九章 呪縛と栄光の継承

第122話

「押し戻せ! ここを抜かれたら、後はないぞ!」


 転移魔法で一気に駆け抜けた先。

 薄暗いダンジョンの最中、野太い雄叫びを辿ると、崩壊寸前の陣形が目に入った。

 相当な数の冒険者が集結しているにも関わらず、暴力的な数の魔物を前にじりじりと押し込まれていた。

 見ればすでに何名かは地面に伏せって、動かない。 


 残っている冒険者の数も多くはなく、すぐにでもその陣形は崩れてしまいそうだ。 

 急いで範囲を設定し、同時に転移先を指定する。

 そして――


「空間転移!」


 声が反響すると同時に、前方から聞こえていた雄叫びが後方へと入れ替わる。

 転移先で接触しないよう細心の注意を払って座標を設定したが、目視で確認した限り上手くいったらしい。

 瞬時に入れ替わった冒険者達は状況が理解できていないのだろう。

 しきりに周囲を見渡して、状況把握に努めていた。


「な、なにが起こってる!」


「またトラップが作動したのか!?」


「だが助かったぞ! この隙に態勢を立て直す!」


 様々な反応が聞こえてくるが、目前の危機が去った訳ではない。

 ダンジョンの奥から聞こえてくるのは、おびただしい数の魔物の唸りだ。

 眼前で獲物が消えたことへの不満か。

 あるいは消えた獲物の代わりに現れた俺を、新たな獲物と見て喜んでいるのか。

 迫りくる魔物の数はこれまでとは比較にならないが、それでも所詮は数が集まっただけの相手だ。

 あらかじめ展開していた別の魔法を、魔物の群れの中央で解き放つ。


「御剣天翔」


 唸る金属の破壊音。

 そして魔物の悲鳴。

 地面に転がっていた冒険者達の武器が、破壊の嵐となって吹きすさぶ。

 魔物達は逃げることすら許されずにバラバラの肉片となり、地面一面には生成された魔石が散らばる。

 その魔石の数からして、どれだけの魔物がここに集結していたのかが伺い知れた。


 そして、それらを支配下に置いていた魔物が、その姿を現す。

 野生の動物を思わせる巨躯は白い体毛に覆われ、頭からが一対の捻じれた角が伸びている。

 手には鈍器に近い巨大な刃物を構えており、そこからは鮮血が滴っていた。

 他の魔物であれば原形すら残らない攻撃を受けて、悠然と歩みを進めるその姿は、見る者に恐怖と威圧を与える。


「流石に仕留めきれないか」


 伝承に謳われるこの迷宮の主、アステリオ。

 殺しきることができずに封印されたという魔物を越えた、怪物だった。

 ただ魔王に比べれば、死ににくいだけの怪物など幾分劣る。


「ヴモォォォォオオオオッ!!」


 頭痛を引き起こす程の咆哮と共に、白い怪物が肉薄する。

 一歩一歩が地面を揺らす程で、その速度はビャクヤに匹敵する。

 ただそこにビャクヤ程の優雅さも無ければ、機敏さもない。

 

 それは戦士としての技術ではなく、魔物としての本能だ。

 殺意に突き動かされる怪物の動きは、いとも簡単に読むことができる。

 俺の背丈以上ある武器が、俺へと振り下ろされるその瞬間。

 アステリオの真黒な瞳に獲物を刈り取る喜びが見えた気がした。

 ただ、そんな思い通りにはならないが。


「反転、転移」


 ドン、という鈍い衝撃音がダンジョンの内部に反響した。

 続くのは水袋を地面に落としたかのような水音。

 だが落ちたのは水袋ではなく、アステリオの右腕だった。

 

 ずるりと地面に落下した自分の腕を見て、そして遅れてくる痛みにアステリオが狂ったように雄たけびを上げる。

 だが最初程の声量はない。脇腹に自分の武器が深々と突き刺さっているのだから無理もないが。

 自分で振り下ろした武器がそのまま、自分に戻ってくるとは予想できなかったはずだ。

 

 いや、未だに何が起こったのかさえ理解できていないだろう。

 古よりこのダンジョンを彷徨っている怪物だ。

 転移魔法をその目で見たのは、これが初めてのはずだ。


 ただ長寿の影響か、深い傷を負って、こちらの様子をうかがうように距離を取り始めていた。

 相手がその気なら、こっちも時間を有効活用させてもらうとしよう。


「アステリオが、こんなあっさり……。」 


「あの冒険者、まさかルルフェンの言ってた奴か?」


「貴族に喧嘩を売ったっていう、あの?」


「……ポーションをありったけ買い占めてきた。良ければ使ってくれ」


 いらぬ誤解や噂話まで広がっているようだが、それを訂正している時間はない。

 アステリオから目を離さずに、背負っていたバックを転移魔法で冒険者達のいる場所へと転移させる。

 再び後方で悲鳴に似た声が上がるが、そちらに気をまわしている余裕はなかった。

 いくら深手とはいえ……いや、深手だからこそ魔物は侮ることは出来ない。

 手元の一対の剣を引き抜くと同時に、背中から聞き覚えのある声が上がった。


「お兄さん……? なんで、ここに」


「俺もこの催しに参加させてもらったんでな。だからここに来たのは、偶然だ」


 俺の兄と呼ぶ声は、微かに震えていた。

 それに用意しておいた言葉を返すが、少女は食い下がる。


「そんな言葉で騙されると思ってるんですか。私ももう、子供じゃないんですよ」


 子供じゃない。

 その言葉が俺に向けられたものか、それとも自分に向けたものだったのか。

 確かめる暇もなく、前方からは再び魔物の唸り声が幾重にも重なって聞こえてきた。

 

 先ほど上げたアステリオの咆哮。

 あれは苦痛の悲鳴ではなく、魔物への呼びかけだったのだろう。

 先の見通せないダンジョンの闇の向こう側から、数えきれないほどの魔物の影が忍び寄る。

 悠長に話をしてる時間は、なさそうだった。


「その話はまた後だ。ちょっとこいつらの相手をしなきゃならないんでな」


「た、戦う気なのか!?」


 そんな震える声が、全てを代弁していた。

 後方からはすすり泣くような声と、微かなうめき声しか聞こえてこない。

 いつまでたっても、冒険者達の足音が近づいてくる気配がない。


 心が折れてしまったのだろうか。

 さきほどの戦いと、それ以上の数を有する魔物の軍勢を前に。

 後ろを振り向こうとして、そして考えを改める。


「これは新しいルーゼリアの守護者……フォロボスを決めるための試練だ。なら――」


 この戦いの意味は、最初から定められているのだ。

 ならば俺はその意味をもう一度、思い出させるだけでいい。

 ここにいる冒険者達。そして。


「逃げるわけにはいかない。そうだろ、ルルフェン」


 足を引きずりながらも、俺の隣に並び立った少女に。


 ◆


「これが、フォロボス……か」


 じっと、その人物像を見上げる。

 精悍な顔つきに、戦士としての肉体。頑強そうな防具に身を包み、手には見事な装飾の剣を携えている。

 その人物こそ、このルーゼリア地方最大の都市アルレリアを魔物の災禍から守り通した大英雄、フォロボス。その石像だった。


 このアルレリアに到着したのは、つい昨日。

 エルグランドからの短くない旅路の末に、俺達はようやくこのルーゼリア地方へとたどり着いたのだった。

 復興作業の関係、そして使徒としての戦いに巻き込みたくないという思いから、ミリクシリアとベルセリオはエルグランドに残ってもらっていた。

 一度は自分達も調べものを手伝えないかと聞かれはしたものの、ふたりとも復興には必要不可欠な人材であるため、丁重にお断りしたのだ。


 そして再び、有明の使徒である俺とビャクヤ、アリアの三人での行動と相成った。

 今はビャクヤがアリアの冒険者ギルドへの登録も兼ねて、フォロボスという名前について色々と調べてくれている頃だろう。

 一方の俺は、付き添いはふたりもいらないだろうと考えて自主的にフォロボスの情報を集めていた。


 まさか街の端も端に石像が作られているとは思っておらず、予想以上に時間を食ってしまったが。

 ただ、やっと見つけた石像と共に立てられていた石碑には、ある種の英雄譚が刻まれていた。 

 フォロボスという名前が、この地方で特別な意味を持つようになった経緯だけでも知れたのは行幸だといえよう。

 欲を言えばもっと詳しい史実に忠実な情報源が欲しいところだった。

 ギルドへ向かったビャクヤ達に期待するかと石像の前を離れようとした、その時。


「もしかして、竜討祭に参加するためにルーゼリアに来たんですか?」


 そんな涼やかな声が聞こえてきた。

 ふと振り返れば、狼の物によく似た耳が揺れていた。

 そのまま視線を下に向ければ、黒髪の獣人の少女が花束を抱えて俺を見上げている。


 黒曜石の様な瞳と、艶やかな夜の色の髪が特徴的な、涼やかな声音に相応しい美しい少女だった。

 通った鼻筋に、淡いさくら色の唇。大きく意志の強そうな瞳は、見ているだけで吸い込まれそうだ。

 じっと視線を向けてくることから、先ほどの言葉は俺に対してなのだろう。

 

「竜……? いや、ちょっと調べたいことがあって来たんだ。それで、この碑石みたいに昔の事を記録してある場所があれば教えて欲しいんだけど」


 思えば石像はしっかり手入れされていたように思う。

 それに添えられていた花束と同じ物を持っているということは、この獣人の少女はこの街の住人である事は間違いない。

 なにかフォロボスの情報源を手に入れられないかと思っての質問だったが、途端に少女の狼耳が前に倒れる。


「……ビルバース卿の邸宅には、ルーゼリアの歴史書が集められているようなので、訪ねてみてはいかがでしょう。おススメはしませんが」


 それだけ言うと、少女は石像の掃除に取り掛かる。

 耳の動きを見るに、そのビルバースとやらが嫌いなのだろうか。

 エルグランドでのこともあり貴族には偏見が無くなったと思っていたが、地元住人に嫌われている貴族と聞くとあまりいい印象はない。

 だが歴史書があるとすれば訪ねないわけにはいかなかった。

 英雄譚や伝承とは違い、フォロボスに関する正確な情報も手に入れられるはずだからだ。

 せっせと石像を綺麗にしていく少女の背中に、感謝の言葉を伝える。 


「そっか。ありがとう、助かったよ」


 後はビャクヤ達と合流して、そのビルバース卿とやらの家を探さなくては。

 貴族の階級によっては一般人との面会など謝絶だろうが、冒険者ギルドを通することでゴールド級という立場を使い、多少の無理は押し通せるはずだ。

 そんな事を考えてその場を去ろうとした時、腕を引っ張られる感覚に足を止める。

 見れば少女が両手を使って、俺の手首を握りしめていた。


「……冒険者の方ですよね。それも、ゴールド級の」


「あ、あぁ、一応な」


 冒険者章を見てそう判断したのだろう。

 返事を返すと、少女は流れるような動きで俺の腕に自分の腕を絡めてきた。

 小ぶりな妙な感覚が腕に伝わってくるが、最初に浮かんだのは強烈な違和感だった。


 初対面の相手に、こんな事をする人物がまともなわけがない。

 まともであっても、相当に面倒な事情を抱えているに違いない。

 思わず身を引こうとするが、予想以上に少女の腕力が強く振り払えなかった。


「なら少しだけ手伝ってくれませんか? もちろん、タダでとはいいません。良い思いもさせてあげます」


「まずはなにを手伝うか教えてくれないか。受けるか断るかは、それから決めさせてくれ」


 あまりに、きな臭い。

 転移魔法で逃げることも考えたが、今は発作が起きる危険があるため安易には使いたくはない。

 話を聞くふりだけして腕を放してもらい、走って逃げようと考えていた。

 だが少女は結局、俺の腕を放すことはなかった。


「ちょっと時間がないので、今は私に合わせてください。それから受けるかどうかを決めてください、優しいお兄さん」


「お兄さん?」


 少女は腕を組んだまま、はっとさせられるほどの笑顔を浮かべた。

 それに一瞬だけ気を取られた結果、妙な呼び方に関する疑問を投げかける時間が失われる。

 石像から見て真正面。

 俺達の背後から、冒険者達の騒がしい足音が近づいてきたからだ。


 腕を組んでいる少女に引っ張られるように体ごと振り返れば、そこには五人組の冒険者が立ち尽くしていた。

 他のメンバー達が一歩下がった場所にいることから、中央に立っている華美で豪奢な防具を纏った冒険者がリーダーなのだろう。

 そのリーダーらしき冒険者は少女を見据えると、髪の毛をかきあげながら流し目で少女の名前を呼んだ。 


「やっぱりここにいたのか、ルルフェン。いい加減、今日こそは俺達のパーティに入ってもらうぞ」


 心なしか絡めている腕の締め付けが強くなったように感じる。

 それほどまでに緊張しているのか。あるいは嫌悪しているのか。

 ルルフェンと呼ばれた獣人の少女は、張り付いたような笑顔を浮かべ、温度を感じさせない声色で返事を返した。


「お久しぶりです、セコイヤ・ビルバース様。わざわざ来ていただいて恐縮ですが、今日もこう返させてもらいます。くたばれ、クソ野郎」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る