第128話

 吐き出した白い息が、夜空へと音もなく消えていった。

 見上げれば透き通った空気と、その先に瞬く満天の星空が広がっている。

 夜になると身震いするほどの寒さが身を刺すが、これからもっと寒くなっていくに違いない。


 防寒具を買いそろえた方がいいかと考えている内に、焚き木に掛けていた調理器具が音を立てて揺れる。

 中のスープが完成したのだろう。徐々に空腹を刺激する匂いが立ち込める。

 人形の手入れをしているアリアを尻目に、完成したスープを取り分けていく。

 万全な準備をしてきたが、それでも食糧は残り半分といったところだ。

 

 竜討祭が開催し、数日。

 俺達は指定された地域で魔物の討伐に勤しんでいた。

 ただその結果が芳しいとは、とてもではないが言い難かった。


「企画倒れでしょ、この祭り。他の冒険者からどれだけ苦情が出るか見物ね」


「そう言うなよ。魔物が出ないってことは、それだけ安全ってことだ。喜ばしいじゃないか」


「今日で三日目よ? それでたった五匹しか魔物が来ないって、おかしいでしょ!」


「だが我輩達の任された地域が特別少ない、という訳ではないのであろう?」


「それはまぁ、人形達に確認させた別の地域も、殆ど魔物が出て来てないみたいだけれど」


 人形の手入れをしていたアリアが不満をぶちまけ、何とかそれを宥めようと言葉を返す。

 だが実をいえば、アリアの気持ちも理解できた。

 竜討祭はこの時期に増える魔物の被害を抑えるために創設された祭りだと聞いていた。

 そして実際、魔物を討伐した際に入手できる魔石の総数を競うというルールでもある。

 だというのに、ここ数日間で俺達が相手をしたのは片手で数えるほどしかない。

 

 俺達にはこの竜討祭で優秀な成績を収め、フォロボスの称号を得るという目的がある。

 それはつまり他の冒険者達より多くの魔物を討伐しなければならないということに他ならない。

 焦燥感と無意味に浪費されている時間にアリアがいら立ちを覚えても、責められるものではなかった。

 

 とはいえこれ以上、俺から言えることは何もない。

 目の前のスープに意識を向けると、焚き木で別の食材を調理していたビャクヤが嬉しそうな声を上げた。


「よし、焼けたぞ! ファルクス、受け取れ!」


 手渡されたのは、昼間の内にビャクヤが狩ってきた獲物を捌いたものだ。

 火で焙ったそれを受け取りながら、ビャクヤに感謝の言葉を告げる。

 そのやり取りを見ていたアリアが声を荒げる。


「なんでそんなに呑気なのよ! なにもおかしいと思わないわけ!?」


「おかしいとは思わないが、たしかフォロボスの出生地……ロロファスさんのいた村は、魔物の被害が多かったな。あの様子だと連日のように魔物が下りてきていたみたいだったが」


「地形の問題なのやも知れぬな。このような平地ではなく、山の麓の方が多く魔物と遭遇できるのであろう」


 思い返すのは、ロロファスと共に討伐した魔物達のことだ。

 この地域とは違い、ロロファスは山側から頻繁に魔物が出現するとは言っていた。

 山脈側の寒気から逃れる様に魔物が下りてくる、というのが一応の現説らしいが、あの村だけが異様に魔物の被害にあっていたことを考えると、納得できるものではない。

 

 実際にこの場所には魔物は殆ど降りてきていない。

 アリアの確認によれば他の地域も似たり寄ったりの状況だだ。

 となると寒気とは別の理由が存在していると考えるべきか。


 だが特定の地域のみ魔物が集中している理由など、素人が考えてわかるものだろうか。

 大まかな魔物の習性は冒険者としての一般常識として頭に入れているが、習性その物を完全に把握する事など魔物の学者でもなければ不可能だ。いや、未だに解明されているかも怪しい。


 そもそも解明されているのであれば、ルーゼリア地方の人々がなにかしらの対策を取っているはずだ。

 いや、この状況に商業的な価値を見出している現状では対策を取ることはないのか。

 思案を巡らせていた俺の沈黙をどう受け取ったのか、アリアは鼻を鳴らしてテントへと向かった。


「もう寝るわ。今日の見張りはファルクスでしょ、頼んだわよ」


 不機嫌そうにテントを開いたアリアだったが、その向こう側。

 そこに違和感を覚えた瞬間、薙刀が焚き木の炎で鈍い輝きを見せた。


「一閃!」


 薙刀が鈍色の軌跡を残し、振るわれる。

 その先は、アリアの真上。


 風を巻き込みながら振るわれた一撃は、テントの向こう側に佇む巨大な影を貫いた。

 そこでアリアは自分の置かれた状況を理解したのだろう。

 咄嗟にテントから離れようとするが、その影はアリアへと手を伸ばしていた。


「なっ!?」


「空間転移!」


 瞬時に手元にアリアを転移させると同時に、地面が大きく揺れる。

 一瞬でも遅れていたらどうなっていたか。

 俺の手を強く握る感覚から、アリアの恐怖が伝わってくる。

 

 視線を向けるが、巨大な影の正体はわからない。

 焚き木の炎では夜闇に潜むその魔物の全貌を浮かび上がらせるには至らない。

 しかし目に見えなくともわかる事はある。

 それは、その魔物が俺達に明白な敵意を持っているということだ。


 ◆


「こ奴、どこから現れた?」


「少なくとも足音は聞こえなかった。魔法かそれに類する力を持っているかもしれないな」


 薙刀を構えるビャクヤは、じっと闇を見通そうと影を睨みつけている。

 これだけの巨体でありながら気配を感じさせず、足音さえ完璧に消していたのだ。

 普通の、巨大なだけの魔物ではない事は確かだった。

 影が大きく体をそらす素振りを見せ、ビャクヤが大きく薙刀を腰だめに構える。


「残影!」


 大きく距離を取り、そして影が拳を振り下ろす刹那の後に薙刀を振るう。

 相手の攻撃に合わせたカウンター技だが、しかし。

 魔物はビャクヤの動きに合わせて、もう片方の腕も同時に振りかぶっていた。

 一拍置いた波状攻撃。明白にビャクヤの行動を読んだうえでの攻撃だった。

 ただ、相手の動きを想定して動いているのは、魔物だけではない。


「共鳴転移!」


 一対の剣が風を切り裂きながら飛翔する。

 狙いは魔物の顔の部分。暗闇で明白には見えないが、ぼんやりと人型であることは把握できている。

 顔かあるいは首元は構造上、弱点である可能性が高い。

 加速した剣がその影を貫き、そして――


「躱されただと?」


 ――魔物はそのまま地面に拳を叩きつけた。

 剣が命中した部分が蠢いたようには見えたが、ダメージを与えられたようには見えない。

 あまりの揺れに平衡感覚を失うほどだったが、なんとか転移魔法で距離を取る事で事なきを得る。


「無事か、ビャクヤ」


「無事だ。問題ない」


 返事をしたビャクヤには怪我をした様子はなかった。

 上手く回避ができたのか、あるいは俺の攻撃で少しばかり魔物の狙いが狂ったのか。

 いずれにせよこの魔物が今まで戦ってきた魔物とは本質的に違う存在であることは、肌で感じていた。

 一向にその姿が見て取れない魔物に、再び転移魔法で攻撃を仕掛けようとした、その時。

 魔物の背後に、別の影が浮かび上がった。


「潰しなさい! ティタルニア!」


 人形の姫君の拳が、夜闇にぼんやりと浮かび上がる影を貫いた。

 地面を打ち砕き、自揺れが巻き起こり、焚き木が崩れる。

 作っていたスープと器具が地面を転がって嫌な音を立てるが、今はそちらを気にしている余裕はない。

 小さくなってしまった焚き木の炎では、先ほど以上に視野を確保できない。

 注意深く周囲を見渡すが、先ほどまでの魔物の影はどこにも見当たらない。


「どこに消えた?」


「警戒を怠るな。あの程度で倒れたとは思えぬ」


 巨体の魔物は、当然ながらその大きさに比例した体力と頑丈さを有する。

 先程のティタルニアの一撃は確かに強力だったが、その一撃で同じ大きさの魔物を仕留める程とは思えない。

 加えて、肉片ひとつすら残らないほどの威力でもない。

 ならば確実に先ほどの魔物は夜闇に紛れているはずだった。


「攻撃を当てたはずなのに、物音ひとつあげないなんてことがありうるの?」


「ぼ、亡霊、ではあるまいな」


「だとしても俺の武器が効かない理由がわからない」


 光を発する魔道具を取り出し、周囲を照らすも、魔物の姿はどこにもなかった。

 出現するときも、そして消える時も、なんの痕跡すら残さずに消え失せる。

 その特徴はアストラル系の魔物を彷彿とさせた。


 だが俺の剣はアストラル系の魔物にも有効打を与えることができるよう、ルーンで強化されている。

 ならばいったい、今の魔物はなんだったのか。

 その考えは、遠方から轟いてきた爆発音によって遮られた。


「アリア、別の地域はどうなってる」


「……ここと同じように、襲われてるみたい」


 直感にも似た危機感は、アリアの返事によって明白なものとなった。

 空は白み始め、夜明けが近いことを示している。

 しかし事態は、暗雲が立ち込めていた。

 

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