第32話

 来た道を、ただひたすらに戻る。

 視界の先へ転移し、そして再び転移。

 妨害をしてくる盗賊団もいるが、もはや構っている時間は無い。

 徐々に崩壊を始めている坑道から抜け出し、一刻も早くヴァンクラットを追わなければ。

 魔素を注入されたビャクヤを治すためにも、あの男を捕まえる必要があった。


「ビャクヤ! しっかりしろ! ビャクヤ!」


 抱きかかえたビャクヤは、眠っているかのようだった。

 一切の返事を返さず、ただただ目を瞑っている。 

 だが確実に魔素は彼女の体を蝕んでいる。

 そんな彼女を見て、呼びかけずにはいられなかった。

 そして、小さな声が、耳を打った。

 

「ふ、ファルクス?」


「目覚めたか!?」


 今までは想像もできなかった弱々しい声音に、不安を掻き立てられる。

 そしてビャクヤは小さく微笑んで、そしていった。


「わ、我輩を、殺せ」


「な、なにを……。」


「魔素が回れば、我輩で、なくなる。 あの男の傀儡に、なってしまう。 その前に、我輩を」


「ふざけるなよ! 馬鹿なことは元気になってから言え!」


 怒鳴りつける様に、ビャクヤの言葉を止めさせる。

 その先を言わせたくなかった。そして聞きたくもなかった。

 ビャクヤは俺よりも魔素の特性を知っている。長年、追ってきたのだから当たり前だ。

 そんな彼女ならば、魔素に犯された人間がどうなるか。理解しているだろう。

 そして実際に対峙した俺も、結果ははっきりとわかっていた。 

 だがそれを認めるわけにはいかなかった。


「ヨミ様も、仰っている。 我輩は、助からない」


「知るか! ヨミの言葉なんて聞くんじゃない! 俺の言葉だけを聞いてろ!」


 否定したかった。ビャクヤが死ぬという事を。

 必死に転移を繰り返し、そして出口の光が見えた頃。

 ふと手の中のビャクヤを見て、言葉を失う


「ビャクヤ? おい、ビャクヤ!」


 力なくうなだれ、脱力しきった小さな体。

 すでにビャクヤの体は、氷の様に冷たくなっていた。

 研究室で呼んだメモ書きが蘇る。

 精神が破壊されて仮死状態に陥る。

 もはやビャクヤという少女は、死んだも同然だった。



 崩落する岩塩抗を抜け出し、馬車に荷台にビャクヤを寝かせる。

 すでに冷たくなった彼女の体は、体の機能が停止している。

 それはつまり、仮死状態という事だ。

 そして徐々に魔素に体を乗っ取られて、村を襲った盗賊の様に成り果てる。

 もしくは、ヴァンクラットに操られて、望んでもいない殺戮を繰り返すことになる。

 どちらも最悪の終わり方だった。


「どうすれば、いいんだよ……!」


 恐ろしかった。

 怖かった。

 ビャクヤがビャクヤで無くなることが。

 

 だがそこで、ふと気づく。

 崩落の最中に負ったのだろう。

 ビャクヤの体に出来た小さな傷が、治っている。

 精神が破壊されて、肉体は仮死状態になると、あのメモにはあった。

 だがまだ体の機能は停止していない。

 つまり仮死状態には陥っていないのだ。


 まだ精神は生き残っている。

 ビャクヤはまだ戦っているのだ。

 自分を壊そうとする魔素と。


 ためらうことは、何もなかった。

 人々を助けたいという俺の願い。

 あの冒険者の意思を継ぐという俺の願いは、今でも捨てては無い。

 むしろこの力を手に入れたことで一層、その思いは強まった。

 だが、その為にも。

 目の前の彼女を助けたい。

 大切な人を守るために手に入れた力なのだから。


「空間転移!」


 助ける方法は、単純だ。 

 ビャクヤの中に存在する魔素だけを別の場所へ転移させればいい。

 もちろん生物の中に存在する物体や、物質を別の場所へ転移させることはできない。

 それは強化された転移魔法でも変わりはしない。

 しかし魔素は魔力を軸に作られた、異物だ。

 魔法を転移させられるのであれば、魔素で出来た物体も転移させられる可能性がある。

 

 だが、結果は芳しくなかった。

 ビャクヤという生体の中に入っていることもだろうが、この転移には精度が求められる。

 体中を巡る魔素だけを転移させる事は、至難の業だ。 

 だが、それがどうしたというのだろうか。

 俺が諦める理由にはなりはしない。


「くそ! なら、こうすればいいんだろ!」 


 ビャクヤを抱きかかえ、できるだけ密着する。

 触れている物の転移は精度が上がる。それに掛けた結果だ。

 そして転移先が遠すぎることもまた、精度を下げる原因となる。

 であれば、転移させる先は決まっていた。


「空間転移!」


 瞬間、目の前が真っ赤に染まった。

 荒れ狂う激痛が、体中を駆け巡る。


「がぁぁぁぁあああああ!?」

 

 たった少量で、この痛み。

 ならばビャクヤはどれほどの痛みを抱えているのだろう。

 そう考えるだけで、自分の感じる痛みがちっぽけなものに感じた。


「ふ、ざけるな。 この程度で、この程度の痛みで!」


 再びビャクヤを抱きかかえる。

 冷たい体に、眠ったような表情。

 活発で、いつも笑顔の彼女からは、想像ができない姿だった。

 そして彼女がいなくなった世界も、想像ができなかった。

 

 だから、だからこそ。


「俺の中に、来い!」


 人々を救うために犠牲になった冒険者。

 彼の気持ちが、理解できた。 

 そんな気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る