七章 聖女達の嘆きの丘より
第103話
「大聖堂区は目の前です! 怯まず進みなさい!」
物陰から飛び出してきた魔族は、鈍色の一撃によって地面に転がる。
鮮血を振り払いながら突き進むミリクシリアは、続く騎士達に絶え間なく声を飛ばし続ける。
というのも、騎士達の士気が著しく下がっているからだ。
戦場から帰還した俺達を迎えたエルグランドは、以前の姿とはまるで違っていた。
神聖都市の名を冠するエルグランドは、数日の間に惨憺たる状況に追い込まれていた。
道々には騎士と魔族の死体が転がり、白を基調とした街並みに恐怖を想起させる化粧を施している。
そんな中、戦場から戻ったミリクシリアは街の状況を見ると即座に大聖堂区を目指すよう指揮を執った。
「その大聖堂区に向かうってことは、そこにベセウスがいるってことが良いんだよな」
「エルグランドで最も堅牢な障壁に守られている場所です。加えてベセウス様が得意とする障壁魔法があれば、魔族の侵入を許しはしないはず」
「つまり上手くいけば俺達を抹殺しようとしたベセウスや信者と、もう一度ご対面するってことだな」
「私が必ず説得します。ベセウス様なら、魔族への憎しみではなくこの街と住人を守ることを優先するはずですから」
「そう願いたいもんだな」
その教皇の障壁が魔素の力を得た魔族達の猛攻に対してどれだけ持ちこたえられるのか。
ミリクシリアの言葉を信じるのなら魔族に対しては絶対の効力を発揮するように聞こえる。だがこの惨状を見た後では、その言葉を鵜呑みにはできない。下手をすれば魔族の侵入を許している事さえ考えられる。
そう考えるだけで自然と向かう足も速くなるが、大聖堂区につながる大広場にたどり着いたその時。
進む足が歩みを拒んだ。
「これ、は……。」
飛び込んできたのは、痛々しい程の赤。
鼻を突くのは、むせ返るほどの血の臭い。
人間と魔族の遺体が重なり合い、屍の山が築かれていた。
流れ出した鮮血が道を流れ、音もないまま犠牲の数を物語っている。
察するにこの場所に防衛線を敷いて、住人の安全を確保しようとしたのだろう。
しかし頼みの綱であったはずの騎士達の死体は強引に引き裂かれ、四肢が至る所に転がっている。
「この場所で魔族と応戦したみたいだな。殺され方を見るに、相手は武器を使っていない」
少なくともガルドニクスや本来の魔族の戦い方を垣間見た今なら分かる。
ここで騎士達と戦った魔族達は武器を使わず、力任せに騎士を虐殺している。
理性を失い、その純粋な身体能力だけを武器に戦う。
以前にも見たことがある戦い方。それは魔素に侵された人間達と同じだ。
「黄昏の使徒がなにを考えてるのか、ますます理解できないわね。エルグランドを攻撃する理由も、その目的も」
肩を竦めるアリアを尻目に、ビャクヤにも助言を求める。
言い争いはしたが、それを戦場にまで持ち込むつもりはない。
「……ビャクヤはどう思う」
「分からぬ。そもそも必然か偶然か、たらい回しにされているこの状況では使徒もその目的も見つかるまい」
「まぁ、それすらも相手の狙いかもしれないってことよね」
ビャクヤの言う通り、ここのところ一所に留まれる状況ではなかった。
エルグランドから逃れる様に隠れ里へ向かい、その後すぐに戦場へ。そして今、エルグランドへと再び戻ってきた。
それもこれもこの周囲にいる黄昏の使徒の思惑と正体が、未だに看破できないでいるからだ。
「まさか、時間稼ぎをされているのか。俺達がこうして奔走するよう仕向けられているとしたら……。」
今まで相手にした使徒は魔素を広めるという、唯一の目標の為に行動していた。
しかし今回の相手はそういった一貫性がまるで感じられず、どちらかと言えば自分の身を隠すことに精一杯になっている印象を受ける。そしてその作戦は悔しいがこちらにとっては非常に有効だった。
ここまで追い込まれて掴めた情報は、魔王軍の幹部に黄昏の使徒がいるという一点だけだ。
だが、その情報は俺達にとっては反撃の一手となりうる。
とはいえ、いまだに疑念は晴れていない。
エルグランドという都市とそこに住まう人々の狂信的な思想。
様々な方面から思惑がぶつかり合って、もはやコントロールが効かなくなっているのではないか。
最悪と呼ばれる考えが脳裏をよぎり、背中を冷たい手が撫でる。
どちらにせよ、今はエルグランドを救う事から始めなければ。
たとえ俺達の行動が使徒の計画として組み込まれていようとも。
それが、多くを救うというアーシェとの約束でもあるのだから。
◆
結果から言えば、ミリクシリアの読みは当たっていた。
大聖堂区は巨大な障壁と、ベセウスの魔法障壁によって守られていた。
聖女の呼びかけに障壁は一時的に取り除かれ、障壁の内部にいた騎士達とも合流できた。
とは言え大聖堂の中に避難してる住人を守るには、余りにも少なすぎる数だ。
見てみれば騎士の多くが負傷し、無事な騎士達の顔色も優れない。
この状況では無理もないだろうが、決して士気は高くない。
だが街の守護者でもある鋼の聖女が姿を見せたことは、住人達に多大な安心感を与えたに違いない。
悲鳴に近い歓喜の声が、荒れ果てたエルグランドの空気を揺るがす。
「聖女様! 聖女ミリクシリア様が戻っていらっしゃった!」
「エルグランドの鋼がご帰還だ! これで魔族共を一掃してくれるに違いない!」
「不遜なる魔族共に聖なる鉄槌を! 聖女様!」
歓喜の声の中、住人達をかき分けて出てきたのは教皇ベセウスだった。
障壁を張り続けた結果か、頬は痩せこけて疲れが色濃く浮かんでいる。
それでも住人達の前では毅然と振る舞っているのは、権威を落としたくないからか、それとも信者達の期待を裏切れないからか。
ただ、ビャクヤとアリアを連れてベセウスの視線から逃れる様に騎士達の影に入る。
ここで下手に出ていって問題を大きくする必要はない。ミリクシリアが説明を終えるまで、静かに状況を静観するべきだと考えたのだ。
ふたりも俺の考えを組んでくれたのか、言葉を発することなくベセウスとミリクシリアの様子を窺っていた。
そのミリクシリアはベセウスの元に駆け寄ると、迷いなく足元に跪いた。
こんな時にも礼節を忘れないのは、彼女らしいと言えばらしいが。
「戻ったか、ミリクシリア」
「ご無事でなによりです、ベセウス様。ですが他の騎士達はどこに……。」
「お前が聖戦に向かった直後に襲撃を受けた。騎士達は勇猛に戦ったが、ここにいる者達を除いて神の元へと旅立った」
「まさか――」
「手ひどくやられた。聖地エルグランドが魔族に汚されるとは、屈辱だ」
苛立ちを隠そうともしないベセウスを前に、ミリクシリアが微かに眉を顰めるのが見えた。
街の中には相当数の魔族が闊歩しており、隠れている住人や孤立した騎士達が戦っているはずだ。
だというのに、聖地が汚されて屈辱的だ、などと言う言葉が最初に出てくる彼の感性には首をかしげざる負えなかった。
それでもベセウスがエルグランドの最高権力者であることに変わりはない。
彼の協力を得られるのであれば、救える命は格段に多くなる。それがどんなに打算的で一時的な協力関係であろうとも。
ミリクシリアも騎士団の壊滅状態を知って、動揺を隠せずにいる様子だが、本来の目的を忘れてはいなかった。
膝をついたまま、ミリクシリアはさらに頭を下げてベセウスへと進言する。
「エルグランド奪還のためこの刃を振るうことをお許しください。そして可能であれば、私の友人達をその戦列に加えることも」
「……本来であれば魔族との聖戦に騎士以外を加えることはないが、この状況では致し方あるまい。簡易的だが叙勲の儀を執り行い、栄誉騎士に任命する。ここへ連れて来い」
ミリクシリアの視線が俺達に向けられる。
言葉はなくとも、その意味は理解できる。
だが同時に刹那の迷いが生まれ、逡巡する。
一度は街を追われた俺達がここで身を晒すことで招くであろう事態が、容易に想像できるからだ。。だが、共に街を救うと約束した。
ならば聖女がベセウスを説得できると信じるべきだろう。
騎士達の影から抜け出し、与えられていたローブを脱ぎ捨てる。
そして、返ってきたのは予想通りの反応だった。
「き、貴様は……!? 異教徒を連れてくるとはどういうことだ、ミリクシリア!」
「ベセウス様、彼等は敵ではありません。それどころか、この街を救うために協力してくれる仲間です。今はこの街を救うために、手を取り合うことは出来ませんか?」
それは鋼の聖女としてこの上なく相応しい真直ぐな願いだった。
だが、あまりに実直すぎる。
真正面から告げられたミリクシリアの言葉に、ベセウスは青筋を立てて、激昂した。
「ふざけるな! エルグランドの鋼と呼ばれておきながら、私の命令に背いたのか!? あの時確かに命令したはずだ! その者達を殺せとな! 次はないぞ、聖女ミリクシリア! この三人を、今すぐに殺せ!」
神聖都市エルグランドの最高指導者、教皇ベセウスの言葉は神の言葉と等しい重さを持つ。
それを証明するかのように、騎士達は迷いなく剣を引き抜き、俺達へとその切先を向けた。
まるで聖女の言葉など、聞こえていないかのように。
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