第141話


 有難いことに、式典はすぐに始まった。

 美術館の二階にあるバルコニーの扉が開け放たれ、見覚えのある従者が姿を現した。

 ヴィット・ヘンリルの護衛兼従者を務めている、あの女性だ。


 そしてそれに続いて現れたのは、当然ながら街の長であるヴィット・ヘンリルそのひとだ。

 ビルバース家の襲撃で怪我を負ったはずだが、礼服に身を包んだ姿はその影響を感じさせない。

 庭園の隅から隅へと視線を走らせたヘンリルは、その小柄な身からは想像もできない声量で、第一声を発した。


「我々はフォロボスという名の意味を、今一度振り返る必要がある。そうは思いませんか」


 響くその言葉に、水を打ったかのような静寂が訪れる。

 ヘンリルは冒険者達の視線を受け止め、そして言葉を続ける。


「過去の偉人に敬意を払うことを否定したいわけではありません。ですが今を生きる私達は、過去ではなく未来にこそ目を向けなければなりません。それこそ、自分達を救った新たなる救世主へ敬意を払わなくてはならないのです」


 振り返ったヘンリルの視線の先。

 美術館の中から姿を現したのは、儀礼用の装備に身を包んだルルフェンだった。

 夜空の様な深い青色に、星々の様な白金の装飾。

 遠目から見ても実戦向きではないと一目でわかるがしかし、それが意図するところは明白だった。

 

 あの広場に佇む石像と、意匠や装備の形が類似しているのだ。

 堂々としたいで立ちから放たれる力強い視線が、冒険者達を射抜く。

 まさしく英雄として相応しいその姿に、冒険者達の間から小さく声が上がる。


「ご紹介します。最後のフォロボスにして、最も新しいアルレリアの英雄、ルルフェンです」

 

 万雷の拍手とルルフェンの名前を呼ぶ声が、アルレリアに響き渡る。

 彼女のスキルによってハーピィは撃ち落され、それに加えて街中に散らばっていた魔物達も打ち抜かれた。 

 光りの雨を降らせ、街を襲う魔物達を一掃した活躍は、英雄と言って差し支えないものだ。

 俺も拍手でルルフェンを讃えていると、いつの間にか隣に来ていたアリアがぼやく。


「あの女がフォロボスになったこと、未だに納得いってないんだけど」


「歴史書が手に入ったんだから、俺達にフォロボスの名前は必要なくなっただろ」


「そうじゃなくて、アンタもこの街の為に色々と貢献したでしょ。それなのにルルフェンがフォロボスになったことをあっさり受け入れる連中が気に入らないのよ」


 そのアリアの怒りは嬉しい限りだが、それを言ったところでこの結果が覆ることはない。

 というよりも、覆ることを俺自身が望んではいないのだ。

 そもそもフォロボスの継承でひと悶着あったことが知る者は、多くはない。


 今回の竜討祭は異例尽くしであり、フォロボスの継承者を誰にするか、ヴィット・ヘンリルは決めかねていたという。

 借りていた魔道具を返しにいった際、それをヘンリル自身から相談されたのだ。

 そこで俺はビルバース家にある歴史書を読めれば、フォロボスの名前は必要ないことを伝えた。

 解体が決まったビルバース家の資産をどう使うかは、ヴィット・ヘンリルに一任されていたからだ。


 俺からの提案は快く受け入れられ、それどころか借り受けていた魔道具と歴史書を譲り受ける事となった。

 そしてルルフェンは英雄としてフォロボスの名前を継承し、最後のフォロボスとして名前を残すことになる。

 つまりルルフェンと俺達はお互いに望んでいた物を手に入れ、万事丸く収まったのだ。

 今さら蒸し返すような問題でもないだろう。


 それでもぶつぶつと呟いているアリアの声を聞こえないふりで受け流したが、今度は反対側から質問が飛んできた。


「気になっていたのだがな、ファルクス。もしあの檀上に上がっていたら、誰に求婚するつもりだったのだ?」


「それは……まぁ、ビャクヤの名前を借りようと思ってた。あくまでその場しのぎのために、だが」


「なるほど。それは……惜しいことをしたな」


 やはり不穏なつぶやきに少しばかり不安を抱きながら、視線をルルフェンの方へと戻す。

 この式典が終わり、歴史書を受け取れば、フォロボスとルーゼリアを紐解くことができる。

 ヨミが言った、フォロボスを調べろという言葉の意味も理解できるだろう。

 

 果たしてヨミは信用に足りる人物なのか。その目的が何なのか。

 それらを知れるのであれば、心置きなく黄昏の使徒との戦いに戻ることができる。

 だからこそ、まずは全てを確かめなくてはならない。

 歴史書と、あのフォロボス・アーセナルから。


 そんな思案にふけっていた最中、腕を引っ張られ現実に引き戻される。


「ちょっと、呼ばれてるわよ」


「あ、あぁ、なんだ?」


「私じゃなくて、あっちよ」


 アリアが顎で指示した先は、美術館のバルコニー。

 そこにいる、ルルフェンだった。


 気付けば周りにいる冒険者達もなぜか俺に視線を向けている。

 ルルフェンの隣にいるヴィット・ヘンリルでさえも緊張した面持ちだ。

 なにが起こっているのか、アリアに聞こうとしたがしかし。 

 その疑問を問いただす前に、答えが告げられた。


「私は別に必要ないですけど、貴方には私が必要ですよね。お兄さん」


 いかにもルルフェンらしい物言いだが、言わんとすることは理解できた。

 街を救った英雄フォロボスは、愛すべきアルレリアを結ばれる。

 だがそれはあくまで伝説の中での話だけだ。


「いいや、必要ない。そんなディノンの代役なんて、願い下げだ」


 小さく上がった悲鳴が、沈黙が下りた会場ではやけに大きく聞こえた。

 まさかフォロボスが……それもルルフェンからの求婚が蹴られるとは周りも思っていなかったのか。

 冒険者達も口を閉ざしたまま、様子をうかがっている。


 ただどうなろうと、ルルフェンの求婚を受けるつもりはなかった。

 アルレリアの生まれ変わりを自称し、他称されるその容姿は確かに美しい。

 加えて優秀な冒険者でもあり、はっきり言って非の打ちどころの無い相手だ。


 だがそもそも向こう側も本気ではないのだろう。

 俺が断る事を見越しての求婚に違いなかった。

 そして万が一本気だったとしても、ルルフェンが俺を通して見ている人物は、あまりに偉大で、あまりに大きすぎる。


 俺如きでは代役が務まるような人物ではないのだ。

 それは俺とルルフェンの間では、共通の認識に違いない。

 その証拠に、大勢の前で恥をかかされる格好となったにも関わらず、ルルフェンは笑っていた。


「いいんですか? こんな機会、二度とないと思いますけど。絶対に後から後悔しますよ」


「どのみち後悔するなら、せめてディノンに顔向けできる方を選ぶ。お前もそうしろよ、ルルフェン」


 こうして最後のフォロボスは、これまでのフォロボスとは違う結末を迎えた。

 フォロボスの名前は過去となり、これからは新しい名前がこのアルレリアには伝播するに違いない。

 英雄、ルルフェンの名前が。



 その日の夜は、魔道具がいらない程に明るい夜だった。

 白く輝き、冷たい光を放ち続ける満月を頼りに、歴史書のページをめくる。

 流石は美術館と呼ばれるだけあり、かなり丁重な保管がなされていたため、読み取れない場所は殆どない。

 そしてその内容を読み進めていく中で、様々な事実が浮かび上がっていた。


「歴史が長いんだな、このアルレリアも」


 王国の歴史が三百年前後ではあるが、ルーゼリア地方に人々が移り住んだのはそれとほぼ同時期だ。

 つまり竜人が歴史から消えた直後から、この場所では人々が生活を営んできたのだ。

 それ以降も魔王の降臨や異種族間の軋轢、権力闘争等々、様々な問題が巻き起こったがそれでもルーゼリア地方はしたたかに残り続けた。


 もちろんヘンリル家という有能な長がいることも大きな理由のひとつだとは思うが、それ以上に気がかりな存在がひとりいる。

 初代フォロボスと、全く同じ名前を持つ子供。


「フォロボス・アーセナル、か」


 その名前を呼んだ瞬間、あまりの眩しさに顔を顰めた。

 刹那の間、月明りが消えたかと思った次の瞬間には、件の施設が周りには広がっていた。

 そして俺の目の前には、丁寧にも用意された紅茶と不思議な形をした茶色い固形物が添えられていた。

 テーブルを挟んだ向こう側には笑みを浮かべた子供が、椅子に腰かけている。

 その様子からして、俺を呼ぶタイミングを見計らっていたのだろう。


「ようやく、会う気になってくれたみたいだね」 


「俺の方からも聞きたいことがいくつかあるからな。だがなんで俺ひとりなんだ?」


 用意された椅子はひとつだけ。

 そして周りには耳が痛くなるような静謐が満ちている。

 真白な部屋の中に、テーブルと二つの椅子。

 煌々と輝く魔道具の光も相まって、不気味ささえ感じさせた。

 それを、無邪気ともいえるアーセナルの微笑みが際立てる。


「ほかの子たちがいると話しにくいこともあるんだよ。色々とね」


「……つまりは、色々と教えてくれるってことでいいんだな」


「もちろん。きっと長話になるだろうから、遠慮せずに座ってほしい。特に君達を庇護下に置いている彼女……ツクヨミに関してはね」

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