第142話
椅子に腰を下ろしたその時、激しく視界が明滅する。
見上げれば天上に埋め込まれている棒状の魔道具が、繰り返し点滅していた。
一瞬、また転移させられたかと身構えたが、アーセナルは依然としてそこにいて、天上を見上げながら小さく笑った。
「おっと、済まないね。まだ魔力の供給が追い付いていないんだ。もう少したてば安定するから、そのまま話を続けよう」
「魔力の供給をしてるってことは、この施設はアンタが管理しているってことでいいんだよな」
「もちろん。あのロロファスとかいう盗人がどうやってこの場所を見つけて僕に幻術を掛けたのかはわからないけれど。今は正常に僕の支配下に置かれているよ」
アーセナルはどこか自信気に、堂々と答えた。
目の前の存在が、見た目相応の子供でないことは十分に理解している。
広範囲にわたって生物を転移させ、その複製を作り出し、心さえも入れ替えるという施設を掌握する、未知の存在。
あるいは、俺達から見れば『神』と呼ばれるに足る高位の存在。
だからこそ余計なことは聞かずに、必要な情報だけを聞き出して手短にここを去るべきだろう。
手元の歴史書をテーブルの上に置くと、その中のいちページを開く。
「ここに載ってる記載とこの施設から察するに、フォロボスは学者かなにかだったんだろ」
古い歴史書を読み解く中で、俺はひとつの仮説を立てていた。
それはフォロボスという英雄が、元々は学者だったのではないかということだ。
優れた戦士としての一面が押し出されてはいるが、その功績は多岐にわたる。
その中でも、魔物が山脈から降りてくる周期やその数に関する情報は、今の竜討祭にも使われているほどに正確だ。
魔物と対峙する能力は、そういった研究を続けるうちに培ったものなのではないか。
歴史書を読むうちにそんな推測を立てていたが、アーセナル自身がそれを首肯した。
「ご明察。この施設も研究所だったんだけど、まさか今回みたいに悪用されることになるなんて」
「じゃあ、あの水槽に入ってた獣人の子も、その研究に関係があるのか? アルレリア……ルルフェンに似てたが」
「彼女は……僕の助手だった女性だよ。今回はそれを聞きに来たのかい?」
疑問を簡単に口にしたことを、後悔することになる。
目の前に座る子供の顔から、感情が抜け落ちていたからだ。
声色は変わっていない。
だが感情を感じさせない表情を見つめるうちに、察する。
この事を詳しく聞くなと、アーセナルは言外に伝えているのだ。
「……いや、俺が聞きたいのはヨミに関することだけだ」
「まぁ、彼女が僕の名前を上げた理由はわかってるよ。僕とツクヨミは盟友であり、同じ目標をもった研究者でもあり、そして志を同じくした仲間でもあった。だからこそ、どこから話せばいいのやら。ヨミからはどこまで聞いているのか、そしてヨミを疑う理由を聞かせてくれないかな」
「お前達がどこから来て、なにを目的にしているのか。そして、ヨミが黄昏の使徒とあの魔素を消し去ろうとする理由。俺が聞きたいのはこのふたつだ」
そんな俺の問い掛けを予想していたのだろう。
饒舌に戻ったアーセナルは、再び無邪気な笑顔を浮かべて、小さく頷いた。
「それぐらいなら簡単に答えられるよ。というかヨミはそれに答えなかったの?」
「だからここに来たんだろ」
「まぁそれもそうか。なら答えるけど――」
身を乗り出し、俺の顔を覗き込んだアーセナルはことも無げに、言い放った。
「僕達は別の世界からここに来たんだ。君達で言う『魔素』に元いた世界を、滅ぼされてね」
◆
異世界人。そんな突拍子もない話を、本来なら信じることはなかっただろう。
しかし、それがヨミやフォロボスの正体だというのなら、これまでの疑問のいくつかが解消される。
数百年を生きているという事実。体を持たない超常の存在であること。
そして有する、俺達とはレベルの違う技術力と魔法の力。
納得するには十分な要素がそろっている。揃い過ぎている。
沈黙の合間に、アーセナルは空になったティーカップへと、紅茶を注いでいた。
茶葉の匂いが広がり、自分がどれだけ肩に力を入れていたのかを自覚する。
「まぁ驚くのも無理はないよね。ヨミもきっと信じてもらえないと思って、話さなかったんだろうけど。でもこれで君が知りたいことは、全てわかったはずだよね」
俺の問い掛けは、何処から来たのか。そして何を目的としているのか。
アーセナルの答えは前者への答えかとも思われたがしかし。
魔素という存在に故郷を滅ぼされたとなれば、おのずとヨミの目的も見えてくる。
「ならヨミが黄昏の使徒を滅ぼそうとしているのは……。」
「この世界が、僕達の世界と同じ結末を辿ることを阻止するためだね」
想像することすら難しいその結末を、ヨミ達は見てきたというのか。
善悪の戦い。人間と魔族。魔王と勇者。際限なく広がる戦火。
世界が滅びということは、それらの意味さえも消え去るということだ。
俺達が戦う意味も、俺達が存在する意味も、全てが。
そんな結末を、魔素が引き起こすかもしれない。
そう考えるだけで、背筋が凍る。
だがアーセナルの様子からは、とてもではないが信じられなかった。
「アンタ達の技術力を持ってしても、その魔素を消し去ることはできないのか?」
本当に世界を終わらせてしまう危険があるのなら、なぜヨミやその仲間達が魔素を消そうとしないのか。
この世界を訪れた異世界人であるならば、竜人を滅ぼしてから今現在まで、いったい何をしていたのか。
技術力を持ってすれば、魔素を消す事など簡単なのではないか。
そんな俺の考えを聞いたアーセナルは、肩を竦めたまま首を横に振った。
「無理だね。僕達の世界では、最高峰の頭脳を持った研究者が魔素を消そうとして、意図せず世界崩壊の引き金を引いた。つまり今の僕やヨミであっても、完全に消すことは不可能だ」
「なぜ、そんな悠長に構えているんだ? 世界が滅びれば、アンタ達も無関係じゃすまないだろ!」
「その懸念する未来が訪れる可能性が、限りなく低いからだよ。さっきも言った通り、世界の崩壊は君達が神と呼ぶ僕達の中でも、さらに神がかった研究者が偶発的に引き起こしたものだ。魔素の脅威に過剰に反応して君達へと干渉し続ければ、そっちほうが世界に取り返しの付かない歪を生み出すことになる。だからヨミはあえて君達に命令を下すという形で戦いを続けているんだ」
文字通り、格の違う技術を有しているはずのフォロボスやヨミでさえ消すことができない。
となるとヨミの取っている黄昏の使徒を滅ぼし、魔素の拡散と被害を防ぐというのは原始的だが効果的な方法なのかもしれない。
ただそうなると、今度はヨミ達が人間という種族に手を差し伸べた理由がわからない。
極論ではあるが、竜人も人間も存在しなければ、魔素の研究は進められることはない。
魔素を消すことができないのであれば、そもそも研究をできる種族を残さなければ永遠に魔素が世界に牙をむくことはない。ヨミ達はそれを可能にしてしまう力を持っていたはずだ。
だというのに、なぜ人間に手差し伸べたのか。
竜人という種族を滅ぼしてまで。
「ヨミはいったい、俺達になにを求めているんだ」
「ツクヨミはね、僕達とは違うんだよ。彼女は君達がいつか、魔素を完全に消し去る方法を見つけると信じているんだ」
「俺達が、魔素を……?」
顔を上げれば、アーセナルの視線が俺を射抜いていた。
今までの子供のような印象は消え去り、長きを生きてきた賢者の如き光を湛えている。
まるで俺の眼を通して、なにかを探しているかのようでもある。
だが、俺達にそれが可能かは、わからない。
ヨミ達でさえ成しえなかった魔素の完全な抹消。
それを実現するのに、どれほどの歳月を必要とするのか。
そこまで考えて、ふと気づく。
人間が自分達の悲願を達成することを望んでいるヨミは、いつからこの戦いを続けているのか。
どれほどの歳月を、その戦いに費やしているというのか。
俺が問いかけるまでもなく、アーセナルは静かにそれを語った。
「気付いたかい? ヨミは、人間達が魔素を消し去る方法を見つけるより先に破滅を呼び寄せることを阻止しているんだ。歴史の影に隠れ、数百年という永劫の時の中、人間と共に。ずっと、ずっとね」
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