第107話

 第三の賢者、ヴァンクラット・ヘーヴィル。

 商人としての顔を持ち、本性を隠しながら魔素の研究を続けていた、一番最初に相対した黄昏の使徒。

 ダンジョンの中に研究所を設けるだけでなく、そのダンジョンを探索する冒険者さえも配下において巧妙にその正体を隠し、魔素を応用して魔物を操る研究を推し進めていた。


 最後は自らに魔素を注入し、常人離れした能力を発揮したが、呆気ない最後を迎える事となった。

 今と比べればレベルも低く、自分達の能力も使いこなしているとは言い難い俺達を相手にして。 


 そして現在。

 俺達は個々の能力の扱いにも慣れ、様々な技も開発し習得してきた。

 最初に比べてレベルも相当に上がり、基礎的な能力値も相当に向上していることは間違いない。

 実戦で経験も積み、転移魔法の理解度も深まり、仲間と連携もとれるようになった。


 今ならば黄昏の使徒に後れを取ることはない。

 それどころか生半可な相手であれば圧倒できる。

 少なくとも、それだけの自信があった。

 だというのに――


「き、効いておらぬのか? まさか本当に……魔王、なのか?」


「だったらなによ! 一度でダメなら何度も喰らわせてやればいいじゃない!」


 気付けば、無意識に半歩ほど後ずさっていた。

 ただただ歩み寄るだけのドランシアを前に、心のどこかで怖気づいていたのだろう。

 己の本能を否定するように、大きく一歩、前へと歩み出る。

 手強い相手なら、これまで何度も相手にしてきた。

 それこそ転移魔法が強化される以前、アーシェと共に旅をしていた時から。


 目の前の竜人もそうだ。

 精神的な優位に立つために、無傷に見せているだけの可能性もある。

 一度は滅びの運命をたどった種族であるのならば、必ず弱点も存在するに決まっている。

 だが問題は、その弱点を探り当てるだけの時間が残されていないことだ。


 エルグランドの街には、今だ我を忘れた魔族の雄叫びと、人々の悲鳴が上がっている。

 生き残っている騎士達だけで街中の魔族を掃討できると考えるのは、あまりに希望的な観測と言わざる負えない。

 この状況を打破するにはベセウスの協力が必要だったが、今やその望みさえ絶たれてしまった。

 そして当然、教皇と敵対したことが知れれば、騎士達からも攻撃されることにもなる。


 眼前の黄昏の使徒を倒し、騎士達の追撃を躱し、魔族を討伐して、エルグランドに平穏をとりもどす。

 それらに費やす時間が長くなればなるほど、救える命が腕の中から零れ落ちていく。

 多くを救うためにも、いまは一秒でも早くドランシアを倒さなければならない。

 竜人の頑強な守りを貫く、一撃が必要だった。

 研ぎ澄まされた、鋼のような一撃が。


「ミリクシリア。手を貸してくれないか?」


「わ、私は……。」


 問い掛けに答える声はあまりにか細く、荒れ狂う風の音にかき消された。

 黄昏の使徒であるドランシアに剣を向けることの意味するところは、ミリクシリアが最もよく理解しているはずだ。

 その手を差し伸べられらベセウスもまた、黄昏の使徒なのだから。

 

 声なき返答にを受けて、再び剣をドランシアへと向ける。

 ビャクヤ達も臨戦態勢を維持しているが、有効打を持たない現状でどこまで戦えるかは未知数だった。

 俺達の焦燥感を見透かしたように、ドランシアが背筋が凍り付くような冷笑を浮かべる。

 そしてその視線の先は俺達ではなく、動けずにいるミリクシリアだった。


「与えられた力で受ける賞賛の声は、さぞ甘美だったでしょうね。聖女と呼ばれ、御大層な名前も貰い、この街の信仰に多大な影響を与えた。それが全てまやかしだとも知らずに」


 暴力的ともいえるその言葉を前に、答える者はいない。

 ただ鋼色の髪が流れ落ち、藍色の瞳を覆い隠す。


 ミリクシリアの心情を推し量ることなど、俺達にはできない。

 聖女として剣を振るうミリクシリアが、どれだけの信念と誇りを持っていたのか。

 それを理解しているとは、口が裂けても言えはしない。

 だがそれでも、抑えきれない感情が体を突き動かす。

 

「与えられた力の、なにが悪い。俺の能力も、ヨミから授かった物だ。だが、それが悪だとは思わない。与えられたのであれば、後はその力をどう使うかを決めるだけだ」


「詭弁ね。このエルグランドという虚構の聖域で作られた命に、与えられた力に、押し付けられた使命。全てが偽物の存在の行動と決断なんてなんの意味もないわ。あるのは創造主の思惑だけよ」


「大層な御託を並べているが、お前は最も重要なものを見落としてるみたいだな」


「貴方こそなにも見えていないみたいね。与えられた物をはぎ取ったら、なにが残るっていうの?」


「残るさ。聖女ミリクシリアの実力と矜持によって救われてきた人々と、その功績がな」


 視線が交錯し、竜人の緋色に燃ゆる瞳が俺を射抜く。

 まるで炎の様な揺らぎを見せる瞳は、見る者に圧し掛かるような重圧を与えた。

 首にその手を掛けられたかのような恐怖が背筋を凍らせる。

 だが俺の中に燻る怒りを抑え込むには至らない。

 

「この街をこんな風にした魔素が、ソレの中に蠢いているとしても?」


「だとしても、お前がどれだけ否定しようとも、いままで彼女が積み上げてきた聖女としての輝きは寸分たりとも曇りはしない」


 エルグランドにも、聖女ミリクシリアにも、確かに間違いが存在した。

 異種族への偏見と差別。それに伴う迫害の激化。

 そこから連なる負の連鎖。

 聖女というシンボルがその一端を担ったことは、紛れもない事実だ。

 ミリクシリアはその消えない罪を、背負って生きていくのだろう。


 だが同時に、ミリクシリアによって救われた人々も確かに存在する。

 街を魔族からの襲撃を防ぎ、戦場では先陣を切って戦うことで犠牲を減らした。

 その全てを否定することなど、何人たりともさせはしない。


 そして黄昏の使徒であるのなら、なおさら否定できるはずがないのだ。

 ミリクシリアの生み出す全ての事象や決断が無意味で無価値だと断ずるのであれば、彼女によってもたらされる『研究』とやらの成果さえも意味を失ってしまうからだ。


 今まで崩れなかったドランシアの表情が、僅かに歪む。

 それははたから見れば気付けない微かな変化だ。

 だが戦いが始まってから初めて初めて見せる変化でもある。


 張り詰めた空気を切り裂いたのは、鋼の剣が軋む音。

 振り返れば、藍色の瞳と視線がぶつかる。

 そこにはもはや、迷いの色は見て取れなかった。


「私は、簡単なことを忘れていたようです。存在を否定されようと、この使命が作り物であろうと、それらは些末な問題です。私はエルグランドに害なす存在を葬る鋼。ただ、それだけ」


「少しばかり厄介な相手だが、いけそうか?」


「相手が誰であるかは問題ではありません。エルグランドに害をなすのであれば、斬るのみ。それが鋼の役目なればこそ」 

 ◆


 どれほどの勇気と決意が必要だったのかは、想像さえつかない。

 しかし彼女はドランシアと戦うことを選んだのだ。

 そのミリクシリアの決断を無駄にしないためにも、そしてエルグランドに平穏を取り戻すためにも、攻撃の手を休める訳にはいかない。


 だがミリクシリアの決断は、思わぬ結果をもたらしてしまった。

 障壁の中で黙りこくっていたはずのベセウスが、早口でまくし立てる。


「私の研究記録を全て渡す! その代わりに私の身の安全を保障しろ、ドランシア!」


「賢明な判断ね。でもそこの試作品はどうするつもり?」


「作り直せばいい。研究さえ残れば、また何度でもな」


 もはやベセウスは、己の蛮行を隠そうともしなかった。

 それでも、鋼の意志は揺らぎはしない。

 ベセウスが裏切ると分かったその瞬間、すでにミリクシリアは地面を蹴っていた。

 

 躊躇いを振り払うように、巨大な剣をその手に大きく振り上げる。


 一方、ドランシアが研究成果を受け取るにはベセウスから隠し場所を聞くほかない。

 つまりベセウスの身柄さえ確保してしまえば、ドランシアとの戦いも有利に進めることができるとミリクシリアは踏んだのだ。

 ならば俺達がすることは、決まっていた。


「合わせるぞ! ビャクヤ、アリア!」


 ふたりの名前を呼び、魔法を起動する。

 ミリクシリアがベセウスの確保に向かったのなら、俺達はその時間を稼げばいい。

 ドランシアが広げた翼で風を掴むよりはるか前。

 すでにビャクヤは薙刀を構え、アリアは例の巨大な人形を呼び出し終わっていた。


「桜花一閃!」


「ティタルニア! 叩き落して!」


「共鳴転移!」


 渾身の一撃が重なり合う。

 それでも、稼ぐことができたのは一瞬。

 防ぐでも避けるでもなく、その身で受けた上でドランシアはベセウスの元へと向かおうとしていた。

 頼みの綱は、ミリクシリアだけだったが――


「父親を殺す気か!? ミリクシリア!」


「だからこそ! 止めるのです!」


 吠えるミリクシリアの剣が、魔法の障壁を打ち砕く。

 だが、僅かに届かない。

 教皇にまで上り詰めたベセウスの有するスキルがいかなるものかは、未だにわからない。

 それでも障壁は幾重にも張られており、表面上の数枚を突破しても本人には傷ひとつ付けられていない。


 しかしドランシアは障壁を打ち砕きベセウスの腕を掴んで飛び去ってしまう。

 有翼の種族とは言えども、早すぎる。

 恐らくは何らかの魔法を使っているのだろうが、今から追いかけて間に合う距離ではなかった。

 チャンスを逃し、アリアが地団太を踏む。


「あんのクソ野郎! こんな時に父親面するわけ!?」


「これでは間に合わぬぞ! 逃げられる!」


「俺だけでも転移魔法で……。」


 言いかけて、言葉がのどに詰まる。

 この距離と速度では、転移魔法であったとしても追い付くことは不可能だ。

 そしてその逡巡が、途方もない距離を生み出していく。

 時間がない。無茶をしてでもドランシアとベセウスを討つ価値はある。

 一か八かで、俺だけでも足止めに向かうべきだろう。


 そう判断した時だった。


 地上からの雷撃が、ドランシアを貫いた。

 竜人に致命傷となったとは思えない。

 しかし障壁を砕かれたベセウスは無事では済まないはずだ。

 急速に高度を落とした様子からみて、間違いはない。

 問題は、その雷を誰が落としたか、だ。


 とはいえ、その答えは決まりきっていると言えた。

 ふと足音の方へ視線を向ければ、黒い鎧に身を包んだ女性が、不敵な笑みを浮かべていた。


「こう言った粗暴なやり取りは私の領分でしょう? ねぇ、哀れで可愛い私の半身」

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