第131話

「これで、冒険者達が勝手にここを離れた、という線は消えたな」


 地面に転がった調理道具を拾い上げ、周囲を見渡す。

 殆ど炭になった焚き木に、そこに設置されたままの調理道具。

 近くには簡易テントも設置されている。

 見慣れた標準的な道具類だが、肝心の冒険者の姿がどこにも見当たらない。

 ビャクヤは角を引っかけながらテントから出てきて、そして首を横に振った。


「武器だけは持ち去られているようではあるが、争った痕跡は微塵も残っておらんな」


「こっちも周りを見てきたけれど、冒険者どころか魔物も動物もいなかったわ」


「だがこの道具は間違いなく、失踪した冒険者の物で間違いないだろうな。冒険者章が残ってる」


 焚き木の周りに落ちていた冒険者章は、探していた冒険者のもので間違いはない。

 長期的な依頼を受けた場合は、こうして拠点を構えるのが一般的だ。

 この場所を任された冒険者達も、ここを活動拠点として魔物の討伐に向かおうとしていたに違いない。

 となると、冒険者達が竜討祭の参加条件を一方的に破棄して、ルーゼリア地方を立ち去ったという可能性は消えた。

 だが、その場合はもっと厄介な可能性が残ることとなる。


「私は素人だから分からないんだけど、こういうのって普通あり得るの?」


「いいや、ありえんな。戦うにしても移動するにしても、痕跡を残すものだ。だが見た限り、この場所にはそれらしい痕跡はなにも残っておらん。足跡も途中で途切れているしな」


 ビャクヤはしゃがみ込み、踏み固められた地面を指先でなぞっていた。

 そこにはブーツの足跡がはっきりと残されていたが、この拠点から少し離れた地点で唐突に途切れている。

 それは他の足跡を辿っても、同じ事がいえた。

 あまりに不自然な痕跡に、ビャクヤは腕を組んでじっとその足跡を眺めていた。

 

「確認するけど、面倒くさくなって投げだしたってことはないのよね」


「わざわざ足跡を消すような逃げ方をする奴らが、こんなに道具を残していくか?」


 アリアの懸念も事実上、なくはない。

 だがそんなことをする意味がない。

 中途半端に足跡を残してある一方で、途中からは完璧と言えるほどに痕跡が消されている。

 どんな手法を使えばこんな芸当が可能なのかは知らないが、さっさと道具を回収して逃げれば痕跡など気にせずに済む話だ。

 

 逃亡すれば冒険者ギルドからの評価が落ちるのも、竜討祭への参加表明をした時点で確定している。

 犯罪を犯したわけでもなければ、冒険者ギルドが冒険者を追跡するなどということもまずありえない。

 全てにおいて、この場所に残された状況はちぐはぐだった。

 ビャクヤは足跡の追跡を諦めたのか、振り返って腰に手を当てた。


「ふむ、なにもわからん。この状況では、冒険者達が消えた、としか言いようがないな」


 最初から分かっていたことだが、それ以上の情報をこの場から得ることはできないだろう。

 魔物に襲われたのなら、その戦いの痕跡が残っているはずだ。

 逃げるにしても、道具を残していながら足跡を消すなどいう面倒なことをする意味がない。

 となるの残るのは、唐突にこの場所から冒険者が消えた、という事実のみだ。


 はっきり言えば、手詰まりに近い。

 こういう時に『盗賊』や『狩人』がいれば痕跡を詳しく調べられるのだろうが、あいにくと俺達の中にはそういったジョブの持ち主はない。となると自分達の眼と直感しか頼るものがない。

 三人で入念に足跡や残された道具を調べていくが、これといった手がかりを見つけることができず、ただただ時間だけを浪費していく。


 俺達が気付いていないだけで、失踪した冒険者達がなにかしらの事件に巻き込まれている可能性も捨てきれない。

 この瞬間にも命の危機にさらされているかもしれないのだ。

 じりじりとした焦燥感に駆られながら、途切れた足跡を調べていた時。

 なにかが視界の端に映った気がした。

 

「これは……なんだ?」


 それは、光の糸のようなものだった。

 手を伸ばしてみても、掴むことができない。

 実態を持たない、魔法的な現象なのだろう。

 

 風に流されることもなく、光の糸は途切れた足跡の近くで浮遊し続けている。

 この足跡と関係性があるのか。あるいはこの場所と関係があるのか。

 微かな手掛かりに思えたそれへ上げた声を聴いたのか。

 ビャクヤとアリアが、背中から顔を覗かせた。

 しかし――


「どうしたのだ? なにか見つかったのか?」


「この光の糸、見えないか?」


「……なにもないじゃない」


「いや、あるだろ? ここに」


 振り返っても、小首をかしげるビャクヤと、眉をひそめるアリアがそこにいるだけだった。

 ビャクヤは俺達の中で最も目が良い。

 十三歳より前にジョブに目覚めたアリアは、魔法への適性が非常に高い。

 そんなふたりにこの光の糸が見えてない。

 つまり、俺だけに見えていることになにか理由があるのか。

 

 眼の良さ。

 魔法への適性。

 魔素に影響されているというのであれば、ビャクヤも同じだ。

 となると、思いつくのはやはりジョブ……転移魔導士しか思い浮かばない。

 

 そこで、思考に掛かっていた霞が晴れる。

 バラバラだった状況が、推測によってひとつとなる。


「ビャクヤ。冒険者達の足跡が消えたのはどの辺だ?」


「テントから離れてすぐだが……。」


 薙刀の刃先で指示したのは、足跡が消えたであろう位置。

 そしてその位置はすべて、円状に連なっていた。

 それは、決して偶然ではない。

 

 ふと視線を向ければ、乗ってきたはずの荷馬車が視界に移る。

 だが、それを引いてきたはずの馬の姿が、何処にもなかった。

 そしてアリアが言っていた言葉を思い出す。

 この周辺には、魔物も動物もいなかった、と。

 

 たどり着いた推測が、確信へと変わる。


「この場所から離れるぞ! 空間――」


 魔法を起動させるより先。

 光の糸が周囲から立ち上る。

 視界が晄の奔流で埋め尽くされる、その直前。

 世界が、暗転した。


 ◆


「無事か? ふたりとも」


 声を上げるが、自分でも自分の状況が把握できていなかった。

 酷い眩暈と、平衡感覚の喪失。

 それは、無理に転移魔法を使ったときと同じ症状だった。

 真っ白な地面がようやく認識できるようになってきたころ。

 近くからふたりの声が聞こえてきた。


「なにしてくれてんのよ。頭打ったでしょ、まったく」


「ここまで手荒に転移したのは、初めてではないか?」


 呻くような声からして、ふたりも俺と同じような症状に陥っているに違いない。

 だが最初にはっきりと断っておかなければならないだろう。


「俺じゃない。今の転移は、俺の魔法じゃない」


 俺の転移魔法が発動するよりも前。

 別の転移魔法が起動したことを直前に確認している。

 恐らくは座標を定めて、そこに入った生物を別の指定した場所へ飛ばす、ある種の魔方陣による魔法と同種のものだろう。

 ただ別の場所へ飛ばせればいい、とでもいうように転移される側のことはなにひとつ考慮されていない。

 強烈な吐き気をどうにか飲み下し、ゆっくりと顔を上げる。


 目に飛び込んできたのは光沢のある真白な床と真白な壁に、不自然に光る棒状の魔道具。

 生き物の温もりを一切感じさせないその空間には、すでに俺達とは別に何人もの冒険者達が集められていた。

 その中のひとりが、俺達を見て吐き捨てるように声を上げた。 


「また送られてきたのか。いったいこれで何人目だよ」


「アルレリアの西側を担当していた冒険者だな」


 また、という言葉も気になる。

 だがそれよりもまずは確認が優先だった。


 大掛かりな転移魔法による転移。

 それがあの場所から唐突に冒険者が消えた理由だ。

 転移魔導士に付きまとう最弱という言葉に踊らされがちだが、それはあくまで転移魔導士が転移魔法を使いこなせないことに起因する。

 十全な準備と手順を踏めば、転移魔法も非常に強力な魔法となり得るのだ。


 となれば、ここにいるのは俺達が調査していた場所にいたであろう冒険者達で間違いないはずだ。

 確認を取ると、冒険者は不機嫌そうに皮肉った。


「そういうお前達は、俺達を探しに来た調査隊の冒険者なんだろ? 向こうにお仲間が捕まってるぜ。ありがとよ、助けに来てくれて」


 アリアが噛みつこうとするがそれを制止し、壁際に集まっている冒険者達の元へ向かう。

 そこには見知った……というより、冒険者ギルドで調査隊に志願した顔ぶれがそろっていた。

 彼等も別々の地域を調査に向かったと覚えているが、転移魔法によってこの場所に飛ばされてしまったのだろう。

 思わぬ再会に、ところどころからため息が漏れだした。


「結局、アンタ達もここに来ちまったか。これで調査隊のほぼ全員だな」


 ダンジョン内部の罠に、転移魔法が使われることが稀にある。

 その先は下の階層だったり、あるいは魔物の巣窟だったりと様々だ。

 しかしこの場所はそういった罠とは異なり、脅威があるようには見えない。

 むしろ床や壁は不思議な光沢を纏っており、ある種の宮殿のようでさえあった。

 ただ、この場所には出入口が見当たらなかった。


「ここは? なんというか、やけに小綺麗な場所だが」


「知らねぇよ。ここが何処か調べようにも、外に出る方法すらわからん。そこの小窓から外が少しばかり見えるが――」


 その先の言葉は、金属音によってかき消された。

 反射的に振り返れば、薙刀を片手にしたビャクヤがガラスの壁と向き合っている。

 恐らくだが、その手の薙刀で壁を破壊しようとしたのだろう。

 アリアが慌てた様子でビャクヤの背中から抱き着き、壁際から強引に離れさせる。


「ちょ、ちょっと! なにしてんのよ、ビャクヤ!」


「いやなに、外に出れぬかと思ってな。だが存外に頑丈らしい」


 なんと無しに言い放つビャクヤに対して、言葉を遮られた冒険者がため息を吐き出した。


「んなもん、一番最初に試したに決まってんだろ。壊れねえんだよ、ここの壁は。スキルだろうと魔法だろうと、ぶちかましてもびくともしやしねぇ」


 そういって指さした先。

 そこには微かに焦げ跡が残っているのが見て取れた。

 言葉通り受け取るなら、ここにいる冒険者達が魔法やスキルで壁の破壊を試みた結果なのだろう。


 ビャクヤや集まっている冒険者が破壊しようとした壁は、確かにガラスでできているように見える。

 普通なら冒険者の力で破壊できないガラスなど存在しない。

 それどころか、ビャクヤであれば普通の家ですら素手で破壊できるだろう。


 しかし、冒険者達が攻撃したという個所を見ても汚れているだけで、傷ひとつ付いていない。

 遠くで地面に座り込んでいる冒険者達も、この事実を知っているからこそ、あそこまで攻撃的な態度をとっていたのだろう。

 考えてみれば彼等は数日間も、このなにもない真白な部屋に閉じ込められているのだ。

 こんな場所から逃げ出す術がない不安から、攻撃的に振る舞ってどうにか正気を保とうとしていたに違いない。

 だがそれも限界に達した様子だった。


「死ぬまでここに閉じ込められて、終わりだ。俺達も! お前達も! 全員――」


 その半狂乱の言葉の先を聞くことはなかった。

 訪れたのは、耳が痛いほどの静寂。

 そして眼前には、真白な回廊がどこまでも続いている。


「ちょっと、急に転移させないでよ。びっくりするじゃない」


「悪い。だがあの部屋への転移より、ずいぶんマシだったろ」


「当然、ファルクスの魔法の方が、我輩は好きだ」


 どこまでも、俺達の声が響いていく。

 小綺麗ではあるが、ダンジョンに変わりない。

 ただ少なくとも、あの部屋からは脱出できた。


 今回はビャクヤとアリアを連れて転移したが、この調子ならば冒険者全員を連れ出すことも容易だ。

 このガラスは転移魔法への対策は成されていないのだろう。

 個人で使える転移魔法で人間が外へ転移する事など、普通ならないのだから当然と言えば当然だが。

 ふと顔を向ければ、ガラスの壁の向こう側から俺達を呆然と眺めている冒険者達と目が合った。

 その中でも、悲嘆に暮れていた冒険者へと告げる。


「どうやら、諦めるにはまだ早いみたいだな」


 こちらの声が聞こえているかは、定かではなかったが。

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