第114話 剣聖視点
「待ちなよ、ナイトハルト。今回は流石に君でも無茶だと分かっているはずだよ。もう少し作戦を練り直したほうが良い」
夕暮れの森の中。ひとりで突き進むナイトハルトの背中を追いながら、エレノスが必死に呼びかける。
ただその言葉選びが気に食わなかったのか、ナイトハルトは唐突に立ち止まると、舌打ちをしながら振り返った。
そこには明白な怒りの表情が浮かんでいた。
「無茶だ? お前達がオレの足を引っ張ってるだけだろ。自分達の無能を棚に上げて、俺に図々しく指図すんじゃねえよ」
ナイトハルトから返ってきた言葉に、エレノスからは深いため息以外になにも出てこなかった。
元よりナイトハルトを見捨てる気でいるエレノスからすれば、この対応さえももはや無駄な行動に見えているのだろう。
いずれ捨てる相手にここまでして機嫌を取る意味がないとでも言いたいのだろう。
話が進みそうにないふたりに代わり、話を進める。
「確かに私達は実力不足よ。だからもう一度だけ考え直してくれないかしら。オルトロールをたった四人で攻め落とすのは、流石に荷が重いわ」
「そんなこと俺が知るかよ。お前達は俺が魔王を殺すための露払いだろうが。それが魔将ひとりにびびりやがって、ふざけてんのか?」
戦う相手は魔将ひとりではない、という話はすでにエレノスがしているため割愛する。
そもそもナイトハルトの作戦は真正面からオルトロールを襲撃し、火を放って殲滅する、という作戦と呼べるのかすら怪しいものだ。
エルグランドとの戦いに備えた魔王軍がオルトロールには駐屯している可能性も高く、戦いが始まればひとつの軍隊と戦うことになる可能性も十分に考えられた。
そのため事前に情報を手に入れるべきだという提言をしたのに、今の様子を見るにその考えはナイトハルトの中にはなさそうだ。
説得の言葉が見つからない私に代わって、ティエレが声を上げる。
「ひとつだけ聞かせてくださいませ、ナイトハルト様。あの街にいる人々を、どうなさるおつもりなのですか?」
「皆殺しに決まってんだろ。相手はあの魔族だぞ? 殺せば殺すだけ王族からの評価も高まるだろうよ」
「たとえそれが、戦士ではない相手であろうと、ですか?」
微かに震える声音で問いかけるティエレに、ナイトハルトは半笑いで答えて見せた。
「女はガキを産み、ガキは成長すれば人間を殺すようになる。なら簡単に殺せる内に殺したほうが良い。そうだろ?」
魔王を滅する者。それが勇者。
だけれど、これが光りを齎す勇者の姿と言えるのだろうか。
魔都オルトロールを四人で攻め落とすことは、事実上不可能だ。
でも私達の目的はオルトロールを落とすことではなく、魔将イヴァンを討ち取って魔族側の勢いを削ぎ、王族に報告できるだけの成果を上げればいい。
たとえ憚られるような手段であろうとも、それが私達の使命だ。
使命だと信じていたからこそ、ここまで戦い続けられたのだ。
しかし、黙り込んだティエレを前に上げる、ナイトハルトの笑い声を聞くと、その信念が揺らぎ始める。
「今さら善人ぶってんじゃねえよ、ティエレ。お前が傷を治した俺達が、どれだけ魔族を殺してきたかなんざ、知らねぇわけじゃねえだろうが。まさか自分の手だけ汚れてねぇとでも思ってんじゃねえだろうな。直接手を下してなかろうと、お前も立派な――」
拳を握りしめ、いつナイトハルトに殴りかかろうかと考えていた、その瞬間だった。
聞いたことの無い、涼やかな声音がその言葉を唱えた。
「魔砲発射(バースト)」
その瞬間。
なにが起こったのかを理解するのに、数舜を要した。
瞬きに包まれたナイトハルトが、姿を消したのだ。
後に残ったのは、えも言えぬ焦げ臭さだけだった。
思わず周囲を見渡しても、ナイトハルトの姿はない。
ただ、頭の中の警鐘は煩いほどに打ち鳴らされていた。
「奇襲だ! 迎撃態勢!」
エレノスの叫びが、思考を明瞭にさせた。
ティエレやエレノスが向いている先に、つられて視線を向ける。
そこは遥か上空。
今までの魔族とは根本的に異なる存在。
翼をもった戦士が、そこにはいた。
夜の帳が下りつつある中でも、ひときわ目に留まる、異質な存在として。
◆
木々のざわめきと動物達の囁き声が満ちる森の中。
夜の色に染め抜かれた木々の隙間を、全力で駆け抜ける。
ぬかるむ地面も、影と一体化した木々も、幼いころにファルクスと共に駆け回った森を思い返せば障害にはなりえない。
それでも、すぐ近くに存在する強烈な違和感が離れないことに、内心では焦りがジワリと胸を焦がす。
月明りは決して人間に都合の良いように、全てを照らし出してはくれない。
しかしその存在だけは、月の明かりの届かない森の中であっても明瞭に見て取れた。
いや、その存在が闇夜に拒絶されているようにさえ見えた。
残光を残す蒼銀の髪。
夜の帳に浮かび上がる朱色の瞳。
そしてなにより、背中に見える一対の羽。
美しさと恐ろしさが混在するその相貌は、まるで異国の人形のようでもあった。
あまりに鮮烈かつ強烈なその存在感は、夜の闇でさえ隠しきれていない。
まさしく飛ぶように背中から追ってくるその存在は、囁くように呟いた。
「魔砲発射(バースト)」
「つッ!?」
その囁きは、破壊の宣告。
鈴の音のような心地よい声音が耳に届いた瞬間、反射的に岩陰へと飛び込む。
そして、数舜後。
刹那の瞬きが暗闇を消し去り、全てを薙ぎ払った。
爆炎で焼き払うでもなく、雷撃で粉砕するわけでもなく、ただただ一筋の光が全てを両断し、破壊する。
ふと顔を上げれば、見える限りの木々が両断され、その切断面がうっすらと光を放っていた。
あたりに漂う焦げ臭さと、木々が倒れる微かな振動に、思わず頬が引きつる。
「命中を確認できず。次弾装填、開始します」
「この威力で何度も撃てるなんて反則よね……。」
新手の魔法か。それとも未知のジョブによるスキルか。
いずれにせよこの威力の攻撃を受け流すすべは、私達にはない。
だからこそ逃げ延びて、反撃の機会ををうかがうほかなかった。
私達が考えているように、魔族側も考えていたのだ。
結果的に私達は先手を打つつもりが、先手を打たれてしまった。
それも勇者ナイトハルトが、たった一撃で昏睡状態に陥ってしまった。
どうにかティエレとエレノスが救助した所までは見届けたが、そのあとはどうなっているか確かめるすべがない。
安全な場所へと非難させていると信じたいが、問題はこの謎の少女が放つ攻撃だ。
この光の攻撃の前では距離を取るだけでは安全は保障されない。
ならばできる限り三人から引き離し、私の得意な接近戦に持ち込む。
影に紛れて肉薄し、剣をその身に叩きつける。
不意の一撃。本来であれば反応さえ許さない完璧な一撃だった。
だが名も知らぬ少女は、左腕を犠牲にして防ぎ切っていた。
骨まで達する傷を負っても、表情一つ変えることはない。
「左腕損傷。反撃に移ります」
それどころか即座に反撃をするため、再びあの光の攻撃を繰り出そうとしていた。
しかし、少女は誰と戦っているのかを真の意味で理解できていない。
剣聖というジョブの、本領を。
「反撃? まさかそれで止めたつもりなの?」
正体不明の攻撃は確かに強力で、一撃でも喰らえば無事では済まないはず。
けれど見た限り、あの攻撃範囲は直線上に限定されており、小回りが利くようには見えない。
この距離ならば、分はこちらにある。
朱色の瞳が私を射抜くが、その時にはすでに体は動き始めていた。
「スマッシュ・ブロー!」
右手には肉を打つ感覚。
剣聖の中でも数少ない格闘技系のスキル、スマッシュ・ブロー。
基本的な打撃を繰り出すだけのスキルだが、シンプル故に使い勝手が良く、剣聖としての身体能力から繰り出される一撃は、哀れな暴漢から下級の魔物までを粉砕してきた。
華奢な体つきの少女であれば、簡単に宙へと浮く。
少女の口から小さく呼吸が漏れ、視線が揺れる。
今まで何度も見てきた。
それは、意識が遠のいている証だ。
「ゼファーズ・フューリー!」
雄叫びが嵐を巻き起こし、刃と一体化する。
嵐と剣が少女を打ち抜き、そのまま追撃へと移る。
反撃は許さない。
狙いを定める時間さえ与えない。
そして、纏った嵐を解放し、全力の一撃を見舞う。
周囲の木々をなぎ倒しながらの一撃は、無抵抗に見える少女を直撃した。
吹き飛ばされた先で、巨木に打ち据えられた少女は、ゆっくりと立ち上がるろうとしていた。
「再起動、完了。戦闘を、続行します」
「諦めて。その体じゃあまともに戦えないはずよ」
初撃を受け止めた左手はもちろんのこと、右手も私の追撃をいなそうとして負傷している。
つまり、あの光の攻撃を放つことは出来なくなっている。
もしもここから強引に使おうとすれば、確実に私の方が先手を取れる。
その忠告をしたはずだったが、少女はふと空を見上げて、独り言をつぶやいた。
「……了解しました、エイリース。直ちに撤退します」
追いかけることは、しない。
相手が撤退してくれるのであれば、それに越したことはないのだ。
まずは仲間達と合流するべきだ。敵の追撃は余裕があるときでいい。
剣を鞘へと戻し、少女の背中をじっと見つめる。
これでオルトロールへの襲撃が失敗に終われば、王国からの支援が打ち切られることは目に見えていた。
無理をしてでも作戦を続行すべきか。それとも別の方法を探すべきか。
あるいは……エレノスの提案を受けるべきか。いや、これは絶対にありえない。
これからも戦い続けるための方法を、探さなければ。
そう、考えていた数日後。
魔族が魔都オルトロールを破棄して撤退したという情報を耳にすることになる。
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