第112話

 それは奇跡か、あるいは必ず生き残るという妄執の賜物か。


 光りの柱の元にいたのは、瓦礫に背中を預けながら魔法の杖を掲げるベセウスだった。

 衣服は鮮血でどす黒く染まり、呼吸も荒い。一見満身創痍に見える。

 いや、実際にあの落下で瀕死の傷を負ったのは間違いない。

 それでも生き残り、こうして治癒魔法を使えるだけの余力を残していたのだ。


「あの落下で生きていたのか、ベセウス」

 

「死ぬと思ったか? 神の代理にして、神聖都市エルグランドの教皇である、この私が。だとしたら随分と甘く見られたものだな」


「今から起こることを考えるに、死んでおくべきだったと思いますが」 


 ひどく楽し気な声音のベルセリオが槍先で障壁をなぞる。

 接触した箇所からは激しい雷撃が飛び散り、彼女の隠し切れない殺意と敵意が漏れ出していた。

 ベセウスも治癒魔法に魔力を回しているのか、ともすればその障壁魔法は簡単に砕けてしまいそうだった。

 ひび割れた障壁の向こう側で、ベセウスが毒づく。


「実の父親に手を上げるか。やはり失敗作は早急に破棄すべきだったな」


 ベルセリオが、言葉を返すことはなかった。

 その代わりに、ミリクシリアが歩み出る。

 沈黙の最中、障壁の中にいるベセウスへと視線を向ける。

 覚悟は決まっているはずだ。後は彼女に任せても問題はないだろう。

 短くない沈黙の末に、ミリクシリアの口から言葉が零れ出る。


「ベセウス様、これだけでも教えてください。私達は、どうして生み出されたのですか? なぜ、私達を作ったのですか?」


 純粋すぎるその問い掛けに、ベセウスもまた時間を必要とした。


「私が教皇となる以前から、このエルグランドは衰退の一途を辿っていた。信仰は薄れ、商人や技術者を呼び込むために大聖堂区を解体すべきなどという草案さえ上がるほどにな。だが、金持ち如きが権力を握れば、魔族との戦いで最前線となるこの街が持ちこたえられるわけがない。私はこの街を守るために、再び信仰心を取り戻すための策を練った。そこへ、あの女がやってきたのだ」


 刹那、術式が乱れ、ベセウスの心境を映し出すかのように障壁に大きな亀裂が走る。

 このような状況にあっても感情に振り回される様は、ドランシアへ抱いている怒りの大きさを浮き彫りにした。

 だがその怒りを目の当たりにしても、ベルセリオは淡々と返す。


「そして安易に受け入れた。神聖都市などという笑える名前のこの街を実験場に仕立て上げ、認めたくはありませんが、自分の地肉を分けた……私達を実験台にした。反吐が出る話ではないですか。余計に殺意が湧いてきましたよ」


「信仰を取り戻したことで、エルグランドは神聖都市として息を吹き返したのだ! 私がいなければこのエルグランドはとっくに滅んでいた! 魔族の軍勢を押しとどめられたのは私のお陰だ! 貴様らがこうして存在できている事さえもな!」


 その咆哮はしかし、誰も答えることなく空しく霧散した。

 エルグランドの力を取り戻すために、聖女という存在を作り上げる。それがベセウスの計画だったのだろう。

 そこにドランシアが接触し、魔素という未知の物質を計画に組み込むこととなった。

 途中までは上手くいっていたのだろう。ベセウスが教皇という絶対的な立場に付き、鋼の聖女ミリクシリアが支持を集めていたことを見れば、それは明らかだ。


 しかしそれらは、ひとつの誤算によって崩壊した。

 ドランシアが同じ黄昏の使徒でありながらも、簡単に仲間を裏切る、あるいは利用するとは思ってもいなかったのだ。

 自分で描いた理想を実現するために協力し、そして手のひらを返され、今や全てを失いつつある。

 その様は、自業自得としか言いようがなかった。


「ベセウス様。もう、終わりにしましょう」


「お前も理解してくれないのか、ミリクシリア」


「いいえ、わかっています。だからこそ、これ以上の罪を重ねて欲しくはないのです」


 ミリクシリアは気付いただろうか。

 目の前の男を説得する事など、到底不可能だということを。

 なぜなら、ベセウスにとってこの状況は、自らの意思によって招いた結果なのだ。

 ベセウスにとって間違っているのは俺達であり、自分の思い通りに動かない実験台。そして、世界の方なのだ。

 もとより罪などと考えてはいない、邪悪な存在だということを。


 剣を振り上げたミリクシリアを見て、ベセウスの口角がせり上がる。

 追い詰められていて、なぜ。

 俺の疑問は、ビャクヤの報告によって即座に氷解した。


「街の様子がおかしいぞ!」


 空を見上げ、その言葉の意味を理解する。

 街の至る所から、光の柱が空へと延びていた。

 そしてその大きさが、尋常ではなかった。


 エルグランドは決して小さな街ではない。

 それであっても、まるですぐそこに光の柱があるかのような錯覚に陥る。

 それは、この光の柱が並外れて大きいことを示していた。

 廃墟の中から空を見上げる二人の聖女は、その光を見て恐れにも似た表情を浮かべる。 


「正気ですか!? 今、あの魔法を使えばこのエルグランドにも甚大な被害がでることになります!」


「だったらどうした。この街は私の街なのだから、問題はあるまい?」


 もはや一刻の猶予もないのだろう。それはミリクシリアの様子を見ていればすぐに理解できた。

 すぐさま気絶しているアリアを抱え上げ、ビャクヤと目を見合わせる。

 一方のベセウスは、まるで勝ちを確信したかのように、興奮気味に杖を地面に叩きつけた。

 ベルセリオも珍しく、ベセウスを睨みつけることしか出来ずにいた。 


「なにが起きているんだ、ミリクシリア!」


「説明している時間はありません! できる限り遠くへ……この街から離れなければ!」


「だがファルクスは今、魔法を使えぬのだ!」


 最も重要な時に、転移魔法が使えない。

 焦燥感と歯がゆさで冷静さまで失いそうだった。

 だからとしって、時間が止まってくれるわけでもない。


 光の柱は刻一刻と、一層眩く輝きを放つ。

 目が明けられない程の光の奔流が、もはや俺達の行動が手遅れであることを告げていた。

 聞こえてくるのは、ベセウスの高笑いと勝利の宣告。


「あがくだけ無駄なことよ。この魔法はエルグランドそのものが術式となる、一度限りの神域の御業。貴様らの逃げ場などありはしない!」


 世界が、白に包まれる。


「天上の意志が下すは、遍く者達への裁きと粛清。今ここに、神意を知るがいい! グランドクロス!」

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