第134話
振るわれる剛腕を辛うじて避け、部屋の外へと飛び出す。
しかし溢れかえるように、部屋から影の魔物が追ってきていた。
個体としての境界線が曖昧なため正確な数はわからないが、少なくともアルレリアの周囲で確認された数と同等か、それ以上はいるはずだ。
ひとつの軍隊の如き魔物の群れは、一直線に俺達を負って回廊を突き進んでくる。
「あれは幻術ではないのか!? なぜ我輩を攻撃できるのだ!?」
「いや、確かに幻術だ。物理的な干渉ができるとなると、相当に高位な魔法であることは間違いないが」
「冷静に判断してないで、なんとかしなさいよ! あの魔物を消す方法はないの!?」
俺達の攻撃は当たらず、相手の攻撃を受ければ重症は免れない。
そんな理不尽な状況に、ビャクヤとアリアは防戦を強いられていた。
転移魔法で逃げることも可能だが、一直線上ではあまり意味がない。
いずれ追い付かれて、なぶり殺しにされるだろう。
加えて時間を稼がれてしまえば、ロロファスが地上へ魔物を送ってしまうかもしれない。
その前に、この状況を打破してロロファスを打倒しなければならない。
そしてその算段は、おぼろげながらに付いている。
「幻術も決して無敵なわけじゃないからな」
「そう言うからには、なにか対処法があるのだな」
不敵な笑みを浮かべたビャクヤに、俺は小さく頷き返す。
ビャクヤからの信頼と期待に、俺も答えるべきだろう。
ただ、その作戦には一つだけ問題があった。
「ひとつ考えがある。だがそのためにはまず、アレをどうにかする必要があるが」
それは、蠢く影を裂いて姿を現した。
武骨な剣を片手に携え、表情らしい表情を浮かべることすらない、ただただロロファスの命令に従うだけの人形だ。
その視線は、まっすぐに俺達を射抜いていた。
ディノンによく似たそれは、俺の知るディノンとは全く異なる。
俺の記憶の中にいるディノンは、失敗も成功も同じように繰り返す冒険者だった。
だが怪我によってこの地を離れたという話からして、今の実力が本当のディノンの実力なのだろう。
そんな彼がいては、俺の作戦の実行は難しい。
作戦というにはあまりに単純ではあるが、ディノンがいては作戦その物を強引に破壊されかねない。
できるならば隔離しておきたいが、この壁を簡単に破壊してしまうのであれば、それも難しい。
白い影が、俺の前へと歩み出た。
「我輩があの男の相手をしよう。その間にファルクスとアリアは、ロロファスを頼む」
「できるのか? あの男は……。」
ビャクヤの実力を見くびっているわけではない。
ディノンの実力を見切ったわけでもない。俺にそこまで戦士としての眼はない。
しかし、ディノンは常軌を逸した実力を有していることは理解できている。
ビャクヤも腕の立つ戦士ではあるが、勝利を確証できるほど実力差があるとは思えない。
ならば、三人でディノンを無力化した後にロロファスを対処すればいいのではないか。
そんな事が頭をよぎるが、それを遮ったのもまた、ビャクヤの声だった。
「いや、違うな。我輩にやらせてくれぬか? この戦いは、この手で終わらせたいのだ」
背中からは、ビャクヤの表情を伺い知ることはできない。
それでも何を考えているのかは、なんとなく理解できた。
そしてビャクヤがそれを望んでいるのであれば、俺にできる事は信じることだけだ。
「頼んだ、ビャクヤ」
相棒の名前を呼ぶと、気持ちの良いほど返事が返ってくる
「委細承知した! この我輩に、任せよ!」
◆
ビャクヤがディノンと刃を交えたその瞬間、激しい火花と共に二人の姿が掻き消える。
どうにかビャクヤがディノンを抑えてくれている間に、影の魔物とロロファスをどうにかしなければならない。
ただ、その為にはとある場所まで魔物達を誘導する必要があった。
「それで、ビャクヤに大見得を切った手前、本当に攻略法があるんでしょうね」
「あの影の魔物の仕組みも、大体理解できたからな」
幸いにもロロファス自身が、自分のジョブを教えてくれた。
それ自体もフェイクな可能性もなくはないが、今までの事象を考えるとそれも考えにくい。
正体を掴ませないという幻術師としての強みを自ら捨てたことから、すでに勝ちを確信した上での暴露だったのだろう。 絶対的な優位性からか、相手から情報をくれるというのなら利用しない手はない。
幸いにも、幻術師に関する情報なら持ち合わせている。
アーシェと共に冒険をしていた際に読み漁っていた資料の中で希少かつ強力なジョブとして名が挙がっていたことを、記憶の中から引っ張り出す。
それによれば、幻術にはいくつかの種類が存在する。
相手に対象物を誤認させる、基本的な幻術。
そもそも相手の認識そのものを歪曲させる幻術。
そして物理的にも干渉できる高位の幻術は、対象の認識によって成り立つ。
つまり相手を勘違いさせて、その勘違いを現実にしてしまうのだ。
冒険者であれば当然、巨大な魔物に殴られれば怪我をすると認識している。
だからこそ影の魔物に殴られた冒険者は、その想像通りに怪我を負うことになる。
最初に抱いた幻影への認識が、そのまま否が応でも反映されてしまうという訳だ。
そしてその影響は、術師であるロロファスですら干渉することはできない。
だからこそ、この幻影への対処法はいたって単純だった。
「できる限りこの魔物の足止めをしてくれ。転移魔法の準備をする」
「どれぐらい稼げばいいわけ? こいつら相手に、あんまり長くは持たないわよ」
「それでいい。倒すんじゃなくて、あくまで目的は足止めだ」
「まぁ、一応やってみるけど! 行って、ティタルニア!」
人形の巨人が、影の魔物の中へと突っ込んでいく。
それに続いて人形の軍隊が、戦列を気付いて魔物達を一斉に攻撃し始める。
ただ、やはりと言うべきか魔物達に有効打を与えられている気配はない。
しかし、それでいい。
ロロファスは、この場で俺達を潰す気なのだろう。
膨大な数の影の魔物が、回廊に所狭しと並んでいる。
だが、その数が増える様子はない。
それもそのはず、相手の認識を阻害するだけの幻術ではなく、相手の認識で物理的な干渉さえ可能とする高位の幻術では、消費する魔力が段違いだ。
特に、転移魔法や純粋な攻撃魔法ではなく、幻術は見ての通り常時発動型の魔法だ。
これだけの魔法を同時に展開すれば、いかに優れた魔術師と言えども魔力が枯渇する。
当然、その代償に見合うだけの強力な魔法であることに間違いはない。
俺達の攻撃は無力化され、俺達への攻撃は一方的にできるのだ。
まさしく、無敵の魔法。無敵の軍隊だと思うだろう。
その、原理を知らなければ。
「もう少しだけ持ちこたえてくれ、アリア!」
「そんなこと言ったって、攻撃が当たらないのに足止めなんてまともにできる訳ないでしょ!」
影の魔物達は攻撃を受けて霧散しては、すぐに元に戻り、そして歩を進める。
アリアの指揮する人形の軍隊ですら、その場に押しとどめることさえできない。
しかしそれも全ては、そう俺達が認識しているからだ。
最初にビャクヤが攻撃した時、俺達は真っ暗な場所でそれを視認した。
影のような魔物に攻撃を繰り出して、果たして効果はあるのか。
そう疑問を持ったことで、あいまいな状態……あの揺らぎの状態を作り出すことしか出来なくなった。
その瞬間に、俺達の認識が幻影に反映されたのだ。
であれば、その対処法は単純明快だ。
例えば、『絶対に魔法を通さない』場所に閉じ込めれば、この幻術達は消滅を余儀なくされる。
実際には魔法を通す場所であろうと、関係はない。
「俺達の認識に則して結果を生み出す幻影。なら――」
延々と続くかと思われた真白な回廊。
そこを埋め尽くさんとする黒い影を、全て転移魔法の範囲に収める。
気の遠くなるような範囲だが、時間をかければ不可能ではないはずだ。
それに飛ばす質量が少なければ、さほど負荷もかからない。
人形の軍隊を踏み越え、眼前にまで迫っていた無敵の軍勢。
それらが、瞬きの間に、掻き消える。
「単純な勘違いでも、簡単に消え去る」
転移先は、俺達が閉じ込められていたその部屋である。
部屋の中へと視線を向ければ、影の魔物達はその姿を保てずに、次々と崩れ落ちていく。
そして、部屋の中には一切の痕跡すら残さず、影たちは姿を消した。
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