第104話
ベセウスの豹変ぶりは、いっそ清々しいほどだった。
その血走った眼は、俺から流れて背後にいたビャクヤへも向けられる。
幸いにもアリアはベセウスに直接見られたことはないため、万が一に備えて少し離れた場所で待機してもらっている。
ただ俺とビャクヤのことは流石にこの短い期間では忘れようもないだろう。
露骨な敵意と殺意に晒されるも、ベセウスとの間にミリクシリアが割って入る。
この状況では俺達が下手に動くのは悪手だろう。必ず説得して見せる、という彼女の言葉を信じる他ない。
ただその行動には、ベセウスに呼応して剣に手を掛けた現場の騎士達にも動揺が広がる。
エルグランドの聖女が、教皇の前で異教徒を庇う。
それがどんな意味を持つのかは、聖女であるミリクシリアが一番よくわかっているはずだ。
確固たる彼女の覚悟の表れでもあった。
「どうか話を聞いてはいただけませんか、ベセウス様」
「話し合いができる相手だとでも思っているのか!? そいつらはエルグランドの無辜の民を切り捨てたのだぞ!? 手を組めば背中から刺されることは火を見るよりも明らかであろう!」
「それは私から彼らに依頼した調査の一環です。あの者達はこの街に正体不明の病をばら撒いていた、クラウレスと呼ばれる組織の一員でした。ベセウス様も聞いたことがあるはずです」
「……お前が、こいつらに依頼を持ち掛けたのか? この私に報告せず」
「魔族との聖戦で疲弊した騎士達に代わり、彼等の力が必要だと判断しました。そして彼等は期待以上の活躍をしてくれました。ベセウス様の懸念する、この街の転覆を画策するような者達ではありません」
「騎士達よ、そこにいる異教徒を殺せ。どうやら聖女ミリクシリアは錯乱しているようだ」
「ベセウス様! エルグランドのため……ここに住む人々のためにも、今一度考えなおしてください! 街を取り戻すには、彼等の力が必要です!」
「考え直すのはお前だ、ミリクシリア! エルグランドの鋼を名乗っておきながら、異教徒を招き入れるなど、何を考えているのだ!」
ミリクシリアの賢明な主張はしかし、幾重にも重なる金属の音によってかき消される。
大聖堂区を守っていた騎士だけではなく、魔物の前線基地で共に戦った騎士達も剣を抜いて、その切っ先をこちらに向けていた。逆らうことのできない、教皇の言葉によって。
聖女の言葉は、残念ながら届かなかった様子だ。
「こうなることは容易く想像できたであろう。して、これからどうするのだ?」
「説得がこれで終わりだとは考えたくないが……。」
壊滅寸前のエルグランドを救うには、それこそ強制力を伴う程に絶対的な命令権を持つベセウスの力が必要だ。
そしてベセウスを説得できるのは、この街でもミリクシリアを除いて他にいないだろう。
だがその命令権を俺達を殺すために使っている相手を、これから説得できるとは思えない。
そっと脱出するための転移魔法を準備するが、何かが心の中で引っかかっていた。
些細な違和感だ。だがそれでも無視できない。
ここまで明確な敵意を向けられてなお、違和感を覚えてしまう。
いや、敵意を向けられているからこそ、異常さが際立つ。
聖女の言葉を無視し、少ない戦力をさらに消費してでも、俺達を排除したい理由はなんなのか。
結束を強固にする信仰や戒律も、エルグランドが壊滅状態となった今では意味をなさない。
ならば俺達を消したいというのは、ただただ純粋に異種族を憎んでいるからなのか。
今や障壁の外は――エルグランドは魔族によって蹂躙されている。
壊滅状態の街を放置してまで争い合って、なにが得られるというのか。
負ける気は元よりないが、ミリクシリアがどちらに付くかによっては苦戦は必至だ。
そしてたとえ勝利したとしても、たった三人で街ひとつを救うことができるかどうか。
誰か一人が負傷でもすれば、それこそ絶望的だ。
考えたくはないが、ミリクシリアが本気で剣を振るえば、たとえ俺達であったとしても相応の被害を覚悟する必要が――
「待て。ミリクシリア、お前はベセウスから俺達三人を殺せと命令されたのか?」
「黙っていろ! 貴様らのような異教徒を言葉を交わすだけで穢れが移る! なにをしているのだ、ミリクシリア! お前がまだ正気だというのなら、早くその異教徒共を殺せ!」
騎士達の剣との距離が縮まる。
背中を合わせたビャクヤの声が届く。
「どうするのだ、ファルクス。エルグランドを奪還するのであれば、ここで争っている余裕はないぞ!」
「あぁ、そうだな。だが、少し待ってくれ。なにかが、おかしい……。」
強烈な違和感に、本能が警鐘を鳴らしている。
俺達はエルグランドに入るに際し、荷物の検査を受けて名簿に名前を記入した。
そこから街に潜伏していた魔族の先兵と思われている俺達を調査するのは特に不思議なことではない。
ただ問題なのは、その情報をいつ手に入れたか、だ。
ビャクヤが異種族として注目を集めたのは、この街を去る直前。ドーラの処刑を阻止したその直後だ。
つまりその時まで、俺達はただのよそ者としてエルグランドに滞在していた。
そしてベセウスはドーラの処刑が阻止されたその直前にはすでに、俺達三人を殺せとミリクシリアに命令を下している。
しかし、それでは辻褄が合わない。
よそ者がどれだけ街に入ったかという情報を暗記でもしていない限り、あの時点でアリアが俺達の仲間だったという認識を持っているはずがない。
なぜならばアリアは俺が処刑を止めに行った時には、先に街を抜け出していたのだから。
偶然にも俺の名前をアーシェから聞いて独自に情報収集していたミリクシリアでさえ、ビャクヤとアリアの情報は殆ど持ち合わせていなかった。
逆にあの場所にいたのは、助け出したばかりのドーラだ。
しかしベセウスが殺せと命令を下したのは、アリアを含めた俺達三人だった。
つまり――
「最初から俺達が三人で動いていることを知っていたのか?」
「な、なんの話をしている!」
ほんの刹那、ベセウスの怒気に僅かな動揺が混じるのを見逃さなかった。
この極限状態で、思わず口走ってしまったのだろう。
恐らくは俺達の存在を知っていながら、招き入れたのだ。
そして機を見て、ミリクシリアに始末させる気でいた。
外で迎え撃つのではなく、自分の城であるエルグランドで。
だが誤算があった。
ミリクシリアが独断で俺と接触を図ったこと。
聖女と呼ばれた彼女が、教皇の命令に背いたこと。
魔族側にいる使徒から、この街が攻撃を受けたこと。
いずれも偶然が重なった結果だが、だからこそ予想できるはずがない。
仕留めろと命令したはずの俺達が生き残り、こうして目の前に現れたのだから、さぞ混乱しただろう。
そしてなによりも俺達を優先して消さなければならない理由など、ひとつしかない。
武器に手を伸ばし、ベセウスに視線を向ける。
この街の、黄昏の使徒へと。
「い、異種族の分際で私に刃を向けるのか! 騎士達よ! これが異種族共の醜い本性だ!」
ベセウスは顔を歪ませながら巨大な魔宝石が埋め込まれたロッドを構える。
その反応が真実を如実に物語っていた。
だが外部から見れば俺達がベセウスの命を狙っているように見えるのは事実だ。
今まで俺達とベセウスの間に立っていたミリクシリアが、ゆっくりと振り返る。
その目は、微かに揺れていた。
「なぜ、ですか。街を……エルグランドを共に守ると約束してくれたではありませんか!」
「そうだな。だがそれよりも前に、このエルグランドに巣食う病を調査してくれとな依頼を受けた。他でもないお前から」
「それがなんだと――」
「病の原因は、魔素と呼ばれる正体不明の物体だ。そしてそこにいるベセウスは、その魔素を広めることを目的とした集団に属している」
ミリクシリアが俺の返答をどう受け止めたかは、わからない。
裏切りと取ったか。それとも何かしらの理由があるのかと思案しているのか。
どちらにせよ、ベセウスの正体が露呈した今、ミリクシリアには全てを打ち明ける必要がある。
彼女であれば、街を救うために協力してくれるはずだ。
聖女ミリクシリアは、このエルグランドを救う聖女なのだから。
そう、考えていた。
その存在が、現れるまでは。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます