第137話
そこは、見覚えのある場所だった。
古いフォロボスの石像と、そこに添えられた花束。
最初にルルフェンと出会った広場だ。
気配を感じて振り向けば、冒険者達が次々と転移してきている。
お互いに干渉しない距離感で、かつ転移には殆ど時間差がない。
凄まじく高位であり、熟達した魔法であることがすぐに見て取れた。
やはり、あの子供はただものではないのだろう。
フォロボスと名乗り、そしてツクヨミという名前を口にした。
向こう側が会おうと思えば、俺を呼び出す事など造作もないだろう。
見覚えのある顔が、目の前に現れた。
「ファルクス! いったいなにが起こっているのだ!?」
「詳しい説明は後からする! 今は住人の避難誘導に回るぞ!」
急な転移に戸惑っているのは、なにもビャクヤやアリアだけではない。
ただ街中から聞こえる悲鳴や夜の空を照らす火の手が、悠長に事情を説明している時間がないことを如実に示している。
強引にふたりを引き連れて冒険者ギルドの方向へと向かえば、住人達をギルドの建物へと誘導している受付嬢の姿が目に入る。
その周りで魔物を押さえつけているのは冒険者達ではなく、街の治安維持を受け持っている衛兵達だった。
「共鳴転移!」
街に入り込んでいるのは、まだ小型の魔物だけなのだろう。
衛兵達が抑え込んでいるゴブリンやシルバー・ウルフを、瞬時に片付ける。
住人や衛兵達は魔物が弾け飛んだことに驚いた様子だったが、冒険者達が戻ってきたことに気付いて、歓声を上げていた。
そんな中から、見知った顔が飛び出してきた。
俺達の竜討祭の受付をしてくれた、あの受付嬢だ。
「冒険者の皆さん! よくご無事で!」
「なんとかな。だが街に残ってた冒険者達はどうしたんだ?」
見渡しても戦っているのは衛兵の姿ばかりで、冒険者の姿が見当たらない。
衛兵達は確かに戦闘向きのジョブを持っている人々で構成されることが多いが、その役割からあくまで衛兵達の得意分野は対人戦に限られる。魔物との戦いを生業としている冒険者と比べると、経験も知識も流石に一段は劣る。
そんな衛兵達が最前線での戦いを余儀なくされている状況に、思わず眉をひそめる。
受付嬢は今にも泣き出しそうな様子で、その理由を語った。
「そ、それが、竜討祭のために西側にあるダンジョン……試練の迷宮にへ向かってしまいまして……。」
「ヴィット・ヘンリルが中止を宣言したはずでしょ!? なんで数日も待てないのよ!」
「そのヘンリル卿が姿を消しているんです! ヘンリル家の当主が不在の間に、ビルバース家が竜討祭を再会すると宣言してしまって」
受付嬢の動揺から見ても、ヴィット・ヘンリルは唐突に姿を消したのだろう。
そして今ならば、その理由も大体は察しが付く。
ロロファスが消えたとしても、その命令が消えるわけではないのだ。
アルレリアを消し去る為にも、竜討祭を利用して街を無防備にする計画だったのだろう。
西側の冒険者達と調査隊を収容し、最後にアルレリアに残っていた冒険者達を遠ざける。
そのためにも多少目立とうともビルバース家を使ってヴィット・ヘンリルを消し、そのままアルレリアの実権を握らせる必要があった。
後から疑われようとも、この街そのものが壊滅してしまえばもはや嫌疑などあってないようなものだ。
死してなおロロファスの計画を止めるには、あと一手が足りない。
「戻ってきた冒険者だけでは手が足りぬぞ! このまま押し切られてしまえば、このアルレリアは――」
「させませんよ。この私が生きている限りは」
その声に冒険者だけでなく受付嬢や衛兵達までもが振り返る。
細い路地裏から姿を現したのは、他でもないヴィット・ヘンリルだった。
見れば従者の肩を借りて歩いており、片足からは酷い出血をしているように見える。
一目見れば何かしらの事件に巻き込まれたことは明らかだった。
「その怪我は……一体、どうしたんだ?」
「この混乱と優秀な従者のお陰で、どうにか抜け出すことができました。よもやビルバース家がこのような手段に出るとは、思ってもみませんでしたが」
半笑いで視線を向けたヘンリルに、従者は目を伏せて小さく頭を下げた。
見れば腕には見慣れない魔道具が装備されており、腰回りの数えきれないほどのナイフが光を照り返していた。
従者とは言っているが、彼女は実質的な護衛も兼ねているのだろう。
街の長が戻ってきた事で安堵の声が上がるも、首の皮一枚繋がっただけに過ぎない。
指揮系統が復活し、衛兵やヘンリルの私兵の動きに変化はあるのだろうが、根本的な解決には至らない。
圧倒的に魔物に対抗できるだけの戦力が不足しているのだ。
「街は見ての通りだ。頼まれていた冒険者達も連れて帰ってきたが……。」
「わかっています。イリアス、彼にあれを」
イリアスと呼ばれた従者は自分の手に通していたバングルを外すと、俺の手に握らせる。
透き通った青色の宝石が美しいそれはしかし、美術品というより魔法的な力を感じさせた。
「これは、魔道具か?」
「ヘンリル家に伝わる秘宝ひとつですよ。膨大な魔力を蓄えることのできる、外付けの魔力器官とでも言いましょうか。此度のフォロボスに授与する予定の魔道具でしたが、今は貴方が使った方がよろしいかと思いましたので」
「有り難いが、あまり俺には必要ない物だ。転移魔法はさほど魔力を必要としないからな。できることなら広範囲の攻撃魔法が使える術師にでも――」
渡したほうが良いのではないか。
そう言い放つ直前で、このバングルの意味を理解する。
ヘンリルは、この魔道具には膨大な魔力を蓄えることができると言った。
どんな冒険者でも喉から手が出る程に欲しがる代物だろうが、この魔道具を俺に渡したということは転移魔導士に何かを期待しているということだ。
そしてこの街に足りないものと言えば、当然ながら冒険者の数である。
「えぇ、そうです。街を救う為にも、試練の迷宮へ向かった冒険者達を連れ戻してください。貴方ならばできるはずでしょう、ファルクス・ローレント」
◆
試練の迷宮。
そのダンジョンを駆け抜け、そして冒険者達の元へとたどり着く。
魔物の群れに押し込まれていたが、持ち込んだポーションを使えば態勢はすぐに立て直せるはずだ。
問題は、今だに数が減ったように見えない魔物の軍勢だ。
大挙して押し寄せる魔物の群れを前に、手首のバングルに視線を落とす。
淡い輝きの殆どが失われており、ここまでに消費した魔力量がどれほどの物だったかを物語っている。
これ以上に消費すれば、今度は自分自身の魔力を使わなくてはならない。
大勢を連れて帰るとすると、さほど魔力に余裕がある訳ではなかった。
「街が魔物に襲われてる。さっさとここを突破して、すぐに街へ戻るぞ」
「それができたら苦労はしないんですよ、お兄さん。あの魔物……アステリオの伝承を知らないわけではないでしょう」
ロロファスのことを考えると、冒険者達がアルレリアに戻ることを許すとは思えない。
ここで冒険者達が簡単にダンジョンを攻略してしまえば、ロロファスの計画が狂ってしまう。
そのためにもこのダンジョンで残っている冒険者達を壊滅させようとでも考えていたのかもしれない。
このアステリオという、フォロボスですら殺しきれなかった伝説の魔物を使って。
震える声のルルフェンに、あえて発破をかける様に鼻を鳴らす。
「次のフォロボスを自称するくせに、ずいぶん弱気だな。これは次のフォロボスは、俺で決まりだな」
「……ダンジョン攻略に名乗り出なかった時点で、お兄さんたちは棄権扱いになってるんじゃないんですか」
ルルフェンの言う通り、このダンジョンの攻略に参加できなかった時点で、すでに俺達は棄権扱いになっている。
どれだけの活躍を残したとしても評価されることはなく、フォロボスの名前を継承することなどできない。
だが、フォロボスという名前の意味を知っているのであれば、そんな些細な問題は関係ない。
「そうだな。だがフォロボスはアルレリアを救った英雄に与えられる名前だ。違うか?」
フォロボスという名前は、本来の意味を失った。
祭りの景品として、あるいは祭りに人を呼ぶための広告として、多用され英雄としての称号ではなくなってしまった。
だからこそ、この行動で得られるであろうフォロボスという名前は、竜討祭によって与えられる称号とは別格の意味を持つ。
お飾りの称号から、真なる英雄としての名前に、回帰する。
フォロボスの名を永遠に消し去るというルルフェンの考えは、なんとなくだが理解できる。
ディノンが憧れたフォロボスという称号は英雄としての在り方を指し示すものであり、決して祭りの景品として継承されるようなものではなかったはずだ。
そんなもののためにディノンが怪我を負い、この地から離れたことを、ルルフェンは許せなかったのだろう。
だからこそ、これ以上に名前が汚されないよう、自分が最後の継承者となる事を望んだ。
ディノンが憧れたその名前の名誉と意味を守るために。
そして今、人々は必要としている。
アルレリアが陥った未曾有の危機を跳ねのける、英雄を必要としている。
もしもこの状況を打破する英雄が現れたのだとしたら、人々は本当の意味でこう呼ぶのだろう。
フォロボスと。
「……いいですよ、その安い挑発に乗ってあげます」
魔物達の唸り声と共に、弦が軋む音が耳に届く。
見れば、黒曜石の様な瞳はまっすぐと魔物達を射抜いていた。
そこに迷いの色は、見て取れなかった。
後は、目の前の伝説の魔物を討伐して、街に戻るだけだ。
「時間がないんだ。通してもらうぞ」
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