第108話
「来てくれると思っていましたよ、ベルセリオ」
言葉通り、予見していたかのようにミリクシリアがその名前を呼ぶ。
一方で聖女らしからぬ表情を浮かべたベルセリオは、ミリクシリアの前まで来て小さく鼻を鳴らした。
「なんて顔をしているのですか、みっともない。まぁ、あのすまし顔よりは多少なりともマシかもしれませんが」
棘を感じる言葉に、少しばかり眉を顰める。
ミリクシリアは微笑さえ浮かべており、ベルセリオが懸念するほどの様子には見えない。
だが以前から二人の間には何かしらの絆の様なものを感じていた。
俺からはわからなくとも、ベルセリオから見たミリクシリアは、傷心を抱えているように見えたのかもしれない。
となると半身とさえ呼んだ相手に憎まれ口を叩くのはベルセリオなりの慰め方なのだろうか。
少なくとも俺達に小言を言っていた時と比べれば、態度が軟化しているのはあきらかだ。
だとしたらあまりにも不器用というほかないが、それを口にすれば状況がややこしくなるのは目に見えている。
今は少しでも時間が惜しい。
少し息を切らしているベルセリオの背中に、感謝の言葉と疑問を端的に投げかける。
「助かった、ベルセリオ。だが、里の方はいいのか?」
「里へ戻ったら、あのドーラと言う女性が飛竜になって飛び立ったという話を聞いたので、こちらへ向かいました。どうやら丁度いいタイミングだったようですね」
「ドーラが飛竜になった? 翼が生えた、じゃなくてか? まさかとは思うが、あの山の中で見つけた痕跡は……。」
記憶の中から浮かび上がるのは、山の中で見つけた巨大すぎる飛竜の足跡だ。
里の近くに住んでいるベルセリオでさえ把握していなかった痕跡であり、その主は不明として今まで保留されてきていた。だがその飛竜が自由に人間の姿に代わる事が出来るのであれば、その疑問も解決する。
「えぇ、恐らくアレは彼女のものなのでしょう。あんな存在が暴れまわればひとたまりもないと思っていましたが、想像はおおむねあたっていたようですね」
言いながらベルセリオは周囲を見渡し、目を細めた。
そこに神聖都市エルグランドの面影を探すのは難しいだろう。
そしてもしドランシアが竜の姿のままで現れたら、被害は今の比ではなかったはずだ。
そうしなかったのは恐らく、ベセウスへ取引を持ち掛けるという目的があり、研究成果と呼ばれるものが失われることを懸念した結果だろう。
となると、そのベセウスが研究成果とやらを渡してしまった時点でこの街への配慮は必要なくなる。
ベセウスとドランシアにとっての存在価値が、無くなるのだ。
「すぐに追撃へ向かう。手伝ってくれるか、ベルセリオ」
「もとよりそのつもりです。あんな存在を放っておけば、いずれ全てが滅ぼされる。その前に仕留めなければ」
ベルセリオはドランシアとベセウスが落下していった方角へ視線を向けた。
自分を追放し、異種族の迫害を推し進めたベセウス。そして異種族として振る舞い、自分の里の人々を騙したドランシア。このふたりがベルセリオにとって浅からぬ因縁があるのは間違いないが、どこかそれ以上に言葉の端々から怒りを感じていた。
俺の知らない戦わなければならない理由があるのだろうか。
ただ遠巻きに眺めていたアリアは、微妙な変化に気付いていないのか、人形を回収しながらベルセリオに軽口を叩いていた。
「なによ、いいところもあるじゃない。ちょっとだけ、見直したわ」
「あら、可愛いお猿さんがこんなところに紛れ込んでいますよ。果物をあげましょうね」
「前言撤回。ぶっ飛ばすわよ、あんた!」
アリアに啖呵を切られるも、ベルセリオは素知らぬ顔で果物にかじりついた。
「そんなもの、どこから持ってきたんだ」
「潰れた露店からいくつか拝借してきました」
「窃盗だろ、それ」
「バレなければいいのですよ。それに私は里からここまで走ってきたのです。少し食事を取る程度、許してほしいものですね」
聖女と火事場泥棒の狭間にいるベルセリオは、隠し持っていた別の果物をミリクシリアに押し付けていた。
共犯者にするつもりなのか、それとも彼女なりの慰めの方法か。恐らくはその両方なのだろうが、いかんせんわかりにくく、ミリクシリアも若干困惑した様子で果物を受け取っている。
ビャクヤはといえば自分の傷を塞ぐために治療していた。
驚くことに、先ほどまで血が滲んでいた傷口が塞がりかけている。
治癒力の高さと、傷薬の効力も相まってだろうが、改めて鬼という種族の強靭さを垣間見せられた気分だ。
「傷は大丈夫そうか、ビャクヤ」
「うむ、我輩は問題ない。すぐにでも二人を追うべきであろう。特にドランシアからは、聞かねばならぬことも多くある」
「ならさっさと探しに向かいましょう。この街からたったふたりを見つけ出すんだから、そうとう骨が折れるわよ」
言われてみれば、その事をすっかり失念していた。
エルグランドという都市を隅々まで把握しているベセウスと、高い飛行能力を持つドランシア。
その二人を相手に、まずは探し出す所から始めなければならないのだ。
研究成果と呼ばれる物を取りに向かったのだと推測は出来るが、まだその場所がわからない。
ただでさえ時間がないこの状況で、それは余りにも悠長といえた。
転移魔法を使って高所から探すべきか。それとも人海戦術で探す方が確実だろうか。
そんな考えは、ベルセリオの一言で中断された。
「その心配は必要ないでしょうね。恐らくですが、あのふたりが向かった先は想像が付きます」
「歴代の聖女達が眠る、嘆きの丘。その方角へ落ちました。きっと、ドランシアとベセウス様はそこにいます」
話を聞いていたベルセリオが首をかしげる。考えてみればドランシアという名前に聞き覚えがないと気が付く。
そこでようやくドーラがドランシアという名前であること、そしてドランシアとベセウスの関係性を説明すると、ベルセリオは納得気に頷いた。
「へぇ? ではあのベセウスを殺すのですか。私は大賛成ですよ。俄然、やる気が出てきました」
「あのねぇ、ベルセリオ。別に私達だって私念で殺すってわけじゃないわよ。ただ私達がやらなきゃならないことってだけ」
黄昏の使徒を殺めるのは、有明の使命としての使命だ。
魔素の拡散と、それに伴う犠牲が増えることを抑止するため、俺達は戦いを続けている。
だがミリクシリアは使徒ではない。
もちろん彼女の覚悟を疑っている訳ではない。
だが使徒ではない以上、ドランシアやベセウスと戦う為の理由を自ら見つける必要がある。
肉親に、刃を向ける理由を。
「野暮な質問かもしれないが、ミリクシリアに聞いておきたい。俺達はその、ベセウスと戦うことになる」
「わかっています。その覚悟も出来ていると言ったはずですが」
「この状況では加減も出来ぬ。我輩達はあの男を殺すことになるであろうな。それでも良いのだな」
ビャクヤは、ミリクシリアに再びの選択を突きつける。
これは、不器用なビャクヤの優しさでもある。
懸念すべき点を、包み隠さずに打ち明けることで、ミリクシリアに選択を委ねる。
聖女として生まれ育った彼女に、親殺しを迫るのは余りに酷だ。
しかし、予想に反してミリクシリアは迷わなかった。
胸に手を当て、そして視線を前へと向けた。
鋼色の髪が日の光を受け、不思議な光彩を生み出す。
「エルグランドの守護者……聖女という役目は、たしかに与えられたものでした。ですがその役目は戦いの中で、使命となった。この街を守る為ならば、誰であろうと容赦はしません。それがたとえ、教皇であったとしても」
「先程まで泣きそうだったとは思えないほど強気な発言ですね」
「誰かが慰めてくれたおかげですよ、ベルセリオ」
憎まれ口をたたきあう。
それがふたりの本来の姿なのかもしれない。
「ありがとう、ミリクシリア」
「それはこちらの台詞です。ドランシアの……あの言葉を否定してくれて、ありがとうございます」
「アイツの言い草が気に食わなかっただけだ。でも、それで少しでもミリクシリアの気が楽になったのならよかった」
謙遜でもなく、純粋に感謝の言葉を受け取ることはできなかった。
あの言葉は、ミリクシリアに向けたものでもあるが、自分自身への言葉でもあったからだ。
誰かに与えられた力と使命が無意味な物なら、この戦いその物が意味を失ってしまう。
それを微かに恐れ、否定したかったのだ。
しかしそんな言葉でも救われた人がいたのなら、あの冒険者に一歩でも近づけただろうか。
初めて見るミリクシリアの微笑みを見て、そんな事を思うのだった。
◆
「さて、すぐに追うとなると転移魔法で移動したほうがいいな」
嘆きの丘と呼ばれる場所へ向かうにしても、ドランシア達が落ちた場所を考えると相当に距離が離れているはずだ。
特にドランシアと直接戦うことになるビャクヤやミリクシリアの体力は、少しでも温存しておくべきだろう。
転移のために方角と距離を確認を始めると、背中からビャクヤの不安そうな声が届く。
「先ほど、大勢を転移させたばかりであろう。連続して使えば、また以前のような症状が出るやもしれぬぞ」
「この人数ならさほど負担じゃないさ。それに、魔法が使えなくなる前兆があったらすぐに地面へ転移するから安心してくれ」
「そうではない。我輩は、お主の心配をしておるのだ」
「魔法が使えなくなれば、どのみち皆の足を引っ張る事になる。ならせめて、移動手段ぐらいは俺に任せてくれよ」
不安げなビャクヤの表情をどうにか和らげようとするが、上手くはいかなかった。
言葉選びが下手くそな自分を疎ましく思うが、こればかりは仕方がない。
正直に言えば、魔法を使うたびに例の発作がどうしても頭の片隅にちらつく。
激痛で意識が遠のき、魔法が使えなくなるだけでなく、自由に体を動かすことすらままならない。
あれがひとたび起これば、戦闘どころではなくなってしまう。
だというのに、未だに対処法がわかってはいない。
ならば最初からリスクを抱えて転移魔法を使った方がいい。
たかが数人を転移させて発作が起こるのであれば、元より戦闘などできるはずがない。
不確定のリスクがある能力ならば、最初に使い捨ててしまうのもひとつの手だ。
目じりを下げたビャクヤから逃れる様に、手持ち無沙汰になっていたアリアへと視線を向ける。
「アリア、掴まれ」
人形を仕舞い終わったアリアの腕を掴んで、引き寄せる。
小柄な体は予想以上に軽く、飛びつくような形で俺の腕を掴んできた。
そして残った三人に視線を向け、座標を確認する。
手の内ではすでに転移魔法は完成している。
後は飛ばすだけだが、腕の中でアリアが上ずった声でまくし立てる。
「な、なに? なんで私だけ!? も、もしかして、私のことが――」
「残りの三人は万が一、落っことしても大丈夫そうだからな。ほら、行くぞ! 空間転移!」
転移の瞬間、他の三人から白い目で見られていた気がするが、気のせいだろう。
いや、気のせいだと思いたい。
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