第111話
「空間転移!」
魔法の起動と共に、破壊音が耳元で轟く。
目に飛び込んできたのは、一瞬前まで立っていた場所の地面が粉砕されている様子。
そして再び腕を振り上げる、ドランシアの様子だった。
「く、空間転移!」
慌てて何度目かわからない転移魔法を起動する。
幾度となく繰り出されるのは、必殺の一撃。
まともに受ければ……いや、掠りでもすれば俺など簡単に肉塊と化すだろう。
だが、これでいい。
もとより、仲間が態勢を立て直す時間を稼ぐことが目的なのだから。
一方的に弄ばれてはいるが、幸いにも相手がこちらに付き合ってくれるのであれば、いくらでも逃げ回ってやる。当初は、そのつもりでいた。
だが無尽蔵に繰り出される必殺の一撃を回避するために、長距離の転移を余儀なくされている。
それも相手は俺の転移先をほぼ確実に見抜いているのだ。次の攻撃に備えて転移魔法を起動させておく必要もある。
精神的にも魔力的にも、非常に厳しい戦いを強いられていた。
「魔法の精度が下がっていますね。そろそろ終わりにしてあげましょうか。こうして遊びに付き合うより、終わらせる方が簡単よ」
「無用な気遣いだ。こっちはまだまだ余裕だからな」
「無駄な虚勢を張ってまで時間を稼ぎたいのね。なんて健気なのかしら。仲間が戻ってきたとしても、勝ち目などないと言うのに。そこまでして作る価値があるのかしらね、あのヨミに」
再び告げられる、その名前。
最弱と名高い転移魔導士として限界を感じていた俺に、ヨミは限りない可能性を与えてくれた。
その事に関しては、感謝してもしきれないほどの恩を抱いている。
だからこそ黄昏の使徒と戦いに身を投じてきた。
もちろん、恩義や義務感だけで戦っているわけではない。
大勢を救うという理想に相反する黄昏の使徒を許すことなどできないし、絶望の淵にいた俺を救ってくれたビャクヤの力になりたいとも考えている。
だがその戦いの根本的な部分で、俺の知らない……いや、有明の使徒が知ることのできない都合の悪い事実があるのだとしたらどうだろうか。
魔素の被害をばら撒く黄昏の使徒。
その被害を抑える為の有明の使徒。
この善悪の構造が、根幹から揺らいでしまう事情が、隠されていたとしたら。
答えの見えない思考が頭の中を駆け巡る。
しかし、弾かれたように顔を上げる。
耳に届いたのは、壊滅的な轟音。
瞬き一つの間に、拳を振り上げたドランシアが眼前に迫っていた。
本能が思考をねじ伏せ、反射的に魔法を起動。
気が付けばはるか上空へと逃げ延びていた。
見下す大地に、亀裂が走る。
建物が崩落し、大地が割れる。
たった、一撃で。
「化物め……。」
本来であれば、覆せない差がそこには存在している。
それを如実に表す、大地すら打ち砕く一撃だった。
しかし、だからこそ僅かな光明が差し込んだ。
歴然たる差が存在するのであれば、埋めてしまえばいいのだ。
俺ではなく、相手の力で。
◆
この戦いの中でわかったことが、ふたつある。
ひとつ目は、ドランシアが風に関する魔法的な力を有しているということ。
腕を振るった際に生まれる衝撃波。そして風の斬撃。今まではそれらが純粋な腕力によって生み出されていると思っていた。もちろんその可能性も捨てきれない。だが確実に言えるのは、ドランシアが拳を振るうその瞬間、周囲の風を拳に纏わせて威力を増しているということだ。
ふたつ目は、どうやら直接的に俺達を殺すのではなく、ヨミから離反させることで有明の使徒の弱体化を目論んでいるということ。そこからドランシアはヨミに対して何らかの私怨を抱いているようにも思える。
つまりドランシアは俺達を即座に殺すのではなく、圧倒的な力を誇示して戦意を折ろうとしているのだ。
だからこそ俺を殺すと言いながら、派手で大層な技ばかりを披露する。
勝てる相手ではないと俺達に根本的な恐怖を植え付け、ヨミを裏切るように。
その為だろう。
ドランシアの、風を纏わせた一撃が空を穿つ。
ただそれだけで曇天が消え去り、蒼穹が広がった。
しかし、その一撃も非常に避けやすい。
いや、あえて避けられるように放ったと言える。
空中の俺を殺すのであれば、風の斬撃を延々と飛ばし続ければいいのだ。
だがそうしないのは、やはり裏切りを誘発させる為なのだろう。
エルグランドの城壁へと降り立った俺を追いかけるように、ドランシアが着地する。
その姿は気品すら感じられるが、それと同時に明白な殺意をも内包している。
距離を保ちながら一対の剣を引き抜くと、ドランシアはその目を細めて見せた。
「まだ抵抗するつもりなの? 流石にそこまで行くと、醜く映るわよ」
「お前を殺す秘策を思いついたんでね。悪いがさっさと終わらせて、仲間の元に戻らせてもらう」
「……勇者でもない貴方が私を殺せる確率は皆無よ」
「そこが不思議だったんだ。なぜお前が勇者に殺されたからといって、勇者以外には殺されないと思っているんだ? 流石に竜人が強力とは言え、思い上がりが過ぎると思うが」
「安い挑発ね。そんなものに私がのるとでも?」
ドランシアは髪をかき上げ、翼をゆっくりと羽ばたかせる。
「お前にはこの程度が丁度いいだろ。魔王と名乗っておきながら、転移魔導士のひとりも仕留められない、口だけの奴にはな」
「そんな卑下する必要はないわ。自分がヨミの捨て駒だったと自覚してしまったからといってね」
「お前こそ、いつまで自分が特別な存在だと思ってるんだ。とうの昔に滅びたはずの、過去の種族の分際で」
言葉が終わるより先に、拳が唸りを上げた。
烈風が吹きすさび、ドランシアの一撃が、俺達の立っていた城壁を粉砕する。
だがすでに俺はそこにはいない。
ドランシアが竜人という自身の種族に高いプライドを持っていたことは、透けて見えていた。
そこを刺激すれば乗ってくると読んでいたが、まさかここまで食いついてくるとは。
上空に逃げた俺を、ドランシアはしっかりと目で追っていた。
翼をもつ種族に対して、空中戦を仕掛けるのは一見無謀にみえる。
実際、相手が竜人であることを抜きにしても、有翼の種族と空で戦うことは避けるべきだ。
なぜなら、人間は空で身動きを取ることができない。つまり相手にとっては獲物そのものだからだ。
俺は転移魔法が使えるが、自由に空を飛び回れる相手に有利に立ち回れるわけではない。
加えてドランシアは俺がどこに転移するのかを目で追えるのだ。二重に不利な状況に、自分から飛び込んでいることになる。
だが、それでいい。
ドランシアは翼を大きく羽ばたかせ、飛翔する。
その速度はまるで夜空を切り裂く流星の如きだ。
回避不可能な速度で繰り出されるは必殺の一撃。
咄嗟に転移魔法を起動させ、狙いを定める。
転移先はドランシアのすぐ隣だ。
その、次の瞬間。
破壊的な剛腕が、転移先へと降りぬかれる。
転移先には確実に転移してしまうという魔法の制約上、それは必殺を狙った一撃であったことは間違いない。
だがそこに俺は転移していない。
代わりに出現したのは、ワイバーンの素材で強化された、一本の剣だった。
強靭な素材によって補強された剣に、竜人の一撃が叩き込まれる。
全てを粉砕する一撃を、怒りと共に振りぬいたのだ。
そこに込められた威力は推して知るべし。
金属の悲鳴ともとれる音と共に、剣が弾き飛ばされる。
眼で追うことすら難しい程の速度で。
それは本来であれば、実現不可能な速度だ。
竜人の、本気の一撃でもなければ。
『それ』をドランシアの真正面へと転移させる。
拳を振りぬいた直後、ドランシアは空のただ中で動きを止めた。
彼女はゆっくりと視線を下へともっていき、そして理解しただろう。
胸に納まっている赤き脈動する宝石が、剣に貫かれている現状を。
◆
数秒の静寂を経て、ドランシアはぐらりと揺れ、そして地面へと落ちていく。
それを転移魔法で追えば、荒れ果てた街中でドランシアが息苦しそうに膝をついていた。
立ち上がるだけの余力がないのか、俺を視線で追う以上のことをしてくる様子はない。
それでも最高の注意を払いながら、ドランシアの元へと歩み寄る。
「心臓に届いたな」
「まさか、本当にやり遂げるなんて……。」
ドランシアは微笑を浮かべて、剣と傷口を指先でなぞる。
その様子は先程まで荒々しさとは一転、すぐにでも消えてしまいそうな儚い印象を受けた。
それも心臓を貫かれた影響だろう。人間同様、竜人にとっても重要な器官であることは間違いない。
ドランシアの消え入りそうな声音がとどく。
「なにも聞かないのね」
「答える気なんてないだろ。それとも教えてくれるのか? 黄昏の使徒の目的と、首謀者を」
結局、最後まで黄昏の使徒の目的はわからなかった。
それさえ分かれば俺達にとっては非常に大きなアドバンテージになることは間違いない。
だが今までの頑なな様子から、ドランシアが教えてくれるとは思えない。
今さら死にかけの相手に無理やり情報を吐かせるということをする気にはならなかった。
しかし、俺の冗談交じりの質問にドランシアは意外な答えを返した。
「最後ぐらい、それもいいかもしれないわね。もう少し、こっちへ来て」
ドランシアが浮かべたのは、消え入りそうな笑みだった。
そんな反応に、どう返せばいいのか判断に悩む。
結局、なにか行動を起こそうとしたら、転移魔法で逃げればいいと結論付ける。
心臓を貫く剣を見てそう判断を下し、ゆっくりと近づく。
「……下手な真似はするなよ」
距離が縮まったその時、ドランシアの微笑みを浮かべる口元が弧を描いた。
その時の感覚は、最初に相対した時とまったく同じ。
「本当に知りたいのなら、ヨミに聞く事ね」
「お、お前!」
瞬時に転移魔法を使うが、転移した先の足元には、ドランシアを貫いていた剣が突き刺さっていた。
見ればドランシアは激しい出血をものともせず、最初と変わらない様子で立ち尽くしていた。
「私の心臓に傷をつけたのは貴方が二人目よ。けれど私を貫いたのは、貴方が初めて。誇っていいわ」
「まさか、本当に不死身なのか!?」
「最初に言ったはずよ。勝利など、元より望まぬことだとね」
魔王は、勇者でなければ、滅することができない。
その言葉を証明するかのように、ドランシアは再び力を取り戻しつつあった。
ならば先ほどと同じように、何度でも心臓に剣を突き立てればいい。
俺だけでも一時とはいえ渡り合えたのだ。
仲間達が集まれば、殺しきることも不可能ではないだろう。
それまでの間、また時間を稼ぐことに専念すべきだ。
覚悟を決めて、魔法を起動させる。
しかし魔法は発動することなく、掻き消えた。
途端、視界が明滅する。
「こんな時にかよ……!」
訪れたのは、意識が混濁する程の激痛。
腕を一振りするだけで人間を殺せる相手だ。ほんの一瞬の隙が命取りになるはずだ。
だがドランシアは動かなかった。
ぼやける視界ではっきりとは見えないが、なぜか呆然と立ち尽くしている。
「ファルクス!」
想像を絶する痛みの最中、聞こえたのは俺の名前を呼ぶ声だった。
どんな状況だろうと、その声を聞き間違えることはない。
初めての仲間であり、頼れる相棒である、ビャクヤの声だ。
だが俺がこの様では、ビャクヤの足を引っ張ることになる。
せめて転移魔法で距離を取ろうとしたが、それすらも叶わなかった。
いつの間にかドランシアが眼前に迫り、俺の腕を掴んでいたのだ。
このまま殴られれば、血煙となって跡形もなくなるはずだった。
身震いするほどの美しさを湛えた顔が、目の前に迫る。
俺を射抜くのは、竜の瞳。だがなぜかその状態で、ドランシアは硬直していた。
混濁する意識の中、俺もただただその目をじっと見つめ返す。
その数秒後には、ドランシアは何かに納得した様子で何度もうなずいていた。
「そう、そうなの。まさかとは思っていたけれど、貴方、そうだったのね。やっと、見つけたわ。私の……ボクの大切な――」
「その手を、離せ!」
白い影が、不意の一撃をドランシアへと見舞う。
その一撃が効いたかは定かではないが、腕が離され解放される。
再び掴まれまいと咄嗟に距離を取ろうとしたが、目の前にビャクヤが躍り出る。
咄嗟とはいえ余りに無謀な行動だったが、ドランシアは争う気がないのか、巨大な翼を広げていた。
「今日の所は帰るとするわ。でもきっと迎えに来る。だからそれまで、死なないでね?」
「ど、どういう、意味だ? お前、いったいなにを……。」
「心配しないで。あと少ししたら、ずっと一緒に居られるわ。そのためにも準備を進める必要があるわね」
理解できない言葉を残して、ドランシアは飛び上がる。
その速度はベセウスを掴んでいた時とは比べ物にならない。
逃げられる。しかし追いかける程の余力も残っていない。
ただただ小さくなっていく後姿を目に、拳を握りしめる。
「い、痛むのか!? わ、我輩になにかできることは――」
駆け寄ってきたのは、ほかでもないビャクヤだった。
彼女も痛々しい傷を負っているにも関わらず。
そんなビャクヤに不必要な心配はさせたくはない。
どうにか気丈に振る舞い、剣を支えに立ち上がる。
「大丈夫だ。無理に魔法を使わなければ、問題ない」
見ればベルセリオが、アリアを小脇に抱えて戻ってくるところだった。
その背後には、足を引きずっているミリクシリアの姿もある。
あのままドランシアが残っていれば、彼女達も戦う必要があった。
全滅も、あり得たのだ。
「結局は、逃がしましたか。まぁ、あのまま戦い続けていても勝算は限りなく零に近かったとは思いますが」
冷笑を浮かべたベルセリオがそう吐き捨てた。
事実、歯が絶たなかった。格が違ったのだ。
仲間と力を合わせれば勝てると思っていた。勝てなくとも十分に渡り合えると信じていた。
その結果が、このざまだ。仲間を危険に晒したあげく、相手の手のひらで踊らされ続けた。
ベルセリオに反論できる言葉を、俺は持ち合わせていなかった。
「……魔族の掃討に移ろう。今は落ち込んでる時間も惜しい」
「ですがその前に、私達の成すべきことが残っているようです」
ミリクシリアが指さした方向には、光りの柱が立ち上っていた。
その方角は――ベセウスが落下した地点だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます