第121話 剣聖視点

 散々に散らかった酒場のなかでは、いつにもましてお酒の臭いが充満していた。

 なぎ倒された椅子と、地面に散らばる料理やジョッキ。そして酔っ払い。

 まともな客は、同席している人物の危険さをすぐさま察知したのだろう。

 店内に残っているのは勇者ナイトハルトと、その勇者に絡まれた哀れな冒険者らしき男性だけだった。

 

「チャンスは次で最後だ。その話を、詳しく聞かせろ」


 冒険者の上で馬乗りになったナイトハルトは、その宣告と共に拳を振り上げた。

 そんな様子を見て、エレノスが頭を押さえながらため息交じりに声をかける。


「もう少し君は物の聞き方というものを学んだ方がいい、ナイトハルト」


「な、ナイトハルト!? じゃあ、アンタがあの勇者、なのか……?」


 名前を聞いて驚いた様子の冒険者だったが、それも無理はない。

 今のナイトハルトの行動と相貌で、勇者を連想するのは不可能だ。

 ただ大臣との約束がある以上、勇者にそぐわない行動をしてもらっては困る。

 どうにか冒険者に拳が振り下ろされないように立ち回ろうとした、その時。

 エレノスはナイトハルトの機嫌など構わずに、ずかずかと歩み寄った。


「あの、という部分にどんな意味が込められているのかは聞きたくはないね。けれどそこに格下の冒険者を一方的に殴りつけた、と付け加えられる前にその手を放したほうが良い」


「俺に指図すんじゃねえよ、エレノス。口を挟むならてめぇから相手してやってもいいんだぞ」


「これは指図じゃない。これは君への助言だよ。せっかく継続が決まった王国からの支援を、こんなことで打ち切られたくはないだろ」


「ナイトハルト様、落ち着いてください。いったい、なにがあったのですか?」

 

 真正面からの正論を受けても、ナイトハルトの拳は固く握られたままだった。

 ナイトハルトの気の短さを考えれば、その拳がいつ振り下ろされてもおかしくはない。

 だがその背中にティエレが駆け寄ると、ナイトハルトはその冒険者の上から立ち退いた。

 驚くことに、思いとどまったのだ。

 

「そいつに聞け」


 冒険者を一瞥すると、ナイトハルトは吐き捨てるように言い放ち、空いている席に座った。

 ティエレがそのすぐそばで事情を聞こうとしているのを確認すると、すぐさま地面に押し付けられていた冒険者の元へ駆け駆け寄った。


「大丈夫?」


「大丈夫に見えるかよ! アイツ、いかれてんのか!? たかが噂話をしただけで、今にも殺す勢いで殴り掛かってきやがったんだぞ!」


 相当に興奮している様子で、冒険者がナイトハルトを指さす。


「ま、まぁ、落ち着いて。少し気が短い所があるから、あまり叫ぶとまた機嫌を損ねるかもしれないわ。それに悪い噂を聞かされれば、誰だって気に障るでしょ」


「はぁ!? 俺が話して他のは、ウィーヴィルでの事件のことだっての! 勇者のことなんざひとことも話しちゃいねえよ!」


 それを聞いて、思わずナイトハルトに目をやる。

 当の本人は、まるでなにも聞こえていないかのように酒を流し込んでいた。

 てっきり、冒険者が勇者をこき下ろすような噂話をしていたと思っていた。

 そしてナイトハルトがその噂話を耳にして激怒したのだと。

 

 だがウィーヴィルでの出来事に関する噂話となると、ナイトハルトがここまで激怒する理由が見当たらない。

 確かに私達のホームではあるが、ナイトハルトにあの街の特別な思い入れがあるとは聞いたことがない。

 思わず首をひねっていると、エレノスは腰を抜かした様子の冒険者に手を伸ばし、言った。


「その話、詳しく聞かせてもらえるかい? 今のことに対する謝罪も込めて、謝礼は弾ませてもらうよ」


 ◆


 どう交渉したのか、エレノスは店主とたちまち話を付け、酒場の二階を貸し切り酒を樽ごと買い切った。 

 向かいの席に座る冒険者の持つジョッキには、常になみなみと酒が注がれる。

 無くなることの無い酒を前に冒険者の機嫌は天井知らずで、羽のように軽くなった口からはどういった噂話をしていたか、私達が聞き出す前に語られた。


「確かに、にわかには信じられない話だね。おっと、どんどん呑んでくれたまえ」


「エレノス様、そんな大量にお酒を勧められては……。」 


 次々と酒を勧めるエレノスに対して、ティエレは冒険者の様子を心配していた。

 もはや呂律も回っていない冒険者は、笑っているのか起こっているのか区別がつかない表情で、エレノスに顔を突き出す。

 

「だからぁ、噂話だって言ってるだろぉ!? 俺だって、んな話信じちゃいねぇよ……。」


「あぁ!? し、しっかりしてください! 今、治療魔法をかけますから!」


 椅子から転げ落ちた冒険者は、それでもご機嫌な様子で鼻歌を歌っていた。

 そんな泥酔した冒険者から語られた話は、噂話として話半分に聞いてもなお、笑ってしまうような内容だった。

 

 冒険者の街、ウィーヴィル。

 かの街で、大規模な裏組織によるギルドマスター暗殺計画が実行されたのだという。

 街全体が戦場と化し、冒険者も総出でその解決に当たったか、首謀者はとんでもない実力者で、元プラチナ級冒険者のパーシヴァルですら歯が立たず致命傷を負ってしまった。 

 

 そこに現れたのは、ひとりの転移魔導士。

 

 魔導士は圧倒的な力で首謀者である人物を瞬く間に制圧して見せた。

 その功績から魔導士はゴールド級冒険者へと昇格し、さらにはギルドマスターから二つ名を授与されたというのだ。

 二つ名とは、抜きんでた実力とそれに見合う多大なる功績を収めた者にのみギルドから送られる、栄誉ある称号。 

 それを、ギルドが転移魔導士に送ったとなれば、たしかに噂話になってもおかしくはない。


 ただ、とてもではないが、実際の出来事だとは思えない。

 思えないが、そんなことができる転移魔導士は、ひとりしかいない。

 心の中に浮かび上がったその名前を、無意識のうちに呟いていた。


「ファルクス、なのかしら」


「まぁ、ウィーヴィルの転移魔導士と聞けば、その名前を思い出すのは当然か。けれど流石に信じちゃいないだろう? あまりに現実味が無さすぎる。王都の吟遊詩人が歌う英雄譚の方がまだ信じられるよ」


「……いいえ、ファルクスに違いないわ。きっとそうよ」


 エレノスがなにかほざいているが、この話に出てくる転移魔導士はファルクスに違いない。

 切り捨ててしまった私が言える立場ではないが、彼の実力は私達の想像をはるかに超えている。

 話に出てくる転移魔導士がファルクスだと考えれば、一気にゴールド級へ昇格することも、二つ名を授与されることもなんら不思議ではない。むしろそれが当然であり、正当な評価であるとさえ言える。

 

 私と離れた後に努力を重ねたのだろうか。

 それとも私の思いつかない方法で活躍を重ねているのだろうか。

 一度でいいから、彼の活躍をこの目で確かめたい。

 一度でいいから、この手で抱きしめたい。

 一度でいいから……。


「久しぶりに見たよ、君のそれ。なんと形容していいか決めかねていたけれど、恐らくそれは……いや、やめておこう。こっちが怖くなる」


 気付けば、引きつった表情でエレノスが覗き込んでいた。

 話しの途中からなにも聞いていなかった。ただナイトハルトがあそこまで激怒していた理由は、大体あたりがついた。

 私の想像を裏付けるように、ジョッキが地面に叩きつけられ、留め具が地面に飛散する。 

 

「勝手に抜けやがったヤツの話をすんじゃねえよ。次にアイツの名前を口に出したら、二度と口をきけなくしてやるからな」


 離れた席で飲んでいたはずのナイトハルトは、いつの間にか私のすぐ後ろでエレノスに睨みをきかせていた。

 ナイトハルトも私と同じように、噂話に出てくる転移魔導士とファルクスを重ねていたのだろう。

 勇者の評判が著しく落ちた時期と、ファルクスがこのパーティを抜けたのは同時期だ。ナイトハルトは絶対に認めようとしないが、この時期が重なっているのは偶然ではない。ファルクスが抜けたことで、私達の細かな連携に誤差が生じ、思うように成果を残せなくなっていたのだ。

 

 ただ口では否定しているが、本心ではナイトハルトもそのことを理解しているのだろう。

 自分から無能を追い出したという最初の意見から、勝手に出ていったというファルクスへの責任転嫁をしていることが、なによりの証拠だ。

 

 ただそのことを口に出せばどれだけ面倒なことになるかは容易に想像がつく。

 私達の目的は魔王軍を撃退し、魔将を討ち取り、最終的には魔王を撃ち滅ぼすことだ。

 エレノスはナイトハルトからの怒気を受け流すように、話の方向転換を図った。


「ならもっと建設的な、これからについて話すとしよう。今回のような『成果』が転がり込んでくるのを座して待つのは、愚か者のすることだからね。支援を受けている以上、成果を出し続けなければならない。なにかいい案はあるかい?」


「決まってんだろ。あの女を追いかけて、殺す」


 あの女、とは私達が最後に戦った魔族の少女のことだろう。

 以外にもエレノスはそんなナイトハルトの意見には賛成の意を見せた。


「まぁ、彼女が魔王軍の新しい戦力だとしたら、ソレも一応は成果として報告できるはずだけれどね。問題はどうやって居場所を特定するか、そして今のまま戦って勝てるのか」


「あの卑怯な奇襲を受けなけりゃ、楽勝に決まってんだろ」


 魔都オルトロールの奇襲を画策していたその口でよく言えたな、とは思ったが黙っておく。

 それにあの魔族の少女を追うというのは、私としても妙案に思えたのだ。


 魔将イヴァンの撤退と、あの少女との戦闘。それらが短期間で続いたことが、全くの偶然だとは思えなかった。

 あれだけの戦闘能力がありながら秘匿されてきたことを考えると、イヴァンや魔王軍の切り札や、それに類する存在だと仮定できる。

 表舞台で暴れまわることになれば、人間側の士気が大きく落ちるのは必至だ。そうなる前に、叩いておく意義は大きい。  

 それにあの少女の居場所を突き止めれば、同時に魔将イヴァンの居場所もわかるかもしれない。

 今後の戦いを有利に進める為には、あの少女をまず叩く必要があるだろう。

 そこで最後の最後に手に入れた手がかりを、エレノスに打ち明ける。


「エイリースという名前を聞いたことはある? 彼女が最後に呟いていた名前なのよ」


 その問い掛けに対して、答えは意外な所から返ってきた。


「もしかして、エイリース・モルガンのことでしょうか」


「知ってるの?」


「知っている、といいますか。エイリース・モルガンは聖堂教会が伝えている伝承の一説に出てくる、黒き精霊の名前なのです。試練を越えて訪れた者に知恵の果実を与え、その知恵を正しく使うかどうかを裁定する役割を担っていたのだとか」


 一説によれば聖堂教会は、王族と同等の歴史を持つという。

 そこに長く伝わる伝承となれば、相応の意味があるはずだ。

 そしてあの少女が口にしたエイリースという名前。

 魔族との戦いも続ける必要があるが、その名前がいやに心の中に引っかかっていた。


「そのエイリースについて、詳しく調べられないかしら」


「今の僕の中にはその知識はないね。けれど調べるのであれば、うってつけの場所があるよ」


 自信ありげに、エレノスが立ち上がり。

 そしていつも肌身離さず身に着けている指輪をテーブルの上に置いた。

 蝋燭の火に照らされ、指輪の紋章が揺らめく。

 そこには巨大な螺旋の党と太陽が刻まれていた。


「学術都市アレイスター。あの場所に行けば、分からないことを探す方が難しい」

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