第117話

「ビャクヤ、ちょっといいか?」


 名前を呼びながらドアを叩くと、中から物音が聞こえてくる。

 そして少しの間をおいて出てきたのは、いつもの見慣れた装備を外したビャクヤだった。

 すでに日が暮れ、復興作業も終わる時間を過ぎている。

 濡れぼそった髪を見るに、ビャクヤも作業を終えて湯浴みを済ませた後なのだろうか。

 戦いの時とは打って変わって、柔和な雰囲気のビャクヤは俺の顔を見てくしゃりと無邪気な笑みを浮かべた。


「おぉ、ファルクスだったか。どうしたのだ」


「ちょっと確認したいことがあってな。いまは、大丈夫か?」


「うむ、問題ないぞ。話があるのなら、中へ入るがよい」

 

 いつもと違う雰囲気のビャクヤに若干の緊張を覚えながら、開け放たれた扉の奥へ目をやる。

 補修の跡が残された簡素な部屋には、最低限の家具と寝具が並べられていた。 

 そして光源となる魔道具が置かれたテーブルを囲んでいたのは、見慣れた面子だ。


「こんな夜更けに上の階に来るなんて、なに考えてるわけ?」


「こんな夜更けに騒がないでください。耳障りですよ、お猿さん」


 テーブルに肘をついたアリアと、なんらかの飲み物――匂いからして酒だろうが――を嗜んでいるベルセリオの姿がそこにはあった。

 その二人もいつもの服装とは違う簡素な恰好だが、それも当然か。


 エルグランドの復興を手助けしている間、俺達は騎士が使っていた建物を間借りしていた。

 その建物も一階は俺を含めた復興作業に従事する男性陣が、そして二階以上は女性陣が利用している。

 雨風を凌げる建物が少ないが故の苦肉の策だが、いかんせん部屋数が圧倒的に足りないため、男性陣も複数人で一部屋を共有している。

 その事を思えば、この三人がひとつの部屋に集まっていてもなんら不思議ではなかった。


「なんだか久しぶりに見る面々だな。これだけ揃うのは……あの戦い以来か」


「ミリクシリアも誘ったのですが、忙しいからと取り付く島もありませんでした」


「休んだ方がいいって言ったんだけど。生真面目だから、なんだか無理しそうよね」


 アリアが目を向けた先の窓からは、大聖堂が見えていた。

 ここにはいないもうひとりの仲間、ミリクシリアはこの時間でも忙しく働いているのだろう。

 俺も出席した話し合いの後、ミリクシリアはイリスンと共に今後の計画についての協議を推し進めている。

 支援を申し出た貴族や商人達の支援物資も徐々に到着し、復興の兆しが見え始めている。

 ミリクシリアにとってこの忙しさこそ、復興が着実に進んでいる証なのだろう。


「まぁイリスンさんが付いてるから、大丈夫だとは思うが。また様子を見に行った方がいいな……。」


「それでファルクスは、我輩達の部屋になにかようか?」


「あぁ、そうだった。以前に話したヨミを呼び出すって件がどうなったか確認したかったんだ。昼間は復興作業でお互いに忙しいからな」


 実をいえば、ビャクヤとこうして話をするのは数日ぶりだった。

 俺は発作が起きない範囲で転移魔法を使った物資の運搬を、ビャクヤはその建築技術で現場を手伝っている。

 その関係上、顔を合わせることさえ格段に減っていたのだ。

 今まで共に旅をして、背中を合わせて戦ってきたことを考えれば、妙な気分でもある。

 

 しかしどうしても確かめたいことがあった俺は、ビャクヤの元へ向かって一つの頼みごとをしていた。

 それはヨミを呼び出しての話し合いの場を設けて欲しい、というものだ。

 ドランシアから聞いた諸々の話の真偽を確かめるまでは、有明の使徒として戦うことは難しい。

 命を懸けて戦っているその理由が、大きく揺らごうとしているのだ。


 だからこそ今一度、ヨミと顔を突き合わせて聞かなければならない。

 ただ、ビャクヤも魔素の影響を受けたことでヨミと意思を疎通することが困難になっている。

 不可能ではないか準備が必要だと言われ、その進捗をこうして聞きに来たというわけだ。


 急かしているようで気が引けたが、俺達の都合で黄昏の使徒が動きを止めるわけではない。

 できる限り早急に、俺達の中にある疑念を解決したかった。


「それならば次の満月の夜には間に合いそうだ。だが長く話すことは難しいであろうな。それでも構わぬか?」


「無理をさせて悪いな。ただどうしてもヨミに確認したいことがあるんだ」


「ドランシアが話していたことで、であろう。承知しているとも。準備ができ次第、お主に報告するとしよう」


「助かる」


「うむ」


 そこで一度会話が途切れる。

 しかし、部屋を後にすることはためらわれた。

 わざわざ部屋まで訪ねてきたのには、もうひとつ別の理由があったからだ。

 

 言葉がないまま、短くない時間が過ぎる。

 ビャクヤの方はなにかを察しているのか、じっとこちらに灰色の瞳を向けている。

 俺も口にしなければならないことがあるのだが、流石に他に人がいる状況でする話ではない。


 だがここで引き返す……いや、逃げるのも憚られた。

 誠意を見せるべきなのではないか。

 そう悩んでいる内に、話を切り出すタイミングを見失ってしまう。


「……。」


「……。」


「なにこの空気」


 沈黙は、その一言で霧散した。

 アリアのぼやきに、ここまで助けられることがあろうとは。

 状況を理解しきれていないであろうアリアはジト目で俺とビャクヤを見比べているが、その隣に座っていたベルセリオは、飲み終わった容器をテーブルへ叩きつけて勢いよく立ち上がる。

 ちらりとベルセリオがこちらに向けた流し目で、なにを言いたいのかを直感的に理解する。

 これは貸しひとつだぞ、と。


「さて、酔いが回ってきたので少し夜風に当たりにいきましょうか。ねぇ、お猿さん」


「はぁ? アンタ一人で勝手にいけばいいでしょ。別に私はお酒を飲んでないし」


「はいはい、そうですね。では、いきましょうか」


「ちょっと! 私の話聞いてる!? まさかそんな顔しておいて、お酒に弱いとか言わないでしょうね!?」 


 騒がしいアリアを小脇に抱えて、ベルセリオが部屋を出ていく。

 そして去り際。小さくつぶやいた。


「それでは、ごゆっくり」



 当たり障りのない話を始めた所までは覚えている。

 ただ途中からなにを話していたのかは、正直よく覚えていない。

 毎日届く配給のおかげで旅をしている最中より良いものを食べられているだとか、建造物を見ればその街の特徴や歴史を知ることができるだとか、そんな事を楽し気に話してくれていたように思う。

 真剣に聞いていない訳ではないが、覚えている内容は酷く曖昧だった。


「――も完成間近だ。どちらかと言えば瓦礫の撤去に時間がかかったといえるな。ここまで大掛かりな建築となれば、我輩も腕が鳴るというものだ」


 絶え間なく楽し気に話してくれるビャクヤを見て、覚悟を決める。

 顔を上げてテーブルの向こう側に座るビャクヤの顔を見据える。


「ビャクヤ。その、俺は――」


「無理をせずとも良い。実を言えば、お主が部屋を訪れた時から、なんとなくそんな気はしていた。その気持ちだけでも、十分だ」


 言葉を最後まで聞くことなく、ビャクヤは屈託のない笑みを浮かべてくれた。

 俺の様子から、なにを言うのか察してくれたのだろう。

 そこで簡単に許せてしまうのが、ビャクヤの器の大きさを示していた。

 だがいつまでも、そんなビャクヤの優しさに甘えている訳にはいかなかった。

 仲間として、相棒として。ひとりの、人間として。


「いや、言わせてくれ。本当に、すまなかった。あの時の俺は、どうかしていた」


 深く、頭を下げる。

 それに対してのビャクヤの様子は、わからない。

 ただ謝罪の言葉を受け入れてもらえるまで、頭を下げ続けるつもりだった。


 まだ誰が黄昏の使徒かわからなかった時、ビャクヤは俺に勇者達と合流するべきだという提案をしてくれた。

 高い戦闘能力を持つ勇者と合流し、魔族側に潜む黄昏の使徒を討ち取ることが状況を打開する方法だと。

 それは少ない情報しか手元にない中でも、あの時に考えられた選択肢としては非常に理にかなったものだった。

 だというのに俺は、その提案を最悪の……ビャクヤを傷つける形で蹴ったのだ。

 

 結果的にはエルグランドの長であるベセウスも黄昏の使徒だったと判明したが、それはあくまで結果論であり、あの時にとった行動を擁護する理由にはなりえない。

 そもそもなぜあんな言動をとったのかと言えば理由は単純明快で、ビャクヤが俺のことを全てを投げ出して私情を優先するような人間だと見ていた、と勘違いしたのが原因だ。

 つまり俺がビャクヤを信用しきれていなかったことが、あの言動に起因していることは間違いない。


 相棒を信用しきれず、勝手に逆切れした挙句、傷つけた。

 いくら温厚で懐の深いビャクヤであっても、愛想をつかすには十分な事を俺はしたのだ。

 だからこそ誠心誠意謝る必要があった。


 聞こえてくるのは、窓を揺らす風の音。

 誰かが廊下を歩く音。

 外から聞こえる微かな声。

 そして、聞きなれた声が上がった。


「うむ、しかと聞き届けた。であればお主も先のことを引きずる必要はないぞ。我輩達は相棒なのだから、これからは今までの通りに……。」


 しかしその声は、尻すぼみになって霧散する。

 少しだけ顔を上げてみれば、ビャクヤは口元に手を当てて形の良い眉を顰めていた。

 まるで何かを悩んでいるかのような仕草に、思わず不安が募る。

 

「ビャクヤ?」


 名前を呼ぶと、ビャクヤは身を乗り出すようにして俺と視線を合わせた。

 魔道具の放つ光がビャクヤの白髪に反射し、不思議な採光を放った。

 

「ファルクス。お主と我輩は相棒であり、かけがえのない仲間だ」


「あぁ、もちろん。俺もそう思ってる。俺達は相棒で、仲間だ」


「ならばこそ言っておくぞ。相棒であるからこそ、伝えておく。これは重要なことゆえ、心して聞いてくれ。鬼とは本来、お主が思っているほど快活な性格ではないのだ」


「そ、そうなのか? 今まで、そんな風には見えなかったが……。」


 思わぬカミングアウトに対して、返すべき言葉が見つからずにいた。

 いや、正しくはどう反応すべきかに迷っていたというべきだろう。

 なぜこの場面でビャクヤがこの事を話し始めたのか、それを見極められずにいたからだ。

 そんな俺の疑問を見抜いたかのように、ビャクヤは話を続けた。


「そう振る舞っていたのだから当然であろう。それに実をいえば、あの提案をすればお主がどんな反応をするかは、おおかた予想がついていたのだ。気付いてはおらぬだろうが、アーシェに関わることとなると、お主はいつも冷静さを失う」


「それは……すまない。これからは気を付ける」


「いや、責めている訳ではないぞ。ただそれだけアーシェという存在がお主の中では大きく、そして尊い理想を追い続ける原動力になっているということであろう。それを否定したいわけではないのだ。だが一方で、その事実を受け入れがたくもある」


 語られる言葉に耳を傾けていると、手が温かさに包まれる。

 ふと見れば、テーブルに乗せていた俺の手を、ビャクヤが握りしめていた。

 俺よりも一回り小さく華奢だが、どこか力強く、そして温かい。


「確かにあの時は大局を見て、お主に魔都へ向かうよう助言した。それが戦況を打開すると信じていたことは紛れもない事実だ。だが心の内では、お主の出方をうかがっている節も確かにあった。相棒である我輩ではなく、家族と呼ぶアーシェを選ぶのではないかとな」


 心の内を吐露するビャクヤは、力なく笑って見せた。

 彼女の温もりを伝える小さな手は、微かに震えている。 


 ひとの温かさに触れると、それを失うことが恐ろしくなる。

 ひとりでも平気だったはずが、途端にひとりを恐れるようになる。

 ならばいっそ、自分から突き放してしまおう。

 そう考えてしまうほどに、孤独が恐ろしくなる。


 痛いほどに、その感情が理解できた。

 まるで、過去の自分をみているかのように。

 気付けば、ビャクヤの手を握り返していた。

 すっぽりと手の中に納まってしまうほどに小さく、その力強さとは裏腹に繊細さを感じさせた。


「前にも言ったはずだ。大勢を救うというその中には、ビャクヤも含まれてるんだ。その相棒を放って、何処かへ行くわけないだろ」


「無論、その言葉は覚えていた。だからこそ確かめたくなったのかもしれぬ。本当に、我輩を選んでくれるのかと。だがそんな見苦しい感情が原因で、お主に心苦しい思いをさせてしまったことも、また事実だ。お主を疑うような真似をして……済まなかった」


「相棒なんだから、少しばかりの面倒なんて可愛いもんだ。それに不安に思わせてしまった俺が悪いんだ。これからはもっと信頼してもらえるよう、努力するよ」


 抱えているもの。抱えていたもの。

 それらを打ち明け合って、そしてお互いに笑顔を交わす。

 いつの間にか手の内の微かな震えは、止まっていた。


「隠し事などせずに、もっと早くお主に打ち明けていればよかったな」

 

「なら、これからは隠しごとは無しだ。言葉にしなくちゃ伝わらないことも多いだろうからな」


 相棒だからこそお互いにわかっている。余計な言葉は必要ない。

 そう思い込むことが、今回の様なすれ違いを引き起こす原因となる。

 相棒だからこそ、言葉にしてお互いに話し合わなくては。

 お互いに受け入れ合い、支え合う関係こそが、本当の相棒というものだろう。

 

 ただ俺の提案を聞いて、いつもの調子に戻ったビャクヤが小首をかしげた。


「だがいいのか? 我輩の本性は、お主の想像とはかけ離れているやもしれぬぞ。それでも受け入れてくれるか?」


「もちろん。どんなビャクヤでも、受け入れて見せる」

  

 そう返すと、ビャクヤは屈託のない笑いを浮かべるのだった。

 最初に出会ったときと、同じような。

 

 ◆


 ビャクヤとの話し合いが終わった直後。


「もうプロポーズでしょ、あれは。深刻そうな顔つきしてたくせに、なにやってんの?」


「いつまで話し合ってる気ですか。もう夜明けも間近ですよ、ぶっ飛ばされたいんですか?」


 といった具合に、部屋を空けてくれたふたりからは散々文句を言われる羽目になったが、ビャクヤからの説明もあり、後日俺からは感謝の言葉と感謝の品物を送ることでどうにか許しを得ることができた。

 

 そんなことと復興作業をしている内に、満月の夜は目前に迫っていた。

 ただ俺達は、ヨミと対話することの影響を測り損ねていたように思う。

 知ることは出来ても、それを知らない状況に戻すことは出来ない。


 だからこそ俺達はヨミに、問うてしまったのだ。

 原初の魔王。最後の竜人。魔王の誕生。

 そしてそれらにヨミが関わっているのかどうかを。


 その日を境に、世界の法則が不可逆の変化を遂げるとも知らずに。

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