第118話
崩れた小さな教会の中。
瓦礫の上で、ビャクヤは夜闇に浮かぶ満月を仰ぎ見ていた。
月光を浴びて、ビャクヤの白髪が不思議な光彩を生み出す。
まるで御伽噺の一幕にも似た光景に、漏れ出るアリアのため息が聞こえた。
その気持ちはよくわかる。
異国から訪れた白き鬼と、崩れた夜の教会という組み合わせは、息をのむほど美しい。
惜しむらくは、この光景をミリクシリアとベルセリオが見ることができないということか。
黄昏や有明の使徒としての話が中心になるため、席を外してもらっているのだ。
今さらではあるが、ふたりをこの戦いに本格的に加えることはしたくはない。
これからはエルグランドの復興に注力してもらう為にも。
そんな蚊帳の外に置かれたというのに、ミリクシリアは聖銀で作られた道具一式を、快く貸し出してくれた。
ベセウスが残した魔素に関する研究記録を見て分かったのだが、魔素は邪悪な力と同様に聖銀によってその効力を抑えることができると書かれていた。
まさかこんな場所で黄昏の使徒の研究が役立つとは思わなかったが、ビャクヤの負担を抑えられるのであれば使わない手はない。
そして聖銀に囲まれたビャクヤが、ゆっくりと満月から視線を離す。
口元には、ビャクヤが決してしない種類の笑みが浮かんでいた。
「久しいな、小童。こうして言葉を交わすのは、力を授けてやったとき以来かの」
「……本当に久しぶりだな、ヨミ。もう会えないかと思ってたところだ」
言われて、ヨミは目を細めた。
その瞳の中には蒼い炎が揺らめいている。
「どこか言葉に棘があるのう。童が力を与えてやったことを、忘れた訳ではあるまいな」
「いいや、鮮明に覚えてるさ。だからこそ聞きたいことが山ほどある。今回ばかりは、堪えてもらうぞ」
力を与えてくれたことには感謝している。
その力で救うことができた命も多くある。
本来の俺の力では決して成しえなかったことも
だが戦う理由、その根幹が今や揺らいでしまっていた。
原初の魔王。魔王の誕生。そして魔王とヨミの関係。
聞かなければならないことが多くある。
聞かなければ戦いを続けられないことも、多くあった。
だが、ヨミは挑発的な笑みを浮かべたままじっとこちらを見つめている。
俺達からの質問に答える気があるのかどうかさえ不明のままだ。
しかしビャクヤに無理をさせている以上、話を長引かせることは避けたい。
手短に、そして確実に答えを得るために、前提条件からいくつか質問を選び、問いかける。
「まず、あのドランシアについて聞きたい。アレはいったい、何者なんだ?」
「あ奴は原初の魔王にして世界最後の竜人、ドランシア・ヴァルドロス本人で相違ない。本人もそう名乗っていたであろう」
事も無げに答えたヨミに、アリアが食い気味に疑問をかぶせる。
「ま、魔王本人って……ならあの勇者と魔王の伝説は、魔王の勝利で終わったってことなの!?」
「少し落ち着け。お主たちが知る人間の歴史と、我が覚えている世界の歴史では少しながら差異がある。例えば、勇者は魔王を討つために生まれた存在、という口伝よな」
ヨミは、周囲に配置された聖銀の道具を指先で撫でながら、ゆっくりと教会内を歩き始める。
その間にも、ヨミの言葉が廃墟に小さく反響する。
「確かに魔王と勇者には確固たる因果関係が存在する。だが魔王を討つために勇者が生まれたのではない。その逆よ。勇者を討つために、魔王は産み落とされる」
「はぁ!? 魔族に滅ぼされかけた色んな種族が協力した結果、勇者が生まれて魔王を討ち取ったんじゃないの? 色んな種族にはその伝説が伝わってるじゃない!」
今や埃をかぶった御伽噺の類ではあるが、それは誰もが知る勇者の伝説。
魔王による壊滅的な被害を受けたことで、種族という垣根を越えて手を取り合い、勇者と共に魔王へ立ち向かった。
種族ごとに存在する伝説には多少の違いがあれども、必ず共通点が存在する。
それは魔王へ立ち向かう為に、勇者が生まれたという下りだ。
多くの地域や種族の中で生まれた伝説だ。
自分の種族を贔屓したり、活躍を大きく描写することは考えられる。
しかしなぜその下りだけが普遍的に語り継がれているのか。
そこに、何かしらの意図が隠されているのだとすれば。
「……それらの勇者の伝説は、特定の種族によって都合の良いように作り替えられたってことか」
「なに、それ」
考え得る中で最悪ともいえる予想は、誰にも否定されることはなかった。
ヨミはといば決して届かないはずの、夜空に浮かぶ月に手を伸ばしていた。
「ジョブという力を得た人間は、瞬く間に大陸の覇者となった。だがげに恐ろしきひとの欲望は留まることを知らぬ。ジョブという過ぎた力を手にした人間は、大陸に住む別の種族を支配下においだのだ。武力によって、奴隷としてな」
「世界の支配を目論んでいたのは、魔王じゃなく人間だったと?」
「信じられんだろうが、それに異を唱えた者こそ、ドランシアよ。ひとの支配者が振るっていた力……後に《勇者》と呼ばれる力の所持者を消そうと、一部の異種族と共に人間を滅ぼさんと企んだ。その結果、勇者と魔王は相打ち、人間は甚大な被害を被った。支配下に置いていた異種族の反乱を恐れるほどにな。そこから人間と異種族の平和的外交が始まり、長い時を経て和解に至るといわけさな」
滔々と語られた歴史と事実に、思わず言葉を失った。
聞きたいことはまだまだある。
それでも、頭がヨミの話に付いていかなかった。
勇者の伝説とはすなわち、王国の歴史に等しい。
そして王国は再び魔王の脅威に晒され、勇者の力でこの事態を乗り切ろうとしている。
しかしその伝説が歴史をひた隠すために作られた、ただの作り話だとしたら。
勇者が魔王を討ち果たすという話自体、なんら信憑性のない空想に成り下がる。
ドランシアが自分を殺すには勇者の力が必要だと、笑って公言していた理由がようやく理解できた。
あれは、あざけりだ。
事実を知るドランシアは、自分達の都合のいい無意味な伝説を語り継ぐ人間を、見下し嘲笑っていたのだ。
だがヨミの話す歴史が事実だとすれば、腑に落ちない点もいくつかある。
「なら、魔王と勇者が同時期に生まれてくるのはなぜだ。話を聞く限り、これも人間に伝わる『神の祝福』なんてふざけたものじゃないんだろ」
それが最たる点だ。
初代勇者の暴虐に耐えかねたドランシアが魔王となり、それを討ち取ろうとしたことはわかった。
だがそれ以降も勇者の誕生に合わせて魔王が生まれる理由がわからない。
魔王が勇者のいない時代に生まれたのであれば人間はとっくに滅ぼされている。
一方で魔王がいない時代に勇者が生まれたという話も聞いたことがない。
この関係性は恣意的ななにかを感じざるをえなかった。
ヨミはまるでその疑問を見透かしていたかのように、すらすらと答えてみせた。
「魔族とは竜人が作り出した、世界の均衡を保つための種族なのだ。そして竜人による古代の魔法により、世界の均衡を大きく崩す人間の異能……つまり勇者と呼ばれる力を持つ者が生まれると同時に、魔王が誕生する。だが勇者誕生の後に作り出された魔族にはその王が存在しなかった。それゆえにドランシアが原初の魔王となり、魔族を率いたのよ」
もはや、笑いさえこみ上げてきそうだった。
竜人という種族がいかに強力かは、ドランシアとの戦いで理解したつもりだった。
しかし、ここにきて別の種族さえ作り出せるほどに優れた種族だったと知ることになるとは。
ただ、となると当然の疑問が浮かび上がってくる。
ドランシアが戦いの最中に俺へと言い放った言葉と、ヨミの語る歴史。
それら照らし合わせてみれば、自ずとその疑問にたどり着いてしまう。
「なら聞かせてくれ。なぜドランシアが魔王となったんだ?」
「言ったであろう。ドランシアは最後の竜人だったと。だからこそ魔族を率いて戦った」
「それじゃあ答えになってないでしょ」
「そうかの? 小童は気付いているのではないか?」
ヨミの回答は、予想通りのものだった。
これまでに何度も聞いた、その言葉だ。
ただ今まで聞いた話を総括すると、その言葉の持つ意味が大きく変わってくる。
アリアが不満げな表情で俺を見上げている事に気付き、考えを整理するつもりで頭の中にある情報を並べていく。
「竜人が歴史から姿を消したのは、人間と魔族の台頭と同時だと歴史書には残っている。それは今の話を聞く限り人間がジョブを得た後、つまり竜人が魔族を作った後ということになる」
「だったらどうしたのよ」
「おかしいとは思わないか? 人間がジョブという武器を得る前に、竜人が消えたんだぞ? ドランシアひとりを残して」
人間がジョブという特異な能力に目覚めたことで、竜人達が追いやられていった。
この話であれば多少強引であっても納得はできる。
しかし実際には人間がジョブを得る前に、竜人達はその数を大きく減らした。
その過程で魔族を作り、最後の竜人であるドランシアが戦争を始めた。
考えれば考えるほど、おかしな話だ。
竜人はなぜ魔族を作り出したのか。
スキルの無い人間がどうやって種を存続させたのか。
ヨミが語る歴史とその事実。
なぜ、ヨミはドランシアが最後の竜人だと断言できるのか。
そして、ドランシアが俺に語った魔王となった理由。
いや、正確には、ヨミこそが魔王になる原因を作ったといったのだ。
あくまでそれらから推測した俺の妄想に過ぎない。
だがそう考えれば全て筋が通る。
全てをその目で見てきたかのように話すことさえも。
「お前が竜人を滅ぼし、人間にジョブを与えたのか? ヨミ」
問い掛けへの答えは、無い。
しかし、ヨミはビャクヤの顔で、ビャクヤが決して浮かべない笑みを浮かべるのだった。
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