第105話


「な、なにを馬鹿なことを! その程度の戯言で我が騎士達をかどわかそうなどと、百年早い! ここにいる騎士達は確固たる信仰を胸に抱いているのだからな! 貴様のような異端者の言葉など、一言たりとも――」


 そのベセウスの言葉を最後まで吐き出すことは出来なかった。

 代わりに耳をつんざいたのは、全てをかき消す破裂音。

 降り注ぐは光彩の破片。

 視界を埋め尽くすガラス細工のようなそれは、教皇が張っていた障壁の名残だった。


「お邪魔するわね」


 絶対の守護だと思われたベセウスの障壁が、唐突に崩れ去れる。

 余りの衝撃に周囲にいた魔族達さえ消し飛び、家屋も雪崩のように倒壊していく。

 

 その事実は騎士や住人達に混乱をもたらすには十分すぎる物だった。

 巻き起こる無秩序な悲鳴と怒号に紛れて聞こえたのは、聞こえるはずのない声。

 そこにいたのは、居るべきではない人物。


「ドーラ、お主がなぜここに」


 俺達の疑問は、ビャクヤの明快な一言に集約された。

 隠れ里にいるはずの彼女が、このエルグランドに再び姿を現すわけがない。

 彼女ほど、この街から逃れたいと懇願していた人物もいないはずだ。

 だというのに、ドーラはにこやかな笑みを浮かべながら、なんともなしに言い放つ。


「どういうことか、説明してもらえるか」


「簡単な話よ? 用事ができたから、こうして戻ってきたの。おままごとみたいな生活も悪くはなかったけれど、私の性分には合わなかったみたい」


「いいや、そうじゃない。お前はいったい誰なのか、説明してくれるかってことだ」


 剣呑すぎる空気を纏ったその人物を、俺は知らない。

 少なくとも異種族の排斥に怯えていたドーラという女性と、目の前の人物が同じだとは思えなかった。

 教皇の障壁を一瞬で打ち砕き、魔素に汚染された魔族の間を悠々と通り過ぎ、騎士達に向けられる刃を気にも留めない。

 眼前の存在が一体何なのか。その答えは、当人によって明示された。


「説明するよりも、こっちの方が分かりやすいでしょう?」


 最初に現れたのは、空を掴むための一対の翼。

 どこまでも抜ける蒼穹を彷彿とさせる瞳。

 折れていたはずの角は瞬く間に元ある形へと戻り、蒼い光沢を湛えている。

 そして何より目を引くのは、胸の中央に浮き出した胎動する赤い物体だ。


 心臓のようでもあり、そして宝石のようでもある。

 その物体の正体はわからない。わからないが、その物体が現れてからドーラから感じる威圧感は、けた違いに跳ね上がった。まるで巨大な災害や天災を眼前にしているかのような、畏怖と恐怖の混ざり合った重圧に身が竦む。

 

 もはや記憶の中にあるドーラの姿とは、似ても似つかない。

 それでも、その姿をおぼろげながらに知っていた。

 かつて魔物に関する情報をがむしゃらに詰め込んでいた時、偶然にも目にしたその存在。

 僅かな記述で済まされていたその存在はしかし、決して脅威だとみなされていなかったわけではない。

 もはや記述する必要がないと判断されていたのだ。

 

 なぜならば、その種族はもはや御伽噺の中でしか存在を許されていないからだ。

 それが――


「竜人、だと?」


 ◆


 それは竜と共に生きた古代の民。

 大陸の覇者として名を馳せながらも、突如として歴史から姿を消した謎多き種族。

 ほぼ全ての記録が謎に包まれており、その存在自体が架空の産物なのではないかと噂されるほどだ。

 だからこそ竜人という種族が、いったいどんな力を有しているのかを、俺は知らない。

 いや、人類は記録していない。


 しかし頭では理解する必要はない。

 本能が煩いほどに警鐘を打ち鳴らしていたからだ。

 眼前の存在が人間を遥かに凌駕する力を有する、格の違う存在だと告げている。

 意に反して硬直する体をどうにか動かそうとしていると、思いがけないところから怒号が響いた。


「ドランシア! 貴様、私の領土で……このエルグランドで何をしている!」


 それは怒りを隠そうともしないベセウスの声だった。

 あまりの狼狽ぶりに周囲の騎士や住人、挙句の果てにはミリクシリアでさえ困惑の表情を浮かべている。

 それほどに彼女の来訪が予想外の出来事だったということだろうか。


 今の姿を見て名前を呼んだ以上、ベセウスとこの竜人には面識があるのは確実だろう。

 思わず竜人――ドランシアへと視線を向けると、彼女はベセウスに手を差し出して、聖母のような笑みを浮かべた。


「時間切れよ、ベセウス。だから助けに来てあげたの」


「助けに来ただと!? この状況を見てよくもぬけぬけと! そこら中に魔族共が溢れかえっているではないか! あの契約はどうなっているのだ!」


「残念だけれど無能な貴方より先に、向こうの研究が完成したのよ。魔素に染まった生物のコントロールなんて、そう簡単にできるものじゃないと思ったのだけれど予想よりずっと早かったわ」


「な、ならば私の研究はどうなる! 完成間近で破棄しろと言うのか!?」


「もちろん手放すのは惜しいわよね。だから選ばせてあげるわ。私に研究成果を渡して助かるか、それともここで研究と一緒に潰えるか」


「貴様! まさか横取りするつもりか、この私の研究を!」


「言葉は良く選ぶべきよ、ベセウス。こんな最高の実験場を提供してあげたのに、まだまだ完成には程遠そうじゃない。だから私がその研究を引き継いであげるって言ってるのよ」


 なにかを訴えかけようとして、しかしベセウスの言葉は霧散した。

 俺達に理解できる話は少ない。だが貴重な断片的な情報を繋ぎ合わせれば、全容が透けて見えてくる。 

 ベセウスは俺達が睨んだ通り、黄昏の使徒で間違いない。そしてドーラという別人になりすましていた竜人、ドランシアも使徒なのだろう。


 話に出た、魔素に染まった生物のコントロール、というのはクラウレスの持っていた技術に違いない。

 ならばエルグランドをクラウレスを使って攻撃したのは、ベセウスと協定を結んでいた黄昏の使徒ということになる。そしてドランシアはその仲介役をしていたが、ベセウスではなくもう片方の使徒の肩を持っていた。


 だからこそエルグランドはベセウスという黄昏の使徒の支配下にありながら、魔素による被害に喘ぐことになった。

 加えて魔素の影響で異種族への怒りという結果が先行し、魔素による被害という根本的な原因が霞んでしまっていた。


 そう考えれば、今までのことも納得がいく。

 なぜいつまでも黄昏の使徒の目的が見抜けなかったのか。

 それはこの現状が誰かの思惑ではなく、何人かの使徒によって作り出された複合的な状況だったからだ。 

 使徒同士による裏切りと意図しない仲間割れによって踊らされていたのだ。


 しかし、今となっては状況は非常に単純明快となった。

 目の前にいるふたりは黄昏の使徒であり、俺達の敵である。

 一対の剣を抜き放ち、ビャクヤと共にドランシアの背後へと転移すると、続けて薙刀が地面を打ち付ける音が響き渡った。


「まさかお主が黄昏の使徒だったとはな。伝説に聞いていた竜人とは違い、随分と姑息な手段を使うのだな」


「酷い言い草ね。私を勝手に助けたのは貴方達よ。最初は有明の使徒を騙して一緒に行動する予定なんて、私にはなかったんだから」


「だがこの街が抱える異種族への憎悪を、クラウレスと魔素を使って煽ったのはお前達だろ。俺達の前であえて襲われるように仕向けることも不可能じゃなかったはずだ。違うか?」


 ここで再開するまで、ドーラという迫害される立場の女性に疑念の眼を向ける事はかった。

 それは彼女が怪しい動きをしてないという理由もあるが、それ以上に迫害されている異種族に裏切者がいるとは考えられなかったからだ。

 だが、迫害される異種族という被害者への同情心によって、俺達からの疑念の眼を完璧に掻い潜って見せた。

 全てがドランシアの算段だとすれば、彼女の計算高さは俺達の想像をはるかに超える。 

 しかし、ドランシアはうとましそうに肩をすくめた。


「そこまで大掛かりな仕掛けを使ってまで得たいと思うほど、貴方達に情報的価値はないのよ。残念だけれど」


「我輩達を騙し続けていたというのに、白々しい」


「私達は戦争や殺し合いをするためではなく、崇高な目的のために集まっているの。そして有明の使徒はそんな目的を邪魔する為だけに生まれた、いわば手段が目的と化している野蛮な組織。さして興味はなかったけれど、自由に動かれても困るのよ」


 偵察ではなく、監視のため。そうは言うが、この状況で姿を現したことを考えると、ドランシアの言を鵜呑みにはできない。監視していたことは事実だろう。だがそれが主目的ではないはずだ。

 恐らくは、俺達は泳がされた。そしてドランシアはベセウスが追い詰められるこの瞬間をうかがっていたのだろう。

 そうすれば、ベセウスに選択を迫ることができる。俺達と戦うか、それとも研究を渡して生き残るか。

 

 監視していたというのであれば、俺達の行動や正体をベセウスに報告しない理由がない。

 そう考えると黄昏の使徒も一枚岩ではないのだろうが、ここにいる二人が協力的な関係でないのであれば、俺達にとっては好都合この上ない。


「よくも崇高などと口にできたな。お主たちがどれほど犠牲を出してきたか、我輩達が知らぬとでも思ったか」


「その先にある結果が見えている私達だからこそ、口にできるのよ。火山の噴火が後に肥沃な大地を生み出すように、死を齎す凍て付く冬が芽吹きの春を連れてくるように、魔素による些細な犠牲の後には必ず偉大な結果を得られる。それを享受するときになって、初めて貴方達も理解できるのでしょうね」


「ならまずはお前から平和のための礎になってもらうとしよう。一度は救った命だが、今度はその命をもらい受けるぞ」


 ベセウスとのやり取りから、ドランシアが使徒の中でも上位の存在であることは見て取れる。

 ここにいる黄昏の使徒二人を仕留めれば、戦況は有明の使徒の有利へと大きく傾くのは間違いない。

 だがドランシアの視線は俺達ではなく、呆然自失に立ち尽くすミリクシリアへと向けられていた。


「そんなに魔素の被害に憤ってるのなら、まずはそっちを先に片付けるべきじゃないかしら」

 

「魔素の被害を抑えようとしていたミリクシリアを? 見苦しい言い訳はやめた方がいい」


「それは魔素に侵された母体から、無理やり産み落とされた実験体なのよ。ベセウスの研究も不完全で、双子の片割れは魔素の影響が薄かったみたいだけれど」


 視線の端で、ミリクシリアを捉える。

 彼女は呆然と、傍にいるベセウスを見つめていた。

 なにか、言い返すのではないかと、期待していたのか。

 ドランシアの言葉がデタラメであると、否定してほしかったのか。 

 しかしベセウスは沈黙を貫き、相対してドランシアは黙ることはなかった。


「ベセウスの命令を従順にこなす、黄昏の使徒が作り出した兵器。なら有明の使徒が放っておくわけがないわよね」


 住人や騎士の中にあった動揺が隠し切れないほどに揺り返す。

 教皇と竜人が既知の間柄であることも、この街の構造的には問題視されるべきことだろう。

 そしてなによりも問題なのは、異種族が聖女の存在そのものを否定しているというのに、教皇が黙り込んだままであることだ。

 

 その身を捧げてきた教皇ベセウスの正しさを信じたかったのだろう。

 俺達の言葉が何かの間違いであってほしいと願っていたに違いない。

 しかし決断を下す前にドランシアが現れ、ベセウスがこの街で最大の裏切者であることが確定した。してしまった。

 それは同時に聖女ミリクシリアという存在の行動原理と信仰その物が、全て否定されることを意味していた。

  

 ミリクシリアの心境は、察するに余りある。

 だが、時間は待ってはくれない。

 愉悦に浸っている様子のドランシアへと、吐き捨てるように答える。


「あぁ、そうだな。彼女がこれまでと同じようにベセウスの命令通りに行動するのなら、戦うほかない。だがそうでないのなら、誰と戦うかは彼女が決めることだ」


「いまのソレに決断を強いるの? 貴方も意外と酷なことを言うのね」


「人間は誰しも苦難と決断を強いられて生きている。それで苦しむのであれば、ミリクシリアは間違いなく人間である証左だ」


「それは貴方の考えているようなものじゃないわ。命じられるがままに生きてきた、ただの実験体よ。考えも、行動原理も、抱く苦悩さえも、与えられた使命と行動規範によって導き出されたものに過ぎない。それの意思なんてどこにも存在しないのよ」


 それは決めつける様な、全てを知り尽くしているかのような言葉だった。

 だがこのドランシアは、ミリクシリアのこと理解していない。人間ではなく、ただの実験台としか見ていないのであれば、知った様な口調で語ることなど許すべきではない。

 ここで今、ミリクシリアのために行動できるのは、俺達だけなのだから。


「我輩は小難しい話が苦手でな。お主とベセウスを始末した後、ゆるりとミリクシリアに話を聞くとしよう」


「勇ましいのは結構だけれど、なにも知らないのね。私と戦うということが何を意味するのかさえも」


 ドランシアは優雅ささえ湛えながら微笑み、ゆっくりと翼を羽ばたかせた。

 ただそれだ。なにか魔法を使った様子もない。しかし風が唸りを上げはじめ、空に暗雲が立ち込める。

 まるで世界がドランシアの意思に呼応しているのかと見まごう程の変化に瞠目する。

 竜人とはそれほどまでに強力な種族なのか。

 それとも眼前の、荒れ狂う力の化身の如き存在が異常なのか。

 最大限の警戒を持って迎え撃とうとする俺達に、ドランシアはいとも簡単にその回答を示して見せた。  


「勝利などもとより望まないことね。この原初の魔王、ドランシア・ヴァルドロスを相手にするのなら」

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