第119話


 問い掛けに対して、認めることもしなければ否定することさえしない。

 ヨミという存在を深くは知らないが、邂逅した時のことは鮮明に覚えている。

 信じられないことに、あの時は俺の心を読んだかのようにヨミは会話を交わしていた。

 

 つまり、こういった問答を介さずとも俺達の疑問点や求めている答えを、すでに分かっているはずなのだ。

 だが、ヨミは俺の声が聞こえていないかのように、ゆっくりと語りだした。


「世界と竜、そしてそれらと共に生まれたと自称する竜人は明確に異なる。なぜかわかるか? 世界も竜も、理不尽な破壊と再生をもたらす純然たる存在よ。しかし竜人は違う。利己的に動き、憎悪や怒りを原動力に行動する。人間と、同じようにな」


 なんの脈絡もないように思える話が、ヨミの口から紡がれる。

 だがなぜか、それを遮ることは躊躇われた。


「世界も竜達も、妾達には無干渉を貫いていたというのに、あの竜人共は別種族が繁栄することがよほど気に食わなかったようでな。その程度の狭量であの竜人が、己らをなんと称していたか覚えておるか? 星の声によって生まれた、と言っておったであろう。なんと傲慢で、なんと哀れなことか」


「竜人を滅ぼしておいてよく傲慢だなんて言えたな。それとも自分達は特別で、他種族を滅ぼす権利があるとでも思っているのか?」


「原初に存在した理は弱肉強食。世界が定めたその法則に、我らも則ったまでよ。それとも別種の繁栄を認めず、その力で君臨し続けた竜人共には貴様の言う権利とやらがあったとでもいうつもりか? ゆめゆめ忘れるでないぞ、小童。貴様がそこでさえずることができおるのは、妾達が傲慢な種族を滅ぼしたからだということを」


 穏やかな語り口だがしかし、微かに含まれる怒気に気圧される。

 実際に敵意を向けられればどうなるのか、想像すらできずにいた。


 実体を持たず、ビャクヤの体を借りることでのみ意思を疎通できるという点から見ても、超常の存在であることは薄々理解していた。

 だがこうしてみれば、あの竜人という種族その物を滅ぼしてしまう程の力を持っている言われても、どこか納得してしまう。

 しかし、そこまで強力な存在であるならば、なぜ自分自身で戦おうとしないのか。

 その疑問を投げかける前に、アリアが声を上げた。


「ジョブを人間に与えたってのも、アンタ達なの? ドランシアみたいなのがいる種族を滅ぼせるんだから、そんなことができても不思議じゃないけど」


「人間があまりにひ弱な存在であったが故に、妾とその同胞が細工を施したのよ。今の繁栄を見れば、その試みがどうなったか説明する必要あるまい。人間に協力する種にも同様の処置を施してやったが、唯一の誤算はこの計画を進めるには種そのものの世代個体が必要だったということよな。その間に竜人共も妾達を真似るように魔族を作り出していたが、完成するころにはドランシアを残して滅んでおったわ」


 語り終わるとヨミは、かか、と楽し気に揺れて見せた。

 それを追うように白髪が揺れ、流れ落ちる。

 その姿は無邪気ささえ感じられるものだった。


 だが俺は、鼓動と時が同時に止まったかのようにさえ感じていた。

 人類史においてジョブとは天上の存在によってもたらされた恩恵であった。

 そしてその存在を、人間は敬意をこめてこう呼ぶのだ。


 神、と。


 ジョブによって爆発的に繁栄した人間は、瞬く間に大陸を征服した。

 それまで脅威でしかなかった異種族さえも支配下に置くことさえ可能となった。

 人間がここまで勢力を伸ばせたのはひとえにジョブのお陰と言える。

 ならば、それを与えた存在を神と呼んでも差し支えないのではないか。


「なら、ドランシアが魔王になった理由は……。」


「妾達への復讐であろうな。その手始めとして、妾達が繁栄させた人間を滅ぼさんと企んだようではあるが、結果は知っての通りよ」


 魔王とは厄災をばら撒き、世界に破滅を齎す。

 そんな話を今まで、嫌というほどに聞いてきた。

 勇者と共に行動していれば、その伝承は嫌でも耳に入ってくる。


 しかし、その理由を考えることはなかった。

 なぜならば魔族や魔王とは、そういうものだ、という固定概念を持っていたからだ。

 最初から悪であり、悪である理由などありはしない。

 存在そのものが純然たる悪なのだと、そう思っていた。


 だが、理解してしまった。

 魔王が戦った理由を知ってしまった。


 人間による暴力的な支配を咎めるためという一面もあっただろう。

 しかしその本質的な理由は正義感などでは決してない。

 もっとどす黒い、復讐心だ。

 ヨミ達が繁栄させた人間種を滅ぼすことで、一矢報いようと考えたのだろう。

 

 散っていった仲間を弔うため。

 仲間を殺めたヨミ達への復讐のため。

 ただひとりだけ生き残った竜人として。

 仲間が作り出した魔族を率いることで。

 ドランシアには、魔王になる道しか残されていなかったのだ。


 魔王の行いの是非を論じるつもりはさらさらない。

 しかしその境遇には、同情を感じざる負えなかった。

 だが、となると現在のドランシアが一体なにを思って行動しているのかが、ますます理解できなくなる。

 

「そもそもなぜ死んだはずのドランシアが黄昏の使徒に協力しているんだ」


 ドランシアは現在、黄昏の使徒の一員として行動している。

 そしてその黄昏の使徒は魔素を研究する組織だ。

 本当にドランシアがヨミに対する復讐心で動いているのであれば、その使徒として動く意味がない。


 ヨミと関わりが深いであろうビャクヤを狙う、ということならまだ理解できなくはないが、そういった素振りもない。

 有明の使徒というヨミが作ったであろう組織を潰すために黄昏の使徒となった、とも考えたが、それもありえないだろう。

 魔素を研究する黄昏の使徒を討伐するために、有明の使徒は結成された。つまり順序としては有明の使徒の方が後に結成されたことになるのだ。

 それに、わざわざヨミの結成した組織を破壊するために黄昏の使徒となるより、その実力で潰しにかかった方が手っ取り早い。

 少なくとも俺達は手も足も出なかったのだから、あのタイミングで引いた意味も分からない。

 それらの答えて問いかけたが、俺の求めていた答えが返ってくることはなかった。

 ヨミはそっけなく、淡白に答えを述べた。


「知らぬな。魔素の研究による産物か、黄昏の使徒の中に古代魔術を使える輩がいるのか。いずれにせよ死者を呼び戻すなど、世の理を大きく乱すことは間違いあるまい。やつの胸にあったおぞましい器官を見たであろう」


「なら……殺せる、のか? 勇者の力がなくとも、魔王は倒せるんだろ?」


「無論。殺せば死ぬ。世の道理よ」


 その言葉を聞いて、無意識のうちに安堵のため息が漏れ出ていた。

 あのドランシアは不死身ではなく、仕留める手立てが存在するのだ。

 実力不足を痛感したが、これからさらに実力を磨いていけばいい。

 魔王の命に、この手が届くまで。


 それに、今の勇者の力を頼りにすることはできない。

 確かに勇者のジョブは強力であり、その周りを固める賢者、聖女、剣聖も歴代最高と呼ばれるジョブばかりだ。

 だからこそ現代に生まれた魔王の討伐を、勇者ナイトハルト達に任せるべきだろう。


 蘇った魔王ドランシアは、俺達がどうにかすればいい。

 向こうはきっと、アーシェが何とかしてくれるに違いないのだから。


 気付けばヨミは、当初ビャクヤが月を見上げていた場所へと戻っていた。

 その足取りはおぼつかず、今にも倒れてしまいそうなほどに不安定だった。

 

「さて、ここらで妾は去るとしよう。可愛いビャクヤに無理をさせる訳にはいかんからな」


「お前を信じていいんだよな、ヨミ」


 全貌が見えたとは、とてもではないが言い難い。

 懸念していたような過去の話も聞いたわけではない。

 だがそれらが事実であるかさえ、俺達には確かめようがない。


 勇者の伝説が、人間に都合の良いように作られたように。

 ヨミが自分達にとって都合の良いように歴史を語っていることも十分にあり得るのだ。

 信頼できていないと真正面から告げる俺を、ヨミは蒼く揺れる瞳で見据えていた。


「……フォロボス。この名前を調べるがいい。貴様らが求める答えと同時に、妾の言葉が真実である証明となろう」


 ◆


 意識の無いビャクヤを、ゆっくりと教会の長いすに横たえる。

 その体は、驚くほどに華奢で、心配になるほどに軽い。

 そんな彼女にヨミを呼ぶことでどれだけの負担をかけたのか。

 後悔にさいなまれるが、得た情報にはそれだけの価値があったと信じたい。

 

 ガチャガチャと金属の音に顔を上げれば、人形達が聖銀の道具を片付け始めていた。

 ビャクヤの頭を撫でていたアリアは、問い詰める様に俺を見上げた。


「それで、どうするの? これから」


「黄昏の使徒との戦いは続ける。だがまずは、ヨミの言葉を信じるに足る確証が欲しい」


 この戦いは、常に命懸けだ。

 特に今回の戦いに関して言えば、一歩間違えれば全滅ということもあり得た。

 圧倒的な実力不足であり、自分達の能力を今一度研鑽しなおす時期なのだろう。


 ただ、問題はその戦いを続けられるかどうかという点だ。

 命懸けの戦いをするのであれば、それに足り得る理由が必要だ。

 黄昏の使徒が行っている魔素の研究は悪であり、有明の使徒はそれを阻止する組織である。

 その単純な図解が、ヨミの言葉を信用できないという一点で、瓦解しようとしていた。


 もちろん、黄昏の使徒がおこなっている研究で被害者が出ている事は事実だ。

 それを許す気はないし、黄昏の使徒を討つことに不満や忌避感があるわけではない。

 しかし有明の使徒として戦いづつけるには、余りにこの不信感は大きすぎた。


 だからこそ、払拭したい。

 ビャクヤが崇拝し、俺達に力を与えてくれたヨミへの不信感を。

 そのためにもまずは、先ほど教えられた名前を辿る必要がある。

 あるのだが……。


「けど、フォロボス……だったかしら。その名前をどうやって探すつもりなのよ」


「実をいえば、その名前は聞いたことがある。確か地方の伝承に出てくる戦士の名前だったはずだ」


「じゃあ、次にやるべきことは決まったわね。その地方へいって、さっさと調べちゃいましょう」


 乗り気のアリアを尻目に、眠るビャクヤの隣に腰を下ろす。

 僅かな動揺を押し殺すために、深く呼吸をして夜空を見上げた。


 まさか、ここでその名前を聞くことになるとは、思ってもみなかったのだ。

 ルーゼリア地方に伝わる、竜殺しの英雄フォロボス。

 それはあの冒険者が語ってくれた、伝説のひとつ。


 俺達が胸に抱くこの理想を与えてくれた冒険者。

 彼が理想と掲げていた、戦士の名前だった。

 

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