第126話
「連れ出す? ルルフェンを、ですか?」
「お願いできないかしら。あの子はずっと、幼いころからフォロボスの名前に囚われてしまっているの。きっと今でも」
深々と頭を下げたまま動かないロロファスは、俺の返事を聞いてようやく顔を上げた。
その表情は真剣そのものだが、その懇願に秘められた意図を汲み取れるほど情報が手元にはない。
「とうの本人は、竜討祭でフォロボスの名前を手に入れたら、そのまま永遠に消し去ると豪語していましたが」
「相変わらず短絡的というか極端というか。あの子、要領よさそうに見えて意外と抜けてるところがあるから心配だわ」
「まぁ、それはなんとなくわかりますけど」
セコイヤをしてもルルフェンは優秀な冒険者とは評されていた。
ならば竜討祭においても優秀な成績を収めることができるのだろうが、優勝するにはセコイヤの妨害を乗り越えなければならない。だがこの街においてビルバース家から目を付けられている時点で、それも難しいだろう。
もっとうまく立ち回る事も出来たはずなのだが、なぜかルルフェンはセコイヤからわざと怒りを買うような言動を率先して取っているようにもうつる。
竜討祭でフォロボスの名前を獲得するだけの自信があるのか、あるいはフォロボスの名前さえ獲得できればビルバース家などどうでもいいと考えているのか。
いずれにしてもセコイヤをどうにかしなければフォロボスという名前を手に入れること自体、難しいという前提が頭から抜け落ちている。
一見、周囲や自分をよく理解しているように見えて、ロロファスの言う通り抜けている所があるのかもしれない。
小さく笑うロロファスは、目じりを下げたまま無理やり笑おうとしていたが、結局うまくはいかず、どこか物悲しい声音で話を続けた。
「ルルフェンはね、ディノンと仲が良かったのよ。本当の兄妹みたいに。けれど竜討祭の最中に怪我を負ったディノンは、このルーゼリアを離れてしまったの。ディノンは常々、フォロボスという英雄に憧れてると語っていたから、無理もないけど」
「じゃあ、ルルフェンがフォロボスの名前を消そうとしているのは……。」
「ディノンがこの地を離れる原因となったからでしょうね。この村も魔物の被害に対応できなくなって、色々と苦しい思いもしたの。私が冒険者になってどうにか被害は抑えられるようになってきたけど、当時は酷かったのよ」
フォロボスの名前を消し去る。それも、永遠に。
それがルルフェンの望みだったが、まさかディノンがその理由になっているとは。
憧れの親しい相手を奪っていった称号を、その手で消そうと考えるのは理解できなくもない。
ディノンが怪我を負った直接的な原因である竜討祭も、フォロボスの名前が消えれば存続は不可能となるだろう。
ルルフェンの眼には、アルレリアの活気がどう映っていたのだろうか。
あの熱に浮かされた街自体が、ルルフェンにとっては耐え難いものだったのかもしれない。
ルルフェンが求めているのは、竜討祭やフォロボスという名前の抹消ではない。
求めているのは、過去の清算。
フォロボスの名前を消すのも、その手段に過ぎないはずだ。
だが、そう簡単にいくものでもないだろう。
「過去に、ビルバース家から援助を受けたことがありますよね」
「そこまで知ってるのね。えぇ、財政面が厳しくなってあの一族から援助を受けたこともあったわ。返済は終えたけど、貴族に借りを作ったという結果が残ってしまって。その結果、ルルフェンを要求してきたの。もちろん断ったけれど、そうしたら今度は孤立させることで村を追い詰めてきて」
「ルルフェンが優秀な冒険者だとは聞いていますが、なぜそビルバース家はそこまで彼女に固執するんですか?」
気にかかるのは異常な執着を見せるセコイヤも同じだ。
下世話な話だが、貴族であれば金と権力で大抵の物事を解決できる。
俺と対峙した時のように、優秀な冒険者なら金で雇うこともできる。
伴侶を探すにしても、一般的に貴族は貴族同士での結婚が基本とされる。
ならばなぜ、ルルフェンにあそこまでこだわるのか。
疑問を抱いていた俺は、ロロファスに言われるまで重要なことを見落としていたと知る。
「あの一族が欲しがっているのはルルフェンの血統ね。私やルルフェンには、初代フォロボスの血が流れていると言われているのよ。けれど私は結婚しているから、結果的にあの子が狙われることになってしまったの」
事も無げに言うロロファスは、風に揺られる黒髪を撫でつける。
だがその事実は、この状況を酷く複雑なものにすることは間違いなかった。
咄嗟に思い浮かんだ疑問を、そのまま投げかける。
「……あの村の記録は失われているんですよね」
「えぇ、記録は失われているわ。けれど記憶は伝承されているものでしょう? 私達の先祖は代々、最初のフォロボスと固い絆を結んだ歴史を継承してきたの」
「じゃあルルフェンやロロファスさんは、アルレリアと血のつながりがあると?」
アルレリアは伝承の中で、ルーゼリア地方の至宝と謳われる女性だ。
その子孫であるのなら、ルルフェンがあそこまで自信過剰になるのも無理はない。
事実、その美しさは目を見張るものがある。
ロロファスもその血脈に相応しい微笑みを浮かべて見せた。
「その通りよ。これでビルバースの一族がルルフェンを欲しがる理由が分かったかしら」
これはエルグランドで学んだことだが、貴族はその面子を重要視する。
例えば同等の財力を持つ豪商であったとしても、貴族は自分達と同等だとは扱わない。
なぜならそこには、金銭では揺るがない歴史という価値が存在するからだ。
だからこそ歴史の浅い後進貴族も同じ理由で軽視されることが多い。
あの場でも、発言権があったのは長い歴史のある名門貴族ばかりで、後進貴族や商人は余り口を開かなかった。
明確なルールはないのだろうが、ある種の暗黙の了解が確かに貴族間には存在する。
そして件のビルバース家も、元商人の後進貴族だ。
竜討祭で財を築き上げたことでアルレリアでは顔が聞き、貴族である事から権力も握っている。
しかし家格が上がるわけでも無ければ、周囲からの支持が得られるわけでもない。
事実、アルレリアの実質的な長は、ビルバース家とは別にいる。
ならばその家格を上げる為にはどうすればいいのか。
この閉鎖的で変化を嫌う地方でのし上がるにはどうすればいいのか。
その答えは竜討祭の中にあった。
「初代フォロボスの伴侶であるアルレリアの子孫、ルルフェンを竜討祭の伝統にのっとってフォロボスとして伴侶にする。それがビルバース家の狙いなのか」
「新興貴族に足りない歴史と、この地域における象徴を同時に手に入れることができる。そう考えたのでしょうね。ルルフェンのことなんて、きっと成り上がる為の道具にしか思っていないのよ」
反吐が出るようなやり方ではあるが、認めざるをえない。
確かに、このやり方なら手っ取り早く貴族としての格を上げることができる。
現代に生きるアルレリアの子孫を自分の支配下に置き、そしてビルバース家に伝説上の英雄であるフォロボスとの血の繋がりを、時を遡って作り出す。
これ以上に、このルーゼリア地方で力を付ける方法は他にないだろう。
「ルルフェンには、本来なら背負わなくていい重荷を背負わせてしまっているの。けれど私じゃあ助けてあげることができなくて」
「連れ出すことはできません。それはルルフェンが決めることですから」
「わかっているわ。けれどね、妹のように思っていたルルフェンが不幸になったら、きっとディノンも悲しむわ」
竜討祭がどれだけの期間開催されているのかは知らないが、その間は村を空けることになる。
唯一の冒険者である以上、ロロファスがこの村を離れられないのは仕方がない。
だからと言って、俺達も全ての時間をルルフェンの手伝いに費やせるわけではない。
それも、頭では理解している。わかってはいるのだ。
黄昏の使徒はこの間にも魔素の研究を進めているはずだ。
魔素の研究を阻止し、黄昏の使徒を殲滅するという有明の使徒の使命を再会するためにも、早急にヨミへの疑念を払拭しなければならない。
大勢を救う為にも、戦いを再開する時期は早い方がいいに決まっている。
だが、大勢を救うという理想を掲げるのであれば。
目の前で助けを必要としている相手を見捨てては、行けない。
結果的に大勢を救えるのだからと少数を見捨ててしまえば、それは黄昏の使徒となにも変わらない。
「わかりました。街に戻ったら、ルルフェンに協力を申し出てみます」
「そういってくれると思ってたわ! ありがとう、ファルクス君!」
返事を聞くや否や、ロロファスは瞬きの間に俺の腕へと飛びついてきた。
その流れる様な動作は、以前にも見たことがあるが、対応できるかはまた別の話だ。
思わず身を退こうとするも、剛腕に捕まれてびくともしなかった。
とは言え既婚者とここまで接触しているのは、さすがにまずい。
どうにかこうにか、万力のような抱擁から腕を抜いて、最後の懸念を伝える。
個人的な理由で引き受けたが、今の俺はひとりで行動している訳ではないのだ。
「俺達もフォロボスの調査もあるので、仲間達がなんと言うか……。」
「そこは私にまかせて。貴方達が竜討祭に参加する利点もちゃんとあるから」
だから安心してくれと語ったロロファスは、犬歯を剥き出して笑みを浮かべた。
それが肩から力の抜けたロロファスの、素の笑顔なのかもしれない。
そこで、少しでも力になれたなら良かったと安堵している自分に気付く。
ディノンの知り合いの期待と願いに答える。
それによってディノンに少しでも恩返しができたなら。
そう、思っていたのだ。
この安請け合いが、どんな結果を引き起こすかも知らずに。
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