第120話 剣聖視点

 一目でそれとわかる衣服を身に纏い、でっぷりとした顎をさすりながら羊皮紙に目を通す。

 その姿は以前にも何度かこの眼で見ているにも関わらず、妙な威圧感を感じさせた。

 彼は王政府の大臣であり、そして勇者による活躍が支援に見合うものか見極める監査官でもあった。

 

 王国内でも有数の大都市、王政都市ヴァルヴァニア。

 その宮殿内に、私とエレノスはいた。

 

 魔都オルトロールから魔族が撤退したという情報を掴んだ私達は、即座にこのヴァルヴァニアへと足を向けた。

 謎の魔族との戦いで負傷していたにも関わらず、最大最速での強行軍を敢行。

 疲労は限界に達していたが、それでもこの状況を利用しない手はなかった。

 

 結果的に、エレノスがまとめ上げた……いや、正直言おう。

 エレノスがでっち上げた報告に目を通した大臣は、豪奢な椅子をきしませながら、何度も小さく頷いた。

 それに合わせてあごの贅肉が波打つが、以前のような笑いたい欲求はこみ上げてこない。

 ただただ体を巡るのは、安堵の感情だけだった。


「……確かに、魔将イヴァンとその軍が撤退したことを確認した。その功績に免じ、支援を継続することを約束しよう」


「ありがとうございます、大臣。一層の努力を約束するとともに、ご期待に沿う結果を持ち帰って見せます」


 エレノスが恭しく頭を下げ、私もそれに続く。

 しかし大臣の反応は冷ややかなものだった。


「ならば次は魔将の首……いや、魔王の首でも持ち帰るのだな。外にいるあの勇者にも、そう伝えておけ。それと、わかっているな」


「はい、もちろんです。勇者ナイトハルトにはくれぐれも過ぎた行動を慎むよう、言いつけておきます。必ず」


 上手いなと思った。

 エレノスは、慎むように行動させるのではなく、言いつけておくとしか返さなかった。

 もとよりあのナイトハルトの行動を御する事など不可能に近いが、これなら何か事を起こしても言い逃れができるはずだ。そんなことが起きないのが、なによりも望ましいのだが。


 大臣の前から下がり、待っているであろうふたりの元へと急ぐ。

 エレノスの判断でナイトハルトとティエレは宮殿の前に待機してもらっていたのだ。

 傍若無人なナイトハルトが大臣の前に現れれば、支援を即行で打ち切られることは想像に難くない。

 だからこそ、こうして私とエレノスで報告に訪れたのだが、ようやく肩の荷が下りた気がした。

 

「どうにか、首の皮一枚繋がったわね」


「この無意味で虚無な期間が延びたともいえるけれど」


「そんなこと言って、結局大臣を説得するのを手伝ってくれたじゃない。てっきり断られると思ってたわ」


「僕としてはこの立場になんの思い入れも無いけれど、せめて歴史が変わるであろう瞬間を見届けたいと思ったのさ。例えば、史上初めて勇者を受け継ぐ者が現れる、とかね」


 言い放つエレノスの瞳は、いつになく剣呑な光を宿していた。

 エレノスが考えている事は理解してる。

 今の勇者を切り捨て、私をその役割に挿げ替えるつもりなのだ。

 だがそれを受け入れるつもりも、納得するつもりもさらさらなかった。


「……言ったでしょ。わたしにその気はないわ。今回のことだってイヴァンの撤退を、さも自分達の手柄のように報告したわけだし。こんな嘘つきの卑怯者に勇者が務まるわけないでしょ」


 大臣の蝋印が推された羊皮紙を握りしめる。

 これが支援を継続するという証であり、そして人々からの期待に応えるという私達の証明章でもある。 

 国からの支援とはつまり、そこに住まう人々からの支援でもあるのだ。


 偶然にも撤退した魔王軍の行動を、私達は勝手に自分達の手柄のように報告したのだ。

 すぐにでも勇者が魔王軍を押し返した、という声が大陸中に行き渡るだろう。

 だがそれは偽りの戦果であり、それらを聞く人々を騙していることに他ならない。

 

 心苦しさと申し訳なさに、胸が締め付けられる。

 もっと強くならなくては。もっと犠牲を減らすためにも。

 この戦いを終わらせる為にも。

 だがエレノスは私の言葉を変な意味でとらえたようだった。

 

「おっと、ナイトハルトの悪口はそこらへんでやめておいた方がいい。そろそろ外に聞こえる頃だ」


「べ、別にそういう意味で言ったわけじゃ――」


 言い切る前に、エレノスが衛兵達の間を通り過ぎていく。

 すると待ちかねていたかのように、ティエレが駆け寄ってきた。

 そこには容易に見て取れるほどの不安が浮かんでいる。


「おふたりとも! い、いかが、でしたか?」


「安心して。大臣が支援を続けてくれることを約束してくれたわ。よほどのことがない限り、聖堂教会もそれに続くはずよ」


「そう、でしたか。本当に、よかったです。まだ、この旅を続けられるのですね」


 聖女ティエレは聖堂教会から派遣されている仲間だ。

 つまり支援が打ち切られてしまえば、そこで私達とは離ればなれとなってしまう。

 それをここまで恐れるということは、私達との旅をそれだけ続けたかったと思ってくれている証左だ。

 申し訳ないが、そんなティエレを見て口角が上がる。

 だが、どうやらそれを正直に受け止められない人物もいた。

 

「続けられることを喜んじゃ良くないと思うけれどね。さっさと終わらせることを考えないと」


「その言葉狩り、こんな時ぐらいはやめられないの、エレノス」


「こんな時ぐらいしか気軽にできないだろ。それよりも我らが勇者様の姿が見えないようだけれど、何処に行ったのかわかるかい?」


 確かに、周りを見渡してもナイトハルトの姿は見当たらない。

 とはいえ、それが驚くほどのことかと言われればそうでもない。

 ナイトハルトが言うことを聞かないなど、わかりきっていたことだ。

 エレノスもわかっていただろうが、律義にもティエレは申し訳なさそうに声を上げた。


「それが、酒場に行くとだけ……。も、もちろんおふたりを待った方がいいのではないかと、お伝えしたのですが」


「別に気に病む必要はないよ。アレが他人の言葉を聞くわけがない。さて、勇者様はどこへ向かっているのかな」


 言うが早いか、エレノスの杖から放たれた燐光が意思を持っているかのように一方向へと流れていく。

 追跡魔法。あらかじめ魔法を対処にかけておくと、後からその居場所を容易に追跡できるという、エレノスが会得しているスキルのひとつだ。

 なぜか使い慣れている様子だが、なにに使われているのかは決して教えてくれない。

 だが今回で、エレノスが使い慣れている理由を垣間見た気がした。


「まさか、無断でつけてないわよね、それ」


「そんなまさか。無断で付けたことがあるのは、君がファルクスの夜遊びを心配して付けた時だけだよ。結局、あの時は君の勘違いだったわけだけど」


 瞬間、顔が火であぶられたかのように熱を帯びる。

 なぜそのことを、今、この場所で。

 喉まで出かかった文句はしかし、こちらの様子をおずおずと窺うティエレを見て、引っ込んだ。

 

「あ、アーシェ様? 親しい間柄であっても、あまり、そういったことは、その……。」


「おや、これは聖女を持ってしても受け入れがたいことらしい。まぁ、僕に言わせてみれば愛の形なんて人それぞれだろうとだけ言っておこうか」


 あのナイトハルトを受け入れようとしているティエレでさえ、私の行動を受け止めきれないと知った瞬間、軽い立ち眩みにも似た症状を覚える。

 しかしこればかりは仕方がない。

 ティエレは厳格な戒律を持つ聖堂教会の聖女であり、焦がれる様な感情を抱いたことはないのだろう。

 だからきっと、私の抱えている感情を完全には理解できていないのだ。

 そしてこの感情は、簡単に理解できるものでもない。

 

 あれは私が勇者達と共にパーティを組むようになって、二つの季節が流れた頃。ファルクスは荷物持ちという役割を精一杯果たそうとしていた。共に戦ってきた立場から後方の荷物持ちという役割に代わったことで、彼がどんな思いだったのかを考えると、今でも胸が張り裂けそうだ。二人きりで旅をしていた頃の思い出は宝石のようで、甘い夢のようでもある。できるならもう一度、二人で誰にも邪魔されずに旅をしたい。そう願ったことは数えきれない。彼もきっと荷物持ちではなく、私と共に並んで戦うことを望んでいる。いいえ、きっとじゃない。絶対に、そう望んでいる。けれど、どんなことにも懸命に取り組む彼だからこそ、荷物持ちという役割であったとしても妥協を許さなかった。そこが彼の魅力の一つでもある。けれど与えられた役割をこなそうとのめり込むうちに、自分の睡眠時間さえ削るようになっていった。いつもは最後の鐘が打ち終わった後すぐに就寝し、日が登る少し前に目が覚めて、軽い運動で目を覚ますはずが、なぜか夜中に出かけた切り、朝方まで帰ってこないということが頻発した。私達のレベルに見合ったダンジョンへ入ることが多かった当時、少しでも油断すれば彼に怪我を負わせてしまうことになる。それは彼が寝不足で注意力が散漫になれば同じことだ。だからこそ、それだから彼のことを心配して、エレノスに追跡魔法を使ってもらったのだ。だからあれは、私の私利私欲でつかったわけじゃない。けれど、彼を心配していたことは本当だ。もしも彼が怪我でもしたら。もしも彼が悪い何かに引っかかっていたら。例えば噂に聞くレベルが上がりやすくなる薬だとか、おまじないだとか、そういった詐欺。そして……彼を誑かす悪い虫。もちろん彼を信じているし、そんな物に引っかかるはずがないとも思っている。けれど彼はどこか抜けている部分もあるし、お人好し過ぎるところもある。そこが彼の良い所だけれど、それが短所になることもある。だから彼が深夜に抜け出してなにをしているのか確かめるのは当然のことで、別にやましいことは何もない。それはきっと彼もわかってくれるし、私も彼にそうされても怒るどころか嬉しいぐらい。この感情はきっと私と彼にしか分かり合えないし、誰にも理解させるきはない。結局、彼は深夜に転移魔法の練習をしていたと判明したのだけれど、心底心配していたはずの私も、そんな努力家な一面を再確認して思わず――


「別に、今は関係ない話でしょ。さっさとナイトハルトを探しにいきましょう」


 ――思わず、我に返る。

 最近は考えることが多く、度々現実逃避に走ってしまう傾向がある。

 せめて思い出に浸るのなら夜中の誰もいないときでないと。

 崇高な時間に邪魔が入るのはごめんだ。


 ただ、斜め後ろから様子をうかがってくるティエレはともかくとして、燐光の流れを追って歩き出したエレノスはいやに上機嫌だった。

 これまでの付き合いで判明したことだが、エレノスが機嫌のいい時とはつまり、周りにとっては注意すべき時でもある。

 そしてその予感は見事に的中した。

 

「ここのところ、結果を求め過ぎてずっとピリピリしていたからね。久しぶりに昔話に花でも咲かせようかと思った次第だよ。こと、ファルクスの事に関して言えば、君の話は尽きないからね。……いや、待ってくれ。その振り上げられた拳はいったい――」


「これは、戒めね。約束を破るとどうなるかという。良かったわね、賢者であってもまだ学ぶことがあるなんて」


 確かに今まで、ファルクスに関しての相談をエレノスにしたことは何度かある。

 近しい年齢で、同じ男性としての意見を、参考までに聞いたこともある。

 だがそれも他言無用という約束の元での相談だ。


 そして約束とは交わす際に、破ったときのペナルティも同時に定められることが多い。

 少なくとも私とファルクスの間ではそうだった。

 そして私とエレノスの間に交わされたペナルティは、ただひとつ。


 加減の無い拳が、エレノスの腹部を打ち抜いた。 

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