第106話


 魔王。

 本来であればその言葉が意味するものは余りに多い。

 生きる災厄。世界に災禍を齎す者。人類の敵。そして、勇者の宿敵。

 だがこの都市に限って言えば、魔王の名前が持つ意味は明白極まりない。

 討つべき敵の、王である。


 ベセウスの周りを固めていた騎士達が雄たけびを上げ、剣を引き抜く。

 魔素に侵された魔族との戦いを生き抜いた精鋭といえるのだろう。

 それでも、今度ばかりは相手が悪かったとしか言いようがない。


「あの竜人を教皇様に近づけさせるな!」


「ベセウスが決断するまでの間、遊んであげるわ」


 包囲されたドランシアは煩雑に腕を振るう。

 ただそれだけで荒れ狂う風を巻き込み、つむじ風が生み出される。

 次の瞬間には、大地が蒼き尖爪に切り刻まれていた。


 その直線上に立っていた騎士達は剣を振り上げようとして、そしてバラバラに崩れていく。

 死のその瞬間まで、自分達に起こったことに気付いていないかのように。

 圧倒的という言葉さえ陳腐に感じるその力に、残った騎士達さえ後ずさる。

 

 魔族の襲撃。教皇の沈黙。竜人の降臨に、魔王による惨殺。

 自分達守ってきた鋼の聖女は、その存在自体が否定され、立ち尽くすのみ。

 膨れ上がった恐怖は、簡単に限界を超えた。

 悲鳴がさざ波の様に広がり、大聖堂区は混乱に包まれた。

 

「ファルクス!」


「わかってる!」


 怪我を負った騎士に、逃げ延びてきた住人。

 この場所で戦うには、余りに守るべきものが多すぎる。

 目に入る範囲の全員を魔法の範囲に定め、そして――

  

「空間転移!」

 

 術の後には、痛いほどの静寂が訪れた。


 ◆


 刹那の間、ドランシアが視線を巡らせるのを確認する。

 ドランシアは腕を振るうだけで、その先にいる相手を簡単に殺せる。

 意図せずして、戦闘中の余波が思わぬ被害を生むことも十分に考えられた。


 だが幸いにもここは大聖堂区だ。

 規模が大きく堅牢に作られた大聖堂が、今は最も安全な場所といえる。

 中では今頃大混乱が起きているだろうが、ここで戦いに巻き込むことは避けたかった。

 少なくとも、俺達の戦いによる被害を最小限に抑えられるはずだ。 

 そしてなにより――


「正面は我輩に任せよ!」


 ――俺達が戦いに使える場所も格段に広がった。

 転移が終わったその瞬間、白い影が地面を這うように走り出す。

 鬼としての身体能力の高さに加えて、一流の冒険者にも匹敵するレベルの高さだ。

 ビャクヤの初動は、一時期とはいえ勇者や剣聖と組んでいた俺でさえ、刹那の間見失う程だった。

 しかし、それでも、届かない。


「遅いわね。止まって見える」


 ドランシアの対応は、至極単純だった。

 技術と経験に裏打ちされたビャクヤの一撃を、真正面から受け止める。

 それも、薙刀の刃を素手で掴むという、常識外れの方法で。


 その薙刀を掴まれたビャクヤの動きは、完全に静止していた。

 両手で薙刀を握っているはずのビャクヤが、刃を握っているだけのドランシアに力で負けているのだと気付くのに、数秒。

 そして竜人という種族に対する評価の変更に、数舜を費やした。


 竜人という種族に由来する純粋な身体能力に対する自信の現れか。

 あるいは魔王と自称するに至った実力の証明か。

 いずれにせよ正面からの打ち合いでは、活路を見出すことは難しい。

 だが、相手が自分の実力に絶対の自信を持っているのであれば、戦いようはいくらでもある。


「ビャクヤ!」


「承知した! 『逢花―」


 名前を呼んだ瞬間、ビャクヤは即座にスキルを発動させる。

 それだけ彼女が信頼を寄せてくれているという証でもある。

 その信頼を裏切らないためにも、転移先に狙いを定める。


 どれだけ優れた種族であろうとも、人間と同じ形をしているのであれば同じように隙が存在する。

 それはたとえ竜人であろうとも例外ではない。

 例えば背中や頭上。目視で俺達を捉えているのであれば、必ず死角が生まれる。

 加えて竜人という種族の能力を過信している今ならば、隙を突くことは容易い。


 ビャクヤが飛んだのは、ドランシアの真後ろ。

 死角であり、そして反応が最も遅れる場所。

 そのはずだった。 


「――一閃』!」

 

 転移と同時に、影さえ置き去りにする一撃が放たれた。

 それは理論上、不可視の一撃にして不可避の一撃。

 

 だというのにドランシアはいとも簡単に、その一撃を受け止めていた。


 まるで、転移先を知っていたかのように。

 だがそんな事があり得るのか?

 竜人という種族の特性か?

 いや、だが、しかし。

 

 状況を頭が理解するはるか前に、視界が白に覆われる。

 続くのは衝撃。そしてビャクヤの微かなうめき声。

 遅れてビャクヤが吹き飛んできたのだと理解する。

 

「く、空間転移!」


 すぐさまビャクヤと共に、再びドランシアの死角へと転移する。

 気休め程度だが、時間を稼げればいい。

 受け止めたビャクヤはといば、ドランシアの一撃を咄嗟に薙刀で受け止めたのか大きな傷はない。

 だが脇腹には血が滲み、滴っていた。


「大丈夫か?」


「問題ない。だがあ奴、まさか転移先が読めるのか」


「信じたくはないが、だとしたらこっちの強みの大半が潰されることになるな……。」


 自分で口にしながら、背筋が凍る思いだった。

 転移魔法最大の強みは瞬時に移動できることだが、戦闘面においては転移先が相手にわからないというアドバンテージが存在する。


 だが転移先が相手に見破られる、となれば途端に転移魔法にできることは少なくなる。

 なぜなら転移先がわかっているのなら、その場所に狙いを定められてしまうからだ。

 一度転移魔法を起動すれば最後、必ずその場所に出現してしまう。


 見破れる相手からすれば、絶好のチャンスに違いない。

 だがそもそも、転移魔法の転移先を見破れるということ自体が、信じられないことだった。

 転移魔法は、魔法が完成し、起動した後に効力が発揮される。

 

 つまり高度な魔法使いであっても、転移魔法を起動したことは見破れても、どこに転移するのか見破るのは不可能だ。

 たとえあの賢者エレノスであったとしても。

 

 頑強な鬼であり、高レベルなビャクヤだからこそ先程の一撃は耐えられたのだろう。

 俺が今の一撃を受けていればどうなるか、想像に難くない。

 安易に転移魔法を使えばどうなるか。言葉にせずとも理解してしまう。

 ふと視線を向ければ、やはり問べきかドランシアは俺達の姿を完全にとらえていた。

 

「人間なら聞いたことあるでしょう? 魔王(わたし)を殺すには勇者の力が必要なのよ。貴方達では、遊び相手にすらならないわ」


 ドランシアは、じっと俺を見つめたまま告げる。

 そこに誇張や虚勢などは感じられない。ただ淡々と事実を述べているように見えた。

 そしてその事実は、人間の中に伝わる古い伝説でもある。


 人間はその伝説に頼り、ナイトハルトは勇者として魔王を討つという使命を与えられた。

 魔王を討つことができるのは勇者しかいない。それは古の定め。

 逆説的に言うのであれば、魔王は勇者以外では倒せないということになる。 


 だが、それでも。

 眼前の存在が魔王であるという確証は、いまだにない。

 ならば、必要以上に憶する必要もまた、ないということだ。


「それを試す、いい機会だ! アリア!」


「人形たち、圧し潰しなさい!」


 アリアの号令が響き渡り、人形の軍勢がドランシアへと襲い掛かる。

 人形の軍勢を展開する時間は、十二分に稼いだ。

 その証拠に、瓦礫や武器を携えた人形達が、雪崩の如き勢いでドランシアを圧し潰す。


 これだけの物量で攻められれば、少なくとも身動きは制限されるはず。

 未知数ではあるが、どれだけ竜人が頑強であったとしても無敵ではないはずだ。

 勇者を恐れているのであれば、不死身なはずがない。

 

 ならば、動きを止めることができれば俺達にも勝機はある。

 視界はしにいるアリアが合図を送ったその瞬間。

 魔法を解き放つ。


「御剣、天翔!」


 降り注ぐは、散っていた騎士達の剣。

 砕かれた剣は刃の雨となって、激しく降り注ぐ。

 俺の魔力が続く限り、刃が降り止むことはない。

 それこそ、相手が息絶えるまで。

 

 だが俺は理解していなかったのかもしれない。

 自分が相手にしている竜人という種族を。

 ドランシアという、存在を。


「こんな稚拙な技が通用すると思ったのかしら。有明の使徒も、大したことないのね」


 俺の全力は、一度の閃光によって打ち砕かれた。

 暴力的といえるほどの光の奔流に人形達は振り払われ、剣は跡形もなく砕け散る。

 両手を広げ、まるで舞台から抜け出してきた演者のように光の中から現れたドランシアには、かすり傷ひとつ付いていない。

 

 事実はいまだ、確認できていない。

 相手が勝手に名乗っている可能性もある。

 だがこの時だけは、その姿は紛れもなく、魔王そのものだった。

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