第110話

「良い眺めだろ?」


 えも言えぬ浮遊感に包まれながら、眼前のベセウスに問いかける。

 だがベセウスは目を見開いて真下を眺める事に忙しい様子だった。

 刻一刻と迫りくる、黒雲の大海原に。


「き、貴様、正気か!? このままでは――」


「あぁ、歴代聖女達に真っ赤な花を手向けることになるだろうな」


 ベセウスの質問へ簡潔に答える。

 ここは曇天よりも遥か上空。

 どこまでも広がる蒼穹の最中だった。

 突き抜ける様な蒼い空とは裏腹に、怒りで顔を真っ赤にしたベセウスががなり立てる。

 

「貴様のようなカス術師と心中できるほど、私の命は軽くはない!」


「ならどうするのが最善手か。教皇様なら考えずともわかるよな?」


 障壁はあくまで外部からの攻撃を想定されており、内部からの衝撃は想定されていない。

 落下の衝撃をそのままに、体が障壁に内部から叩きつけられれば、たとえ術師本人だとしても熟れた果物のように弾けるのは想像に難くない。

 それを回避するには、別の魔法を使って衝撃を和らげる必要がある。

 しかし限界まで力を障壁魔法に振り切っている今、ベセウスが再び魔法を使うには障壁を一度解除する他ない。

 

 身動きが自由に取れない、空中で。

 転移魔術師の前で無防備な姿をさらせばどうなるか。

 引きつった顔のまま、障壁の向こう側からベセウスが雄たけびを上げた。


「こ、この、転移魔導士如きが!」


 最弱、最底辺と名高い転移魔導士に後れを取るという状況を認めたくないのだろう。

 それはエルグランドの心臓でもある教皇としてのプライドか。

 あるいはこれほどまでに強力な魔法を使えるジョブの保持者としてのプライドか。

 恐らくはその両方だろうが、どちらにしても結果はゆるぎない。

 結局、最後までベセウスは障壁魔法を解くことはなかった。 


「それが答えか」


 黒雲を貫き、真下に白銀の花々が見えた瞬間。

 足に地面を踏みしめる感覚が戻ってくる。

 そして、その数秒後。


「お前のような奴が加わっていい場所じゃないな。あの場所は」


 ベセウスは建物の崩落に巻き込まれ、立ち込める砂埃の中に、消えた。


 ◆


 この周辺は騎士達の詰め所になっていたのだろう。

 ベセウスが落下したであろう建物からは、甲冑や剣などが散乱しているのが見える。

 あの落下で死んでいないということは考えにくいが、万が一生き延びていても回復するまでに相当な時間を必要とするはずだ。


 ならすぐにでもドランシアとの戦いに戻ろう。

 さほどベセウスの処理に時間がかかっていないとはいえ、相手はあの竜人だ。

 対処してくれている皆がどうなっているかは、実際にこの眼で見るまでは安心できない。

 

 四人の無事を祈りつつ、転移するべく方角を確かめようとした、その瞬間だった。

 轟音と共に、視界の端にあった建物が崩落を始める。 


「な、なんだ!?」


 建物を貫いて飛び出してきたのは、二つの影。

 片方は剣を盾のように構えたミリクシリア。そしてもう片方は、アリアを抱いた巨大な人形――ティタルニアだった。

 壁を破ってきたというのに、その威力を殺しきれず、ふたりは何度も地面をバウンドする。

 しかし崩落した建物の煙の中から出てきたドランシアには、掠り傷ひとつない。


「まさか転移魔術師ひとり相手にできないとは。呆れを通り越して、驚きですね」


 俺の姿を見て、ドランシアは吐き捨てるようにそういった。

 慌てて吹き飛ばされた二人の元へと転移するが、そこから見えたのは、ドランシアの背後から迫るふたつの影。


「『一閃』!」


「『インドラ』!」


 煙を切り裂く一撃と、必殺の雷撃。

 しかしそれらを防御するでもなく、ただただ受けたドランシアは、煩雑に腕を振り払った。

 ただ腕を振るうという至極単純な動作を、優れた戦士であるふたりであっても避けきれない。

 桁外れの速度と、そこから生み出される衝撃が周囲の建物ごとふたりを簡単に吹き飛ばした。

 

 ビャクヤとベルセリオの元へと飛ぼうとしたが、咄嗟にそれをキャンセルする。

 そして手元の剣と共に転移し、ドランシアの背中へと叩きつける。

 だが、まるで巨大な岩に剣を振るっている感覚が脳裏に浮かんだ。

 俺の一撃では、かすり傷ひとつ付けることさえ、叶わない。


 しかし目的は攻撃ではなく、気をそらすことだ。

 あのままでは吹き飛んだ二人にドランシアが追撃を加えていたことだろう。

 ふたりは衝撃波だけで吹き飛ばされたように見えた。

 復帰までに時間はかかるだろうが、必ず戻ってくる。そう、信じたい。

 

 だがその為にも、今は時間を稼ぐ必要がある。

 じっとこちらに視線を送るドランシアは、まるで俺が転移魔法で来ることを知っているかのようだった。

 不気味にさえ感じるその視線を振る払うように、視界の端に転がっている騎士の剣を手元に呼び寄せた。


「まさか転移魔法が読まれるなんてな。それも魔素の力なのか?」


「これは竜の眼を持つ私達の力よ。竜人は世界と竜が生まれてから、それらと共に長きを生きてきた。つまり星の産声によって生まれたと言っても過言ではないわね。そんな私に、貴方達の使う児戯にも劣る『魔法』や『スキル』など通用する思って?」


 その口から語られるは竜と世界の創成記。

 人類の中でも知る物はいないであろう、原初の物語だ。

 だが今は、その知的好奇心を満たしている暇などない。


「わからないな。そこまでの力がありながら、なぜ魔素の力をそれほどに求めるんだ。お前の持つ知識やその力があれば、魔素なんか使わなくとも目的を果たす手段がいくらでもあるんじゃないのか」


「私の目的は、黄昏の使徒としての目的を果たすことじゃないわ。もっと別の所にあるのよ。いわばこの役目は私の目的を達成するために必要な通過点ってことね」


 言いながら、ドランシアが自分の心臓をゆっくりと指先でなぞる。


「ならわざわざ魔王に堕ちたのも、その目的とやらの通過点に過ぎないってことか」


「堕ちた? 面白い言い回しをするわね。まるで魔王が生まれた理由も知らないみたいだけれど、ヨミからなにも聞いていないのかしら。けれど考えてみれば、それも無理はないかしら。あの目的のためなら何でも犠牲にすると豪語したヨミだものね」


「まさか……ヨミを知っているのか?」

 

「えぇ、もちろん。貴方達、有明の使徒以上に彼女を知っているでしょうね」


 問いかける俺に、ドランシアは酷く楽しそうに笑う。

 ここでヨミの情報を握っているということを俺に伝えることで得られるアドバンテージは、殆どない。

 相手の動揺を誘う作戦か。いや、竜人の能力を考えれば小手先の心理戦を仕掛ける意味は薄い。

 遊び半分で開示できるほど、黄昏の使徒にとって意味のない情報ということなのか。

 ならば、黄昏の使徒はヨミという存在がいることを最初から知りながら動いているということになる。 


 黄昏の使徒と相対するよう命令を受けている有明の使徒。

 そして俺達に力を与えるヨミという存在。

 それらを知っているのが、有明の使徒である俺達ではなく、敵対している相手であること。

 

 雪崩のように巻き起こる疑問と疑念が、沈黙を呼んだ。

 口を閉ざした俺に、ドランシアは容赦なくその事実を告げた。


「私が魔王になる原因を作ったのも、そして私が黄昏の使徒になったのも、全てはヨミが原因なのだから」

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