八章 冬の訪れ

第115話

 大聖堂区。

 その尖塔の上では、山脈から降りてきた震えるほどの寒風が吹きすさぶ。

 厚手のローブでしっかりと温を取りながら、ゆっくりとその階段を登りきる。 

 すると眼前に、どこまでも荒涼とした大地が広がった。

 絶景といって差し支えない光景だ。

 しかし圧倒されると同時に、どこか物悲しさも感じてしまう。 


 記録を読む限り、ここは元々肥沃な大地で、見渡す限りの田畑が一面を覆いつくしていたという。

 それでも今ではその名残すら見つけることは難しい。

 じっと目を凝らしても、戦の名残が見て取れる程度だ。

 

 だが、名残だけしか見えないということに、喜ぶべきなのだろう。

 神聖都市エルグランドの崩壊から数日後、驚くべきことに魔王軍が撤退したことを確認した。

 ドランシアとの戦いだけでなく、ベセウスの放ったグランドクロスによってエルグランドは甚大な被害を受けていた。あの光によって魔素の影響や魔族の暴走は食い止められたが、その余波は街の建物の多くを崩落させてしまった。

 その中にはもちろん、防衛設備や街の防壁も含まれていた。


 だが、そんな無防備な状態のエルグランドを前にして、魔族達は撤退を選んだ。

 魔族達の真意を確かめることはできないが、タイミングからしてグランドクロスの影響か、もしくは去っていったドランシアの影響だと考えるのが妥当だろう。

 

 いずれにせよ、崩壊したエルグランドが最も欲していた時間が生まれたことは間違いない。

 教皇ベセウスが聖女ミリクシリアによって討ち取られ、その事実を聞いて街を去った者達は少なくない。

 しかしながら、ここに残って新しい街の再建を志す者達もまた、少なくなかった。


 エルグランドは神聖都市という名前を捨て去り、新たな道を歩み始めた。

 聖女と呼ばれることの無くなった、ミリクシリアという先導者と共に。


 あの戦いから、短くない時間が流れている。

 冬の気配が、すぐそこまで迫ってきていた。


 ◆


「ファルクス! 冒険者ギルドの使者が到着したぞ! 早く降りてこい!」


 尖塔の中に響き渡るそんな声に、はっと意識が戻る。

 きっとすぐ下までビャクヤが上がってきているのだろう。

 足音もかなり大きく反響するはずだが、全く気付けていなかった。 


 最近は少しぼーっとしている時間が増えたように思う。

 あの戦いでもっと自分にできたことがあったのではないかと、そんな事を何度も繰り返し考えている。

 そんなつもりはなかったが、結果だけを見れば自分の力にうぬぼれていたのかもしれない。

 これからの方針が微かに見え始めた所で、塔の内部に響くよう声を張り上げる。


「あぁ、わかった。すぐに行く」


「我輩は忠告したからな! できるだけ急ぐのだぞ!」


 それだけ言い残し、バタバタと階段を駆け下りていく音が反響する。

 たしかに本来ならこの時間は街の復興を手伝っている時間だ。

 あの様子からして、よっぽど忙しい作業の合間に俺を呼びに来たのだろうか。

 だとしたらビャクヤにも復興を手伝っている人々にも申し訳ないことをしたな。


 尖塔を下り終えて目的地へと向かう途中、見慣れた人影を見つける。

 彼女は倒壊した家屋の屋根の上から、暇そうに復興作業を眺めていた。その手で手伝う様子はない。

 俺の足音を聞き分けたのか、その人物はこちらに顔を向けずに独り言のように呟いた。


「ビャクヤやお猿さん達は、相変わらず汗水たらして忙しそうですね。この街の住人でもないのに、ご苦労なことで」


「そんな他人事で大丈夫なのか、ベルセリオ。里の人達が戻ってきたんだから、復興作業はお前にも無関係じゃないだろ」


「えぇ、だからこそこうして目を光らせているのですよ。あのミリクシリアが宣言した通り、人間と私達が共存できる街になっているのかどうか」


 ベルセリオが視線を向ける先。

 そこには、驚くべきことに異種族たちの姿があった。

 それも、瓦礫の山を片付けるために人間と協力している姿が。


 エルグランド崩壊後、初めて行われた集会においてミリクシリアは、とある宣言をおこなった。

 それは、これからは人間と異種族の共存共栄を目指すという宣言。

 今までのエルグランドとの決別を意味する宣言だった。

 

 その宣言がエルグランドの人々にとっては受け入れがたいものだったことは、想像に難くない。 

 最初こそ軽い暴動が起こったが、そういった人々はエルグランドを離れるという選択をとっていった。

 結果、ミリクシリアの方針に賛同した人々は街の再興を目指して行動を起こしていったが、それを支援する人々もまたエルグランドへと集結していた。


 王都にある元老院からの命令で送られてきた、冒険者の一団。

 エルグランドによって魔族の被害を免れてきた貴族や商人。

 そしてなにより驚いたのは、迫害されてきたはずの異種族たちが戻ってきたことだ。

 

 人間族よりも様々な分野で優れる異種族の力は、復興に大いに貢献した。

 それもこれも、ミリクシリアが人間と異種族の共存を宣言したことに起因する。

 閉鎖的で排他的だったエルグランドは、その崩壊と共に開け放たれ、新たな街へと生まれ変わろうといた。


 とは言っても、ベルセリオはまだその宣言を信じられない様子だったが。

 それもベルセリオらしいといえばらしいのだろう。

 彼女が目を光らせている事で異種族たちが安心して作業できている事も、また否定しようのない事実だ。

 


「聞こえてたと思うが、冒険者ギルドからの使者が到着したらしい。話し合いにはミリクシリアも出席するが、どうする?」


「どうする、とは? 支援者でもなければ指導者でもない私が出席する意味などないでしょう。私はただ、ここで彼らが平穏な暮らしを享受できれば、それでいいのですから」


「ならそういった方針で話が進むか、監視しておいた方がいいんじゃないか?」


 俺が今日、復興を手伝っていないのはこの話し合いが行われるためだ。

 どうやら方々からお偉いさんが集まって、エルグランドの今後についての話し合いが行われるらしい。

 そんな場に冒険者の俺が出席する理由は定かではないが、ミリクシリアから呼ばれているのでは断るに断れなかった。


 ただ、街の今後を決める話し合いなのであれば、俺よりも目の前のベルセリオの方が出席すべきなのではと思わなくもない。ミリクシリアからの信頼も厚く、異種族達からも深く信頼されているからだ。

 望まずしてベルセリオは、異種族と人間の仲介役としての役目を確立しつつある。

 それとなく提案してみるが、ベルセリオはすげなく鼻で笑った。


「余計な気遣いをどうも。ですが今はミリクシリアと顔を合わせたくないのですよ。どちらかと言えば私より、貴方が行った方が喜ぶでしょう。あれもそう望んでいるはずです」


 まるで見てきたかのような物言いに微かな既視感を覚える。

 以前にも、こんなことがあったはずだ。

 怒涛の出来事で埋もれていた記憶を、どうにか引っ張り出す。


「……そういえば、前にもそんな事があったな。俺達が隠れ里へ向かうことを、なぜか事前に知ってた様子だったが」


 処刑からドランシアを助け出した後、追われる身となった俺達にミリクシリアは隠れ里へ行くよう助言をくれた。

 そして実際に里へと向かうと、ベルセリオはそのことを知っていたのだ。

 なにかしらの方法でやり取りをしていたのかとも思ったが、ふたりとも今の今までそんな素振りを見せていない。

 純粋に気になって聞いてみても、ベルセリオは取り付く島もない。


「その件に関しては、そんな気がしていただけ、とでも言っておきましょうか。ミリクシリアの名誉のためにも」


 ◆


 この感覚は、いつ以来だろうか。

 別に相手を嫌っている訳ではないが、今までの経験を体が覚えているのか緊張で背筋が伸び、精神的な負荷で冷や汗が噴き出す。

 

「あら、少し見ないうちに……雰囲気が変わったかしら。今回も大層な活躍だったみたいね、ファルクス」


 微笑みを浮かべるのは、短く切りそろえた黒髪が特徴的な女性だった。

 俺も同じように微笑みを浮かべようとしたが、上手くできているきがしない。

 きっと今の俺は、張り付いたような作り笑いを浮かべているに違いない。


「その、お久しぶりです。ギルドから送られてきた使者っていうのは、イリスンさんだったんですね。さ、流石です……。」


「うちのギルドマスターが、私をエルグランドの復興支援兼新支部創設の責任者に推薦したみたいなの。お陰でこうしてすぐに再会できたんだから、彼の人使いの荒さには感謝しないと」


 いち受付嬢に任せるにはさすがに重すぎる肩書なのではとも思ったが、イリスンの優秀さを思い返してみれば適役に思えてしまうのだから不思議だ。

 ただ優秀が故に、ウィーヴィルでは様々な仕事に従事していたはずだ。


「それじゃあ、ウィーヴィルの窓口はどうなったんですか? イリスンさんが抜けた穴は大きいと思いますけど」


「心配無用よ。優秀な後輩達に任せてきたわ。大きな組織というのは、いつだって代役を任せられるようにできているものよ。この街のようにね」


 言ってイリスンが視線を向けた先には、個々人に挨拶を交わしているミリクシリアの姿があった。

 ここに集まっている殆どが、一目でそれとわかる上等な装いの貴族と、恰幅の良い商人が多い。

 残りは冒険者ギルドから派遣されたイリスンとその部下、そして俺ぐらいだ。

 ミリクシリアのあいさつ回りを見守っていると、俺達に気付いた様子で早足で近づいてきた。

 装いは美しいドレスだが、その表情はどこか疲れの色が見て取れた。


「よかった。来てくれないかと思いました」


「遅れてすまない。だが良いのか? 俺みたいな部外者が出席して」


 場違いも甚だしいが、少なくとも正式に呼ばれたひとりとして出席したい気持ちもある。

 エルグランドの今後が話し合われるのであれば、なおさらだ。

 ただ俺の到着が遅れたことがよっぽど不安だったのか、気付けばミリクシリアに手を握られていた。


「私以外にも事情を知っている誰かが出席した方がいいと判断しました。第三者の意見が必要な場面が、必ず訪れるでしょうから」


「その時は任せてくれ。しっかり言ってやるさ、ミリクシリアはやるべきことをしただけだってな」  


「そう、ですね。ありがとうございます、ファルクス。少しだけ、気が楽になりました」


 口早にそれだけを言って、ミリクシリアはあいさつ回りへと戻っていった。

 彼女がこれから挑もうとしているのは、戦場で魔族を相手に剣を振り回していたそれとは、全く性質の異なる戦いだ。

 この話し合いには、今後の復興支援をどれだけ受けられるかがかかっている。

 つまりエルグランドの未来が、ミリクシリアの双肩にかかっているということだ。

 俺のような一冒険者では想像もつかない程の重圧を感じていることだろう。


 ここに来たからには、彼女が望む返事を得られるように、陰ながら応援しよう。

 そう決めた、その時だった。


「申し訳ありません。今はそのような事を考えられる状況では……。」


「悪い話じゃないだろ。お前も、その身の振り方を考えるべきだ。この街を救いたいならな」


 眉を顰める様な言葉が耳に届き、ふと顔を上げる。

 するとそこには、貴族と思われる青年に手を握られ、対処に困っているミリクシリアの姿があった。 

 鋼の聖女と呼ばれたミリクシリアであれば簡単に振り払えるだろうが、これからの話し合いをするに際して、彼の心証を悪くすれば不利になることは間違いない。

 周りの貴族と思しき人々でさえそれを咎めようとしないところを見るに、青年は上級貴族なのだろう。


 となると、周囲からの助けは望めない。

 ならば――


「すみません。まだ十分に挨拶ができていなかったので、すこし変わっていただけますか?」


 ミリクシリアと目があり、そのまま部屋の中央へと視線を向ける。

 これで意味が伝わればいいが。


 ただナンパ中に声を掛けられた青年はと言えば、ぐるりと俺の方へと向き直り、一瞥すると鼻を鳴らした。

 自称魔王を相手にした影響か、酷く安っぽい威圧に思わず頬が少しばかり緩む。


「消えろ。お前のような薄汚い冒険者がいていい場所じゃない。この場所の品格が落ちる」


「えぇ、彼女に挨拶をしたら消えさせてもらいますよ」


 まぁ、消えるつもりなど元よりないが。

 ただ作戦は上手くいったようで、青年が俺を睨みつけている間に、戦士としての身のこなしでミリクシリアは部屋の中央へと逃げ延びていた。

 この流れなら、話し合いが始まるのも時間の問題だろう。

 流石に青年が話し合いよりも自身のナンパを優先するとは考えにくい。


 いや、貴族のことはわからないため、断言はできないが。

 ミリクシリアが自分の手を離れていたことに青年も遅れて気付いた様子だが、俺はさっさと転移魔法で部屋の片隅へと非難している。

 向こうも薄汚い冒険者相手に、これ以上の口論をする気はないはずだ。


 ほんの些細なことだが、気苦労が絶えないミリクシリアの力になれたのではないか。

 そんな自己満足に浸っていると、強烈な視線を感じて隣を振り向く。

 いつ隣に来たのか、イリスンが前髪の向こう側からじっとこちらを見つめていた。

 いや、正確には軽く睨むようにこちらを眺めていた。


「言い訳を考えておくべきね。アーシェがなんていうかしら」


 決まっている。

 これだけ努力している相手の力になろうとしているのだ。

 俺達の追いかける理想を考えるのであれば、アーシェはこう言ってくれるはずだ。


「よくやった、だろ」


「よくやってくれたな、だと私は思うけれどね」

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