第135話

 むせ返るような血の臭いが、鼻を突いた。

 光りを照り返す程に磨かれた白い床や壁には、過ぎた化粧が施されている。

 より鮮明となった惨状の中に立ち尽くすのは、ふたりの姿。

 血濡れの剣を片手に携えたディノンの複製と、それに寄り添うロロフェンだ。

 転移魔法で駆け付けた俺達を見て、驚くことなく小さく鼻で笑った。


「あら、遅かったわね」


 挑発するような笑い。

 その意味するところは、惨状の最中にあった。

 鮮血の主は、壁際に追い詰められており、その腹部には薙刀が深々と突き刺さっている。

 ともすれば背中側から刃が突き出て、壁に縫い留められているようにさえ見える。


 そしてその人物は、真白な髪を持つ鬼の少女だった。

 刹那の間、視界が明滅するが、それを元に戻したのは隣から聞こえが怒号だった。


「う、うそ、でしょ? ねぇ、ビャクヤ! なんとか言いなさいよ!」


「ファル、クス? そこに、いる……のか?」


 俺の名前を呼んだのは、耳を塞ぎたくなるほど弱々しい声だった。

 ビャクヤはゆっくりと視線を彷徨わせるも、焦点はあっていない。

 そして何かを見つける事無く、その視線は力なく真下へと向けられた。

 制止したその姿を見て、動機が酷く早くなる。


「残念。もう少し早く来ていれば、最後に挨拶を交わす時間ぐらい作ってあげられたのだけれど。鬼のお嬢さんも、最後まで貴方達……ファルクス君を待っていたのよ? 命乞いをしながらね」


「こ、殺す! アンタ、すぐにでも生まれてきた事を後悔させてやるわ!」


 アリアの咆哮と共に、人形の戦列が姿を現す。

 その声は恥も外聞もない、ただただ純粋な殺意を叩きつけるものだった。

 そしてその感情は痛いほどに理解できる

 だからこそ、アリアの前に手を差し出した。


「待て、アリア。冷静になれ」


「はぁ!? なに冷静ぶってんのよ! アンタがやらないなら、私が――」


 視線が交錯する。

 アリアの顔と高さを合わせ、その瞳の中まで覗き込む。

 以前にも感じた、左目の明白な違和感。

 そしてそれを抑えることのできない、煮えたぎるような怒り。

 この感覚を、俺は覚えている。


「任せてくれ。俺が確実に、殺す」


 ◆


「勇ましいのは結構だけれど、ディノンの実力は良く知っているでしょ? そこに私の幻術が加われば、もう貴方達に勝ち目はないわ。けれどね、私もディノンが目にかけていたファルクス君を殺したいわけじゃないの。悪いことは言わないから、ルーゼリアから出て言ってくれないかしら」


 恩情のつもりか。それとも優位に立っているという驕りか。

 いずれにせよ、そのふざけた要求を呑む気はなど、さらさらない。

 その代わりに、一本の剣を引き抜いた。


「ロロファス。俺は、お前のことを少しだけ理解しているつもりだった。劣等感に苛まれ、そして唐突に理想に近い力や容姿を手に入れた。だからこそ、お前の抱えている物を少しだけでも理解してやれると、そう思っていた」


 身勝手で一方的な理解ではある。

 だが同じように劣等感や無力感を味わった仲間として、分かり合える部分もあるのではないかと、心のどこかで考えていたのだ。

 もしも俺がヨミから力を貰えなかったら。なにかしら倫理的に問題のある方法で力を手に入れられるという状況に陥ったら。その誘惑に俺は打ち勝てたのか。

 その選択を誤ってしまった結果が、目の前のロロファスなのではないかと。

 そんな事を思っていたのだ。

 だが、それは俺の都合のいい勘違いだったのだと、遅れて気付かされる。


「優しいのね、流石はディノンが見出しただけはあるわ」


「あぁ、そうだ。ディノンが俺をみとめてくれたから、転移魔導士を授かっても心が折れなかった。ディノンが指示してくれた理想を追いかけることで、戦い続けることができたんだ。だから俺もそんな風になれたらと思ったんだ。今の、今までな」


「ディノンはいつまでも心の中で生き続けて、いつまでも私達を導いてくれるわ。英雄、フォロボスの名前に相応しいひとだと、私はずっと思っていたの。ううん、彼以外にフォロボスの名前が相応しい人間なんて、どこにもいやしないのに」


 不満げに語るロロファスは、ディノンの肩に頭を寄せる。

 だがディノンの複製は、じっと俺達を見つめたままだ。


「他の人間に継がせたくなかったんだな、フォロボスの名前を。だからわざわざ竜討祭を狙った」


「都合が良かったのよ。ビルバース家を当主になりすまして操れば、竜討祭どころかアルレリアを自由にできるでしょ。後は生まれながらに優遇されてきたルルフェンには、少しだけ不幸を味わってもらって、そして全てを終わらせる」


 疑問には思っていた。

 ビルバース家は竜討祭を強引にでも推し進めようとしている。

 だが普通に進行したとしても、セコイヤ・ビルバースの有利は揺るがない。

 それおどころか想定外の事態に置かれている現状では、セコイヤの身に危険が降りかかる可能性の方が大きかった。

 しかし、ビルバースはそんなことはお構いなしに、竜討祭を進めるようギルドに圧力をかけていた。

 その圧力の正体は、このロロファスだったという訳だ。


 俺達の想定以上に、ロロファスはアルレリアを支配下に置いているのかもしれない。

 となると、これよりも先に行われる竜討祭にもなにかしらの仕掛けをしていると考えるべきだろう。

 もはや、そこまでロロファスが竜討祭を見届ける事など、出来はしないが。


「俺達を騙したことはまだいい。竜討祭を滅茶苦茶にしたことも取り返しがつくことだ。勝手に複製したことは、ディノンもさすがに怒るだろうが、最後は笑って許してくれるはずだ。だが――」


 目に映るのは、壁に縫い付けられた遺体。

 だが、それはビャクヤの物ではなくなっていた。

 霧のような物に覆われてはいるが、別の冒険者のものだった。


「俺の仲間を侮辱する事だけは、誰であろうと許さない。たとえ相手が、ディノンだろうとな」


「それが答えなのね。可愛そうに、すぐに鬼のお嬢さんの所に送ってあげるわ」


 その瞬間、転移魔法を発動させる。

 俺やアリアの背後に生み出されていた影の魔物が、刹那の内に消え去った。

 ロロファスは、その貢献をただ呆然と眺めていることしか出来ずにいた。


「なぜかわからないが、見えてるんだよ。お前の幻術は、とっくにな」

 

 目の前の相手が幻術かそうでないか、だけではない。

 ロロファスがどこに魔法を使おうとしているかも、見通すことができていた。 

 恐らくは左目の影響なのだろうが、今は理由などどうでもいい。

 重要なのはこのロロファスを、ここで始末することだ。

 ディノンとの距離を詰め、剣の切っ先を向ける。

 それと同時に、ロロファスが慌ててディノンの背中へと隠れる。

 

「ディノン、全部壊して!」


 返事はない。

 だが代わりに、剛腕が振るわれる。

 武骨な剣から生み出される一撃は、必殺の威力を秘めている。

 これがディノンの最盛期なのだと、感慨深くもあった。

 だが、見慣れてしまうとそんな感情はわかなくなってしまった。

 なぜならば――


「弱すぎる。俺を毎日のように叩きのめしていたディノンは、こんなものじゃなかったぞ!」


 技術も何もない、ただただ剣を振っているだけの攻撃など、数回も見れば簡単に見切ることができる。

 俺を育ててくれたディノンであれば、こんな単純な戦い方は絶対にしない。

 受け流す構えで攻撃を誘発させ、そのまま距離を置いて一手を使わせる。

 その間に距離を詰め、防御態勢に入ったところで、その背後へと転移する。

 

 たったそれだけで、かつては酷く遠かったはずの背中が、無防備な状態で目の前に現れる。

 そこに一撃を入れることを、どれだけ夢に見てきたか。

 その背中に追いつくことが、どれだけ困難であるか。

 身に染みて知っている今だからこそ言える。


 この複製は、断じてディノンなどでは、無い。

 この背中を追う価値など、なにひとつありはしない。


「私達の邪魔を、しないでよ!」


 幻術を使ったのだろう。

 微かにディノンの複製が振るう剣に、もやがかかる。

 だが、それだけだ。

 攻撃の距離感を誤る可能性があったが、幻術を見抜ける今ではその心配すらない。

 

 ディノンの複製は即座に背後にいる俺に気付いたのだろう。

 振り向きざまにその刃を閃かせるがしかし、わかりやすすぎる。

 密かに用意していた魔法を発動させる。

 と同時に、鮮血が宙を舞った。


「ディ、ノン?」


 振るわれた刃は、俺の居場所と入れ替わったロロファスを切り裂いていた。

 信じられないものを見たような表情で、その名前を呼ぶロロファス。

 しかしディノンの複製はその名前を呼ぶことすらせず、自分で切り裂いたロロファスをじっと眺めているだけだった。

 

「これなら、本望だろ」


 長くはない沈黙の後。

 獣人の少女は崩れ落ち、地面に黒髪が広がった。

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