた。

 てっきりすげなく、そんな物はないと突っぱねられると思っていたからだ。

 だがなぜそんな方法があるにも関わらず今まで黙っていたのか。

 覗き込むようにエレノスの顔を凝視する。


「なんで最初にそれを言わないのよ。この数日間、必死に本を読み漁ったっていうのに」


「信憑性のない噂話程度の方法だからだよ。そんなものを、賢者の僕が勧めるとでも思ったのかい?」


「今はおまじないでも占いでも使うべきでしょ。いいから、その方法を教えて」


 確かに賢者であるエレノスが、かもしれない、で話を進めることは少ない。

 しかし今はそんな個人的なポリシーなどにとらわれている場合ではない。

 問い詰めたエレノスは、渋々といった様子でぽつぽつと語りだした。


「これは僕のお師匠様から聞いた話だけれどね、ルーゼリア地方には『星読み』と呼ばれるジョブの持ち主がいるらしいんだ」


「星読み? 占星術師じゃなくて?」


 思わず首を捻る。

 ジョブはその名前から本質がわかるようになっていることが多い。

 剣の扱いに長けているのなら剣士、転移魔法に長けているのなら転移魔導士といった具合に。

 けれど星読みはその法則に当てはまらない。

 名前からわかるのは星を読む、ということだけ。


 こういったジョブには、賢者や聖女が含まれる。

 恐らくだがそういう観点からして希少なジョブなのだろう、という想像しか出来なかった。


「あぁ、間違いない。僕もお師匠には同じようなことを質問したけれど、やはり星読みで間違いない。そして一説にはその星読みは――」


 言葉は激しく開かれた扉の音にかき消される。

 あまりの勢いに積んであった本の山が崩れ落ち、メモの羊皮紙が散乱する。

 しかしそれらに意識を取られたのは刹那の間だった。


「アーシェ様! エレノス様!」


 静まり返った大図書館に響き渡るのは、ティエレの声だった。

 切迫した様子の声音から、ただ事でないことは確かだ。

 階段を使わずに一階へと飛び降り、急いでティエレの元へと向かう。

 走ってきたのか、ティエレは酷く息を切らしていた。


「どうしたの、ティエレ。またナイトハルトがなにかやらかしらとか?」


「い、いえ! それが……。」


「魔将デストロが、フィルッツ領の防衛線を打ち破り、内陸への侵攻を開始した。すでに領主エンパスは討ち取られ、周辺の領主が対応に追われている」


 答えたのは、ティエレではなくその後ろを付いてきた人物。

 ティエレと同年代か少し幼いぐらいだろうか。美しい少女だけれど、しかし纏う空気は歳不相応の威圧感がある。

 深い紫色の瞳が特徴的なその人物に困惑していると、いつの間にか追い付いてきたエレノスが唸るように呟いた。


「……ヘルメス、お師匠様。お久しぶりです」


 師匠、ということはエレノスを教育した人物に違いない。

 しかし容姿はどう見てもエレノスよりも年下だ。

 もしかすると、見た目通りの年齢ではないのかもしれない。

 内心驚いていると、その少女はエレノスを一瞥した。


「よくもその顔をこの場所に見せられたな、我が弟子よ。お前には恥というものを教え損ねたか、エレノス」


「い、今はよしましょう。それよりも魔将の話を」


「……そうであったな。付いてこい」


 その背の小さな少女に率いられる形で、私達は学術都市の中央にある建物へと向かう。

 そして、この学術都市アレイスターの真髄である竜学院へと足を踏み入れるのだった。

  

 ◆


 アレイスターを学術都市たらしめているのは、そこに住まう学者や魔術師の探求心だ。

 大陸中から知識の探究者が集まることで、自ずと知識の共有とその深化が行われている。 

 その中でも最高学府として君臨しているのが、竜学院だ。

 とは言っても、そこで実際に何が行われているのかは、学院生の中で秘匿されている。

 ただ、竜学院に所属している者は大貴族の助言役や、王族の宰相であることも多い。


 そんな優秀な学者や魔術師が集まる竜学院の一室で、エレノスの師匠――ヘルメスはいくつもの駒を用意し、地図上に迷いなく配置していく。

 学院の中に部屋を持っている時点でただものでないことはわかる。

 けれどいま重要なのは先ほど伝えられた情報だ。


 内陸へと魔族の侵入を許した地域は蹂躙されてきた。

 魔将が内陸への侵攻を開始したとなれば、これまで以上に王国は厳しい戦いを強いられることになる。

 魔王が国王の首に手をかける日も近づきつつあるのだろうが、そうなる前に状況を打破するのが勇者一行の役目であり、使命だ。

 領主を模したであろう駒が倒されるのを見て、再び気を引き締める。


「フィルッツ領にいた同士から緊急の連絡が入った。状況は先ほど伝えた通りだ。ゆえに今からフィルッツ領へ向かっても意味はない。隣接する貴族領……ロンファスへ向かい、連合軍に参加しろ。北の運河から下れば数日もあれば合流できるはずだ」


「意味はない、ってどういう意味ですか?」


「すでにフィルッツ領には魔王軍に対抗できるだけの戦力が残っていない。だがデストロが領地を支配下に置くまでの間、魔王軍の動きは止まる。魔王軍側から見れば重要な侵攻経路だからな。その間にお前達はロンファスへ向かえ。それが最善手だ」


 ヘルメスの言葉は提案や助言の限度を超え、もはや命令に近いものだった。

 こんな時は決まって軽口交じりに反論するはずのエレノス出さえも、その圧に口を閉ざしている。

 それは師匠であるヘルメスの意見を、無言で肯定していることに等しかった。


 賢者に教育を施したのだから、常人離れした知識と知性があることは容易に想像できる。

 そんなヘルメスの考えなのだから、従うのが最も賢い選択であることは理解できる。

 だが、その命令を素直に聞けるほど、大人ではない。


「今からでも救える命があるはずです! 助けを待っている人たちがきっと――」


「人類の勝利か、フィルッツ領地に住まう者達の命か。天秤がどちらに傾くかなど、もはや考えるまでもないだろう」


 そこで、気付く。

 幼さの残る声音から感じていた強烈な違和感に。

 このヘルメスは、ひとの命を容易に天秤にかけ、そして推し量る。

 その、命の価値を。


 だからこそ下せるのだ。

 大勢を救うのであれば、少数を犠牲にしていいという、その決断を。

 しかし、私の中にある信念と理想とは対極に位置する思想であることは間違いなかった。 

 地図を目に焼き付けると、そのまま踵を返して扉へと向かう。


「急ぎましょう。今なら、まだ救える命があるはずだから」


「ナイトハルト様も、それでよろしいですか?」


 ティエレが妙によそよそしい態度で、ナイトハルトの名前を呼ぶ。

 ふたりのあいだに何かがあったのは確かだが、それを追求するつもりはない。

 友達として、ティエレに聞きたい気持ちはあるけれど。


 ただ学術都市に到着してから、なぜか大人しいナイトハルトは壁際で話を黙って聞いていた。

 不気味なほど静かなその姿に違和感も覚えるがしかし、今はその原因を究明している暇はない。

 じっと勇者の答えを待っていると、彼は吐き出すように悪態を突いた。


「勇者を差し置いて仕切ってんじゃねえよ、クソが」


「私達で魔将デストロを討ち取る。領主の貴族様にその手柄を横取りされたくはないでしょ?」


「私達だ? その魔族のクソったれを殺すのは、この勇者ナイトハルトだ。勘違いすんな」


 言うが早いか、ナイトハルトは扉を蹴破るようにして、外へと出ていった。

 少なくとも以前よりはるかに扱いやすくなっている事は確かだ。

 気まずそうなエレノスと満足げなティエレへ目配せをして、そのまま部屋を後にする。

 だがその背中から、幼さの残る声が聞こえてきた。


「理解できないな。お前達は人類の勝利など、どうでもいいと考えているのか」


 振り返ると、ヘルメスの瞳と視線がぶつかった。

 純粋に答えを求めているのか。それとも私の判断を咎めているのか。

 いずれにしても、私の答えは変わらない。


「どちらも大切だよ。だから、どちらも諦めはしない。大勢を、救うために」


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