第31話

 刹那の出来事に、理解が追いついていなかった。

 ビャクヤが崩れ落ちる。それも一切の声も上げずに。

 だが体が思考よりも先に行動へと移っていた。

 崩れ落ちたビャクヤの体を抱き留めて、一瞬で部屋の外へと転移する。

 見れば首筋に小さな切り傷ができていた。咄嗟にポーチから直接回復薬を取り出し、傷を治そうとする。

 しかし鬼の回復力で、瞬く間に傷は塞がった。だというのに、ビャクヤは一切、反応を返さない。

  

「ビャクヤ!」


「もう遅いですよ。 魔素は彼女の体に回り始めた。 もはや打つ手はありません」

 

 その声は、先ほどの声。

 そしてすでに聞いたことのある声だった。

 部屋の中に佇むのは、モノクルを掛けた長身の男。

 先ほどまで盗賊団に襲われて、命乞いをしていたはずの男だった。


「ヴァンクラット! お前、どういうつもりだ!?」


「おやおや、すでにお気づきでしょう? それとも私の口から言って欲しいのですか? 私が黄昏の使徒なのだと」


 ヴァンクラットは芝居がかった言い草で、宣言した。

 聞いた瞬間、眼前が、怒りで赤く染まる。


「空間転移!」


 瞬間、ヴァンクラットのいた地点に刀剣を転移させる。

 しかし、当たらない。ヴァンクラットは数歩、移動するだけで転移攻撃を避けて見せた。

 攻撃が当たらなかった理由は、簡単だ。

 俺が座標を決めて魔法を発動するまでの一瞬に、ヴァンクラットが移動したのだ。

 その身のこなしだけでも、見た目通りの男でないことは理解できた。

 ヴァンクラットは俺の攻撃でなぎ倒された実験器具を見て小さく笑った。


「おやおや、会話もせずに攻撃とは怖いですね、有明の使徒は」

 

「有明の使徒? お前、いったい何を――」


 俺を疑念を遮るように、ヴァンクラットは笑った。

 まるで喜劇を見るかのように、声を張り上げて。


「なるほど、なるほどなるほど! そういう事でしたか! 余りに唐突に現れたので、別の場所から呼んだかと思ったのですが、貴方は新たな使徒という事でしたか!」


 笑いながら、ヴァンクラットは語り続ける。


「それも私達の事情も知らずに使徒となったのでしょうねぇ。 あの詐欺師の口車に乗せられて。 実に愉快。 実に滑稽」


「その話は、後でゆっくりと聞くとしよう。 だがまずは、お前を黙らせて、ビャクヤを救ってもらう」


「ならば少しばかり、抵抗させていただきましょう」


 瞬間、地面を蹴りヴァンクラットへ肉薄する。

 油断はできない。ナイフで刺されたビャクヤは一瞬で昏睡した。

 だからこそ最初から全力で、つぶしに掛かる。


 刀剣をヴァンクラットの背後に転移させ、全面からは自分で斬りかかる。

 二重攻撃。だがヴァンクラットは素手で、その両方を防いで見せた。

 俺の剣は手のひらで受け止められて、切り傷の一つも作っていない。 

 まるで魔物のような怪力に、刀身が悲鳴を上げる。

 

「この力は!?」


「まさか自分だけが選ばれたと思っていたのでしたら、残念でしたね。 貴方だけが特別という訳ではないのですよ!」


 直感で、後方へと転移する。

 次の瞬間、ヴァンクラットは腕を大きく振り払った。

 だが、ただそれだけで部屋の内部は嵐の様に荒れ狂った。

 恐らく旋風系の魔法『ウィンド・ストーム』だろうが、その破壊力はけた違いだ。

 ヴァンクラットへ近づく事すらできず、刀剣の一本を手放した。


「共鳴転移!」


 加速した亜音速の刃がヴァンクラットへ飛来する。

 通常の人間なら、反応すらできない速度だ。

 だが実体を持った瞬間に、荒れ狂う嵐に阻まれてしまう。 

 減速した剣を素手で受け止めたヴァンクラットは、モノクルの位置を直して、言った。

 

「ここまででしょうか。 この辺で私はお暇させていただきます」


「逃げる気か!」


「いえいえ、帰るのですよ。 私の、愛しい我が家へ」


 そう言うと、ヴァンクラットは室内の壁を、たった一撃で打ち抜いた。

 崩落を始める坑道。すぐさまビャクヤの元へ戻り、小さな体を抱きかかえる。

 見ればヴァンクラットは、破壊した壁から出ていくところだった。


「そうそう、早めにこの場所を出た方がよいでしょう。 そこの東方の野蛮民族と共に、塩漬けになりたくないのであれば、ね」


 不可解な笑みと共に、ヴァンクラットは、姿を消した。

 そして、無慈悲にも岩塩抗の崩落が始まった。

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