第129話

 昨夜は、星々が鮮明に見える程に月明りの無い夜だった。

 それに加えて魔物の奇襲によって気が動転していた部分もある。

 だからこそ、魔物の姿が見えず、その正体も見抜けなかった。


 そう思い込んでいた。


 夜闇に潜む魔物の姿を、この眼でとらえることができなかったのだと。

 だがそれが間違いだったと知る。

 襲い掛かってきたあの巨大な魔物は、そもそも幻影にも似た魔物であると。


「空間転移!」


 大まかに座標を設定し、そして魔法を起動させる。

 遠方に見えていた冒険者達が視界から消え、続いて驚嘆の声が真後ろから上がる。


「あ、アンタ達は……。」


「あの魔物、何処から来たかわかるか?」


 その問い掛けでこちらの意図を理解したのか。

 冒険者達は小さく唸りを上げた。


「いや、やはりか。俺達も不意を突かれて、ふたりやられた」


 影の魔物は冒険者達が消えたことで戸惑っているのだろうか。

 光を吸い込むような真黒な双眸で周囲を見渡し、こちらに気付いた様子だ。

 その足元をよく見れば、ふたりの冒険者が地面に伏せっていた。

 この距離では、外傷は見当たらない。

 だが気を失っている状況では、ゴブリンさえも命取りになる。

 あの魔物であれば、なおさらだ。 


「……助かるかもしれない。ビャクヤ!」


「任せよ!」


 合気の声と共に、ビャクヤが隣から飛び出る。

 白い髪をなびかせ、地面を滑るように魔物との距離を潰した。

 そして跳躍と共に薙刀を振り上げる。

 だが、その姿を見て冒険者が声を張り上げた。


「駄目だ! そいつに攻撃は――」


 冒険者の危惧は、正しい。

 ビャクヤの振るった薙刀は、魔物を捉えることなく素通りした。

 魔物の体に傷などあろうはずがなく、大きな揺らぎを見せるに留まる。

 致命的な傷はおろか、かすり傷一つ付けられたようには見えない。

 しかし、それで構わない。


「空間、転移!」


 指定する範囲は、ビャクヤを中心とした周囲全て。

 もちろん、ビャクヤは除いて。

 魔法が起動された瞬間、眼前から、魔物が消え去る。

 それと同時に、ビャクヤの周囲の地形が大きく変化する。


「消えた? やった、のか?」


「いや、地形ごと別の場所へ転移させただけだ。時間稼ぎは出来るだろうが、倒せてはいない」


「じ、地面ごと、別に飛ばしたのか?」


「話は後だ。まずは仲間の治療と避難を」


 魔物の対処法は、未だに確立できていない。

 一時的に大きく揺らぎを与え、そのまま周囲ごと転移させる。

 この方法であっても一時的に無力化できているに過ぎない。

 悠長に会話をしている時間もありはしない。

 仲間を背負った冒険者達は、その足で馬車の方へと足を向ける。


「助かった。アルレリアに戻ったら、必ず恩は返す」


 転移魔法で移動させることも考えたが、怪我人に負荷をかけるのは得策ではない。

 治療しながら馬車でアルレリアに戻った方がいいだろう。

 冒険者達の背中をビャクヤと共に見送った後、別の場所を見回っていたアリアが戻ってきた。


「周りに魔物の姿はなかったわ。私の確認できる範囲だと、今ので最後でしょうね」


「助かった、ふたりとも」


 ここは竜討祭で俺達に割り当てられた地域ではない。

 本来であれば魔物の横取りとなるため、推奨される行為ではない。

 だがあの魔物は討伐できないため、魔石を落とすことがない。

 これなら後からごねられる心配もないだろう。

 ただ、ビャクヤはいつになく元気に薙刀を肩に担いで笑った。


「気にするでない。どうせ小物はアリアの人形が対処しているのであろう?」


「こっちはずっと操作しっぱなしで疲れるんだけど。まぁこうなっちゃ仕方ないわね」


 竜討祭を諦めた訳ではない。

 フォロボスの名前を手に入れ、ビルバースの私設美術館で歴史書に目を通す。

 その目的も忘れた訳ではない。

 しかしこの魔物の被害を見過ごすこともできない。

 ディノンの故郷ならば、なおさらだ。


 それに何度も戦ってきた事で、魔物の特徴もなんとなくだがつかめてきた。

 物理攻撃は軒並み無効化される。アストラル系に有効なルーンの武器でも同様だ。

 加えてアストラル系の魔物とは違い、この魔物は物理的な攻撃を仕掛けてくるところだ。

 こちらの攻撃は効かず、魔物は物理的な攻撃を仕掛けてくる。

 

 ただなにも手出しできないという訳ではなさそうだ。

 大きな衝撃を与えると煙のように霧散して、一時的に動きを封じることができる。

 その隙に別の場所へと転移させてしまえば相当な時間を稼ぐことができる。

 

 だが、今はそこが限界だ。

 明白な倒し方を確立できたわけではないのだ。

 現状では、問題を先延ばしにしているに過ぎない。

 対策を立てるのであれば、俺達だけではなく大勢の知識を持ち寄るのが最も確実だ。


「少し早いがアルレリアへ戻ろう。冒険者ギルドへの報告と、あの魔物への対策を立てる必要があるだろうからな」


 ◆


「この状況で竜討祭を続行する? 正気か?」


 思わず、語気を強めて問い返していた。

 アルレリアの冒険者ギルドには、例の魔物から逃れてきた冒険者が集まり、情報を寄せ合っていた。

 これだけの冒険者が集まっていながら、誰も手出しできない謎の魔物。

 その素材や希少性を考えれば、討伐した暁に得られる報酬は一財産は軽い。


 しかし、それも命あっての物種だ。

 まずは基本的な情報の収集。

 そして次に注意すべき習性や行動。

 それらを集め終わった後に、各々が討伐の方針を定める。


 だが今は、どれだけ情報を寄せ合ってもあの魔物への対抗手段が確立できていない。

 ルーンはもちろんのこと、様々な種類の攻撃魔法でさえ有効打になりえていない。

 現状で言えば、無敵の相手に対して冒険者は成すすべがないのだ。

 そんな状況に置かれながら竜討祭を続行するというギルドの方針に、疑念が噴出したとておかしくはないだろう。

 受付嬢は勢いに気圧されたのか、しどろもどろに返事を返した。

 

「は、はい。現状では、その、中止する理由が無くて、ですね……。」


「つまり、冒険者ギルドはあの影の魔物の対抗手段を用意できていると考えていいんだな?」


「そ、それは……。」


 煮え切らない返事に、全てを察する。

 冒険者ギルドにとって冒険者とは、いわば利益を生む商品であり従業員でもある。

 であれば現状を鑑みて、ギルド側は中止を望んでいるに違いない。

 対処できない魔物との戦いで冒険者が死傷すれば、結果的に損失を被るのは冒険者ギルドなのだから。

 

 しかしそれを止めることができない理由がある。

 この街でそれだけの力を有している人物となれば、考えなくとも頭に浮かぶ。

 命の危険に晒されているのは、その当人も同じはずなのだが、一体なにを考えているのか。

 思わずため息が漏れだすと同時に、冒険者ギルドの扉が開け放たれた。

 戻ってきたのは、ビャクヤとアリアだ。


「聞いて回ってきたが、やはり西を担当していた冒険者達は失踪したようだ。争った痕跡すら残さずな」


「あまりに魔物が出てこないから勝手に持ち場を離れたんじゃないかとも思っただけれどね。それにしては殆どの冒険者が消えてるってところが気になるのよね」


「参加の条件に入ってたが、一方的な破棄は今後のギルドからの評価に響くことになる。流石にそんな多くの冒険者が、同時にこの地方を離れるとは思えないな」


 そしてこの失踪もまた、気がかりとなっている一つだ。

 俺達が任されたアルレリアの東側とは反対、西側の地域を任された冒険者達が軒並み失踪しているのだ。

 流石にアリアの人形も、街の反対側の地域までは届かず、状況は把握しきれていない。

 

 そのめアリアの言う通り、この竜討祭に不満を抱いて勝手に地域を離れたという線もなくはない。

 だがそれも失踪した冒険者のパーティがひとつやふたつの場合だ。 

 今回失踪した冒険者の総数を考えるとその可能性はゼロに近い。

 

 正体不明の魔物に、原因不明の集団失踪。

 なぜそれらの問題が山積しているにも関わらず、竜討祭が続行されるのか。

 その理由は、恐らくひとりの人物にあった。


「おや、こんな所に集まってなにをしているかと思えば、お前達だったのか」


「……セコイヤ・ビルバース」


「自分達の成績が振るわなかったからと言って、竜討祭の中止を求めるとは。恥というものを知らないらしいな」


 セコイヤは勝ち誇ったかのような表情を浮かべ、俺達を見渡した。

 他の冒険者からの話によれば、セコイヤのパーティは相当数の魔石を確保してきたらしい。

 つまり現状では、最もフォロボスの名前に近いというこになる。


 それが実力によるものなのか、それとも何かしら裏があるのか。

 魔物に失踪。強行される竜討祭。

 どこまでがセコイヤが干渉しているのか。

 見極めたいところだが、状況が混迷とし過ぎている。


 だが冒険者達は明白な違和感を覚えている。

 この竜討祭がなにものかによって操作されていることに、気付いている。

 そんな自然と張り詰めた空気はしかし、とある声で振り払われた。


「いえ、その方々の意見は至極真っ当なものです。今からでも中止にすべきではと、私も考えていたのですよ」


 掠れているが、しかし芯の通った声だった。

 見れば冒険者ギルドの入り口に、初老の男性が立ち尽くしていた。

 傍らにはメイド姿の女性。そして片手には杖。

 身なりは整っており、一目で貴族とわかる衣服と気品を纏っていた。

 その姿をみとめたセコイヤは、唸るようにその名前を呼ぶ。


「……ヴィット・ヘンリル。何故、お前がここに」


「私から失踪した冒険者達の調査をお願いしたいのですが、よろしいですかな。この祭り自体、冒険者の方々の協力あってのものですからな」


「は、はい。畏まりました、すぐに依頼書のひな型を用意いたします!」


 ようやく場の空気が弛緩する。

 受付嬢が即座に動いた事を見るに、やはりビルバースの名前よりヘンリルは格が上なのだと分かる。

 冒険者達の中に小さなざわめきが広がり、ビャクヤやアリアも顔を見合わせて頷き合っていた。

 これで竜討祭に関係なく、魔物の対処や失踪の調査に移れるだろう。

 だがそんな空気の中で、セコイヤはヴィットに食い下がっていた。


「余計な口出しをするな! この竜討祭にどれだけビルバース家が金を出したと思ってる!」


「おや、これはビルバース家の御子息。此度の竜討祭では、非常に好成績を収めていると聞き及んでおりますぞ。ならばなぜそこまで急く必要があるのでしょう。それとも冒険者の調査をされると困る事でも?」


 一方は後進貴族のドラ息子。

 そして一方は歴史ある貴族の現当主。

 信頼という面でも、人間としての格としても、相手になるはずもない。

 その勝敗を分けるのに、多くの言葉は必要なかった。


「覚悟しておけよ。お前を長の座から引きずり下すことなど、造作もないことだと、知らしめてやる」


 笑えるような捨て台詞を吐いて、セコイヤは冒険者達を伴ってギルドから早足で出ていく。

 セコイヤの背中を見送ってから、ヴィットは驚くべき行動に出た。

 ギルド内にいる冒険者へと小さく頭を下げたのだ。

 そして、その灰色の眼で冒険者達を見渡して、宣言する。


「お目汚しいたしましたこと、申し訳ございません。竜討祭の進行は一時中断とし、失踪した冒険者達の調査を最優先いたします。なにとぞ、協力をお願いします」

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