第109話
降り立った先は、見渡す限りの銀世界だった。
だが、寒さは感じない。
それどころか僅かな温かささえ感じる。
それもそのはず、そこは白銀の花々が咲き誇る花の海。
風と共に、銀の花弁が吹雪のように舞い踊っている。
そこには立ち入ることさえ躊躇われる、静謐が満ちていた。
「ここが嘆きの丘なのか。美しい場所だな」
「この下には歴代の聖女達が眠っています。このエルグランドのなかでも最も神聖で、最も尊ばれるべき場所です」
言われて初めて、花々を見守るように立ち並ぶ白亜の石碑の存在に気付く。
それらは街の礎を築いてきた聖女達の安らかな眠りを願う墓標だ。
その眠りを妨げることは、許されざる行為といえるだろう。
特に街に寄生し、私欲を満たそうとした人間ならば、なおさら。
だがベセウスはその墓標の一つを押し倒し、地面に埋まっているいくつかの書物を取り出そうとしていた。
ミリクシリアとベルセリオが睨んだ通り、ベセウスは研究の記録をこの場所に隠していたのだろう。
どこまでも身勝手なその行動に、頭に血が上る感覚を覚える。
「なら、この場所にお前達は相応しくないんじゃないか?」
「エルグランドの事情を何も知らぬお前如きが、知ったような口を聞くな」
剣の柄を撫で、吠えるベセウスを睨みつける。
件のベセウスは体の端々にやけどの様な傷と、裂傷を負っている。
足元の花々も赤く濡れている事から、ベルセリオの一撃で受けた傷の治癒よりも、研究成果の回収を急いだ様子だ。
やはりドランシアに捕まれている状況では、障壁魔法を展開できなかったのだろう。
一方のドランシアには傷らしい傷は見当たらない。
雷撃魔法は連鎖的に目標を貫く性質があるため、ドランシアにだけ当たっていないということは考えにくい。
つまり物理攻撃だけに強いわけではなく、魔法にもある程度の耐性があると見て間違いないだろう。
魔法による攻撃が通用するのではと僅かに期待をしていたことは確かだが、それを裏切られたからといって今さら怯む俺達ではない。
ただ俺達が追いかけてくるのが予想外だったのか、ドランシアは肩を竦めていた。
「せっかく見逃してあげようと思っていたのに。どうして追いかけてきたの?」
「鋼の聖女として、この街に不必要な犠牲を強いてきた貴方達を逃がすわけにはいきません」
「不必要な犠牲? 不思議なことを言うわね。技術に限らず全ての発展には犠牲がつきものよ。それは人間が一番理解していると思っていたけれど」
「そうですね、自分勝手で身勝手な行動で、他者に痛みや犠牲を強いる薄汚い人間の蛮行には反吐が出る。ですがその愚かさを、自分達は特別な目的があるからと肯定するような輩など、なおさら生かしておく理由もないのですよ」
身の丈ほどもある剣を手に取る鋼の聖女と、紫電を纏わせる槍を突きつける黒の聖女。
近くにいるだけでひりつくような怒気を纏ったふたりの聖女が立ち並び、竜人の前へと歩み出た。
だがドランシアはその二人を前にしても、微笑を崩すことはなかった。
「会話で理解できないのなら、相手してあげるわ。けれど私ってば、飽きっぽくてつまらないと感じたらすぐに壊してしまうの。だから――」
胸に納まる赤い宝石が、ひときわ大きく脈打つ。
その鼓動に合わせて、天候がさらなる雷雨を呼び寄せた。
荒れ狂う嵐の最中、ドランシアは取り繕った表情を脱ぎ捨て、壮絶な笑みを浮かべていた。
「せめて、この心臓にはとどいて見せて?」
◆
「『シャイン・フォール』!」
激しい閃光と共に、転移させたはずの剣があらぬ方向へと弾き飛ばされる。
見ればドランシアの側面へと回り込もうとしていたビャクヤも行動を阻害されている。
厄介だとはわかっていたが、障壁魔法による味方との分断がここまで連携を乱すとは、思いもよらなかった。
よく見れば障壁魔法も一枚だけという訳ではなさそうだ。
ドランシアと同じ障壁の内部にはミリクシリアとベルセリオが。そして俺とアリアはベセウスと同じ障壁に。ビャクヤに至ってはその二つの外側に取り残されてしまっている。
これでは火力を分散され、ドランシアを倒す処ではなくなってしまう。
「あのジジィ! 時間稼ぎだけは一級品ね、クソ!」
「落ち着け。思考を怒りに任せれば、負けるのは俺達だ」
「ならどうするっていうのよ! このままじゃあ、研究成果を持ち去られるか、ドランシアに各個撃破されて負けるわよ!」
毒ずくアリアを宥めるが、その気持ちはよく理解できる。
できることならドランシアとベセウス、その両方をこの場で討ち取るのが最高の結果といえる。
だがこの状況を見るに、それは高望みだと言わざる負えない。
最悪でもどちらか一方を討ち取る。そう考えて行動すべきだろう。
一方で、ドランシアはベセウスが研究成果を回収するまで時間を稼げればいい。
そのベセウスのジョブも詳細は不明だが、この障壁魔法の練度を考えると相当強力なジョブを持ち、レベルも高いに違いない。
竜人で魔王という、本来であれば勝利すら危うい相手を、速攻で倒さなければならない。
それも時間稼ぎを得意とする高位のジョブを持つ術師の援護を潜り抜けて。
一見不可能に見えるが、この仲間達であれば必ず成し遂げられる。
その為にも、この状況をひとつずつ解決していくべきだ。
「俺は最初にベセウスを仕留める! 少しの間、ドランシアを足止めしてくれ!」
俺の叫ぶ声に答えたのは、ミリクシリアだった。
振り上げられた剣が閃光を解き放ち、一枚の障壁を軽々と打ち砕く。
ビャクヤと合流したミリクシリアは、ベルセリオと共に深く頷いて見せた。
「任されました」
迷いなき返事を聞き、精神を目の前の相手に集中させる。
俺達の火力を集中させる為にも、それを妨害するこのベセウスを最初に葬る必要がある。
もちろん転移魔法で一時的に障壁魔法による分断を無効化することは可能だ。
だが戦闘中も俺達五人の立ち位置とドランシアの行動に気を配り、障壁によって分断された仲間を転移で合流させ、目で追うのがやっとな高速戦闘をサポートすることは、事実上不可能だ。
ならば最初にベセウスを潰すことが、確実な勝利につながるはずだ。
そして過程で、相手の得意分野で競い合う必要はない。
かつて無力だった俺は、数少ない転移魔法の強みや魔物への知識で役立とうと考えていた。
それは強力なジョブを持つ相手に、その分野で競っても勝てるはずがないからだ。
障壁魔法を駆使するベセウスに合わせるのではなく、転移魔導士としての分野での戦いを押し付ける。
この戦いでも、同じことだ。
「アリア、人形で波状攻撃だ! アイツに動く隙を与えるな!」
「全軍突撃! あのくそったれなジジイを囲んでぶっ叩くわよ!」
物騒な号令と共に、魔法のバックから溢れ出した人形達は、雪崩となって障壁へとぶつかる。
一体当たりの威力はさほどでもない。
しかし断続的に、そして大量の攻撃を与えることが重要なのだ。
障壁魔法は基本的に、展開した後も魔力を消費し続ける部類の魔法だ。
当然ながら展開中は魔力を消費するし、その障壁に負荷がかかれば余計に魔力の消費量が増加する。
つまり断続的に膨大な数の攻撃を加え続ければ、いくら高レベルの術師であろうと魔力は瞬く間に枯渇する。
だが、もちろんその弱点は術師本人も十全に理解するところだ。
ベセウスはこちらの意図を即座に読み取り、別の魔法を展開した。
「その程度でこの教皇を捉えられると思うな!『ロック・ウォール』! 」
大地からせり出したのは、巨大な岩石の防御壁だった。
物理的に障壁を展開させるロック・ウォールでは、いくら攻撃を与えても岩石を破壊するだけで魔力を消費させることは出来ない。
これならばアリアの人形のような量を重視した攻撃を簡単に抑え込むことができる。
「こんの、往生際が悪いのよ! いい加減に諦めて出てきなさい!」
「……いいや、攻め続けろ! アリア!」
刹那の間、怪訝な表情を浮かべたアリアだったが、すぐさま攻撃に戻る。
もちろんのこと、人形を操るアリアの魔力も無尽蔵ではない。
しかし俺を信頼してくれたのだ。その信頼に答えるだけの成果は出せるつもりだ。
まず障壁魔法の優れた点は、即座に展開できることだ。
相手の攻撃に合わせて、性質の異なる障壁を展開することで相手の攻撃を封殺する。
それが広く知られている障壁魔法の最大の強みだ。
しかし、障壁魔法には致命的な弱点が存在する。
魔方陣を使った大規模な魔法を除き、大半の障壁魔法は術師の座標が固定されてしまうのだ。
だからこそベルセリオの一撃を、ドランシアと共に移動していた際に防ぐことができなかった。
もちろん奇襲だったから、という理由もあるだろうが。
障壁魔法の制約は、展開すればするほど強まる傾向がある。
そして今のベセウスは何重にも障壁魔法を展開している。
つまり、一歩も動くことができない。
「無駄だ! 貴様ら程度がこの守りを破れるはずがあるまい! そこでドランシアに殺されるのを待っていろ!」
そんなベセウスの雄叫びが、近づいた。
いや、俺の方がベセウスの元へと移動したのだ。
刹那の暗転を経て、眼前に勝利の笑みを浮かべたベセウスが現れる。
だがその表情は、俺を見た瞬間に固まった。
「さて、手短に済ませるとするか」
◆
一対の剣が、激しい衝撃でちゅうを舞う。
だが、その切っ先はベセウスに届いていない。
それでもベセウスの表情は徐々に歪んでいった。
一手、また一手と追い詰めている感覚が大きくなる。
「お得意の障壁魔法も、内部に入られたら役立たずだな」
「この転移魔導士如きが、身の程を知れ! 『ホーリースマイト』!」
「空間転移」
自分を中心に、閃光を伴う衝撃波を発生させる魔法、ホーリースマイト。
だが衝撃波が発生したその瞬間に、内側へと転移すれば問題はない。
魔法を使用した一瞬のすきを狙い、間髪入れずに刃を振るうが、届かない。
「《ディメンション・ウォール》!」
剣に伝わってきたのは、腕がしびれる程の衝撃。
俺の攻撃が届くその瞬間、ベセウスは新たな障壁を展開していた。
外部に展開しているものと合わせれば、これで合計四つ。
あの賢者エレノスでさえ、魔法の同時使用は三つが限度だと話していたため、このベセウスがいかに高度の魔術師かが伺い知れた。
だが恐らく、これがベセウスにとってのが最大展開と見ていいだろう。
外部ではまだアリアの人形が攻撃を続けており、またその外でも雷撃が飛び交っているのが見て取れる。
これでは外の障壁を消すこともできない。
確実に、ベセウスの限界は近づいている。
「もはや私はエルグランドの城壁を凌駕する堅牢さを備えている。攻城兵器だろうと最高位魔法だろうと、私に傷ひとつ付ける事は叶わんと知れ!」
「大層な謳い文句だが、自分から逃げ道を塞いでることに、まだ気付いてないみたいだな」
「逃げ道など必要がないのでな。貴様は攻め入ってきた気でいるのだろうが、それは間違いだ。いまや貴様は檻に閉じ込められた獣にすぎない。私の支配下にいるのだよ。ここから貴様をどう殺すも、私の意思ひとつという訳だ」
額に汗を浮かべ、肩で息をするベセウスに、そこまでの余裕があるとは思えなかった。
もちろん、実際にベセウスが俺の想像をはるかに超える実力者だった場合、ここから攻撃魔法を展開される恐れもあった。だからこそ、早急に決着をつけるべきだろう。
ベセウスが最も内側に展開している障壁に手を当て、魔法を起動させる。
上の内側から微かに焼ける様な痛みを感じるが、反撃の予兆は、感じない。
半透明の障壁の向こう側には、怪訝な顔で俺を眺めるベセウスの顔があった。
その顔へと、魔法の起動と共に言い放つ。
「じゃあ、本当に傷ひとつ付かないのか、確かめさせてもらおうか。空間転移」
刹那の暗転。
その後に――俺達は蒼穹に包まれた。
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