第113話

 それは、深い微睡みにもにた感覚だった。

 意識が浮かび上がり、徐々に体の感覚が戻ってくる。

 息苦しさと酷い倦怠感があるものの、体に強い痛みはない。

 

 まぶたを開いて周りを見れば、銀色の花弁が舞い散っていた。

 ここから嘆きの丘は相当に離れているというのに、なぜ。 

 だが、そんな疑問はすぐに意識の奥へと押しやられた。


 地面に倒れ込むビャクヤや他の仲間達。

 その元へと必死に歩みを進め、容体を確認する。

 最も近くにいたビャクヤは、すでに目覚めて立ち上がろうとしていた。

 

「無事か……? その、悪い。転移魔法は、起動しなかったみたいだ」


「我輩は問題ない。アリアは? それにあのふたりも」


 見れば、ベルセリオは片膝を着いた状態で意識を保っていた。

 あの衝撃を耐えきったのだとしたら、流石としか言いようがない。

 気絶していたアリアも、巨大な人形に抱えられて目を覚ましていた。

 見た限り、どちらも大きな怪我もしていない。

 どちらかと言えば、ドランシアとの戦いで追った傷の方が重症といえる。


 だが、街そのものを魔方陣として発動させる極大魔法の威力が、ここまで低いということがあり得るのだろうか。

 咄嗟に視線を巡らせれば、ベセウスの前で立ち尽くすミリクシリアが目に入った。

 剣を地面に突き立て、その柄を握りしめる様子は、まるで彫刻のようでもある。

 ともすれば無傷のように見えるが、こちらからは背中しか見えずにいた。

 その背中に、一抹の不安がよぎる。

 

「ミリクシリア、大丈夫か?」


 答えは、返ってこない。

 その代わりに、その背中は力なく崩れ落ちた。

 咄嗟にベルセリオが駆け寄り、その背中を支える。

 支えられたミリクシリアの体には、まるで力が入っておらず、深い眠りに付いているようにさえ見えた。

 受け止めたベルセリオはじっとミリクシリアの顔を見つめ、押し黙る。

 

 その二人を見て、受け入れがたい考えが頭の片隅をよぎる。

 まさかそんな事が起こるはずがないと、本能的な部分では否定している。

 だが目を開ける事はおろか、呼吸さえしていないミリクシリアを見ていると、どうしてもその考えに至ってしまう。

 必死に目の前の事象を否定するための理由を探していると、不愉快な声が耳に届いた。

 

「極大神光魔法、グランドクロス。邪悪な存在を滅ぼす、教皇にのみ許された一度限りの神域の秘儀だ。魔素で構成された人形には、さぞかし聞いただろうな」


 自慢げに、語って見せた。

 仮にも娘と呼んだ相手を、その手にかけておきながら。

 気が付けば、口の中に血の味が広がっていた。

 噛み締めた唇からの鮮血が溢れ出すが、不思議と痛みはなかった。

 痛みを感じらない程に、怒りが心の中を支配していた。


「お前は……なにも感じないのか? ミリクシリアをその手にかけたことに関して、なにも」


「私によって作り出され、私の威光で聖女という席に座り、私が与えた力を振るい、最後には私に刃を向けたのだぞ? 愚かという言葉さえ、アレを形容するにはまだ足りない。破棄されて当然の駄作だった」


 地面が砕け、制御を失った雷光が周囲に破壊をばら撒く。

 それはベルセリオの心よりあふれ出した、正真正銘の殺意の具現だった。

 

「それ以上、ふざけたことを口にすれば、生きている事を後悔することになりますよ」


「強がりはよせ。街の損害を考えて使いたくはなかったが、グランドクロスを使ったからには街にいた魔族共は消え去ったはずだ。となれば騎士達も先ほどの光りをみてこの場所に集まってくるだろう。そうなればどちらに付くと思う? それとも何も知らない騎士をも殺すか。お前達の勝手な都合でな」


 怒りが喉までせり上がるが、それが言葉となることはなかった。

 ここで言い争ったところで、状況が好転するわけではない。

 それどころか騎士達が集まってしまえば、ベセウスの思惑通りに事が進んでしまう。

 騎士達の消耗を見越して、強引にベセウスを仕留めることもできなくはないだろう。

 

 だが街中に散らばっていた騎士が集まり、俺達がベセウスを殺す場面を目撃すれば、どうなるか。

 大聖堂区にいる人々は真実を知っているだろうが、狂信的な信仰心を持つ大多数の騎士達を説得できるとは思えない。

 安易に行動することは、今後の自分達の首を絞める事にもつながる。

 

 思考を巡らせ、貴重な時間を浪費するだけに終わる。

 その僅かな時間で、すでに周囲には数名の騎士の姿が見て取れた。

 地に濡れたベセウスと、それを追い詰める俺達。

 どう見えているかなど、考えるまでもない。


「どうするのだ、ファルクス。あやつの言った通り、騎士が集まり始めているぞ。このままでは……。」


「アイツの息の根を止めるならさっさとしなさいよ!」


「それができるならやってる! だが、ここで下手に動けば俺達は――」


 ただの人殺しとして、追われ続けることになるだろう。

 それも、魔族の侵攻を食い止め続ける奇跡の街、神聖都市エルグランドの教皇を殺した凶悪犯として。 

 魔王軍と戦う者達にとって、俺達は魔族側に与する処刑されるべき裏切者として映るはずだ。

 

 下手をすれば王国中に指名手配をかけられることになり、行動を大きく制限される。

 ともすれば冒険者ギルドの様な大きな組織の援助も受けられなくなる可能性も十分に考えられた。

 今後も有明の使徒と戦い続けるのであれば、それはあまりにも手痛い代償だ。

 混迷の最中、問い掛けに答えたのは俺ではなかった。


「目の前の下種を殺すに決まっています。なにを今さら怖気づいているのですか」


「だがそんな事をすれば、どうなる!」


「どうなるかなど、その目で確かめればよいでしょう」


 ベルセリオは、どこか他人事のように言い放つ。

 その真意を問い詰める前に、言葉を失った。

 目を閉ざしていたミリクシリアが、ベルセリオの腕を離れ、ゆっくりと立ち上がったからだ。

 

 ◆


 白銀の風が、吹きすさぶ。


 風に運ばれた白銀の花弁が、徐々にミリクシリアを包み込んでいく。

 日の光に照らされ、儚くも力強い輝きを放つの花々は、まるでミリクシリアを守っているかのようでもある。


 膝を着いていたミリクシリアは、ゆっくりと立ち上がると、剣をその手に握った。

 最初こそ、剣の重さに引きずられているようにも見えた。

 しかし、銀の花弁が増えるにつれて、その足取りはしっかりと地面を踏みしめるようになっていく。

 その姿は、致命的な魔法を受けたというには、余りに力強く、そして美しかった。


「なにが、起こってるんだ?」


 思わず漏れ出した疑問に、ベルセリオは淡白に答えた。


「恐らくこの現象に名前はありません。ですがあえて形容するのであれば、人々はこう呼ぶのでしょうね」


 奇跡と。

 ベルセリオが、そう口ずさんだ気がした。

 駆けつけた騎士達も状況が飲み込めずにいるのか、剣を抜き放ったまま、呆然と立ち尽くしている。


「こんなことは、ありえない! グランドクロスを受けて、なぜ立てる!? お前の設計上、不可能なはずだ! この私が、そう作ったはずだ!」


 白銀の祝福を受けた聖女が、ゆっくりと歩みを進める。

 その手には巨大な剣。それをどう使うかなど、想像するまでもない。

 しかしながら、その歩みを止める者は誰一人としていなかった。

 教皇を何よりも尊ぶ騎士達ですら、剣を収めてその行く末を見守っている。


「な、なにをしているんだ! 早く……早くコイツを止めろ! この異端者に与する、裏切者を、殺せ!」


 呼びかけに答える者は、誰もいない。

 ただ騎士達は聖女の歩むさまを、静寂の中で見つめている。

 それは神聖で誰にも侵すことのできない、儀式の如き荘厳さを湛えていた。

 

 それこそが、ミリクシリアの積み上げてきたもの。

 ベセウスが破棄されて当然と呼んだ彼女が、聖女と呼ばれる所以だった。


「私は、教皇だぞ!? 私に刃を向ける意味が分かっているのか!」


「誰かは、関係ありません。ただ悪を、討つ。故に、鋼なのです」


 ゆっくりと、剣が振り上げられる。

 次第にミリクシリアの剣が白銀の花弁と同質の輝きを放ち始めた。

 呼応するように渦巻く白銀の花吹雪も、光の束となって空へと立ち上っていく。

 奇しくもそれは、ベセウスが解き放ったグランドクロス、その魔法に似ていた。


「頼む、ミリクシリア」


 ベセウスが、最後の最後に何を思ったのかはわからない。

 だがミリクシリアの名前を呼び、ゆっくりと後ずさる。

 それが後ろめたさか、後悔か、恐怖か、確認することは永遠に出来ないだろう。

 烈日の如き輝きを放つ剣を、ミリクシリアが振り下ろす。


「さようなら」


 その別れの言葉と一撃よって、エルグランドでの戦いは、決着を迎えた。

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